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第三四話 シュタイファーの彫像 四


 ワイバーンという、本来なら大きい被害を出したであろう〈伯爵級〉の魔物を、滞在中の姫君が退治してくれたということで、その日はシュタイファー中がお祭り騒ぎになっていた。

 市からの要請で今日は休みだと伝えられた職人たちや、同じく休みになった商家の奉公人たちが、都市の中心にあるマルクト広場に集まって、飲めや歌えやの大騒ぎだ。

 もちろん仕事の都合上、すぐに手を離せなかった者もいるが、そんな彼らも交代で、あるいは仕事が一段落つくと、奮って騒ぎの輪に加わっていった。

 彼ら彼女らの表情はいずれも明るく、心からこの時を楽しんでいることが窺える。


『どちら様も本当によい表情をしていらっしゃいますね~。なんだか、見ているこちらまで嬉しくなってきます』

(はい、嬉しいです)


 表情にこそ出ないが、焼きたてパンを片手に真綾も嬉しそうだ。


「いかがです、みんな楽しそうでございましょう? 農民もそうですが、都市に生きる者も忙しく働くだけの毎日なので、たまにはこういう息抜きも必要なのです。都市住人に溜まった不満を和らげることも市政には必要でして、その機会を賜ったという意味でも、マーヤ姫様には心より感謝しております」


 広場の真ん中で楽しそうに踊る男女の輪を満足げに眺めつつ、市長は真綾に深く感謝した。


「姫様、うちのパンはいかがですかの? 最高の粉を使って焼いた白パンですぞ」

「おいしいです」

「なんと! ……ああ、わし、死んでもいい」

「死んじゃだめ」


 ご自慢のパンを真綾に褒められたパン屋のジイさんが、涙を流しながら昇天しそうになったため、体から抜けかかっていたジイさんの魂を彼女は慌てて戻してやった。

 ……そう、真綾は現在、シュタイファーのお偉いさんをゾロゾロ引き連れて、広場の屋台巡りをしているのだ。

 王侯である真綾の歓迎とワイバーン退治のお礼を兼ねているとかで、彼女の飲食代はすべて市持ち……そう、飲み放題、食い放題なのだ!

 真綾、内心ホックホクであった。

 そんな彼女を見つめる一対の茶色い瞳……。


「あれじゃ近寄れねぇだ」


 お偉いさん集団に真綾がずっと囲まれているため、声をかけるタイミングが見つからないペーターであった。

 昨日は頭のおかしな役人のせいで、ろくに礼も言えぬまま別れてしまったため、彼としては真綾ともう一度ゆっくり話がしたいのに……。

 そして、真綾を見つめているのは彼だけではない。例によって、彼女を目にしたすべての者が魂を抜かれたように見入っているし、その他にも――。


      ◇      ◇      ◇


「なんだあれは!? あれじゃあまるで、ワイバーンを退治した手柄が、市長や参事会の連中にあるみたいじゃないか!」


 広場に面した毛織物商ギルド会館の一室に、さも口惜しそうな声が響いた。

 各商業ギルドの代表たちが窓に鈴なりになって、広場で繰り広げられているお祭り騒ぎと、主役であるマーヤを取り巻く市長たちを、複雑な感情の入り交じった視線で見ているのだ。


「しかも祭りにすることで、より多くの目にそれを見せつけつつ、さらに住人たちからの好感度も上げるとは、あの市長、本当にしたたかな……」

「うちなんか、休みにするのを渋っておったら、奉公人たちから汚物を見るような目で見られたわい……」

「うちもですよ……。姫君のあの様子を見るからに、どうやら話は丸く収まったようだし、もう連中を引きずり下ろすのは無理かな」

「それにしても、〈伯爵級〉を素手で殴り殺すとはのう、なんという凄まじさじゃ。あの姫君、やはり王侯じゃったか……。まあ、皆殺しをまぬがれただけでも重畳じゃな」


 そうやって諦めムードの漂うなか、この場で最も強い発言権を持つ大商会の会長が、自信ありげに口を開く。


「いやいや、それは早計だ。王侯に対しあれだけの無礼を働いた都市が、無事で済むはずはないだろう。きっと莫大な賠償金を提示することで許してもらったに違いない。それこそ、シュタイファーが今後何年、いや、何十年もの間、借金の返済に喘がねばならないほどの大金を……。我々としても頭の痛い話だが、まあ、その責任を糾弾すれば、連中を引きずり下ろすくらい造作もなかろう」


