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第四四話 伯爵の葡萄畑 一〇 襲撃者の運命


 現代日本とは違い、人間の作り出す光がほとんどない異世界の夜は、はるかに闇が濃密で、それゆえにまた、夜空を飾る星々もはるかに多く、そして強く輝いていた。

 その満天に煌めく星の下、葡萄畑広がる急斜面のふもとにたたずむ一軒の家を、虎視眈々と狙う集団が今、ここに――。


「いいか、あの娘はとにかく腕が立つ。しかし、背中に目があるわけでなし、取り囲んで一斉にかかればどうということはない。仮に娘が多少の奮戦をしたところで、数を頼りに押していけばいずれ力尽きよう。……戦いは数なのだよ」


 包帯グルグル巻きという痛々しい姿のまま、手に手に松明を掲げた男たちへ向かい講釈を垂れる代官。そんな体でもひとり騎乗しているのは、高貴なる者としての矜持ゆえだろうか……。

 ガマ男は体調不良のため不参加となったが、彼に集めてもらった手勢を率い、代官は真綾に復讐すべくここまで来ていたのだ。


「代官さんよぉ、その娘以外は本当に好きにしてもいいんだな?」

「うむ、ここの女房はなかなかに上物だと聞いたが、お前らの好きにして構わぬ。他の家族も好きなように殺してよい。しかし、くれぐれも娘は生け捕りにしろ。手足ぐらいは構わぬが、決して顔に傷などつけぬようにな。……あれはわしの獲物じゃ」


 言葉の最後に代官が凄絶な笑みを浮かべると、彼に質問した男だけではなく他の者たちも、それぞれが暗い欲望に歪んだ笑みを浮かべた。

 ガマ男が集めた手勢はこのように、揃いも揃って女子供を笑いながら殺せるようなクズばかり。

 ただ、ガマ男が厳選したと言うだけあって、たしかに腕だけは立った。狩人ならば全員が銀ランク相当だろう。――その数、実に四十六! もはや、〈城伯級〉魔物の群れとも一戦交えられる戦力である。

 これだけの戦力をわずか一日で動員できたのは、ヴァイスバーデンとモインツ、ふたつの都市が川を挟んで隣接する立地条件ゆえか。

 ガマ男、マジであった。

 彼は昨日、襲撃人員を募集した時点では、絶世の美女を手に入れたいという欲望と、真綾への恨みが深いあまり、金をいくらかけてでも彼女を捕らえ、ネットリと心ゆくまで復讐する気だったのだ。

 昨夜遅く代官館から帰ったあとは、恐怖のあまり寝込んでしまったのだが……いや、襲撃を中止しなかったところを見るに、おそらく、真綾への欲望と恨みは未だ消えていないのだろう。


「よし、狭い屋内では数の利が活かせぬ。まずは家に火をかけて外へいぶし出し、それから――」

「火はいかんのう」


 ぞくり……。


 指揮を執っていた代官の背すじに冷たいものが走った。騎乗している自分のすぐ耳元で、老婆のしわがれた声がしたのだ……。

 代官は反射的に振り返ったが、当然そこには誰もいない……だが、手勢も同様に辺りを見回しているのはなぜだろう。まさか彼らにも今の声が聞こえたのだろうか。

 そうするうち――。


「なあ、やけに寒くないか?」

「ああ、おかしいな。まだそんな季節じゃ……」


 男たちのそんな話し声が代官の耳に届いた……その時である!


「うわっ!」


 突如として棒立ちになった彼の馬が、背中の主を振り落とした!


「いだだだだ!」


 無情にも主を置いて走り去る馬! そして、無様にも地面を転げ回る代官! すでに全身ボロボロだった彼に、この仕打ちはあまりにも酷ではなかろうか……。

 だが、そんな彼のことを心配してくれる者などここには存在しない。今ここにいるのは、金で雇われたに過ぎない人格破綻者だけなのだから。

 やがて、地面に転がる代官をよそに、男たちのひとりがソレに気づいた。


「あれ……なんだ?」


 彼の視線の先、葡萄畑広がる急斜面の上に、杖をついた老婆が立っていた。

 こんな時間にたったひとりで、しかも、青白い燐光を全身に纏って……。


「……あのババア、魔物だ」


 吐く息も白く誰かが声にした瞬間、男たちの間に緊張が走る。ガマ男とは違い社会の底辺で生きてきた彼らは、魔物の恐ろしさを身に沁みて知っているのだ。


「こらこら、これから涼しくしてやろうと思っておるのに、火をかけるなどと無粋なことを言うでない」


 老婆の姿をしたナニカが、見た目に違わぬ陰鬱な声で話し始めた。

 だが、決して大声を出しているわけでなく、むしろ静かな話し方なのに、すぐ近くで聞こえるのはどうしたことか。……彼女のいる急斜面の上まではかなり距離があるのだが。

 それに、その急斜面を伝い、こうして真冬のような冷気が流れ下りてきているのは、気のせいだろうか……。


「ひい、ふう、みい、…………ふむ、結構おるではないか。少々早く起こされて困っておったが、重畳、重畳、ちょうどよい素材が手に入ったわい」


 枯れ枝のような人差し指で男たちの人数を数え、ニタリと背筋が凍るような笑みを浮かべる老婆。

 続けて、歯の抜け落ちた真っ暗な口から、信じられない言葉が流れ出る。


「喜べお前たち、アタシの子にしてやろう」


 その意味不明な言葉を聞いた瞬間、男たちは反射的に行動した!

