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第四〇話 伯爵の葡萄畑 六 ディアンドルは魅力的


 収穫作業二日目――。

 いつも見慣れているはずのディアンドル姿も、絶世の美女である真綾が着た場合は別物らしく――。


「うおおおお!」

「負けるかああ!」

「マーヤちゃん、俺を、俺を見てくれえええ!」


 ――などとテンションの上がった若い衆が、それはもう異常な頑張りを見せたおかげで、この日の収穫作業は昨日よりもさらに早く終わった。

 ところでこのディアンドル、エプロン紐の結び目位置には、体の右前面だと既婚者で左前面だと未婚、後ろにある場合は未亡人、といった具合に意味があるのだが、アンナが真綾に結んでくれた真正面という位置は、男性経験のないことを意味していた。若い衆が張りきった理由の一端はそれだろうか……。

 その後は、葡萄ジュースとモフモフの天国である醸造所へ向かうカールに、昨日と同じく同行しようとした真綾だったが、老人の新たなお散歩コースを考えたと張りきるヨーナスに一抹の不安を覚えたため、今日はそちらに付き合うことにした。


「こっちに行ったら村!」

「あっちが町」


 農道の先をビシッ、ビシッ、と指差すヨーナスとマーヤ。

 ちなみに、なぜかマーヤもいるのだが、すっかり真綾に懐いている彼女は、真綾が醸造所に行かないと知るや自分も残ると言い出し、こうしてお散歩についてきたのであった。

 それを聞いた時、カールのつぶらな瞳が寂しげに陰ったことは言うまでもない。父とはそういうものなのだ……。


「そうかそうか、ふたりは物知りじゃのう」


 小さい案内人たちの姿に目を細め、ウンウンと何度も頷く老人。

 家を出てからというものずっとこの調子で、やれ「あっちは誰それの畑だ」、やれ「これは馬のウ○コだ」と、使命感に燃えるふたりが説明するたびに、老人は嬉しそうな様子で聞いているのである。

 その光景に祖父と幼いころの自分を重ね、真綾の目頭が熱くなる……と、彼女の少し滲んだ視界に、農道の向こうから近づいてくる二頭立て箱馬車と、その護衛らしき一団が映った。


「スゲー! 騎士だ!」


 その集団の最も先頭にプレートアーマー姿の騎士を認めたとたん、キラキラと目を輝かせるヨーナス。

 見える限りでは、騎乗している騎士が二名と布鎧を着た歩兵数名といったところか。その姿は距離が近づくにつれ鮮明になってくる。

 縦列で進む騎士のうち、後ろを行くひとりは、特に変哲のないフリューテッドアーマー(薄い鉄板に畝状の凹凸を打ち出すことで、強度を保ちつつ軽量化した甲冑)を着ているのだが、先頭を意気揚々と進んでいるほうの騎士が、いささか異様な風体であった。

 なんと彼が着ているのは、全身ビッシリと装飾の施されたパレードアーマー、そのうえ馬にまで物々しい馬鎧を装着しているのだ……。


「スゲー! カッケー!」


 子供の目にはゴージャスな姿が格好よく映るらしく、ヨーナスのテンションはますます上がり、その一団を避けるためにみんなで道の脇に寄っている最中も、何回となく繰り返し歓声を上げている。

 しかし……。


「……ふん、合戦場でもあるまいに、甲冑を着込んだうえ馬鎧か、これでは馬がかわいそうじゃのう……」


 老人が突然、余計なひとことをボソッとつぶやいた。子供たちとの楽しい時間を邪魔されたのが癪に障ったのだろう……。

 だが残念なことに、つぶやき声などというものは、聞かれたらマズいときに限って人の耳へ届くようにできている。

 まさにこの時、パレードアーマーの騎士は、「スゲー! カッケー!」と言うヨーナスの称賛の声を聞き逃すまいと、鼓膜に全神経を集中していたところであった。

 真綾たちの目の前で、馬脚がピタリと止まる……。


「……今ほざいたのは、そこの老いぼれか?」


 パレードアーマーの面頬を上げると、怒気をはらんだ声で老人に詰問する中年騎士。汗ビッショリなせいでカイゼル髭の先が垂れ下がっているのだが、それは今どうでもいいだろう。


