第五一話 異世界へ! 一 旅立ちの日
天才は、忘れたころにやってくる……。どうも、斎藤花です。
私が異世界タッチ・アンド・ゴーしてから少しだけ時は流れ、ついにこの日がやってきた、私が真綾ちゃんを奪還するため、本格的に異世界転移するこの日がっ!
あれから毎日えびす神社へ通った私は、異世界で生き抜くことができるように、血の滲むような訓練を続けたのだ。
鬼コーチと化したタゴリちゃん、ブレーンであるサブちゃんとタギツちゃん、ひたすら自由なイッちゃんのもと、加護の熟練度アップ、体力づくりに能力の検証、それが終わると、のじゃっ子軍団とともに、羅城門グループからせしめ……提供してもらったおやつの山と戦ったり、ダルマさんを転ばせたり、ときにはゴロンと寝転がって瞑想したり……。それはもう過酷な日々だったよ。
仁志おじさんにはその間、異世界で必要そうな諸々の用意や、私が学校を休むための裏工作などをやってもらった。
――そう、私はこれから数か月間、〈羅城門本家のご厚意により、真綾ちゃんと一緒に海外留学する〉、ということになっているのだ。……なんかカッコイイ。
「花ぁ、ほんっと~に、お父さんが一緒に行かなくて大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
お父さんの常軌を逸した申し出を、私は至って冷静に断った……。子供の留学についてくる父親がいるか!
心配性なお父さんは、数日前から何度も同じことを聞いてくる。……まあ、それだけ私のことを大事に思ってくれているんだろう……。ごめんねお父さん、無事に真綾ちゃんを連れて帰ってきたら、肩叩き券、五枚くらい発行してあげるね。
実は私、本当のことを両親にも話してないんだよ、話してしまったら絶対に反対されると思って……。
「花はでぇれぇ可愛いけど、ちょっとそそっかしいところがあるからのぅ、くれぐれも怪我をせんようにな。花、くれぐれも、くれぐれも……」
「心配じゃ、心配じゃ」
「わかってるって。……おじいちゃんも、おばあちゃんも、元気でね」
見送りに来てくれた母方のおじいちゃんとおばあちゃんも、こうして私のことを心配してくれる。……ごめんね、おじいちゃん、おばあちゃん。
初めて羅城門家へお呼ばれした時みたいに、私は今、家の玄関先で家族総出の見送りを受けているところなのだ。
「花~、ちょっとこっちにいらっしゃい。寝グセ、直したげるから」
「は~い」
お母さんに玄関奥から手招きされた私は、タタタと家の中へ入っていった。
おかしいな~、ちゃんと寝グセチェックしたんだけどな。
「花の髪は素直だけど、寝相が悪いもんだから、朝は必ず寝グセがついちゃってるのよね~」
「はは……」
洗面台にある鏡の前、お母さんは優しく私の髪を梳かしながら、ちょっと甲高い独特の声でしゃべっている。私が物心ついたころから、今までずっとしてくれていたように。
「あんたはすぐ調子に乗るから、アッチに行っても気をつけなさい」
「うん」
「必要な物は羅城門さんが用意してくれてるみたいだけど、何か他に必要そうな物はない? コショウとかマヨネーズとか、ビー玉とか」
え? お母さん、何を……。
「花、あんたは生まれた時から体が弱くて、私に似て運動オンチで、そのうえ人見知りの内弁慶なもんだから、いっつも家にこもって本ばかり読んでたわね」
「うん」
「それが、この町に越してきて、真綾ちゃんと仲良くなってから友達も増えて、めっきり家にいることが少なくなった。それどころか剣道の大会にまで出ちゃうんだから、そりゃもうビックリしたわよ」
「いや、まあ、座ってただけなんだけどね、へへ……」
去年の大会を思い出して苦笑いした私の後ろで、お母さんはクスクスと笑っている。こうして鏡に並んで映った顔を見ると、お母さんってホントに私とよく似てるな~。
私たち、やっぱり親子なんだね。
「私はね、花、あなたをこんなにも、のびのびと飛び回れるように変えてくれたのは、真綾ちゃんや、亡くなったおじいさんのおかげだと思うの。だから、今度は花がそのお返しをしないとね」
「お母さん?」
驚いた私と鏡越しに目が合ったお母さんは、なんでもお見通しだよって感じでニコリとした。
コレ……ひょっとして、バレてる?
