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第六四話 エーデルベルクの薔薇 七 宮中伯


 エーデルベルク市街を見下ろす低山の北斜面中腹に、威風堂々とした姿を見せる建造物群こそ、レーン宮中伯の居城たるエーデルベルク城だ。

 その城内にある謁見の間で宮中伯に形式的な報告を終えたあと、エーリヒは別室へと案内されていた。

 室内にいる人間はエーリヒを含めて四人のみ。暖炉を囲むように配された肘掛け椅子へそれぞれ腰を下ろし、くつろいだ様子で語り合っている。


「――それにしてものう、あのゾフィーアが今や宮中伯、しかも結婚して子をふたりも産んでおったとは……わしがおらん間にも時は流れておったのじゃのう。――ゾフィーア、遅ればせながら祝福させてもらうぞ」

「恐縮です、エーリヒ様」


 感慨深げなエーリヒの言葉に表情を変えず頷いたのは、濃い茶色の髪を高く結い上げ、落ち着いた色合いながらも豪奢なドレスを身に纏った女性。

 何を隠そう、この酷薄そうな美貌と禍々しい威圧感を持つ彼女こそ、帝国五大諸侯が一角、レーン宮中伯その人なのだ。ちなみに、見た目は二十代前半にも見えるが、実年齢は三十三歳、れっきとした二児の母である。


「ううむ、あのゾフィーアが結婚……。学生であったころの皇帝陛下と北部低地公を、心底震えあがらせたという伝説を持つ、あのゾフィーアがのう……」

「恐縮です」


 過去をしみじみと思い出すエーリヒの言葉に、今度はゾッとする笑みを浮かべて頷くゾフィーア……。

 若かりし日の現皇帝らが彼女に何をされたかはさて置き、こうしてエーリヒたちが謁見の間とは打って変わり、お互い砕けた態度で接しているのは、ここが宮中伯のごく私的な部屋であり、また何よりも、ここにいる四人が極めて親しい間柄であるためだ。

 そのなかのひとり、知的な眼差しをした初老の男が、おもむろに口を開いた。


「さて、カールをタウルス=レーンガウ伯として旧領へ封ずることと、築城を許すことは決まったが、寄親である当家が何もせぬというわけにはいくまい。――ゼバスティアン、どのような援助をすればよいと思う?」

「はい閣下、兄の薫陶を受けて育ったカールのことですから、領内の経済を回すため、物品などは可能な限り自領内で調えるでしょう。ですので、騎士や上級使用人など即戦力になる人材の斡旋、一般的な伯爵家が向こう一年間暮らすに足るだけの資金、それから、ちょうど葡萄の収穫を終える時期でもございますので、彼の領内から当家へ納税された今期ぶんを、準備金として資金援助に上乗せするのが妥当かと」

「うむ、そうだな、よい判断だ」

「は、勿体なきお言葉」


 自分の意見を聞いて満足げに頷いた男に対し、恭しく頭を垂れるゼバスティアン。……こめかみに青スジ浮かべてエーリヒを拉致した人物と、とうてい同じ人間とは思えない。

 それもそのはず、宮中伯の家宰である彼が頭を垂れるこの相手こそ、ゾフィーアの父にして先代の宮中伯、ラインハルト・フォン・エーデルベルクなのだ。

 その双眸に宿る光は知的が過ぎて酷薄そうな印象を人に与え、針葉樹のように痩せた長身からは、娘と同じく禍々しい威圧感が溢れ出している。

 未だ強い発言力を持つラインハルトが同意したことで、このまま援助の内容が決まるかと思われた、その時――。


「その程度で城が建つか……」


 ボソッと言ったエーリヒのひとことに凍りつく一同……。


「ド厚かましいわ兄上! 城ならば代々住んでおったエックシュタイン城があろう! 見栄を張るにも限度というものがあるぞ!」

「いいや、何がなんでも築城する! あんなカビくさい城に可愛い孫たちを住まわせられるか!」

「なっ……」


 こめかみに青すじ浮かべ、いち早く突っ込んだゼバスティアンであったが、兄の口から猛然と飛び出てきた無茶苦茶な理由に絶句した。

 そんな弟の様子などお構いなしに、怒涛のごとくエーリヒは続ける。


「可愛い孫たちが『うちの葡萄畑の近くがいい』と言うておるのじゃ、築城するよりなかろうが! それとも何か? わしが孫たちと毎日あの辺りを散歩すると宮中伯家は困るのか? ゼバスティアン、お前はわしの老後のささやかな幸福を奪おうと言うのか! ああん!?」

