第六八話 エーデルベルクの薔薇 一一 ピクニック
学院各所で謎の老貴族が目撃された日の翌朝――。
エーデルベルクの前を流れるニクロス川沿いには、レーン川と同じく古城が多い。
もちろん戦略上の要地防衛を目的とした城もあるが、その多くは河川通行税の徴収を目的として、川沿いの土地を領有する貴族たちが競い合うように築いたものだ。
そういった城のせいで、かつては船が少し進むごとに税を徴収されていたため、河川を使った交易品の最終価格が法外なものになっていたという。
しかし、河川舟運を盛んにして帝国全体の経済を発展させようと、前皇帝が河川通行税の徴収権を皇帝と五大諸侯のみに限定したため、川沿いに乱立していた城の多くが、今はもう草むす廃城になっている。
この日、そうした廃城のひとつの前に、黒いマントを纏った一団が――。
「何がピクニックだ、朝っぱらからこんな場所まで行軍させやがって……」
「そうでヤンス、朝食のチーズが……ウプ、……戻ってきそうゲロ……」
「やめたまえ、語尾が変なことになっているよ……。しかし、どうして我々レーン団だけが……」
「……も……もう、死ぬ……ブヒ……」
揃って不服そうな顔をしたこの一団は、ヘッケンローゼ帝立学院の学生、それもレーン団に所属する者のうち、四年生から八年生までの総勢十七名である。
早朝、言われたとおり学院広場へ集合した彼らは、軽い朝食のあと、それぞれ得意な武器と携帯食料等を持たされると、エーデルベルクからここまで三時間ほどの道のりを、強行軍させられたのだ。魔物の生息する森を一部突っ切りながら……。
息も絶え絶えといった様子の学生が多いなか、〈伯爵級〉の加護を持つレオンハルトは汗ひとつかきもせず、古代の青年像を思わせる凛々しい姿で集団の一番後ろに立っている。
全長六メートルはあろう長大なランスを、軽々と右肩に担いで。
「このまま帰してもらえるとは思えねえな、教授は俺たちに何をさせようと……」
誰に聞かせるでなくそう言ったレオンハルトが、一団の前で涼しい顔をしている引率者、ヴォルフスヴァルト教授の顔を怪訝そうに見つめていると、そこへ、彼と同じく伯爵位を持つもうひとりの学生が、アッシュブロンドの髪を揺らせつつ、軽やかな足取りで近寄ってきた。
「さあ? ……でも、ボクは嬉しいよ、レオンハルトと久しぶりに森を歩けて。本当にピクニックみたいだね」
「!?」
心から幸せそうに言いながら下から見上げてくる、フローリアンの反則的なほど可憐な笑顔に、彼は思わず息を呑んでしまった。
「く……」
早鐘を打つような心臓の高鳴りを抑えながらも、どう返そうかと言葉を探るレオンハルト……。
そんな彼を救うかのように、教授がパンパンと大きく手を叩く。
「はい小休止終わりー、この程度でアゴを出すとは情けないなあ……。さて、諸君には、これから特別野外授業を受けてもらう。――まずはあちらを見たまえ」
疲れきった顔をしている学生たちの前で頭を軽く振ってから、ヴォルフスヴァルト教授はある方角を指差した。
その先を学生たちが一斉に振り向くと、朝霧漂うニクロス川の対岸、深い森と一体化した低山の崖上に、もうひとつの廃城が静かにたたずんでいるではないか。
あの城がどうしたと……。
「こらこら、揃いも揃ってコーボルトに騙されたような顔はやめたまえ。――えー、その内容についてだが、この城とあの城で、…………模擬戦をやってもらう」
呆けたような顔の並ぶ様子に苦笑いした教授が、勿体つけて今日の本題を口にすると、その言葉を理解するまでのわずかな沈黙のあと――。
「よっしゃあぁぁ! ランツクローン派とノイエンアーレ派で戦争だ!」
「今日こそギャフンと言わせてやるでゲス!」
「まったく教授も粋なことを考えますね。――よーし、どちらがレーン団の実権を握るにふさわしいか、白黒ハッキリさせてやるぞ!」
「やったるブヒィ! 僕たちのフローリアンたまの可憐な戦いぶりに、震えて眠ればいいブヒィィィ!」
――学生たちが一斉に沸き立った!
