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第四二話 伯爵の葡萄畑 八 ふたりの少年とふたりのオッサン


 少年は貴族の長子であった。

 しかし、満七歳の〈聖別〉により召喚能力のないことが判明すると、彼は実家の主筋に当たる宮中伯家へ小姓として出され、十四歳になると、今度は従騎士として先輩騎士の下に付くことになったのだ。

 いかに守護者と縁のある貴族家であっても、生まれた子供らのうち召喚能力を得られる者は、通常の場合ひとりだけ。そのため、この世界に生きる貴族の子として、少年の境遇は特に珍しいものではない。だから――。


(父上、母上、一族に恥じぬ立派な騎士になってご覧に入れます)


 ――少年も、己の不遇に腐ることなく、高潔な騎士を志した。

 少年の師となった先輩騎士は宮中伯直属の騎士であり、また、ヴァイスバーデンという都市の代官でもあり、そして、彼と同じく貴族家の長子である。

 同じ境遇の師ならば少年の気持ちを汲み、彼を立派な騎士に育て上げてくれるはず、だったのに……。

 代官は少年を馬車馬のようにこき使うばかりで、騎士として必要なものは何も教えてはくれなかった。

 しかも代官は、己の家柄を鼻にかけ高慢に振る舞うだけに留まらず、真っ当な商人には難癖つけて金を巻きあげ、後ろ暗い者からは賄賂を受け取るなどの悪行を重ね、ついには市政を牛耳る悪徳商人と手を結み、近隣の村々でもやりたい放題という始末。

 商人の護衛をすると言う代官に始めて同行した際、少年は我が目を疑った。

 借金のカタに農家の娘を連れ去る悪徳商人を止めるどころか、彼の師たる代官は、娘を奪われまいと抵抗する農民を打ち据えたのだ――。


「おやめください! これが誇り高き騎士のすることですか!」


 その時、初めて代官を諌めた少年であった……が、代官はそんな彼を口汚く罵り、動けなくなるまで制裁を加え続けた。

 そうして少年は、騎士というものへ対する幻想を捨て、心の最も深い場所に、とても大切な何かを閉じ込めたのだった――。


      ◇      ◇      ◇


 気がつけば十六歳になっていた少年は、その日、いつもどおりの嫌な任務の帰りに、運命を変えるほどの得がたい体験をした。


(なんて美しい……)


 まずは、とても農民とは思えぬ高貴な雰囲気を纏った娘の、女神にも劣らぬ美貌に魂を抜かれ――。


(すごい、すごい!)


 次に、その娘の姿がかき消えた直後に始まった、魔物の面を着けた剣士と代官直属の兵士たちとの戦いに、すっかり心を奪われてしまった。

 少年が見ている前で、その剣士は流れるような足捌きと体術、そして精妙巧緻な槍術を使い、瞬く間に六人の兵士を倒したのだ。

 さらに、ランス突撃を難なく躱した剣士によって、師である代官が一撃のもと打ち倒されるに至り――。


(ああ、これこそ、……これこそ私の……)


 少年の心の奥底に閉じ込めていた何かが、ふたたび輝き始めた。

 驚くことに、剣士の正体はあの美しい娘だったのだが、彼女は拉致されていた村娘たちを救い出し――なんと、悪徳商人の馬車を一瞬で消滅させたではないか!

 こんなことが可能なのは、よほど高位の貴族でしかありえない……。


(きっとこのお方は身分を隠して諸国を巡り、こうして、悪に虐げられる弱き者を救っていらっしゃるんだ……)


 それこそ本物、少年の憧れていた本当の騎士、そして、貴族のあるべき姿……。

 少年は感動に打ち震え、そして――。


「申しわけございませんでした!」


 気がつけば、彼は馬から下りて兜を脱ぎ、高潔なる女貴族の前に膝をついていた。


「私はヴァイスバーデン代官の……そこなる騎士の従騎士でございます! たとえ命令とはいえ、師の悪行に加担してきた罪人ではございますが、私も騎士を目指す者の端くれ、最後の奉公として師を館まで連れ帰ること、お慈悲をもってお許しいただけますれば、必ずやその足で宮中伯のもとへ向かい悪行を懺悔すると、この命に懸けて誓います! ――誠に僭越ながら、このまま我が師を連れ帰ること、お許しいただけましょうか?」


