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第四一話 伯爵の葡萄畑 七 真綾、恐ろしい子


 熊野の心は昭和初期の清純な乙女である。

 しかし、豪華貨客船として多くの男女を乗せた経験があり、さらに船医としての知識もある彼女は、ソッチ方面に関して知識だけは豊富であった。クイーンオブ耳年増と言っても過言ではない……。

 そんな彼女には、悪代官と悪徳商人の下卑た会話と好色そうな表情から、彼らが真綾に何をしようと企んでいるのか、また、馬車内の女性たちをいかなる運命が待ち受けているのか、まるっとお見通しであった……。


『なんと不埒な……これは、とんでもない乙女の敵でございますね。わたくし、ボイラーの蒸気圧が限界突破しそうでございます……』


 その一方、祖父によって純粋培養で育てられた真綾には、彼らが何を言っているのかサッパリわからなかった。一瞬、(味見? 初ガツオ? おいしい物?)などと思ったくらいである……。

 しかし、異常なほど鋭敏な彼女の勘が、コイツら懲らしめてやりなさいと警鐘を鳴らしていたし、何より、あのネチョッとした視線で舐め回されるのが、もうそろそろ生理的に限界であった。


(もうムリ……)


 ゆえに、こうなった――。


「ぎゃああああ!」

「ギュスターヴ!?」


 相方の急な悲鳴に驚いた代官が目にしたものは、いつの間にかガマ男のすぐ目の前に現れ、世にも恐ろしい形相で睨みつけている魔物……。

 いや、よく見れば魔物ではなく、魔物の面を着けて見慣れぬ服を着た人間だ。

 金の刺繍とモール、肩章などによってきらびやかに飾られた紺の上衣に、スラリとした白のボトムスと革のブーツ、そして腰にはサーベルが……そう、それは、かつて真綾が劇で使用した、ナポレオン時代の高級将校服風衣装、別名、オ○カル様風軍服であった。

 悪代官と悪徳商人を成敗するならばコレだと、彼女はわざわざこの衣装に瞬間着替えしたのだ。もちろん、般若の面も忘れずに。

 残念ながら鼓の音がないため、面を着けたままクルクル舞うくだりは断腸の思いで断念した真綾。そこに、狼狽した様子の代官から誰何の声が上がる。


「き、貴様、何ヤツ!」

「この顔を見忘れたか……」

「へ?」


 真綾は般若の面でガマ男を睨みつけたまま代官に答える。もうスイッチがバッチリ入っているようだが、般若に知人がいない代官のほうはキョトンとしているぞ。

 ちなみに、まだ素顔をさらさないのは、老人や子供たちが人質に取られるといけないとの熊野の判断である。


「…………ええい、貴様など知らぬわ! ――者ども何をしておる! 曲者じゃ曲者じゃ、さっさと始末せい!」


 時代劇を観たことがあるのでは? と疑うほど見事なセリフ回しで代官が命令すると、なおもガマ男を睨みつけてビビらせ続けていた真綾を、槍を構えた兵士たちが一斉に取り囲んだ!


『チャ~ンチャンチャン、チャチャチャ、チャチャチャ、チャ~ンチャ~ンチャ~ン、チャララララ……』


 そのとたん、真綾の脳内に時代劇の劇中曲が流れ始める……といっても、熊野が口ずさんでいるのだが。

 熊野の小粋な演出によりテンションの上がった真綾に――。


「でいっ!」


 裂帛の気合いとともに、兵士のひとりが槍を突き出した!


 ――彼らが使っている槍は四メートル以上もあるパイクではなく、取り回しが楽で個人戦にも向いたショートスピアだ。これはおそらく、密集隊形を組めるほどの人数がいないためだろう、長さは二メートルといったところか――。


 その槍を右前半身になって突き出した兵士の外側に、流れるような動きで体を捌くと、柄の部分を右手で制しつつ間合いを詰めた真綾は、左四本貫手を相手の喉に突き入れ引き戻す――これぞ必殺〈地獄突き〉!

 そういった一連の動作がほぼ同時、瞬く間に行われたあと、兵士が喉を押さえて膝をついた時には、彼の持っていた槍は真綾の手に渡っていた……。

 ちなみに、真綾が腰のサーベルを抜かないのは、それが演劇用の模造刀だからである。


「カッ、カハッ!」


 真綾の地獄突きによって潰された喉を押さえ、涙とヨダレで顔をグシャグシャにしながら地面にうずくまる兵士……。

 彼の姿を見てゾッとする仲間たちだったが、主の命令に逆らうわけにもいかず、真綾に向かって慌てて槍を突き出した。

 だが、その先に真綾の姿はない。

 彼女は決して居着くことなく、流れるような足捌きで動き続け、一対一、最悪でも一対二になるよう巧みに位置取り、突き出された槍を払い、あるいは巻き上げては兵士たちを次々と撃破していく――。

