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第六五話 エーデルベルクの薔薇 八 晴れのち鉄骨


 あのあと、孤児院でカワイイ成分を十二分に補充した真綾は、宿へ帰ってきたエーリヒと豪華な夕食を堪能したのだが、その翌日――。


 今日も宮中伯の城へ拉致さていくエーリヒを、バイバイと手を振って見送ったあと、真綾は昨日に引き続き孤児院を訪れ、ストンと抜けるような青空の下、小ぶりで色鮮やかな秋薔薇の花咲く中庭で……。


「よ」

「わー!」

「は」

「すごーい!」


 自慢の水芸を披露していた……。

 ヨーナスとマーヤにせがまれて日々精進しているため、もはやその技はプロ級と言っても過言ではなく、孤児院のチビッ子たちも可愛い歓声を上げて大喜びだ。

 両手に持った扇子はもちろん、地面のあちこち(熊野丸と一緒に召喚した物は離れていても【船内空間】へ出し入れ可能である)からダイナミックに水を噴出させ、真綾が華麗にフィニッシュを決めると、可愛い観衆から割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 やがて、チビッ子たちの興奮冷めやらぬなか、ひとりの上品な老婦人が真綾に歩み寄る。


「マーヤ様、たいへん素晴らしい御業でしたわ、心から感謝いたします。――みんなこんなにも目を輝かせて……。この子たちは大きくなっても、きっと、この日のことを忘れないでしょう」


 自分の胸に手を当てて淑やかに礼を述べたあと、口々に感想を語り合っている子供たちへ視線を移し、穏やかな笑みを浮かべる彼女こそ、この孤児院を取り仕切っている院長先生だ。

 彼女が上品なのも当然である、実家はさる城伯家なのだとか。彼女の話によると、読み書き計算が必須で貴族相手に寄付の交渉をすることもある院長職に、こうして貴族家の子女が就くことは、たいして珍しいことではないらしい。

 しばらく子供たちの様子を満足そうに眺めていた院長先生は、号令を待つ子犬のごとくこちらを見つめている双子に気づくと、一度クスリと笑ってから、ふたりを優しく手招きした。


「さあグレーテル、ヘンゼル、マーヤ様を頼みましたよ。――いい? くれぐれも粗相のないようにね」

「任せてよ院長先生! 行ってきまーす!」

「はい、頑張ります! ――マーヤ姉ちゃん、行こ」


 待ってましたとばかりに駆け寄ってきた双子は、元気よく返事すると同時に左右から真綾の手を取り、さも嬉しげな様子で孤児院の薔薇園をあとにした。


      ◇      ◇      ◇


 真綾は孤児院を出たあと、エーデルベルク市街のあちこちを双子に案内してもらっていた。実は昨日の別れ際、ふたりを翌日に専属ガイドとして雇うと約束していたのだ。

 可愛い双子との観光を存分に愉しんだあとは、ふたたび孤児院に寄ってお菓子を差し入れ、あわよくば、甘えてくる幼児たちにもみくちゃにされて、心ゆくまでカワイイ成分を補充しようという、熊野発案による恐るべき計画であった。


「あの店は看板が派手だけど、店のオヤジがケチだからワインに水を混ぜてるんだ、ワインを買うときはあっちのでっかい店がいいよ!」

「あそこは女中頭のおばさんが孤児院の出身だから、僕たちによく仕事をくれるんだよ」


 破格の案内料を貰ったうえ、すっかり仲良くなった真綾のお役に立てるとあって、グレーテルとヘンゼルもアホ毛を揺らしながら大張りきりである。

 こうして美しく気品のある真綾を案内していると、自分たちが孤児であることを忘れ、お姫様に仕える家臣にでもなったような気がして、誇らしく胸を張って通りを歩くふたりだった。