「よいかジジイ、騎士たるもの、いつ遭遇するやも知れぬ敵に備えねばならぬ。お前ごとき一介のジジイに何が――」

「そう言うならば、せめてそこにおる従騎士のような甲冑にすればよかろう。薄っぺらなパレードアーマーでは盗賊どもが喜ぶだけじゃ」

「ぐぬぬ……」


 たしかに、強度や動きやすさを考慮してあるフリューテッドアーマーとは違い、見栄えだけを重視したパレードアーマーは装甲も薄く、決して実用的とは言えないシロモノであった。

 老人からの思いもよらぬ反論に言葉を詰まらせる中年騎士。しかし、老人の鋭い舌鋒はまだ止まらない。


「それにその汗。どうせ鎧下を着込んでおるのだから、いかに秋とはいえ、これだけ快晴なうえこの時間にもなれば、甲冑の中は熱がこもって蒸し風呂状態じゃろう。戦闘開始前に人馬とも精根尽き果てておるなど言語道断、戦場までは甲冑を脱いで乗用馬に乗り、合戦を前にして甲冑を着込み軍馬に乗り換えるのが騎士じゃ」

「いやしかし、わしにとってはこの道中こそがその戦場、いつ敵に――」


 理論整然とした老人の言葉にタジタジしつつも、なんとか言い返そうとする中年騎士。

 だが、そんなさやかな反論さえ許さず、老人は彼の心を確実に抉っていく。さっきまで子供の指差す馬糞を見て笑っていた好々爺は、いったいどこへ行ったのか……。


『すっかりお元気になられて、感慨深いですね~』

(よかった)


 などと、呑気に脳内会話する熊野と真綾はこの際無視しよう。


「敵? 荷馬も替え馬もなく、わずかな糧食すら見当たらんところを見るに、せいぜいこの周辺を日帰りといったところじゃろうて。森に入るならいざ知らず、この辺りには甲冑が必要なほど危険な魔物はおろか、護衛のいる馬車を襲うほど気合いの入った盗賊もおらん。まさかそれを知らぬわけではなかろう?」

「ぐぬぬぬ……」

「おおかた己の権威を皆に見せつけたいだけじゃろう……いや、それだけではないか、城伯以上ともなると甲冑の重さや少々の暑さなど苦にならぬから、いちいち脱がぬ者もおるからのう。――お前さん、貴族にでもなったつもりか?」


 ……もう、図星であった。

 それゆえに一瞬で顔を真っ赤に染め、中年騎士は激高する。


「ジジイ! 黙って聞いておれば言いたい放題、もう我慢ならん! わしはレーン宮中伯直属騎士にしてヴァイスバーデンの代官、そしてコロニア伯――」


 ピク――。


 代官という言葉に反応して、時代劇をこよなく愛する真綾の耳が動いた……。

 その一方、さらなる追い討ちをかける老人……。

 

「コロニア伯になれなかった……召喚能力を授からなかった子の成れの果てか……。かわいそうではあるが、己の運命を受け入れ、一介の騎士として研鑽に励めばよいものを、得られなかった貴族という身分に固執するとは、いささか未練がましいのではないかのう」


 そう言った老人の声に、憐れみのような成分が含まれていることを感じ取ると、中年騎士こと代官の心に言いようのない波が立つ。そして――。


「…………おのれぇ、もう許さぬ。――おい、何をしておる! 早くこの無礼者を叩っ斬れ!」

「………………へ?」


 怒り心頭に発した代官は、フリューテッドアーマーを着た従騎士に非情な命令を下した! ……が、数秒に及ぶ沈黙のあと、彼の従騎士から返ってきたのは、間の抜けた声がひとつきり……。

 従騎士、つまり騎士見習いである彼は、まだティーンエイジャー。思春期真っ盛りの彼は、自分の師たる代官の心が老人によりズタズタにされている間、すっかり、ディアンドル姿の真綾に魂を抜かれていたのだ。