 ある者は老婆を襲うべく、得物を手に急斜面を駆け上がり始め、またある者は、得意のクロスボウで老婆に狙いをつける!

 人格の破綻したクズではあっても、たしかに彼らは、それぞれが命のやり取りに長けた猛者なのだ。

 だが、しかし――。


 カツン――。


 老婆が杖で地面を突くと、夜の静寂に硬質な音が響き渡った。

 すると――なんということだろう、青白い燐光を帯びた冷気が、彼女の足元から急斜面を下り始めたではないか!

 冷気……そう、それは紛れもなく冷気だった。

 松明の明かりしかない男たちの目にはよく見えないが、その燐光に触れた地面は白く霜が降り、葡萄の木も次々に凍っていくのだ。


「あ、足が!」

「う、動かねえ!」

「冷てえ!」


 冷気が見る見る一面に広がり、男たちの足を呑み込むと、地面に足を凍りつかせた男たちが悲鳴を上げた。

 足の裏から膝へ、膝から腰へ、上半身へ向けて急速に凍ってゆく。


「クソっ、バケモノめ、喰らいやがれ!」

「狙い射つ!」


 下半身を凍りつかせながらも、クロスボウ、あるいはショートボウで狙いをつけていた男たちが、次々にボルトや矢を放つ。

 そのいくつかは確実に老婆に命中し……だが、彼女の体に傷ひとつ与えることなく、ポトリと落ちるのであった。


「……やっちまった、アレは〈伯爵級〉以上だ――」


 なまじ腕の立つ者の大集団であったがため、彼らは驕り、その驕りが判断力を鈍らせたのだ。

 ――決してアレと戦ってはならない、見た瞬間に逃げるべきモノである――。

 そのことに気づいた時、すでに男たちは氷の像と化していた……。


 カツン――。


 全員が凍りついたあと、静けさを取り戻した夜の世界に、ふたたび硬質な音が鳴り響いた。

 その刹那、四十七体あった氷像すべてが砕け散り、微細な氷の粒子になると……なんと、今度はそれが集合し、それぞれが新たな形を作っていくではないか。

 死と再生、いや、もっと冒涜的な何かが行われている光景を、急斜面の上から嬉しそうに眺めていた老婆は、やがて完成した四十七体のモノのなかに、ひとつだけ異形のモノを見つけた。


「おや? こりゃまた珍しいのができたね。ひょっとしてお前、巨人と縁のある貴族の子だったのかい? そうかいそうかい、喜びな、願いが叶ったね。――今日からお前は〈伯爵級〉だよ、ぎりぎりだけどねぇ」


 急斜面の上で凄絶な笑みを浮かべる老婆の声が、代官だったモノのすぐそばで聞こえたのだった。


      ◇      ◇      ◇


 時間はわずかに遡る――。

 代官が手勢を率いて都市を出たこと、また、その陣容などを、ラタトスクを通じて男爵から知らされた真綾たちは、すぐさま行動に移した。

 ヴァイスバーデンからカール宅まで襲撃者の集団が徒歩で来るなら、どう見積もっても一時間弱は要するだろう。それだけあれば十分だ、まずは――。


「カール、マーヤのこと、頼んだよ」

「ああ、アンナも」

「マーヤ、アンタも無茶するんじゃないよ」

「はい」


 老人や眠っている子供たちを馬車へ乗せ、カールとマーヤへ心配そうに声をかけると、アンナが避難を開始した。

 ここからラッツハイム男爵の城館までは近い。そこまで行けば、このままアンナたちを匿ってくれる手筈である。

 最初は男爵も、手勢を率いて助太刀すると言ってくれたのだが、なるべく迷惑をかけたくない真綾が固辞したため、それならばと、アンナたちの護衛と保護を買って出てくれたのだ。