 やがて、一軒の大きい建物の前まで来たところで、グレーテルが鼻をヒクつかせつつ説明を始める。


「ここがお貴族様の学生食堂な、すっげーいい匂いがするだろ? ここの料理はボリュームがすごいってレオンハルト兄ちゃんが言ってたよ」

「それからね、料理長さんが南部辺境伯様の宮廷料理人だったらしいから、この地方だと珍しい料理もあるし、どれもおいしい――あ、マーヤ姉ちゃん、どこ行くの!?」


 自分の説明が終わるのも待たず、フラフラと学生食堂の入り口へ吸い寄せられてゆく真綾に、ヘンゼルの可愛らしい顔は目に見えて青ざめていった。


 ここで、この都市の特色について語っておこう。

 一般的な日本人なら、学校と聞けば、塀に囲まれた敷地内に施設が収まっている姿を想像しがちだが、学院都市としての顔も持つエーデルベルクでは、学校とそれ以外を隔絶する塀など存在せず、市街に溶け込むようにして学校施設が点在しているため、その建造物が学校施設であるか否か、街に不慣れな者には判別が難しいのだ。

 そんな学校施設のひとつであり、現代のそれと違い一般開放などされていない学生食堂へ、食欲をそそる匂いに釣られた旅人が迷い込むことは、さほど珍しいことではなかった。

 無論、貴族である学生専用の食堂と知ってなお立ち入る勇者は、今日この日まで存在しなかったが……。


「ダメだよマーヤ姉ちゃん、絶対マズイって! ここに入った旅のオッサンが袋叩きにされてるの、アタシたちも何回か見たんだ!」

「そうだよ、ここは入っちゃダメだよ。マーヤ姉ちゃんはお貴族様だから袋叩きはないと思うけど、たぶん叱られちゃうと思うし、そもそも、ヘッケンローゼの学生じゃないと料理を出してもらえないよ」

「無念……」


 左右から両手を掴んで必死に引き留める双子をズリズリと引きずったまま、真綾は学生食堂への突入を試みようとしていたのだが、ヘンゼルの言葉の最後らへんを理解すると断腸の思いで足を止めた。

 そんな真綾の背中へ――。


「おい、そこの女! お前、たしか昨日クソジジイと一緒にいた女だろ! その黒い服と黒い髪、何より、そのバカでけぇ後ろ姿、間違いない!」

「ア、アニキ、マズイですよ。どこかであの恐いジジイが見てるかも……」


 ――と、いささか品性に欠ける懐かしい声が……。

 恐る恐る振り返ったグレーテルとヘンゼルが見たのは、昨日の朝、不運にも真綾たちに絡んだ挙げ句、エーリヒの鉄拳制裁を受けた鼻血少年(仮称)と、キョロキョロと落ち着きなく視線を泳がせる舎弟(仮称)の姿であった。

 もちろん、昨日現場にいなかった双子にはそんな事情など知るよしもないが、庶民にとって貴族とは恐ろしい存在であり、その恐怖の対象が敵意にギラつく視線を自分たち(正確には真綾の後頭部だが……)へ向けているのだ、幼いふたりが悲鳴を上げてしまったのは当然のことであろう。


「うわっ!」

「ひっ!」


 そうやって双子が真綾にしがみついたことで、ようやく鼻血少年はその存在に気がついた。


「あん? なんだ、このみすぼらしいガキどもは?」

「……あ、わかった! アニキ、この女、救貧院か孤児院の関係者かもしれません。そう考えたら、こんな身なりをした人間が浮浪者のジジイと一緒にいたのも頷ける」

「孤児院? じゃあこいつら、孤児か……」


 舎弟の推測を聞いた鼻血少年は、幼くして身寄りを失ったであろう双子へ、複雑な感情の入り交じった視線を送る。

 その視線の根源となったもののひとつは、自分は選ばれし高貴な人間であるという高慢なる自尊心。

 そしてもうひとつは、運よく召喚能力を得られただけの自分が恵まれた生活をしていることへの、若い潔癖さから来る後ろめたさ……。

 大人ならば良くも悪くも折り合いをつけていたであろう後者のほうを、怯えた様子で自分を見上げる瞳に責められた気がして、この時、少年の心は無性に波立ってしまった。


「……フン、なんだお前ら、たかが孤児のくせに身綺麗にしやがって、それで良家の子にでもなったつもりか? あまりのバカさ加減に笑いも出ねえ。いいか、何をやってもしょせん孤児は孤児なんだよ」