 もひとつちなみに、昼食の腹ごなしにちょうどいいと思ったため、これでも真綾は加護をまったく使っていない……のだが、結局ほんのわずかな時間で、六人いた兵士は全員地面に転がっていた。

 しかも、恐ろし……几帳面なことに、真綾は全滅させた兵士たちの両肩をひとりずつ外して回ったのだ……。きれいに外しているため、ちゃんと入れてやれば特に後遺症もないはず……。

 なんという優しさだろうか。


「なんと冷酷な……お、おのれ! ――おい、何をしておる、お前も行かぬか!」

「…………」


 厳しい口調で命じた代官だったが、その声が聞こえているのかいないのか、従騎士からの返事は一向にない。

 それを初めての実戦に身がすくんだと見て取った代官は、苛立ちで見る見る顔を紅潮させてゆく。


「クッ! 怖じ気づきおったか、この役立たずめ! ――ええい、こうなれば、このわしが直々に相手してくれるわ!」


 馬上で動けなくなっている従騎士に見切りをつけると、真綾から二〇メートルほど距離を取り、馬具のホルダーから抜いたランスを馬上で構える代官。

 そのまま突撃し、真綾の持つ槍よりも長いランスで突き殺すつもりなのだ。彼女の足元に転がる兵士を踏み潰してでも……。


「貴様、そこそこ腕に覚えがあるようだが、人馬一体となった騎士のランス突撃、止められるものなら止めてみよ! ――ハッ!」


 勝ち誇ったように大音声を上げた代官は、兜の面頬を下ろすや否や、肩に槍を担いでたたずむ真綾目指し馬を走らせた!

 人馬の体にそれぞれの甲冑を加えた大質量、それを馬の力で推進させることにより生まれる強大なエネルギーを、穂先のただ一点に集中させたランスが、今、生身の真綾に迫り来る!

 真綾危うし、危うし真綾!

 だがしかし――。


 バキッ!


「グエッ!」


 ガッシャン! ガシャガシャ、ズササァァァ……。


 悲鳴を上げて落馬し、パレードアーマー姿のまま地面を転がる代官……。

 何が起こったのか説明しよう。

 馬の軌道上にいる兵士を脇に蹴飛ばしてやったあと、見事な足捌きでランスを躱した真綾は、そのままの勢いですれ違うはずであった代官を、肩に担いでいた槍で馬からシバき落としたのだ。ジャストミート、ナイスカウンターである……。

 そして――。

 それが剣道であろうと弓道であろうと、日本の武道には〈残心〉というものが必ずある。敵を倒したと思って油断をするなという心構えのようなものだ。

 小説や漫画、アニメに映画などの主人公たちは、演出上その残心を忘れた挙げ句、敵の逃亡を許したり大切な人を殺されたりするのだが、真綾は決して残心を忘れない子であった……。


      ◇      ◇      ◇


(……ハッ! わしは、まだ生きて……ウッ! いダダダ! 全身が痛い!)


 失神のあと意識を取り戻した代官は、地面の上で仰向けになったまま激痛に襲われた。

 彼が乗っていた馬は体高(地面から肩の最も高い部分までの高さ)一四七センチメートル以下、真綾のいた世界ではひとくくりにポニーと呼ばれる小型馬だが、たとえその高さからでも、あれだけのインパクトでシバき落とされた衝撃は凄まじい。全身が痛いのは当たり前である。

 そこへ、兜のスリット越しに般若の面がヌウッと現れた。


「ぎゃあああ!」

「気がついた……」


 驚きのあまり悲鳴を上げている代官をよそに、真綾は般若の面に手をかけ――。


「この顔を見忘れたか」


 それを外しながらセリフを言い直した。先ほど面を着けたまま言ったのは、どうも彼女的に不本意だったらしい……。


「そ、その顔は!? お前だったのか!」


 忘れようもない真綾の美貌が般若面の下から現れると、代官はようやく敵の正体に気づいたようで、たちまち眼球が飛び出さんばかりに目を見開いた。

 そうそう、真綾が欲しかったのはこういうリアクションだ。


「おのれ小娘! 今すぐ成敗……なんだ!? か、体が動かん!」


 農家の小娘ごときからコケにされたと知るや、怒りのままに起き上がろうとした代官だったが、自分の体が思うように動かせないことに気づくと、プツプツと額に玉の汗を浮かべて焦り始める。

 そう、それも骨折や体の痛みなどが原因ではなく、鎧の可動部分自体がピクリとも動かなくなっているのだ。


「こ、小娘! わしの鎧に何をした!?」


 地面の上でジタバタしながら真綾に問いただす代官……やっと気づいたか。


 ――代官を馬からシバき落とした直後、真綾はそのままスタスタと近づくと、彼が失神していることなど気にも留めず、なんと、鎧の可動部分を素手で変形させ始めたのだった。それはもう几帳面に、場所によってはわざわざ金属同士を圧着させてまで……。

 これで代官の体が動くはずはない。もちろん、パーツ同士が独立して離れている箇所は動かせるのだが、それが多くないのがプレートアーマーというものなのだ。

 しかも、プレートアーマーは使用者の体に合わせて作られているため、場所によってはほんの少し変形しただけでも苦痛を伴う……鬼か!

