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第三九話 伯爵の葡萄畑 五 ラタトスク男爵


 圧搾機の上に陣取りペラペラと流暢にしゃべっていたラタトスクは、真綾が大鴉の森で見た個体より大型で、毛並みもちょっとだけゴージャスな感じであった。


「ラタトスク」

『うむ、そのとおり。娘よ、よく知っておるな』


 何ごともなかったように真綾が言い直すと、ちょっぴり偉そうな感じで言葉を返したラタトスク。……ボイスレコーダー機能しかないはずなのに。


『まあ! この子ったら、ちゃんと会話ができるようですよ。とってもお利口さんですね~』


 熊野はそのことに気づいたが、可愛いもの好きの真綾は、現在どうやってモフろうかと思案中だ。

 自分が狙われているとも知らず、ラタトスクは真綾をジッと見て首をかしげた。


『うん? マーヤお嬢……マーヤと同じ黒髪に黒い瞳……はっ!? もも、もしや! 若! いやカール! アンナと知り合う前に、どこかで子供を……』

「違う!」


 何やら勘違いをしているラタトスクの言葉を、速攻で否定するカール……。どうでもいいがこのラタトスク、声だけでなく面白いポーズつきで驚くあたり、かなりの芸達者だ。


『ううむ、違ったか。――それにしても娘よ、ずいぶんと変わった出で立ちだな。農民にしては髪も肌もよく手入れされておるし、まるで貴族…………』


 ジャージ姿の真綾を舐め回すように見ていたラタトスクだったが、何かに思い至ると急に固まってしまった。

 それから数秒後のこと――。

 ドドドドド……という音が急接近してきたかと思ったら、カールと同世代と思われる小柄な男が建物入り口に現れ、そのままの勢いで突っ込んできたのだが、この男、着ている上等な衣装から、明らかに一般人でないのが見て取れる。


「ハア、ハア、ハア……。マーヤお嬢さ……マーヤ、よく来たね、また大きくなったんじゃないかな? ちょっとお父さんを借りるよ」


 よほど慌てて走って来たらしい男は、荒い息を整えてから小マーヤのほうに微笑みかけると、器用にもその笑顔を崩さぬまま、カールを引きずるようにして建物の隅へ連れていった。

 チラチラと真綾のほうを見つつ、カールと何やら話し始める男……だが、そんな彼をよそに――。

 いきなり真綾は、指先からジョボジョボ出した水でマーヤの手を洗い……。

 おもむろに扇子を取り出すと、なぜか水芸を始め……。

 マーヤの拍手を聞いて満足したあとは、几帳面にも、ビショビショになっていた床の水をきれいに消し……。

 今度は忽然と出現したダイニングセットに座って、マーヤと優雅なおやつタイム……の途中、クルミでおびき寄せたラタトスクを電光石火の早業で捕獲し、満足げにモフり始めた……。

 そんな自由すぎる真綾の行動のひとつひとつに、男はいちいちビクッと反応するのであった。


「どう見ても私などより爵位が……わかりました、もう考えるのはやめます。そういうことにしておきましょう」


 結局、カールのゴリ押しによって、真綾はカール宅で逗留中の〈異国から来た旅芸人〉ということになり、男とカールは真綾たちの前に戻ってきた。


「初めまして、お嬢……旅芸人の娘。私はラッツハイム男爵、フィデリオ・フォン・エーベルバッハでござ……だ」

「真綾羅城門です」

「……」


 相手がフルネームを名乗ると、律儀にかつ堂々と自分もフルネームで名乗る真綾。旅芸人という設定はどこへ行ったのか……。

 そんな彼女に言葉を失くし、頑張って設定に合わせようとしていた自分が急に虚しくなる男爵であった。


      ◇      ◇      ◇


 リンゴのような、白桃のような、瑞々しい芳香が漂う建物内で、葡萄圧搾機の前に立ったまま、男爵とカールは各々手にしたゴブレット(脚のついた酒杯)に口をつけた。


「――香り高く、酸と甘味のバランスも申しぶんない。今年のできも素晴らしいですな」

「うん、いいワインになりそうだ」


 一番搾りの葡萄果汁を味わうと、満足げに頷き合う男爵とカール。ふたりの姿は身分という垣根を越え、まるで仲の良い友人同士のように見える。

 むしろ会話だけ聞くと上下関係が逆転しているようだが、この際それは些細なことだ。


「――尻尾のフサフサが素晴らしい」

「うん、いいフサフサ」


 男爵から貰った葡萄果汁をチビチビやりながら、片手でラタトスクの尻尾をモフり回す……。この世の春を謳歌して満足げに頷き合う真綾とマーヤ。

 黒い髪と瞳をしたふたりの姿は、まるで仲の良い姉妹のように見える。

 真綾の膝に乗る大型ラタトスクの他に、マーヤの膝にも小ぶりな子がいるのだが、この際それは些細なことだ…………ろうか?