 命懸けの言葉を黙って聞いていた女貴族は、すべて言い終わった彼の青く澄んだ瞳を、月のない夜空を思わせる黒い瞳で静かに見つめる。


(ああ、なんて美しい瞳なんだろう……)


 心の中まで覗き込まれているような感覚を覚えながら、つい、そんなことを思ってしまう少年に、美しい女貴族はコクリと頷いてくれた。


「ありがとうございます!」


 深々と頭を垂れて感謝を述べた少年は、なぜか真っ赤になった顔を上げると、何やら言いにくそうに口を開く。


「…………あの……もしも私が罪を償い、もう一度あなた様の御前に姿を現すことがございましたら、その時は…………いえ、お忘れください」


 結局、「あなたの従騎士にしてください」のひとことが言えなかった少年……。

 ともかくこうして、高潔で慈悲深き女貴族に心から感謝しながら、少年は身動きできない師をなんとか馬に乗せ、代官館のあるヴァイスバーデンへと連れ帰っていくのであった――。


 この日、誓いを守るため、とある騎士の館からひとりの従騎士が消えた。

 そしてその数年後、ひとりの若き遍歴騎士が、その高潔な人柄と巧みな武技で名を上げ始めるだが、そのきっかけを作った人物が、お昼ごはんの腹ごなしをした程度にしか思っていないことは、おそらく誰も知らない。


      ◇      ◇      ◇


「おい娘! ヴァイスバーデン代官にして宮中伯直属騎士、さらに現コロニア伯の兄であるわしに手を出したのだ、このまま無事でいられるなどと思うなよ! お前はもう終わりだ! ふはははは!」


 ――などと、体が動かないくせに口だけは達者な代官を馬に乗せ、ボロボロの兵士たちを連れて帰ってゆく従騎士……。

 その背中を、(苦労してるなー)などと思いながら見送った真綾は――。


「約束破ったら体半分没収……」

「ヒィィィ!」


 ――と、さんざんガマ男を脅迫し、彼が拉致した女性たち全員の解放と、被害者への賠償金支払いを約束させて追っ払った。

 また、自ら救出した村娘たちにはガマ男から没収していた金品を渡し、村へ帰る彼女たちに手を振って見送ったのだが、その際、村娘たちが真綾にピタリとくっつき、なかなか離れようとしなかったのは、いかがなものか……。

 とにかく、お昼ごはんの腹ごなしも無事に終わり、ディアンドル姿に戻った真綾は、老人や子供たちと一緒にアンナが待つ家へとのんびり帰っていた。

 その道中、手をつないで前を歩く老人とマーヤの背中を眺め、真綾がしみじみ感傷に浸っていると、何やら真剣な様子のヨーナスが話しかけてきた。


「なあマーヤねえちゃん、ねえちゃんは貴族なんだろ?」


 どう答えていいかわからず言葉を探し始めた真綾に、なぜかヨーナスは声を落として続ける。


「あのさ、誰にも言うなって父ちゃんに言われてんだけどさ、ねえちゃんだけには教えてやるよ。……俺、ホントは〈聖別〉してないんだよ」


 今度は何を言われているかわからず、真綾が小首をかしげると、しょうがないなあという表情になるヨーナス。


「困ったねえちゃんだなあ、でっかいくせにそんなのも知らないのかよ。聖別ってのはな、七歳になったら近くの神殿に行って、貴族かどうか調べてもらうことなんだ」

「へえ」

「だけど俺、去年聖別したことになってるけどさ、ホントはしてないんだよ。父ちゃんがしなくていいって……」


 そこまで言うと寂しげに口を閉じ、ヨーナスは自分の小さな手をジッと見つめる。そんな彼に、真綾は――。


「ヨーナスは貴族になりたいの?」


 ――と、優しく問いかけた。

 すると、彼女の顔をハッとして見上げたヨーナスは、さも当然と言わんばかりの表情で答える。


「そりゃそうだよ、だって貴族は金持ちだろ? だから父ちゃんや母ちゃんに楽させてやれるし、マーヤにも腹いっぱいうまいモン食わせてやれるんだ、たまに男爵様がくれるようなお菓子とか。それに――」


