第三三話 シュタイファーの彫像 三
見事なユニゾンを響かせたあと口々に何やら言い始めたオッサンたちを、真綾はボーッと眺めつつ、朝食に出た種類豊富なチーズやソーセージの味を思い出していた。
しかし、花ならぬ彼らにそんなことがわかるはずもなく、表情ひとつ変えず無言の圧力をかけてくる真綾に、ひたすら恐怖と焦燥を募らせるばかり――。
(どうして、こうなった……)
(……やべぇ、ムッチャ怒ってんじゃねぇか)
(ムッチャ怒ってる……って、そりゃ怒るわな、シュタイファーも終わりか……)
(なんて冷たい目をしてやがるんだ……。それに、ちっとも隙がねぇ、こりゃあとんでもねぇ手練れだ。……守護者抜きでもバケモンじゃねぇかよ)
(わし、死にとうない)
……そう、恐怖に打ち震えるこのオッサン十五人は、市長を始めとするシュタイファー参事会の面々なのだ。
いつもは偉そうな参事会のお歴々が、年若い女性の前で膝をつき許しを乞う姿は、それはそれは人目を引く光景だったため、ギャラリーが見る見る集まってくるのだが、市長たちにそれを気にする余裕など微塵もない。
「――そのようなわけで、あの無礼者はもちろん厳しく処罰いたしますが、市といたしましても、支払える限りの賠償金を用意いたしますゆえ、ラ・ジョーモン様におかれましては、何とぞお怒りをお収めいただきたく……」
朝の肌寒い大気の中、汗だくになって謝罪を重ねる市長をよそに、真綾はボイルしてあった白ソーセージのことが気になっていた。
だが、とうとう彼らに救いの時が訪れる。
横一列に並んだ彼らの端っこで震えている老人、パン職人ツンフト代表の姿に、ようやく真綾が気づいたのだ。
……そう、彼女は可愛いものと老人に滅法弱いのである。
案の定、真綾はスタスタと歩いて行くと、老人の前でスッとしゃがんだ。
そして――。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
彼女としては最大限に優しい声をかけると、プルプル震える老人の手を取り、そっと立ち上がらせたのであった。
(なんと……)
(……やべぇ、なんか、涙出てきたぜ)
(尊い……)
(ありえねぇ、これは夢か……)
(わし、死んでもいい)
王侯が平民である老人の前で膝を折り、その手を取って立ち上がらせる。しかも、思いやりに満ちた声までかけて……。
その信じられない光景は、真綾の尋常ならざる美貌と相まって、慈愛の女神による奇跡にも見え、一部始終を瞬きもせず見守っていた市長たちと、立たせてもらったパン屋のジイさんを、それはもう深く深く感動させたのだった。
やがて、その感動を引きずったまま、シュタイファーが救われたことを実感したお歴々は、真綾に感謝の言葉を捧げる者あり、抱き合って喜び合う者ありと、かつてないほどにテンションが上がり、さらにそこへ、なんだかわからないが釣られて感動したギャラリーも加わったため、ちょっとしたお祭り騒ぎになったのは、ご愛嬌である。
◇ ◇ ◇
『どうして、こうなった……』
(今の、似てます)
花がたまに言っていたセリフを結構上手く真似た熊野に、真綾は脳内でパチパチと手を叩いた。
現在の状況を説明しよう。
あのあと真綾は、すっかり気をよくしたお偉いさん方により、都市にある各種の工房を引きずりま……案内されているのだ。