『眷属召喚ができるなんて、この子は偉いラタトスクさんだったんですね~、ラタトスク隊長ですね』


 などと熊野が感心するのも当然だろう。真綾の膝で絶賛モフられ中の大型ラタトスク、実は男爵の守護者だったのだが、なんと、眷属を四匹も召喚できるスグレモノなのだ。つまり、マーヤにモフられ中の通常タイプは、眷属の一匹ということになる。

 真綾と熊野がそうであるように、契約者は守護者が見聞きしているものを知覚できる。そのうえ、人の声を完璧に再現できるラタトスクなら、離れた場所にいる相手とのリアルタイム通話も可能なはず。

 契約者とラタトスクが離れていられる距離にもよるが、もしそれが長距離なら、情報の収集や伝達という点において、ひとりで五匹も使役できる能力がどれほど大きい意味を持つだろう……。


『……これは、この世界における情報伝達速度と、諜報、索敵、偵察などの能力を、あまり軽く見ないほうがよさそうですね……』


 デキる女の片鱗を示し、熊野が分析をしていると――。


「お嬢様方、お味はいかがかな?」


 そのスグレモノを守護者に持つ本人が、配下の者たちとカールに作業を任せて真綾たちのところへやってきた。


「ラタトスク男爵」

「……ラッツハイムです。それで、葡萄果汁のお味はいかがですかな?」


 真綾の間違いをやんわりと訂正する男爵、大人である……。

 彼は真綾に対し、それなりの礼儀をもって接することに決めたようだ。そのほうが精神的に楽なのだろう。


「おいしいです」

「うん……」


 そう答えた大小マーヤに男爵は嬉々として語り始める。


「それはよかった。この辺りで栽培している白葡萄は晩熟なのですが、高貴で芳醇な香りと鋭い酸味が特徴でしてな、その酸のおかげで、酒精の弱い甘口でも比較的長期の――おっと、これは失礼。ワインのことになるとつい……」

「好きなんですね」

「はい、私の人生です」


 語っている途中で自分の饒舌ぶりに気づき、恥ずかしそうに謝罪していた男爵は、真綾の言葉に胸を張って答えたのだった。

 この時の様子と、帰る間際、大小マーヤへ焼き菓子をお土産にくれたことにより、男爵は真綾の脳内で、『いい人』と書かれたダンボール箱に入ることとなる。

 喜べ、ラッツハイム男爵。


      ◇      ◇      ◇


「おみやげー」


 家の前に着いた馬車から降りるなり、マーヤは男爵から貰ったお菓子をお裾分けするために、散歩している老人と兄のところへテテテと走って行った。

 その愛らしい後ろ姿を見送った真綾が、帰ったことを伝えに母屋へ入ると、迎えてくれたのはアンナの明るい笑顔。


「おかえりマーヤ、醸造所がお城の中にあったからビックリしたでしょう?」

「はい」

「ウチは村から離れた一軒家だから、村のみんなが使っている醸造所まで行くのは不便だろうって、男爵様が自分とこの醸造所を使わせてくれてるの、あそこのほうがうんと近いからね。男爵様は貴族のくせに偉ぶらないホントにいい人さ、ワインの話になると、ちょっと長いけど……」

「はい、いい人です」


 つくづく感謝しているらしいアンナからの男爵評に、ダンボール箱で分類済みの真綾としても全面的に賛成だ。

 コツコツとした善行が、こうして人からの評価を作り上げるのだ。これからも頑張れ、ラッツハイム男爵!


「あ、そうだ! マーヤ、アンタ明日もその格好で作業するつもり?」

「はい」


 アンナが突然何かを思い出したように問いかけてくると、コクリと頷く真綾。

 学校ジャージは彼女の収穫作業服なのだ。

 しかし、その返事を聞いたとたん、アンナの細い眉が八の字になる。


「えー、勿体ないよー、そんな上等な服。――ちょっと待ってて」


 そう言うとアンナは寝室のほうへ行き、しばらくゴソゴソと音を立ててから帰ってきた。

 その手にあるのは、きれいに畳まれた農村女性の衣装、ディアンドルが一式。


「お待たせ、ちょっとこれ着てみて。合うようだったら収穫の間、アンタに貸したげるよ」

「でも……」

「いいって、これを着潰したら着ようと思って仕立ててたやつだけど――ほら、まだまだ大丈夫そうだから」


 遠慮する真綾の前でクルリとひと回りして、明るく笑うアンナ。

 すると、母親の浴衣を貸してもらう娘になったような気がして、真綾は嬉しそうに頷くのだった。

 それからしばらくして、真綾のお着替えは完了したのだが……。


「……これは、なんて言えば……」


 ディアンドル姿になった真綾を前に、アンナはすっかり自信を失っていた。

 地球でいえばヨーロッパ系白人種にあたるアンナは、日本人などに比べるとかなりスタイルがいいし、子供をふたり産んだ今も体型はほぼ変わっていない。

 だがしかし……。


「着られると思ったから貸すって言ったんだけど、私より頭ひとつぶん以上も身長が高いのに、ウェストが余裕って……」


 ……そう、身長の半分以上を股下が占める真綾は、胴体のサイズだけに関して言えば、さほど大きくないのである。

 むしろウェストなどは驚くほど締まっているため、ウェストに合わせれば丈が全然足らず、かといって身長に合わせればブカブカになり、これまで服選びには並々ならぬ苦労を強いられてきたのだ。

 羅城門グループトップである仁志が、彼女のためにブランドを起ち上げてくれてはいたものの、選択肢がそれだけというのはどうにも……。


「……くるぶし丈のスカートが脛丈になってるけど……まあいいか! マーヤ、よく似合ってる、どこをどう見てもウチの子だよ」

「ありがとうございます」


 真綾にはもうハッキリとは思い出せないが、彼女のおぼろげな記憶にある母は、今のアンナと同じくらいの年ごろだったように思う。

 そんなアンナの言葉……特に最後の部分が妙に嬉しくて、珍しく照れくさそうな笑みを浮かべる真綾だった。



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