 ヨーナスはそこで一度言葉を切り、さっきまで代官をツンツンしていた棒を、ブンブンと勢いよく振り始めた。


「――貴族って強いんだろ? だから俺が母ちゃんやマーヤを守ってやるんだ! そんで、悪いやつらをやっつけて、困ってる人を助けてやるんだ、マーヤねえちゃんみたいに!」


 キラキラと輝く瞳で真綾を見上げるヨーナス。先ほどの光景は、従騎士の少年だけではなく彼の心にも大きな影響を与えたようだ。

 それにしても……。


『ああ、なんて健気、なんと尊いお心掛けなのでしょう! ヨーナス坊ちゃまは本当に善いお子様でございます!』


 熊野はヨーナスのあまりの健気さに、重油を噴き出さん勢いで感動していた。

 そんな熊野に激しく同意の真綾であったが、もうひとつ、ヨーナスに聞いておきたいことが――。


「葡萄を育てるのは嫌?」


 ふたたび真綾が問いかけると、ヨーナスは振っていた棒をピタリと止め、可愛い眉間に皺を寄せて神妙な面持ちでムムムと考え込んだ。


「うーん、仕事はキツイけど……育ってく葡萄見るのはスゲー嬉しいし、村のみんなや父ちゃん母ちゃんと収穫するのは楽しいしなー。収穫のときはお昼もちょっと豪華だし、みんなで食うとスゲーうまいんだよなー……」


 そして――。


「うん! マーヤねえちゃん、俺、葡萄育てるの嫌じゃない!」


 輝く笑顔で真綾を見上げた。

 その答えを聞いて嬉しくなった真綾に頭を撫でられると、とても嬉しそうに、そしてちょっぴり照れくさそうに、ヨーナスは笑うのであった。


      ◇      ◇      ◇


 その日の夜――。

 ヴァイスバーデンという都市にある立派な館の一室で、ふたりのオッサンが密会していた。


「クソッ! あの恩知らずめが!」

「さようでございますお代官様。怖じ気づいて戦いに参加しなかったばかりか、師匠であるお代官様を捨てて逐電するとは、もはや犬畜生にも劣る所業でございますなあ。以前お代官様に逆らった時から、ろくでもない小僧だとは思っておりましたが……」


 それは、首から下を包帯でグルグル巻きにされてベッドに横たわり、消えた従騎士を罵る代官と、それに追従して言いたい放題のガマ男……。

 泣く泣く鎧を破壊することでようやく解放された代官を、自分の商館で服を着てきたガマ男が見舞っているところなのだ。

 商館までの道中、醜い脂肪を揺らしながら下着一丁で歩いていたガマ男は、行き合う人々にさんざん指差し笑われたのだが、そもそも、人に恨まれるような人生を自ら歩んできた彼の自業自得であろう。

 それにしても、「恩知らず」、「犬畜生にも劣る」、とは、どの口が言うか……。

 まあ、命懸けで真綾に詫びを入れ、動けぬ代官をここまで運んでくれたのが誰だったのか、それを思い出せるほどに彼らが高尚な人間だったなら、従騎士の少年も苦労はしなかったであろうが。


「そんなことよりあの小娘、高貴なるこのわしをこんな目に遭わせよって、タダで済むとは思うなよ……」

「その意気でございます! 不幸にもこのたびは手勢も少なく、お代官様もお体の調子が万全ではなかったご様子。しかし数の力で押せば、あの娘ひとりが少々強くとも、どうということはございますまい」