「…………」


 その剣幕だけは彼らの知るエーリヒであったが、言っていることはもう、孫に目が眩んだ老人そのものである……。今度はエーリヒを除く全員が言葉を失った。


「ほ……呆けたか兄上! 築城にどれだけの資金が――」

「エックシュタイン家が旧領へ返り咲いて早々、領民に負担を強いるわけにもいくまい? ならば潤っておる者が出せばよいのじゃ。……レーンガウは商品価値の高い葡萄とワインの名産地であるし、河川舟運の要じゃ、この十数年間に彼の地から宮中伯家が得た利益は、相当な額になるであろうのう……」

「ぐっ……」


 真っ先に立ち直り猛然と反論したはいいものの、妙なところで頭のシッカリしている兄に痛いところを突かれたとたん、口ごもってしまうゼバスティアン。

 それにしても、エーリヒは悪魔か……。

 何しろ築城ともなると大事業であり、領内在住の職人に加え、石工を始めとする大勢の遍歴職人が流入してくる。宮中伯に出させた資金で職人を雇えば領民の負担もなく、築城関連の諸々を調達するのに支払われる金と職人らの落とす金で、城の完成までの数年間、領内が大いに潤うことは間違いない。

 その結果、当然のように税収が上がるうえ、カールの株も爆上がり……。それこそがエーリヒの狙いだろう。

 その悪魔だが、まだ言い足りないらしい……。


「……ああそうじゃ、このたび、悪名高いフクス商会が取り潰しになったそうじゃが、その資産は他領にあった支店を含め残らず宮中伯家が没収したとか……」

「う…………」


 あの一件のあと、代官の従騎士によって悪事が露呈したガマ男は処刑され、フクス商会も解散させられたのだが、その資産の行方についてエーリヒが口にするなり、さすがのゾフィーアも顔色を変えた。

 何しろ今回の一件では、誰が見ても、悪徳商会を野放しにしていた宮中伯だけが、最終的に大儲けした形なのだ。彼女にも後ろめたさはあるらしい。


「……そのフクス商会じゃが、ヴァイスバーデンの代官と組んでやりたい放題であったらしいのう。かつての我が領内で領民が苦しめられておったと思うと、領主の座を捨てたわしとしては胸が痛い……。別れ際に『くれぐれも領民のことを頼む』と言ったはずじゃが、よりにもよってあのようなクソ代官を派遣してきたのは、いったいどこの誰であったか……」

「ううむ……」


 エーリヒに傷口へたっぷり塩を塗り込まれ、胸を押さえるラインハルト……。

 幼少期からの親友でもあるエーリヒに託された領民を、自分が派遣した代官によって苦しめてしまったことは、その事実を代官の従騎士によって知らされて以来、彼にとって深い傷となっていたのだ。

 そんな父親の様子を横目で見て、ゾフィーアは小さく嘆息した。


「……わかりました。援助のことなどについては、これから数日をかけて、お互いにじっくり話し合いましょう。――さあ、そろそろ昼食になさいませんか?」


 現在のレーン宮中伯であるゾフィーアがそう提案したことで、いったん昼食を挟み、話はその後、〈伯爵級〉魔石の価格高騰や現在の国際情勢からお互いの家族のことまで、立ち寄る港を次々と変えてゆき、時間はあっという間に過ぎ去った。

 親しき者たちの十数年という時間に積もった大小の話題は、わずか数時間の語らいで尽きるものではないのだ。

 そして、今日はここでお開き、という段になって――。


「……ああ、そうでした。エーリヒ様、最近になって我が領内各地で、いくつもの異変が確認されているのですが――」


 ――と、思い出したように、ゾフィーアが席を立とうとしていたエーリヒへ声をかけた。

 それから彼女が語った話の内容は、おおむね次のとおり――。


 帝国有数の魔境である〈大鴉の森〉において、〈伯爵級〉と見られる羊頭の巨人を一刀のもとに斬り伏せた、〈黒き王〉と呼ばれる大精霊が確認されたこと。

 バーデンベルク城が〈巨大なナニカ〉によって潰され、その場に居合わせたセファロニア女貴族と、捕縛されていた者らの話から、〈城伯の息子がナハツェーラーと成り果て、城伯を含む大勢を殺害していた〉、という事実がわかったこと。また、〈巨大なナニカ〉を召喚した何者かがナハツェーラーを成敗し、セファロニア方面へ立ち去ったこと。

 シュタイファーがワイバーンに襲撃され、たまたま居合わせた〈異国の姫君〉の鉄拳によって救われたことと、蛇足ではあるが、今やシュタイファーではパン職人ツンフトの代表が先頭に立ち、件の姫君を新たな地域神として崇拝しようという動きがあること――。


「――いずれ劣らぬ大事件なのですが、これが立て続けに我が領内で発生しているのです。あまりに不自然だとは思いませんか? ――そして調査の結果、大精霊の件を除くいずれの事件にも浮かんできたのが、黒衣黒髪の女性貴族の姿なのです。……いえ、その女性が大鴉の森方面から来たとの証言もありますし、現れた時期的に大精霊〈黒き王〉とも関係があるのかも……」