市長を始め参事会のお歴々が真綾を囲んでゾロゾロと歩く様は、テレビのニュースなどで見かける国賓の工場見学にも似た光景である。
何しろ彼らは職人の親方がほとんど。うちの工房を見てくんねぃ、お次はうちのを見てくんねぃと、自分の工房の仕事っぷりを、優しいお姫様に見てもらいたくてしょうがないのだ。……うむ、致し方あるまい。
「こちらがシュタイファーの誇る大神殿でございます。残念ながら現在は改修中なのですが、こういった作業をご覧になるのも、また一興ではございませんでしょうか」
広場に面した工事現場へ真綾を案内した市長は、大掛かりな改修工事中の建造物を紹介した。
シュタイファー大神殿の形状は、巨大な円柱が並ぶギリシャ式神殿に酷似していて、規模もかなり大きい。主に使用されているのは赤い砂岩だろうか。
ここに真綾を案内してきた市長や参事会の面々が、揃って誇らしげな表情をしているのも、この壮麗な建築物を見れば頷けよう。
ただ、市長の言ったように現在は工事中で、神殿の内外には足場が組まれ、設置された足踏み式クレーンでは、男たちが巨大なホイールに入ってハツカネズミのごとく回している。
(可愛い……)
小動物じみた顔の親友がホイールを必死に回している姿を想像して、真綾は人知れず悦に入るのであった。
『あら? あのお方は』
(はい、ペーターさんです)
やがて熊野と真綾は、大神殿前に設けられた作業場にペーターの姿を見つけた。
大きな石材に向かって真剣にノミを振るう姿は、昨日見た純朴な青年ではなく、立派な職人のものだ。
『ペーター様は彫刻が得意でいらしたのですね、ノミに迷いがなく、正確で速うございます。とてもお見事なお仕事ぶりだと思います』
美術に関する知識を持つ熊野がペーターの仕事ぶりを称賛すると、自分も少し嬉しくなる真綾だった。
『真綾様、お声がけ、なさらないのですか?』
(はい)
仕事の邪魔をしてはいけないと思った真綾は、黙ってペーターの作業を見守ることにした。
実は、市長と参事会のお歴々がゾロゾロ来た時点で、いったい何ごとかと、職人たちはそちらを注視していたのだが、そのお偉いさん集団の中で異彩を放つ黒衣の女性を、彼らは見つけてしまった。
しかもその女性、神殿の女神像もかくやと思われる美貌の持ち主だ。野郎ばかりの現場に咲いた一輪の花に、ひとり、またひとりと、職人たちの手が止まっていったのは、至極当然のことであろう。
「ホッホッホ、こやつら、姫様の麗しいご尊顔に魂を奪われおったわい」
すっかり、王家へ仕える宿老にでもなった気分でいる、パン職人ツンフ……パン屋のジイさんであった。
しかしジイさん思い出せ、今までお前が焼いてきたのは、姫様のお世話ではなくパンだ!
そうやって静まり返った作業場に、ペーターの振るうノミと槌の音だけが響いている。今の彼には、自分の目の前にある石と脳内にあるイメージしか見えていないのだ。
それは驚異的な集中力だった。
「ほお、……あいつ、見どころがあるな……」
そんなペーターの仕事ぶりを目にした石工ツンフト代表が、嬉しそうに頬を緩めた、――その時である!
「ギエエエエッ!」
彼らの頭上から怪獣映画さながらの鳴き声が聞こえ、地面を大きな影がよぎった!
