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第六三話 エーデルベルクの薔薇 六 グレーテルとヘンゼル


『甘ずっぱいですねぇ……』

(はい)


 簡易テーブルの横に置かれたベンチに座り、味覚を共有している熊野と呑気に脳内会話する真綾。屋台で買ったブラートヴルスト(焼きソーセージ)をアテに、この季節ならではの葡萄ジュースを一杯やりながら……。

 彼女は今、屋台の立ち並ぶマルクト広場で、我が世の春を謳歌しているのだ。


『……それにしても変ですね。気候風土といい、食べ物や固有名詞などといい、この国はかなりドイツと似通っていますし、文明的には近世あたりに相当するようですが、そのわりにジャガイモを見かけたことが一度もございません……。大商人でいらっしゃるウルリヒ様がカカオをご存じなかったですし、ひょっとしたら、この世界には南北アメリカ大陸に相応する大陸が存在しないか、もしくは、存在がこちらの人々に知られていないのかもしれませんね。……残念です、ソーセージの付け合わせにジャガイモは最適ですのに……。そのまま茹でても焼いてもよし、潰してから何かと和えてもよし、カリッと揚げたポテトフライにタップリお塩を振って――』

(ポテトフライ……)


 熊野の話の最後らへんのみをシッカリと理解し、急にアツアツのポテトフライが恋しくなる真綾……。食への貪欲さにかけて右に出る者のいない彼女は、躊躇なく【船内空間】からポテトフライを取り出すと、欲望の赴くままに貪り始めるのであった。

 それも、常にアツアツの状態で食べられるよう一本ずつ……。


「すっげー!」

「シーッ!」


 突然上がった高い声にヨーナスたちが来ているのかと思い、声のした方向を振り向いた真綾は、屋台と屋台の間に置かれた木箱の向こうで揺れている、ふた束のアホ毛を補足した……かと思うや否や、何を思ったか――。


「ルー、ルールールール」


 おもむろにポテトフライをアホ毛に向けて差し出し、何やら言い始めたではないか……。

 すると、アホ毛の下から可愛らしい顔がピョコッとふたつ現れた。


「くれるってよ」

「でも、また人さらいかも……」


 双子なのかソックリな顔を突き合わせ、ヒソヒソと相談するふたり。

 その一方――。


「ア、……ア、……ア、ア……」


 ――などと、今度はなぜか怪しげな声を発しつつ、ザックザックと溢れ出てくるポテトフライの載った両手を、「ほら、これをあげるよ、おいしいよ」と言わんばかりに上下させ、いたいけな子供たちを誘惑する真綾……。もはやその様子は、某名作アニメに出てきた顔のないバケモノのようだ。

 真綾の手のひらの上で湯気を立てる山盛りポテトフライを見て、そこから漂ってくる香ばしい匂いを嗅いで、ゴクリと子供たちの喉が鳴った。


「うまそう……」

「うん……」


 あわよくばカワイイ成分を補充しようという、邪な欲望に狙われているとも知らず、とうとう誘惑に負けて木箱の後ろから出てくる双子。

 この世界では子供服という概念が未だ無いらしく、ヨーナスらがそうであったように、この双子も大人の古着に手を加えただけの粗末なものを着ている。年齢もヨーナスと同じくらいだろうか、どうやら女の子と男の子らしい。特徴的なアホ毛のピンと立った髪の下には、幼いながらも将来有望そうな整った顔が……。


『……どうやら、餌付け作戦は成功のようですね』

(大成功)


 まんまと罠にかかった子ウサギちゃんたちを見て、満足げに脳内会話する熊野と真綾であった……。


      ◇      ◇      ◇


 あのあと、ガツガツとポテトフライを貪り、真綾に買ってもらった葡萄ジュースをグイッと飲み干した双子(いや、『ガツガツ』も『グイッ』も、主に、活発な女の子のほうだが……)は、真綾に対する警戒心をすっかり解き、おいしい物のお礼にと言わんばかりにペラペラとさえずっていた(主に女の子のほうが……)。


