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第四九話 伯爵の葡萄畑 一五 凍った葡萄


 葡萄畑広がる急斜面のふもと、カール一家が住む家の前は、そこそこ広い空き地になっているのだが、その場所に今、老人エーリヒと彼の守護者ゴルト、真綾やカール一家の他に、とある武装集団がいた。

 ブリガンティーネ(鉄の小札を革ベストの裏に鋲打ちした鎧)を着た兵士数名に、プレートアーマー姿の騎士と従騎士が一名ずつ、そして、同じくプレートアーマーを身に纏い、脱いだ兜を小脇に挟んだ小柄な貴族がひとり。

 どういうわけか貴族も騎士も下馬し、松明を掲げた兵士を含む全員が、緊張した面持ちで直立不動の姿勢を取っている。

 その中でも緊張を通り越して青い顔をしている貴族へ、エーリヒはおもむろに声をかけた。


「さてと、――フィデリオ・フォン・エーベルバッハ」

「は、はひ!」


 名を呼ばれたとたんビクッと跳び上がり、裏返った声で返事するラッツハイム男爵。……そう、この一団は、アンナたちを護衛するため来てくれた男爵とその手勢なのだ。

 それにしても、このラッツハイム男爵のビビり具合、尋常ではない。

 伯爵の力が戻ったエーリヒは、そんな男爵のもとへ堂々とした足取りで歩いて行くと、低い声で話し始める。

 こうなると、真綾と変わらぬ長身のエーリヒを小柄な男爵が見上げる形になり、なんとも、見る者をいたたまれない気持ちにさせる光景だ……。


「愚息は勘当したゆえ、もはや当家とは赤の他人、もし顔を見ても援助などせず追い返せ、我が領内の諸家にはそう通達したはず……。それに、カールと仲の良かったお主ならば何か知っておろうと、わしが先代ラッツハイム男爵を通し、それとなくカールの情報を尋ねた時、たしかそなたは何も知らぬと申したと聞いたが……」


 ベイラの影響が未だに残る凍てつくような気温のなか、話を聞いている最中も汗をダラダラと流していた男爵は、エーリヒの言葉が途切れたとたん、霜の降りた地面にに勢いよく片膝をつき頭を垂れた。


「もも、申しわけございませんでした! 当家がエックシュタイン家の庇護下にあることは、それはもう重々承知しておりましたが、下級貴族の子である私を親友と呼んでくれ、将来の主と我が心に決めていた若が、疲れ果てた様子で私を頼って来てくれたのです、どうして無下にできましょう。……しかし、当家にとって大恩ある閣下を欺いたことは事実、かくなるうえは、いかなる処罰をも――」

「父上! フィデリオを責めるのはおやめください! 彼がいなかったら私たち夫婦はどうなっていたか――」


 ラッツハイム男爵が必死になって謝罪を始めると、そんな親友を庇い、慌てて自分も片膝ついて取りなそうとするカール。彼らからそれほど恐れられるまでに、かつてのエーリヒは峻厳な人物だったのか……。

 だが、並んで片膝をつくふたりの耳に聞こえてきたのは、予想に反する穏やかな声だった。


「ふたりとも、勘違いするな」

「へ?」

「は?」


 間の抜けた声と顔を仲良く上げたふたりに苦笑しつつ、エーリヒは話を続ける。


「わしは責めておるのではない、すべてはわしの愚かさが招いたことじゃ。そのせいで、領民、貴族を問わず、どれほどの人々に迷惑をかけてしまったことか……。さて、フィデリオ……いや、ラッツハイム男爵」

「はっ!」


 爵位名を呼ばれたラッツハイム男爵が背すじを伸ばすと、エーリヒは威厳のこもった眼差しで彼を見つめ――。


「当時のエーベルバッハ家当主はそなたではない、ゆえにわしへ立てる義理もなかろう。むしろそなたは、主と決めた相手への忠義を通し、また、親友との友情を守ったことになる。その忠義、友情に厚きこと誠に見事じゃ、これを責める道理はない。――今まで息子を、カールとその家族を守ってくれたこと、このエーリヒ・フォン・エックシュタイン、深く……深く感謝する」


 ――そう言うと胸に手を当て、深々とその頭を垂れた。


(皇帝陛下を怒鳴りつけた伝説を残すほど峻厳な、あの閣下が、下級貴族にすぎぬこの私などに頭を……。ああ、私のしたことは間違っていなかったのか……)


 エーリヒの言葉と姿は、ラッツハイム男爵の心を震わせるには充分すぎるものだったのだろう、頭を垂れるエーリヒを前にして、感激のあまり号泣し始める男爵、そして、感涙にむせぶ彼の手勢……ともかくこうして、今宵、万事が丸く収まったのであった。