だが、そんな彼らの鼓膜をふたたび震わす教授の手の音。
「はい静粛にー。盛り上がっているところ申しわけないが、きみたちには一致団結して敵に当たってもらう」
申しわけなさのカケラもない表情で教授が口にした、耳を疑いたくなる言葉に、学生たちのテンションは目に見えて急降下していった。
「チッ、最悪の気分だぜ、なんで俺らがこんな腰抜け連中と……」
「まったくでヤンスよ、こんなナヨナヨしたやつら、ランツクローン派の足を引っ張るに決まっているでゲス……」
「それはこちらのセリフだ! きみたちのような野蛮人は、考えなしに行動して味方の足を引っ張るに違いない!」
落胆の色も隠さず罵り合う学生たち……。その醜い姿をげんなりと眺めている教授の前で、学生のひとりが手を挙げる。
「あ、あのー、ヴォルフスヴァルト教授、やっぱり敵役は教授ですか? ……ブヒ」
「いやいや、満月の夜でもないとそんな気にはならないからね、私は楽しく見物させてもらうよ」
「ブヒ?」
「喜びたまえ、今日、きみたちには、最高の相手を用意しているぞ」
色白ぽっちゃり系学生からの質問にそこまで答え、教授がニヤリと意味ありげに笑ったのと、いち早く何かを察したレオンハルトが空を見上げたのは、ほぼ同時であっただろうか――。
「!?」
「あっ――」
空中にナニカを見て顔色を変えたレオンハルトが、とっさにフローリアンを抱き寄せ庇い、その行動に驚いたフローリアンが小さく声を上げると、まるでそれが合図だったかのように――頭上から強烈な突風が学生たちを襲った!
「うわっ!」
「何だ!?」
「め、目にゴミがっ!」
突然のできごとに、みっともなく狼狽する学生たち……だが、すぐに彼らは突風の原因を知ることとなる、それは――。
「リ、リントヴルム……」
――そう、彼らの眼前に悠々と舞い降りてきたのは、一体のリントヴルムだったのだ。
その一方……。
「あ……ありがと……」
「お、おう……」
……などと顔を赤らめ、慌てて離れるフローリアンとレオンハルト、そして、ふたりの様子を見て何やら言いたげな表情のライナー……。
そんな若者たちの人間模様をよそに、着陸したリントヴルムの背から、ひとりの老竜騎士が降り立った。
「平和ボケじゃとは聞いておったが、まったくもって嘆かわしい……。わしが敵であったら半数はすでに死んでおるぞ」
見つからないよう高空を飛行し、敵の直上から何かを投下、あるいは急降下突撃する――。その竜騎士お得意の戦法に誰ひとり気づけなかったのだから、たしかに実戦ならば、彼の言葉どおりになっていたであろう……。
それにしても、レオンハルトのそれと同等の長大なランスを片手に軽々と携え、ぶつくさ文句を言いつつ学生たちを睨みつける、この老竜騎士……。
「あっ! 昨日のジイ様! どうして――ヒッ!」
この人物こそ昨日学院で目撃した謎の老貴族だと気づき、思わず大きな声を上げた学生が、鋭い眼光で射られたとたん悲鳴を上げた。
同様に気づいた他の学生たちも一瞬騒然となりかけていたが、老竜騎士の尋常ならざる迫力に気圧され、すぐに沈黙してしまう始末だ。
普段は騒々しい争いを繰り広げている学生たちの、すっかりビビりまくっている様子に、思わず出てしまいそうになる笑い声を噛み殺しつつ、教授は老竜騎士の横へ歩み寄り紹介を始める。
「それでは、諸君のお相手をしていただく方を紹介しよう。――こちらが先のタウルス=レーンガウ伯、エーリヒ・フォン・エックシュタイン先生だ」
その名を耳にした瞬間、学生たちの間に衝撃が走った!