「――でさ、ヘンゼルの言うとおり髪を梳いて顔を洗うようにしたら……マーヤねえちゃん、どうなったと思う? ――なんと! 前よりもお声がかかるようになったんだよ! おかげで孤児院のみんなも大喜びさ。うちの弟はアタシと違って頭がいいんだ、すげーだろ?」

「やめてよグレーテル、恥ずかしい……」


 頭をワシワシと撫でてきた〈自称姉〉に鼻高々と自慢され、顔を真っ赤にしてうつむくヘンゼル。

 なぜ〈自称姉〉なのか? それは、赤ん坊のころに捨てられていたため、どちらが先に生まれたか誰も知らないから……。

 彼らは公営の孤児院で暮らす孤児なのだ。


「照れんなよお、屋台からの上がりが増えたのは、お前が身なりに気をつけようって言ってくれたおかげだろ?」

「やめてよう……」


 ますます頭を撫でてくるグレーテルに、気弱そうなヘンゼルはさらに身を縮め、消え入るような声だけで抵抗した。

 なんでも、市から貰える最低限の運営費だけでは苦しいため、ある程度の年齢になった孤児院の子は、奉公先が決まり孤児院を出るまでの数年間、商家や工房のお使いなどをして駄賃を稼いでいるのだとか。自分の提案で収入がわずかでも増えたのなら大手柄なのに、ヘンゼル、幼いながら謙虚な子である。

 ともかくそんなわけで、今日のように市が立つ日は絶好の稼ぎ時らしく、仕事をくれそうな屋台を双子が物色していたところ、「やたらでっかくて、お話に聞く女神様みたいにきれいなねえちゃん」が「びっくりするほどいっぱいの食べ物を、いろんな屋台で買い食いしていた」ため、気になって観察していたらしい。


「でも、マーヤねえちゃんもすげーよ、あんなにうまいモンを何もないところからポンポン出せるなんて、お話で聞いた女神様みたいだ」

「うん、本当にすごい。それに見たこともない食べ物だった」

「…………これもあげる」


 話題の対象は真綾へと移り、テーブルの向こうから見上げてくるキラキラとした瞳に気をよくした真綾が、追加で飴ちゃんやら何やらをテーブルの上へドササと出現させた、その時――。


「ようチビたち、やっと見つけたぞ」


 ――真綾の後方から、若い男の声が聞こえてきた。


「あ! レオンハルトにいちゃん!」

「出してもらえたの!?」


 声の主に気づいたとたん顔を輝かせる双子。その視線の先にいたのは、少し癖のあるダークブロンドの髪と深い青の瞳をした長身の若者……そう、レオンハルト・フォン・ランツクローンだ。

 後方から歩いて来る彼の姿を、この時、真綾は前に向いたまま【見張り】によって把握していた。……もちろん熊野も。


『まあ! なんと凛々しい美男子でございましょう! 物語に出てくる騎士か王子様のようでございます。……むむむ、しかしながら、真綾様にはまだお早いかと熊野は思いますよ』

(何が?)


 などと脳内で噛み合わぬ会話をするふたりをよそに、レオンハルトは白い歯を見せ、屈託のない様子で双子へ笑いかける。学生牢で不機嫌そうにしていた人物とは別人のようだ。


「ああ、お前たちのおかげだ。わざわざ俺のために証言してくれたんだってな、ありがとうよ、これはその礼……」


 両腕いっぱいに菓子パンを抱え、双子へ話しかけながら近づいてきたレオンハルトは、真綾の横を回り込んだところで、テーブル上に積まれた菓子の山を目にすると声を失くした。

 そんな彼に、双子が前のめりになって真綾の紹介を始める。


「あ、にいちゃん、この人はマーヤねえちゃんな。アタシたちにうまいモンをいっぱいくれたんだ」

「すごいんだよ、何もないところから見たこともない食べ物を出せるんだよ」


 その言葉でようやく真綾の存在に気づくと、双子の向かいに座る人物が高貴な雰囲気を纏う絶世の美女だと知り、今度は大きく目を見張るレオンハルト。それでも決して魅入られることなかったのは、すでに彼の心奥を他の誰かが占めていたからか……。