「ご領主様か?」
「バカ、よく見ろ! あれはリントヴルムじゃねぇ、他の魔物だ!」
空を見上げて気の抜けたように言う男の言葉を、狩人ギルド代表は即座に否定した。
彼らの視線の先、シュタイファーの上空を、一体の魔物が旋回しているのだ。
鋭い爪のある後ろ足に、大きな翼と一体化した前足、太く長い尾の先は槍のように尖っている。空中にいるため判断しづらいが、より低空を飛んでいる鳩との比率からも、ハーピーより格段に大きいことが推測できる。
顔はワニやトカゲに近いかもしれない、たとえば、ドラゴンのように……。
「俺も見るのは初めてだが、聞いてた特徴と一致する。ありゃあおそらく、……〈ワイバーン〉だ」
魔物のエキスパートである狩人ギルド代表が断言すると、その場がにわかに騒然となった。
「ワイバーン!? なんでそんなのがここに……いや、それより、警備は何してやがったんだ!」
「どうせご領主様のリントヴルムと間違えたんだろうよ、遠目じゃ簡単に見分けがつかねぇからな――ああ、今ごろバリスタ射ってやがるぜ。空を飛んでるヤツへそう簡単に中るかよ」
「まあ、すぐにご領主様が来てくださるだろう」
「……いや、それが、ご領主様は宮中伯様のご命令とやらで、昨日から数日はバーデンボーデンにいらっしゃるそうなんだ。だから異変を察してはいただけないし、今から使いを出したところで間に合わん。――どうして、こうなった……」
「わし、死にとうない」
そうやって慌てふためく彼らの会話を、真綾……主に熊野が、針のむしろに座る思いで聞いていた。
『真綾様、そのご領主様ですが、おそらくは昨日の……』
(はい……)
なんとなく真綾にもわかったようである、この都市から最大の迎撃戦力を奪ってしまった責任の一端が、どこの誰にあるのかを……。
彼女はペーターのほうをチラリと見た。
これほど騒然としたなかにあっても、彼はただひとり、黙々と石を削り続けている。
『真綾様、ここは……』
(はい)
真綾は心を決めた。
――右往左往する人々のなかで、唯一ソレに気づいたのは、狩人ギルド代表であった。領主に勝るだろう戦力が今この場に存在することを、彼はいち早く思い出していたため、その人物に視線を移していたのだ。
そんな彼の耳に、ワイバーンを注視する人々の緊迫した叫び声が聞こえてくる。
「ヤベェ!」
「こっちに来るぞ!」
「逃げろおおお!」
どうやらワイバーンが下降を始めたようだが、それでも彼の目は離れることができなかった。美しい顔を天に向けて静かにしゃがんだ、真綾の姿から。
そして――。
「消えた!」
踏み割られた石畳を残して真綾の姿が消えると、狩人ギルド代表はすぐに空を見上げた!
そこに彼は、いや、ワイバーンを見上げていた都市住人全員が見た、小型とはいえ翼竜の頭部を粉砕し、なおも上昇する黒い人影を……。
『う~ん、もう少し出力を抑えてもよかったでしょうか。力加減が難しいんですよね~』
「射道風神拳」
空中では、脳内に流れる緊張感のカケラもない熊野の声をよそに、真綾が自分の放ったファイナルブローの名を口にしていた。なぜか、右腕を突き上げたまま片膝立てた不自然な姿勢で……。
そう、【強化】による馬鹿げた脚力で空中へ跳び上がった真綾が、超高速でワイバーンの頭部を直撃し、〈伯爵級〉の防御力すらものともせず、これを粉砕したのだ。
ここに花がいたなら言ったであろう――。
「真綾ちゃん、ナイスアッパー。チョイスがシブいね」
――と。
ほどなく落下に入った真綾は、この都市の誇りであるシュタイファー大神殿の上へと、しなやかに降り立った。
その姿の、なんと凛々しく、なんと神々しいことか……。
下からスカートを覗き込んで鼻を伸ばしている不届き者も数人いるが、熊野の提案でタイツの上に短パンを穿いているため、真綾的には全然セーフだ。
そして――。
「……マ、マーヤ姫様、バンザーイ!」
しばしの静寂を破り、パン屋のジイさんが涙ながらにバンザイすると、シュタイファーに大歓声が湧き起こった。
ここに至って、ようやく周囲のただならぬ雰囲気に気づいたペーターは、人々の視線を追った先に真綾の姿を見つけたのだが、まったく状況が理解できない。
「あれぇ? マーヤさんじゃねぇか、あんなところで何してるだ?」
そう言って首をかしげたものの、神殿の上で雄々しく立つ真綾の姿に、思わず笑みがこぼれるペーターであった。
後年、シュタイファーが誇る大神殿の上に、黒き乙女(バーデンボーデンとシュタイファーなどでは黒き姫君と呼ばれているが)の像が飾られるようになったのは、こういう経緯からなのだが、本人がそれを知ることはないだろう。