 代官の恨み節に追従するどころか、さらに焚きつける勢いのガマ男。

 村娘たちだけではなく馬車と馬も真綾に奪われ、身ぐるみすべて剥がされたその挙げ句、いつも自分が見下している都市住民の前で大恥かかされたのが、よほど悔しかったと見える。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、この様子では真綾との約束などすでに忘却の彼方であろう。


「しかし数の力とは言うが、わしが自由にできる兵は今日の怪我で当分は使い物にならぬぞ。各ギルドが持ち回りで出しておる衛兵どもは、有事でもない限りわしの一存では動いてくれぬし……」

「お代官様ご安心ください、すでに私が手配しております。それも、わずかな金のためならどんなに汚いことでも平気でやり、人を殺すことなどなんとも思わぬ輩ばかり。もちろん腕の立つ者を厳選してございます」

「おお! さすがはギュスターヴ! 見事な手際じゃ!」


 ガマ男の言葉を耳にしたとたん、生き返ったように喜ぶ代官……しかし、この反応は本来おかしい。召喚能力者が王侯貴族と呼ばれるこの世界において、高位の貴族相手に一般人を何人集めたところで意味はないのだ。

 騎士、それも伯爵家の出身である彼が、そんな当たり前のことを決して知らぬはずないのに……いや、それはもちろん彼も知っていた。

 だが、彼は知らなかった、真綾がソレだという事実を。

 不幸にも仰向けで行動不能に陥っていた代官は、馬ごと馬車を消滅させる真綾を見ていなかったし、兵士たちは帰ってからずっと口をつぐんでいる。さらには従騎士が失踪してしまったため、彼には真綾のことを高位貴族だと判断する情報が、圧倒的に足りていなかったのだ。

 彼の失神中に真綾が行なった鎧の非可動化手術も、落馬の衝撃で変形した鎧に道具を使って少々手を加えた、くらいの認識である。


「お褒めいただき光栄の至り。あの娘の所在も調べさせております、あれだけ目立つ娘でございますので早々に判明するでしょう」


 などと得意げに言うこの男は、ソレを知っていた。

 大商人ゆえに貴族と接した経験もあり、目の前で真綾に諸々を没収されたのだから当然だ。

 だが、彼が直に接した貴族はせいぜい城伯止まり。それ以上の貴族家では執事か、よくても家宰が彼の相手をしたため、上級貴族の威圧感というものを知らないし、何より彼は、貴族の戦う姿を見たことも恐ろしい魔物に襲われたこともない。

 だから彼は常日頃から思っているのだ――。


(人間の武器では下級貴族しか傷付けられぬ? 王侯はたったひとりで都市や国を壊滅させる? ふん、そんなことが現実にあるわけなかろう。すべて貴族の権威付けと反乱防止のために作られたデタラメだ)


 ――そう、ある意味、彼はリアリストだった。命の危機と縁遠いゆえか狩人とは違うベクトルだが……。

 さらに、彼は真綾に対する恨みと色欲のあまり、何ごとも自分にとって都合のいい方向にしか考えられない。

 だから彼の脳は、いかに腕の立つ貴族であっても数の力には抗えまいと、楽観的な答えを出したのだった。


「おお! でかしたぞギュスターヴ! ――待っていろよ小娘ぇ、目に物見せてくれようぞ……」


 そうやって代官が暗い闘志をたぎらせ始めると、ガマ男は悪意と色欲でギラつく笑顔を浮かべつつ進言する。


「しかしながらお代官様、あれだけの上玉を殺してしまうのは、あまりにも勿体のうございますぞ。できることなら生け捕りにして連れ帰り、そのあとは……」


 ジュルリ……。


「うむ、それは妙案じゃ。あの小娘、存分に可愛がってやろうぞ。――それにしてもギュスターヴ、つくづくお前もワルよのう」

「何をおっしゃいます、お代官様こそ」

「ヌハ」

「ヌハ」

「ヌハハハハ!」


 こうして、ヴァイスバーデンの夜空に、小悪党どものピタリと揃った高笑いが響き渡るのであった。



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