 すぐに気を取り直した彼は、優雅な所作で人形焼を口に運んでいる真綾へ、穏やかな表情で声をかける。


「なんかチビたちが世話んなったみたいだな。――それにしても、孤児に手ずから恵んでやったうえ一緒に食卓を囲む貴族なんて聞いたことがない。こいつらに『ねえちゃん』なんて呼ばれて怒るそぶりも見せねえし……あんた、相当な変わり者――」


 そこまで言ったレオンハルトだったが、人形焼をモグモグ咀嚼しながら真綾が指を伸ばすと、その白い指先の指し示す先を見下ろして目を丸くした。そこには、菓子パンを山ほど抱えている自分の両腕が……。


「――ああ、そうだな、変わってんのは俺も同じか……へへっ。あんた、気に入ったぜ。ここで堅苦しく家名を名乗るのも無粋だな、俺はレオンハルト、よろしくな」

「真綾です、よろしく」


 自分も同類だったことを思い出し、一度苦笑してから明るく名乗るレオンハルトと、人形焼をゴックンしてから相変わらずの無表情で名乗り返す真綾。雑多なにぎわいを見せる広場のなかで、そこだけスポットライトを浴びたような美男美女の姿である。

 そんなレオンハルトをビシッと指差すグレーテル。


「あ~っ! 浮気はだめだよ、レオンハルトにいちゃん!」

「あんなにレオンハルトにいちゃんのことを心配してたのに、フローラねえちゃんがかわいそうだよ」

「バッ、バカ! そんなんじゃねえ!」


 双子からの激しい糾弾を、顔を真っ赤にして否定するレオンハルトであった。


      ◇      ◇      ◇


 その外見と纏っている雰囲気からは想像しがたいが、真綾は可愛いものが大好物である。

 そういうわけで、ひとしきり会話したあと、これから孤児院へ菓子パンを持っていくと言うレオンハルトに、カワイイ成分のさらなる補充を目論む真綾は同行することにした。

 先導してくれる双子に続いて歩くレオンハルトと真綾――。その姿を、離れた場所から、やや青みがかった明るいグレーの瞳が見つけた。


「あ! レオ……」


 嬉しそうに顔を輝かせて呼びかけようとしたものの、彼のとなりに真綾の姿を見るなり固まってしまったのは、美しいアッシュブロンドの髪の持ち主……フローリアン・フォン・ノイエンアーレだ。


(あの女の人は、たしか今朝の……。なんであの人とレオンハルトが一緒に? それに……)


 屈託のない笑顔で真綾に話しかけるレオンハルトを見て、フローリアンの花のような顔が陰ってゆく。


(……あんな笑顔、ボクにはもう何年も見せてくれないのに……)


 そう思ったとたん、白い頬をひとすじの涙が伝った。

 すると、それまで後ろに付き従っていたライナーが、一点を見つめ固まっているフローリアンを不思議に思い歩み寄る。


「フローリアン様、いかがなさ――!? いかがなさいました!」

「……ああ、なんでもないよ、ライナー。目にゴミが入っちゃったみたいだ……」


 涙に気づくなり血相を変えたライナーに、そう言って笑うフローリアン。……だが、それを嘘だと見抜けぬライナーではない。


「……フローリアン様、そのお優しい笑顔が、私を心配させまいと無理をして作られたものであることくらい、幼いころよりあなたを見てきた私にわからないとお思いですか? どうか本当のことを…………まさか!」


 いたわるように穏やかな口調で語りかけていたライナーは、途中で何かに気づくと、今までフローリアンが見ていた方向へ勢いよく振り向いた。

 そこに彼が見たのは、貴族らしき美貌の女性と親しげに歩く、長身の若者――。


「レオンハルト……」


 その名を絞り出すように口にしたライナーの耳に、フローリアンの弱々しい声が聞こえてくる。


「ごめんライナー、ボク、少し人に酔ったみたいだ。今日はもう寮に帰るよ……」

「…………わかりました」


 その心情を察し沈痛な面持ちで頷くと、彼はトボトボと歩き始めたフローリアンに続くのであった。

 大切な人を泣かせた男を、鋭い視線で一瞥してから……。




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