「私ね、ゆうべ、友達の夢を見たの」
「友達?」
「そう、私が小さいころ、えびす神社でよく一緒に遊んでいた子。足がちょっと不自由なんだけど、とっても可愛い子でね、いつもニコニコ天使みたいに笑ってるの。――私、あの子のこと、どうして今まで忘れてたんだろ? あんなに仲良かったのに……」
お母さん、その子って……。
「……でね、その子が夢の中で私に言ったの、『花ちゃんは真綾ちゃんを助け出すために、これから異世界へ行くけど、花ちゃんのことは心配いらないよ』って、天使みたいにニコニコ笑いながら……。それで私、全部わかっちゃったのよ、真綾ちゃんを見なくなってからションボリしてた花が、最近なぜか急に元気になった理由」
お母さんの話を後頭部で聞きながら、私にもわかっちゃったよ、お母さんが子供のころに遊んだって言う、その子のこと。
「サブちゃん、お母さんに言ってくれたんだ……」
「そう、サブちゃん! サブロウちゃん! 完全に思い出した! ……きっとサブちゃん、子供に黙って出ていかれる私と、親に黙って出て行く花、ふたりのことを心配してくれたんじゃないかな、あの子、とても優しかったから」
そう言って遠い目をしたお母さんは、少し寂しそうに微笑むと、役目を終えたブラシをコトリと置いた。
「花、あんたは私の、優しくて賢い自慢の子。そのあんたが真剣に悩んで決めたことなら、私、もう何も言うことはないわ。だからね花、――真綾ちゃんを連れて、元気に帰ってきなさい」
「うん……」
コクリと頷いたあと、私はガバリと後ろを振り返った。
何年ぶりだろう、私がお母さんに抱きついて泣いたのは。
◇ ◇ ◇
あのあと、迎えに来てくれた仁志おじさんの車に乗り込んだ私は、うちのすぐ近くにある神社でコッソリ降ろしてもらった。
ちなみに、私んちにお迎えが来た時、世界的大企業のトップが直々に挨拶してくれたもんだから、お父さんたちは恐縮しきりだったよ。
「花ちゃん、本当にありがとう」
「も~、おじさん、頭上げてくださいよ」
車を降りるなり、でっかい仁志おじさんが深々と頭を下げるもんだから、私は慌てて頭を上げさせた。
「本当に武器はいらないのかい? 今からでも言ってくれれば、アサルトライフルでもパイナップルでも、なんならジャベ――」
「ノーサンキュー! 私の運動神経をナメないでください、暴発や自爆する未来しか見えませんよ。歩兵携行式多目的ミサイルなんか重くて持てないし……」
「そうか……」
私が丁重にお断りしたら、残念そうに肩を落とす仁志おじさん……。武器って、そんなに簡単に手に入るモンなんだね。
「とにかく、絶対に無理はしないように。そして……必ず、無事に帰ってくるんだよ」
「はい、必ず真綾ちゃんを連れて。――それじゃおじさん、行ってきます」
そう言って歩き出した私が神社の参道から振り返ると、仁志おじさんと秘書メガネ……小野さん、それから、いつものゴツい運転手さんが車の横に仲良く並んで、心配そうな視線を私に向けていた。
なんか、幼子を初めてのお使いに送り出す親みたいだね……。
「行ってきま~す!」
もう一度そう言ってからブンブン手を振った私に、おじさんたちが振り返してくれる。そんなことを三回ほど繰り返して満足した私は、意気揚々と神社の奥へ進んでいった。
私を本殿の裏で待っていてくれたのは、もちろん、サブちゃんとプチガミ様たちなんだけど、今日のサブちゃんは車椅子に乗っている。
なぜかというと、異世界へ行く私のことを心配したサブちゃんが、お気に入りの大二郎を貸してくれたからなんだよ。ホントに優しい子だよね。
「花ちゃん、お別れは済んだ?」
「うん。――あ、そうだ、サブちゃん、お母さんと友達だったんだね」
心配そうに話しかけてきたサブちゃんの前へしゃがみ、私はお母さんとのことを尋ねてみた。
「うん、大切な友達じゃ……」
そう言ったサブちゃんの笑顔がどこか寂しげなのは、寿命の短い人間との出会いと別れを、何度も繰り返してきたからだろうか……。
こんなとき、私はなんて言えばいいんだろう?