 男が不敵な笑みを浮かべると、釣られて笑みを浮かべる商人たちであった。


      ◇      ◇      ◇


 お祭り騒ぎの翌朝、大神殿前の作業場でノミを振るっていたペーターは、至近距離から突然かけられた声に手を止めた。


「おう、やっと気づいたか」

「大親方! へぇおら、仕事始めると何もわかんなくなっちまうで、ちっとも気がつかんかっただ。すんません」


 ペーターが素直に謝ると、大親方と呼ばれた石工ツンフト代表は、白い歯を見せて快活に笑った。

 石工の親方や職人たちが所属する石工ツンフトの代表を務めるのは、当然ながら石工の親方衆のなかから選ばれた者であり、特に彼は、宮中伯領外でも名を知られるほど優れた彫刻家であるため、ここでは大親方と呼ばれ尊敬されているのだ。


「ハハハハハ、そんだけ集中できてりゃ大したもんだぜ。気にすんな、俺のほうこそ邪魔して悪かったな。――それよりおめぇ、どこの工房を出た?」

「はぁ、十三まではヴィンデンの工房で、それからエルトリアにある工房で十八まで。そのあとは現場から現場を渡りながら北上してきただ」

「何っ! エルトリア!? ……スゲェなおめぇ、十三で大山脈を越えてったのかよ」


 ペーターの答えを聞くと、大親方は目玉が飛び出さんほどに驚いた。

 それもそのはず、いくら隣国とはいえ、グリューシュヴァンツからエルトリアへ行くには、南にそびえる大山脈を越えるか、恐ろしく長い距離を迂回するしかないのだ。そこは本来、十三歳の少年がひとりで行ける場所ではない。


「おら、彫刻が好きなもんで、どうしてもエルトリアに行きたかっただ」

「……なるほどなあ、あそこにゃあ腕のいい彫刻家も大昔の名作もゴロゴロしてるからなあ。俺も若いころは憧れたもんだ」


 ペーターの情熱にかつての自分を重ねた大親方は、白いものの交じったアゴヒゲを撫でながら何度も頷いた。

 若き石工を見るその眼差しが少しばかり眩しそうなのは、決して朝日のせいだけではないだろう。


「そんだけの情熱を持ってエルトリアで修行してきたんなら、この仕事っぷりもたしかに頷ける――っと、そうじゃねぇ! おめぇ、見送りに行かなくてもいいのか?」

「へ?」


 ペーターの仕事ぶりを褒めている途中で大事なことを思い出すと、大親方は慌てて彼に尋ねたのだが、何を言われているか理解できぬペーターの口からは、間抜けな声が出るばかり。


「へじゃねぇよ、マーヤ姫様だよ。ここを発つからって、さっきわざわざ挨拶しに来てくれたのによ、おめぇが全然気づかねぇもんだから、邪魔しちゃいけねぇっつって黙って行っちまったぜ」

「マーヤさん……」

「何ボヤッとしてやがる、早く行きな!」

「へいっ!」


 憧れの人の名をつぶやいたペーターは、背中を大親方の分厚い手のひらで叩かれたとたん、放たれた矢のように駆け出した。


「いいもんだなぁ、若いってのは」


 その背中を見送る大親方の表情が、どこか眩しそうなのも、やはり、朝日のせいだけではないだろう。


      ◇      ◇      ◇


『真綾様、賠償金のほうは、これで本当によろしかったのですか?』

(はい、これで十分です)


 見送りの人々へ手を振ってからカッターボートを漕ぎ出していた真綾は、熊野の問いかけへ満足げに答えた。

 毛織物やワイン、金融業などで潤っているというこの都市が、ゆうべ真綾に賠償金として提示した額は、信じられないほど莫大なものであった。

 金額を聞いてもピンとこない真綾が、屋台の菓子パンに換算してくれるように頼むと、しばらく考え込んだ市長がとんでもない数字を口にしたため、彼女は一万分の一に減額してもらったのだ。

 市長たちは前代未聞の大幅減額要求に驚いたあと、それはもう大喜びしていたのだが、昨日たらふくごちそうになった真綾としては、これでも申しわけないと思っている。


『そうですね~、昨日の真綾様のお食事ぶりは、それはもう修羅のごとき凄まじさでございましたから……。それに、バーデンボーデンで売却した魔石のぶんも含めますと、真綾様がいくら屋台巡りなさったところで、使い切れそうもない額になりましたものね』