 めでたし、めでた――。


「いやー、ホントによかったよ、うんうん。――でも、こっちはもうダメだねー、ま、しょうがないか」


 めでたくはなかった……。

 明るい声を上げたアンナが見上げているのは、明日収穫するはずだった自分たちの葡萄畑。

 ベイラやジャックフロストが遠慮なく冷気を振り撒いてくれたせいで、たわわに実る果実がすべて凍ってしまっていた。

 何ごとにもポジティブなアンナだからこそ明るく言える、悲惨な状況だ……。


「そうだな、こうなっては廃棄するしかなさそうだ。ほとんどの区画を収穫し終わっていたのが、せめてもの救いか……」


 アンナとカールが葡萄畑について深刻そうな話をしている一方、真綾はといえば――。


「……」


 器用にも、立ったままウトウトしていた……。

 何しろ今はもう夜中である。超健康優良児であり、早寝早起きを習慣にしている真綾は、万事丸く収まったと思ったとたん活動限界を迎えたのだ……あ、落ちた……。

 真綾が眠りに落ちた、と、いうことは――。


「『あの~、せっかく丹精込めてお育てになった葡萄を廃棄されるのは、あまりにも勿体ないかと……』」


 真綾の体を借りた熊野が唐突にしゃべり始めると、真綾が別人になってしまったような気がして、彼女のことをよく知る者たちは目を見張った。


「『あ、驚かせて申しわけございません。わたくしは真綾様の守護者をしております、熊野と申します。真綾様が就寝されましたので、こうして一時的にお体をお借りしているのです。――以後、お見知りおきを』」

「ああ! アンタがマーヤの言ってたクマノさん! 体を借りるだなんて、また器用なことができるんだねー、急に真綾じゃなくなったみたいでビックリしたよ。――初めまして、アタシはアンナ……って、知ってるよね。そうかいそうかい、クマノさんか、よろしくねー」


 真綾の体を借りて淑やかに頭を下げた熊野の背中を、明るく笑いながらバンバン叩くアンナ。……明るいというか、恐るべきコミュ力の高さというか、さすがである。

 一方――。


(先ほど〈諸侯級〉の魔物を一撃で粉砕されたマーヤ様の守護者、ならばクマノ様が〈王級〉であることは確実。〈王級〉ということは地域神、もしくはそれに匹敵する偉大な存在……。ああ、そのお方をあのようにバンバン叩いて……)


 大都市すら滅ぼすと恐れられる〈諸侯級〉の魔物であるベイラを、いともたやすく爆散させる真綾の様子も、預けていたラタトスクを通して目撃していたラッツハイム男爵は、恐れを知らぬアンナの振る舞いに顔をふたたび青くしていた。


「――そりゃね、頑張って育てた葡萄だからね、アタシだってホントは捨てたくないんだよ……」

「妻の言うように残念なことですが、クマノ様、このように凍ってしまっては仕方ないのです」


 クマノとひとしきりスキンシップをとって満足したアンナが、眉をひそめて自分の心情を明かすと、カールも手近な葡萄を手に取って嘆息した。

 どうでもいいが、〈王級〉と思われる熊野に対して、カールはそれなりの礼儀をもって接することにしたようである。まあ、これが普通の反応なのだが……。

 そんな夫婦に、真綾の体を借りた熊野が声をかける。


「『カール様、アンナ様、葡萄を無駄にせずに済むかもしれません。……ただ、上手くいくかどうかは保証いたしかねます。賭けになってしまいますが……おやりになりますか?』」


 熊野からの思いもよらぬ言葉に、アンナとカールは顔を見合わせるのだった――。


      ◇      ◇      ◇


 吐く息も白くなる季節外れの厳寒のなか、星明かりとヘッドランプの明かりだけを頼りに、凍った葡萄を収穫している集団があった。


「『皆様、気温の上がる前に圧搾しないといけないため、夜明けまでの勝負になります。たいへん寒うございますが、頑張ってまいりましょう!』」

「おー!」


 熊野の明るい声に続き揃って元気な声を上げたのは、防寒着で着膨れた大勢のうら若き女性。……そう、真綾が助けた村娘軍団である。

 熊野の提案により、カール一家は夜中の収穫をすることになったのだが、気を利かせてくれたラッツハイム男爵が、それならばと、城館に匿っている彼女たちにラタトスク通信で頼んだところ、全員がふたつ返事で引き受けてくれたのだ。

 ちなみに、彼女たちが頭に装着している電池式ヘッドランプは、もちろん【船内空間】に収納していた物である。彼女たちは最新式の〈魔導ランプ〉だと思っているようだが、魔導具などという高級品と縁のない村娘たちにその違いなどわかるはずもく、異世界産だとバレる心配はない。

 それにしても、こんな夜中に働かされて、彼女たちは本当に構わないのだろうか?


「キャー! マーヤ様がこっち見たわ!」

「なんかマーヤ様、今朝とは雰囲気がちょっと違うみたいだけど…………これはこれでアリ! 大アリね!」

「ああ、なんて尊い……」

「やだ、アンタ、鼻血が凍ってるわよ」


 などと、身を切る寒さなどなんのその、村娘たちも嬉しそうなので問題ナシ!

 彼女たちが夜中の、しかも氷点下での収穫を快諾した理由……。そこに、真綾と会えることが大きなウェイトを占めているのは、もう間違いないであろう。

 卑劣極まりないガマ男と悪代官のせいで、現実の男という生き物にすっかり幻滅している彼女らにとって、真綾は性別を超越した理想の王子様なのだ。

 彼女たちの行く末が心配だが……ともかく、こうして着実に、夜中の収穫は進んでいくのであった――。




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