「あれが、帝国最強の竜騎士……」
「コンストニッツ防空戦の英雄……」
「嘘だろ、死んだはずじゃ……」
今まで気圧されていたことも忘れ、ざわめき始める学生たち……。さもありなん、ここにいる彼らが幼少のころ、あるいは物心ついたころにはすでに消息を絶ち、伝説上の人物となっていた英雄が、今、こうして自分たちの眼前に立っているのだから……。
グリューシュヴァンツ帝国、特にレーン宮中伯領で育った貴族の子に、彼の武勇譚を聞いたことのない者など存在しないのだ。
「エーリヒ・フォン・エックシュタインって、ずっと昔にリントヴルムのスタンピードが起きた時の撃墜王だよね。そんな英雄に相手してもらえるなんて感激だね、レオ……レオンハルト!?」
思わぬビッグネームの登場に顔を輝かせるフローリアンだったが、レオンハルトの顔を見上げたとたん、ただでさえパッチリと大きい目をさらに見張った。
その目に映ったのは――。
「あの人は生きていたんだ……」
――と、深い青の瞳をキラキラと輝かせ、伝説の竜騎士を真っすぐに見つめている、ひとりの少年の顔……。
(この顔……。あの日、森の中で英雄物語を聞かせてくれた時と同じだ……)
目の前にある顔と、思い出の中にある少年の輝いていた顔が、フローリアンの中で重なる……。すると、屈託なく笑い合っていられた昔に戻ったような気がして、じんわりとフローリアンの胸が熱くなった。
しかし、どこか寂しげに微笑むフローリアンの心中など知るよしもない教授は、大きな声で話を進めていく。
「どうだ、驚いただろう? 伝説の英雄に胸をお貸しいただけるんだ、諸君、光栄に思いたまえ。――さて、それでは模擬戦のルールを説明しようか」
誇らしげに笑ったあと、説明に移った教授が高く掲げたのは、リボン状になった赤い布。
「まず、この細長い布を双方の大将が頭に巻き、諸君はこの城、エックシュタイン先生側はあの城に布陣する。戦闘開始後は双方好きなように移動して、最終的に相手大将の頭に巻かれた布を落とした方が勝ちとする」
ザワリ――。模擬戦のルールを聞いた学生たちがざわめいた。
やがて、そのうちのひとりが戦々恐々とした様子で質問する。
「あのう……。僕たちのなかで空中戦が可能そうな者は、たったひとりしか思い当たらないのですが、そのひとりを除けば、空から一方的に攻撃できるエックシュタイン先生が圧倒的に有利――」
「あん?」
「ヒッ!」
「……なんじゃお前、いかような状況でも頭を働かせて戦うのが貴族じゃろう。……それとも何か、お前は敵が空から攻めてきたら指を咥えて見ておるのか?」
「い、いえ……」
エーリヒの鋭い眼光と舌鋒に容赦なく突き刺され、いささか不憫にも思えるが……質問した学生が青い顔をして黙り込んでしまった。
憐れな学生を一瞥し、全員に向かい大きく声を張り上げるエーリヒ。
「よいか、こわっぱども! 十八年前の方伯領を最後に帝国内で魔物が溢れたことはない。じゃが、このような平穏は今日にでも崩れる砂の城と知れ! その時に、守るべきものを守れずして何が貴族か! 我らが守護者を授かったのは奢侈のためでは断じてない! 想像しろ! 大切な者の命が指の間からこぼれ落ちる瞬間を! 失ってから己の無力を悔いても遅いぞ!」
人生の垢にまみれていない若者の心は感じやすく、良くも悪くも染まりやすい。
廃城前にエーリヒの声が朗々と響くうち、学生たちの顔つきが目に見えて変わっていった。
(やっぱり伝説の英雄が言うと、説得力が違うねえ……)
などと、学生たちの変化に気づき内心舌を巻く教授の横で、エーリヒは続ける。
「スタンピードも知らず今までのうのうと生きてきたお前たちが、いったいどれほどのものか、わしが今から見極めてやる。――全員死ぬ気でかかってこい!」
「はい!」
エーリヒが気合いの入った声で締めくくると、伝説の英雄にさんざん煽られた学生たちの、珍しくピタリと声を揃えた返事が、廃城を囲む静かな森に響き渡った。
その様子を眺め一度頷いてから、エーリヒは――。
「……まあ、今日のところは、わしの最も信頼する者に大将役を任せておるゆえ、わしは空中のみを守り、地上には手を出さんでおいてやろう」
――と、声のトーンを和らげて言った。
その様子と緩められた条件にホッと胸を撫で下ろした学生たちは、この時、まだ知らなかった。
川向こうに見えるあの廃城に、何が待っているのかを……。