「う……」

「うう……」


 ことさら嘲るように言う彼の心ない言葉により、お姫様の家臣という夢から一瞬で引き戻され、グレーテルとヘンゼルの目に大粒の涙が浮かぶ……。

 その涙を見て込み上げてきた苛立ちが誰へ向けたものかは別にして、さらに追い討ちをかけようとした鼻血少年は――。


「グッ!」


 ――突如として右肩を襲った激痛に呻いた。

 そんな彼の背後から聞こえてきたのは、激しい怒気をはらんだ低い声。


「イグナーツ……」


 自分の右肩を凄まじい力で掴んでいる何者かに名を呼ばれ、イグナーツ(鼻血少年)は背すじを凍らせたまま振り返る。と、そこに彼が見たものは――。


「ラ、ランツクローンさん……」


 憤怒の形相で自分を見下ろす、レオンハルト・フォン・ランツクローンであった。


「俺のツレ、泣かせやがったな……」

「……な、何言ってるんですか、ツレって、たかが孤児院のガキじゃ――うあっ!」


 レオンハルトの口から出た信じがたい言葉に目を丸くしつつ、なんとか反論しようとしたものの、尋常ではない力で後ろへ引き倒されて石畳の上に転がるイグナーツ。


「イグナーツ、子供いたぶって粋がってんじゃねえぞ。……それに、喧嘩を売っていい相手かどうかくらい見極めろ」


 憐れみを浮かべた深い青の瞳でイグナーツを見下ろして、レオンハルトがそう言った――次の瞬間!

 ゴン! という重い音を響かせて、一本の鉄柱が突き刺さった。今までイグナーツの立っていた石畳に……。


「ヒッ!」


 あのままその場に立っていたら、自分は鉄柱に押し潰されていた(実際は鼻先をかすめる程度の絶妙な位置だったが)に違いない……。短い悲鳴を上げたあと、石畳の破片がパラパラと降り注ぐ下でそう思ったとたん、イグナーツの精神はプツリと限界を迎えた。


「ア、アニキィィィ!」


 などと、地面に転がるイグナーツへ駆け寄る舎弟は、この際無視しよう。


「グレーテル、ヘンゼル、嫌な思いさせてすまなかったな……」


 真綾にしがみついたまま固まっている双子へ、レオンハルトは優しく、そしてどこか寂しげに笑いかけた。

 するとふたりは、そんな彼に見事なユニゾンを響かせて駆け寄っていく。


「……に、にいちゃーん!」


 自分の両脇で号泣するふたりの頭を撫でながら、レオンハルトは真剣な面持ちで真綾の背中に向かい頭を垂れた。


「マーヤさん、俺のツレが迷惑かけちまったみたいで、本当にすまない。……こんなバカでも根は気のいいやつなんだ、許してやってもらえないか? 俺にできることならなんでもするから」


 ――などと仲間のために謝罪しながらも、服の下にある彼の肌はずっと粟立ったままである。

 先ほど、イグナーツから双子へ浴びせかけられた心ない言葉を耳にした瞬間、レオンハルトは自分の心を瞬間沸騰させると同時に、真綾から凄絶な殺気がほとばしるのを感じ取っていたのだ。

 そして極め付きは、この宮中伯の御膝下でも容赦なく彼女が行使した、空から鉄の柱(熊野丸に積載していた長さ六メートルの鉄骨)を降らせるという凶悪な能力……。


(マーヤさん、昨日会った時から只者じゃないとは思ってたが……この人はヤバい、俺のグラーネがここまで怯えるとは……)


 召喚契約を通して自らの守護者の恐怖をも感じ取り、レオンハルトはカケラも生きた心地がしなかった。

 そんな彼の前で、真綾はようやく振り向いたかと思うと、氷のような美貌を一ミリも崩すことなく問いかける。


「なんでも?」

「あ、ああ、俺にできることなら……」


 感情が欠落したような彼女の声にぎこちなく頷きながら、ゴクリと喉を鳴らすレオンハルト。さすがに命までよこせとは言われないだろうが、いったい何を要求されるのか……。


「それなら――」


 相変わらず冷たい表情のまま真綾が出した条件に、レオンハルトは目を丸くした――。




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