 真綾の美貌恐るべし……。

 忠実な従騎士の不甲斐ない様子を目の当たりにして、愛宕神社の鯉のごとく口をパクパクする代官……そこに、馬車のほうからネットリとした声がかけられた。


「お代官様、いったい何ごとですかな?」


 馬車の窓から覗いているのは、真綾がどこかで最近見た少年をそのまま……いや、もっと不摂生をさせ、世知辛い世の中で汚らしく図々しく肥育させたような顔――。


「人間てさ、見た目だけじゃ中身がわかんないけど、たまにいるんだよね~、歩んできた人生と人間性が顔に溢れ出してる人……。どう真綾ちゃん? 今の私、ちょっと大人っぽかったんじゃない? へへ……」


 ――そんな、ちっさい親友の言葉を真綾が思い出すほど、男の顔からは嫌らしさがガマの油のごとく滲み出ていた。

 しかし、装飾の施された二頭立て箱馬車などという贅沢品に乗っているところを見ると、このガマ男、これでもやはり貴族なのだろうか……。


「おお、ギュスターヴ、痴れたジジイがおったのでな、これから無礼討ちにしてくれるところよ。すぐに終わるゆえ馬車から見物しておれ」


 ……いや違う。

 今の代官の物言い、いくら代官の任にあるとはいえ、騎士にすぎぬ彼が貴族にして許されるものではない……。


「これは驚いた、レーン宮中伯の直属騎士は、いつから商人の護衛などに成り下がったのかのう? それも悪徳商人として名高いフクス商会の会長ではないか、あの宮中伯が命じたとも思えぬが――」


 ピク――。


 馬車に描かれた紋章を一瞥した老人の、悪徳商人という言葉に、またもや真綾の耳が反応した……。


『真綾様、ここ、これはっ! 悪代官と悪徳商人が揃いましたよ! しかも商人の名前は、花様が昨年書いてくださった台本と同じでございます!』

(成敗……)


 真綾の脳内で、興奮した声を上げる熊野と物騒なことを言い出す真綾。

 悪代官プラス悪徳商人イコール成敗! これは時代劇好きな真綾にとって完璧な計算式であり、正直もう、彼女は成敗したくてウズウズし始めているのだ。

 しかし真綾とて狂犬ではない、あとひと押しが必要だ……。


「ええいうるさいわ! ジジイ、素っ首斬り落としてくれる!」

「本当に無礼なジジイでございますな! お代官様、すぐに殺してやるのでは甘うございますぞ、まずは舌を斬り――おや?」


 いきり立つ代官と一緒になって老人を睨めつけていたガマ男……ギュスターヴ……長いからやはりガマ男が、真綾の麗しい立ち姿を見つけたとたん、ニタァと好色そうな笑みを浮かべる。


「おやおや? これはまた、なんという美形だ。……ほうほう……フムフム……おお! エプロン紐の結び目が真ん中ではないか! ということは……」


 ネットリとした視線で、真綾の爪先から頭のてっぺんまで何度も何度も、それはもう糸を引くほど舐め回していたガマ男は、彼女のエプロン紐の位置に気づくや否や、ずっとそこに視線を留めたままジュルリとヨダレをすすった。

 真綾の背に、かつて感じたことのない悪寒がゾワッと走る。

 しかも、である。大きな窓から見える馬車内には、目を真っ赤に泣き腫らし暗い表情で座る若い女性がふたり、それも、高級馬車には不釣り合いなディアンドル姿で……。


「お代官様、その娘も私に頂けますかな?」

「まあよかろう。だが、初物の味見が終わったらわしにも……よいな? それにしてもギュスターヴ、つくづくお前も好き者よのう」

「何をおっしゃいます、お代官様こそ」

「ヌハ」

「ヌハ」

「ヌハハハハ――ぎゃあああああ!」

「ギュスターヴ!?」


 イイ感じで見つめ合い、ふたりの世界に入っていた代官とガマ男だったが、仲良く高笑いしている最中に、いきなりガマ男があられもない悲鳴を上げるのであった……。




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