 勉強は苦手なくせに、こういうところは妙に頭の回る真綾であった――。


「おのれ! クソッ!」

「スゲー! おもしれー!」

「つんつん……」


 壊れたロボットのように地面でのたうつ代官を、容赦なく棒で突っつく子供たち……。その残酷な光景をあとにして真綾がスタスタと向かった先は、次なるターゲットが待つ馬車だった――。


「ひっ!」


 真綾が馬車の扉を開けるなり、座ったままピョコンと跳ねるガマ男……。

 まあ無理はない、彼は馬車の窓からずっと見ていたのだから。

 あっという間に兵士たちが全滅し、ゴキリゴキリと両肩を外されていく様も、宮中伯直属騎士たる代官が馬からシバき落とされる瞬間も、そして、バキバキメキョメキョと音を立て、代官の鎧を真綾が素手で変形させてゆく光景も……。

 そんなガマ男など無視して、ディアンドル姿の娘ふたりに車外から声をかける真綾――。


「あなたたちは?」

「……あ、はい! アタシたちは近くの村の娘です!」

「お父ちゃんの作った借金のカタにって、無理やり……」


 あまりの美貌にウットリとしていた村娘たちは、なぜか頬を赤らめながら真綾に答えた。そこには、さっきまで絶望に打ちひしがれていた様子はカケラもない。

 そこへ杖を突きながらやってきた老人が、馬車の窓から中を覗き込み、長く伸びた前髪の隙間から鋭い視線をガマ男に向けた。


「フクス商会のギュスターヴと言ったか、証文を見せてみろ。借金のカタと言うからには、どうせ証文をチラつかせて娘たちを拉致してきたのじゃろう?」

「なんでこの私がお前のようなジジイの――ヒッ!」


 いきなりの命令に抵抗したガマ男だったが、真綾と老人からの殺気を感じたとたん悲鳴を上げ、渋々といった様子で老人に証文を渡した。

 その証文に目を通した老人は深いため息をつく。


「ハァ、――思ったとおり、なんというデタラメな契約内容じゃ、これではすぐに返済不能になるわ。おおかた相手が字の読めぬのをいいことに、上手いこと騙して契約させたのじゃろうな。――おいギュスターヴ、どうせ最初から、見目のよい娘たちが目的だったのじゃろう? なんとも腐った性根よのう。――こんな証文、こうじゃ!」

「あっ! 何をするジジ――ヒイィィィ」


 老人が問答無用で証文をビリビリと破くと、当然のように抗議の声を上げたガマ男だったが、またもや真綾たちの殺気を浴びて悲鳴を上げたあとは、もはや弱々しく口をつぐむ他なかった。


「もう大丈夫」

「は、はい……」

「ありがとうございます……」


 差し出された真綾の手を握り、頬を薔薇色に染めて馬車から降りる村娘たち。

 現在、真綾が身に纏っているのは、いつの世も乙女心をくすぐるオ○カル様風軍服。しかも、長身の超絶美剣士が悪漢から自分たちを救い出してくれたとあっては、村娘たちがどう感じたか容易に想像できるというもの。

 彼女たちはもう、おとぎ話のお姫様にでもなったような心地で、真綾の凛とした美貌をウットリと見つめ続けるのであった。


『あらあら、真綾様ったら、ここでも……』


 などと言う熊野をよそに、真綾は悪徳商人へさらなる追い討ちをかける。


「没収」

「ぎゃあああ!」


 真綾の声とともに二頭の馬ごと馬車が消失すると、地面に落下して尾底骨を強打したガマ男が悲鳴を上げた。

 もちろん、真綾が【船内空間】に没収したのだが、さらに――。


「没収、没収……」


 容赦なくガマ男の身ぐるみを剥いでゆく真綾であった。なんて恐ろしい子……。




「シュゼットお嬢様、いかがなさいました?」

「今、どこかでマーヤ様が凜々しい服装をしていらっしゃる気が……」

「まあ! ラ・ジョーモン様が!?」

「ええ、とっても素敵なお姿を。……ああ、あの時、わたくしのカラドリオスが無事なら、マーヤ様のあとを追わせて、毎日毎日、朝から晩まで、ず~っと監視……見守れたのに、心底悔やまれてならないわ」

「……」

「どうしたの? 顔色が悪いわよ」

「い、いえ、お気になさらず……」

「そう? ならいいけど。――とにかく、悔やんだところで始まらないわね。わたくし、マーヤ様と再会できるまでは、『シュゼットちゃん』と呼んでいただいた時のことを何度も何度も繰り返し思い出して我慢するわ、天上の花園がごときあの香りと、腕のぬくもりとともに。……ああっ! マーヤ様っ!」

「お嬢様、また鼻血が……」

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