「花!」
「ぐえっ!」
しんみりしていた私の背中に、タゴリちゃんがいきなり跳び乗ってきた。もう、カエルみたいな声が出たじゃないか!
文句のひとつでも言ってやろうとした私の背中から、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえてくる。
「よいか、花はタゴリの乗り物兼供物係なのじゃ、……必ずや無事に帰ってこい」
「うん」
あくまでマウントを取りつつも、心配してくれるんだね、タゴリちゃん。
背中のぬくもりを感じながら頷いた私の両手を、今度はタギツちゃんとイッちゃんが握ってきた。
ああ、なんとちっちゃくて温かい手なんだろう。
「花、話し合うた諸々を忘れるでないぞ」
「うん、タギツちゃんもサポートよろしく」
「真綾も花も帰ってきて」
「わかったよ、イッちゃん」
ぷっくらとした手を握り返してから私がそっと手を離すと、背中からスルリとタゴリちゃんも離れた。
それから立ち上がると、みんなの期待と心配を背に、私は召喚した葦舟さんに乗り込んだ。
サブちゃんの門はもう開いている。
さあ、いよいよ真綾ちゃん奪還作戦の開始だ!
よーし、真綾ちゃん、私が迎えに行くからね! 〈伊勢海老尽くしコース〉用意して待ってろよ~!
やる気満々の私を乗せて、葦舟さんは異世界への門へ吸い込まれていった――。
◇ ◇ ◇
――門を抜けた先は前回とまったく同じ場所、湖の上だった。目の前には、あの古城が朝日を浴びて静かにたたずんでいる。
そう、ここは今、朝なんだよ……。
前回、学校の放課後にタッチ・アンド・ゴーした時、太陽の位置を見て思ったんだけど、日本とここでは何時間かの時差があるみたいなんだよね。だから今回の出発を朝じゃなくて午後三時にしたんだよ。いきなり深夜の異世界スタートではハードルが高すぎる。
とにかく、これで私が移動してから帰りの門を開くと、次の出現ポイントがそこに変更されるはずなんだよね。当初の計画では、それを利用して日本から毎日通いながら、コツコツと真綾ちゃんに近づいていくつもりだったんだけど、まあ、無理なものはしょうがない。
『よーし花、無事に着いたようじゃの。ならばとっとと櫂を出してその場を移動せよ、ドングリが鳥にでもさらわれては憐れじゃしのう』
「誰がドングリかっ!」
異世界に到着して早々、全力でツッコミを入れてしまった。相変わらず情緒というものを知らないね、タゴリちゃんは……。
「……だいたい鳥って、そんなベタなことが現実にあるわけないじゃん。……まあ、わかったよ、それじゃ【船内空間】から――」
タゴリちゃんに言われたとおり、仁志おじさんから貰ったパドルを取り出そうとした私が、急に日の陰ったことに気づいて空を見上げると――。
バサッ!
私の頭上に、人間の顔をしたでっかい鳥が大きく羽を広げていた。目を血走らせ、黄ばんだ歯を剥き出しにして……。
「ぎゃああぁああ!」
――などと絶叫する私の両肩をワシっと掴んで、いとも簡単に持ち上げると、おそらくはハーピーと思われるでっかい鳥は、そのままグングンと上昇してゆくのであった。
うう、いきなりハードモードかよ……。