 ラタトスク通信によれば、男爵はすでに手勢を率い、アンナたちを迎えに出てくれているため、じきに合流できるだろうとのこと。

 なんと良心的でフットワークの軽い男だろうか、真綾の中で彼の評価はうなぎ登りである。

 その一方で――。


「本当にいいんですか?」

「ああ」


 表でアンナたちを見送ったあと、心配そうな様子で尋ねてくる真綾に力強く頷いてみせるカール。

 真綾がいくら頼んでも、彼はここに残ると言って一歩も引かなかったのだ。

 カールのことが心配でしょうがない真綾は、どうにか考え直してもらえないかと言葉を探す。


「でも……」

「マーヤ、アンナが言ったろう? 私たちは、きみのことを家族のように思っているんだ」


 そんな真綾を見つめながら、その眼差しと同じやわらかな声でカールは話し始め、そして――。


「娘を守らない父親があるか」


 やわらかな声はそのままに、揺るがぬ口調でそう言うと、つぶらな瞳が見えなくなるくらいに目を細めて笑った。

 そう言ってくれたことが嬉しくて、何も言えなくなる真綾。

 それだけに、ますますカールの身を案じてしまう彼女の脳内に、熊野の澄んだ声が流れる。


『真綾様、これほどまでのお気持ちなのです、ありがたく頂戴いたしましょう。ただ、真綾様がご心配なさるお気持ちもごもっとも、ですので、カール様に武具をお貸しいたしませんか? あまりあちらの物品をこちらに残すわけにはまいりませんが、のちほど回収すれば問題ないでしょう』


 そんなわけで――。


『――はい、完璧です。たいへんよくできました』

(むふー)


 脳内で熊野に褒められ、鼻高々な真綾。

 そんな彼女の前に、ひとりの鎧武者が立っていた。

 何を隠そうこの鎧武者、羅城門家伝来の甲冑〈黒漆塗南蛮胴具足〉を身に纏ったカールである。

 時間は少々かかってしまったが、熊野の指示に従って真綾が着せたのだった。完璧な着付けに真綾もご満悦だ。


「できました。どうですか?」

「うん、いい感じだ。ありがとうマーヤ」


 真綾が尋ねると、肩を回して着心地を確かめ、満足げに礼を言うカール。鬼の顔をかたどった恐ろしげな面頬の上で、つぶらな瞳が笑っている。


「あと、これも、好きなのをどうぞ」


 そう言って真綾が次に取り出したのは、【船内空間】に収納してあった武器の数々。

 ハーピーを屠った剛弓や〈鬼殺し青江〉などの熊野丸所蔵品の他に、湖の乙女の古城で拾った巨大な棍棒や剣、果ては代官たちから没収していたランスや槍など、真綾が思いつくすべての武器だ。

 それらが一瞬で出現した時はさすがに驚いたようだが、カールは目に留まったものを次々と手に取っては、そのたびに少しの時間だけ目を閉じた。〈鬼殺し青江〉などの熊野丸所蔵品を手にした際は、なぜか不思議そうに首をかしげていたが、いったい何を確かめているのだろう。


「よし、これを借りよう」


 カールが最終的に選んだのは、なんと、代官から没収していたランスだった。

 全体が鉄でできているため重く頑丈で、長さ三メートルほどもある細い円錐形のそれは、馬の速力が加わることでプレートアーマーすら貫通する。

 だが、騎乗突撃のみに特化しているため極めて扱いづらいランスを、彼は徒歩での乱戦でどう使うつもりなのだろうか。


「うん、いい感じだ。ありがとうマーヤ」


 その重量物を片手で軽々と持ち、ブンブンと風切り音をさせて数回振ると、先ほどと同じく満足げに礼を言うカール……。

 どうやら刺突武器としてだけではなく、鈍器としても使う気のようだ……この様子なら心配はいらないだろう。


「よし、そろそろ移動しよう」

「はい」


 準備万端整ったところで、黒い甲冑を纏ったカールと黒いセーラー服姿の真綾、ふたりの黒き狩人は、ネギを背負ってやってくるカモを待ち構えるべく、迎撃ポイントへと移動を開始するのであった。

 ……え? 家に立てこもって迎撃しないのか?

 加護がある真綾は無事だろうが、普通は木造農家一軒くらい、出口を固めて火を放たれたら終わりである。

 それならば、敵が家に意識を集中しているうちに、背後や側面から奇襲したほうが効果的だし、今度は敵の意識をこちらに引きつけることで、大事な家に放火されるのも防げよう――。


「ここにいると敵が信じて疑わない場所を離れ、自軍に有利な位置から奇襲し、そこから芋蔓式に有利な状況を作り出す。これが戦ってやつだよ、斎藤流兵法とでも名付けようか。……火野さん、悲しいけどこれ戦争なのよね……フハハハハ!」


 ――などと、ムーちゃんをゲームマスターにしたシミュレーションボードゲームで、猪突猛進な火野さんをボコったあと、仁王立ちしてふんぞり返る花……。そんなちっさい親友の姿をしっかり覚えていた真綾……いや、熊野の策であった。





拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

第一部分にあたる『これまでのあらすじ』に、前日譚の人物紹介を追記しましたので、よろしかったらお読みください。

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