「やったるで」


 桟橋からある程度は離れたため通常会話に切り替え、真綾はフンスと鼻息も荒く意気込んだ。どうやら、異世界の屋台巡りで散財する気満々らしい。

 するとそこへ、誰かの声が聞こえてきた。


「マーヤさーん!」


 自分の名を呼ばれた真綾は川港へ顔を向け、声の主を確認する。


『あら? あのお方は』

「はい、ペーターさんです」


 彼女たちが昨日と同じやりとりをしたのも当然だろう。見送りの人垣をかき分けながら、ペーターがこちらへ大きく手を振っているのだから。

 やがて桟橋の先端にたどり着いた彼へ、真綾は手を振り返した。

 何しろ育ちのいい彼女だから、ブンブンと大きく振るのではなく優雅で小さな振りなのだが、ペーターはそれにもちゃんと気づいたようで、両手を口の両端に当てて大きな声を上げた。


「マーヤさん、ありがとー! おら、おめぇ様の言葉に恥じねぇ、一流の職人になるだー!」


 心の中にあった固い誓いを精一杯の声で言葉にすると、彼は晴れやかさと切なさが同居する視線で真綾を見つめた。


「熊野さん、ここから渡せますか?」

『はい、問題ございません』


 自分の質問に熊野の澄んだ声が答えると、真綾はペーターからよく見えるよう、カッターボートの中で立ち上がり、両手のひらを胸の前で上向きに揃えるジェスチャーをした。


「なんだ? マーヤさん、こうしろってこと――っ!?」


 そうしろと彼女が言っているように感じたペーターは、真綾と同じように両手のひらを揃えて上に向けると、次の瞬間、目を丸くした。

 彼の手のひらの上に、艷やかなリンゴが現れたのだ。

 初めて真綾と出会った日に彼女から貰った、あのリンゴが――。


「マーヤさん……」


 手のひらでリンゴを大事そうに包み込み、ペーターは真綾の名を小さくつぶやいた。

 そんな彼へ小さく手を振ってから真綾がふたたびボートを漕ぎ始めると、遠ざかりゆく彼女の姿に、ペーターは何度も手を振り続けるのだった。

 リンゴのように甘ずっぱい想いを抱えたまま。


 この時代のグリューシュヴァンツを代表する彫刻家、ペーター・カスターニエンブラオンは、生涯に数多くの黒き乙女像を製作したことで知られるが、彼の最晩年の作にして最高傑作は、その遺言により、彼が最も愛した都市、シュタイファーの大神殿に寄贈され、多くの人々に感動を与えている。

 その『船を漕ぐ黒き乙女』と名付けられた作品に、晩年のペーターは、ときおり、「マーヤさん」と語りかけることがあったと、彼の弟子は手記に記しているが、不思議なことに、そうする時の彼は十代の若者のように見えたという。


      ◇      ◇      ◇


「何っ!? 賠償金の減額要求だと!」


 ご存じ、毛織物商ギルドの一室に、驚愕の声が響いた。


「それも提示額の一万分の一らしい……。前代未聞だ」

「なんとも欲のない姫君だわい。結局、市長たちが最小限の出費で事を収めたうえ、ワイバーンの討伐までやったことになるのか」

「これで文句を言ったら、こっちが火傷しますよね、絶対」

「まあ、シュタイファーが無事だったのじゃから、まずは重畳じゃろう」


 すっかり諦めムードの漂うなか、大商会の会長がおもむろに口を開く。


「王侯の怒りに触れまいと静観していたが、こんなことなら、わしも美しい姫君とお話ししとけばよかった……」


 男がションボリと肩を落とすと、大きく頷いて肩を落とす商人たちであった。

 いちおうツンフトと敵対しているとはいえ、それはあくまでも都市の主導権争い上のことであり、普段、彼ら商人と職人たちには当たり前のように付き合いがある。

 それに、彼らは別に悪人というわけではなく、皆、シュタイファーを愛する一市民であった。あの悪役然とした雰囲気はなんだったのか……。


 こうして、シュタイファーと真綾、双方ウィン・ウィンのうちに事は終わり、シュタイファーの日常はまた、大河のようにゆったりと流れ始めるのであった。




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