 そう語る最中もエーリヒの表情から目を離さなかったゾフィーアは、これが本題とばかりに問いかける。


「……姫様、黒き乙女、黒き姫君、マーヤ姫……。呼び方は色々とあるようですが……エーリヒ様、〈マーヤ・ラ・ジョーモン〉という名に聞き覚えはございませんか?」

「…………ふむ、その家名からするとセファロニアの貴族であろうか? わしの可愛い孫の名が同じくマーヤで髪も黒いのじゃが、まだ召喚能力の有無もわからん五歳じゃからのう。それに、あの子はずっとカールの家におったゆえ、バーデンボーデンなど、行ったことどころか聞いたこともなかろうよ。――ああそうじゃ、今度、孫を連れてバーデンボーデンまで湯治に行くのもよいか……」


 心奥を覗き込むような紫色の瞳を軽く躱し好々爺然とした笑みを浮かべるエーリヒに、しばらくの沈黙のあと、ゾフィーアはゾッとするような笑みを浮かべて返した。


「……わかりました。それではエーリヒ様、また明日」


 こうして、無事に真綾のことを隠し通したまま、宮中伯の城をあとにしたエーリヒであった。


      ◇      ◇      ◇


 夕陽に赤く染まる空の下、エーリヒを乗せて遠ざかる馬車を紫色の瞳で見つめたまま、ゾフィーアは後ろで控えているゼバスティアンに問いかけた。


「ゼバスティアン、あなたが宿へ迎えに行った時、エーリヒ様に同行者はいた?」

「……誠に恥ずかしながら、あの時は私も頭に血が上っておりましたゆえ、浮浪者然とした兄の同行者だとは思いもしませんでしたが、今になって思えば、近くにひとり女性がいたかと……。それに、宿の前から馬車を出した際、兄も窓の外へ向かって何か言っていたような……」


 普段は宮中伯家の家宰として辣腕を振るうゼバスティアンだが、なぜか昔から兄が絡むと激しやすくなるため、今回も注意力が散漫になっていたようだ。

 そんな彼の至って頼りない答えにも顔色を変えず、ゾフィーアはさらに問いかける。


「そう、あなたは相変わらずエーリヒ様のことになるとダメね……。それで、門からの報告に同行者の名は?」

「誠に面目ございません……。たしか報告書には、同行者が一名、孫娘のマーヤであると……はっ! あの女性、おぼろげな記憶にも五歳ではありえませんでした! 今すぐ迎えを――」


 エーリヒの同行者こそが件の女性貴族ではないかと思い至り、慌てて使いを出そうとしたゼバスティアンであったが、そんな彼を、ゾフィーアのとなりで馬車を見送っていたラインハルトが引き留める。


「待てゼバスティアン。あのエーリヒのことだ、その女性のことが我らに知られることなど承知のうえで、このエーデルベルクまで連れてきたのだろう。あえてその存在を隠して見せたのは、その女性がエーリヒ……いや、エックシュタイン家にとって大切な存在であり、手を出せば容赦しないという意思表示なのだ。……誠にエーリヒらしいではないか」


 そう言いながら振り返ったラインハルトの顔に、愉快そうな笑みが浮かんでいることを認めつつ、ゼバスティアンは実兄の無礼な考えに腹を立てた。

 エックシュタイン家の者として過ごした時間よりも、レーン宮中伯に仕えた年月のほうがはるかに長い彼にとって、先の主君ラインハルトと、今の主君であるゾフィーアこそが絶対なのだ。


「しかしながら、宮中伯家という大樹に身を寄せる者として、それはあまりにも不敬でございましょう。やはりここは、今すぐにでもその女性を呼び――」

「いや、それはやめておこう……。お前も知るとおり、エーリヒとカールは帝国随一の竜騎士。〈大戦〉を目前にして、頼もしい戦力であるエックシュタイン家をまた失うわけにもいくまい。……そもそも、その女性が噂どおりのマーヤ・ラ・ジョーモンなら、異国の王侯である可能性が高い。扱い方を誤れば我ら親子とて大火傷しかねん」


 神妙な面持ちで首を横に振るラインハルトに、となりからゾフィーアも続く――。


「ゼバスティアン、お父様のおっしゃるとおりよ。ここは焦らず機会を待ちましょう。これからしばらくの間、援助を始めとする諸々が決まるまで、エーリヒ様とは毎日お会いできるのだから」


 ――と、エーリヒたちの泊まる宿がある方角を見つめたまま、夕陽に赤く染まった美貌に背すじの凍るような笑みを浮かべて……。



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