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第三二話 シュタイファーの彫像 二


 真綾に口上を述べたのは、川港で徴税等の通常業務をしつつ貴族が来た場合にはその応対をする、という役職にある者だったのだが、この男、バーデンボーデンのノーアとは大きく異なるところがあった。

 彼は誠実さというものと、いささか縁遠い人間なのだ。


(フン、この女、小ざっぱりした身なりからして貴族なんだろうが、この地味な衣装を見ると男爵がいいところだろう。いや、それどころか、貴族本人ではなく、その娘や侍女ということも……。まあ、どちらにせよ、エセ貴族なんぞに頭を下げなければならんとは、本当に嫌な仕事だ)


 などと、表情筋だけで作った笑顔の下では、今も真綾のことを値踏みしている最中である。

 超実力主義社会であるこの世界において、厳密に言えば王侯貴族とは召喚能力を持つ者のみを指し、能力を持たぬ家族はその付属物にすぎなかった。また、守護者が非力なうえ魔導武具を使えぬ男爵も、こうして軽んじる者が少なくないのだ。


(……しかし、なんという美しさだ、これだけの美形は今まで見たことがないぞ。なんとか理由を付けて……)


 真綾の美貌によからぬ思いを抱いた男は、心の中で舌舐めずりすると、ここで一芝居打つことにした。


「むむっ、これはっ! いけません、これはいけませんぞ! 誠に失礼ではございますが、お嬢様、こちらはあなた様の船でよろしいですな?」

「はい」


 カッターボートに近づいてわざとらしく大声を上げた男は、自分の問いかけに素直に頷く真綾を見て、こいつはチョロそうだとほくそ笑んだ。


「いけませんなあ、誠にいけません。残念ながらこの船は盗難の届けが出ているものと特徴が一致します。――おっと、これ以上このような場所で話して、ご家名に傷がついては一大事ですな。ささ、こちらへ――」

「おめぇ、どう言うでぇ! マーヤさんが盗みなんかするわけねぇずら!」


 神妙そうな顔でとんでもないことを言い出した男に、横からペーターが猛然と食ってかかった。

 そんな彼の姿を一瞥した男は、まるで汚い物でも見たように眉をひそめる。


「なんだお前は? ――いけませんなあお嬢様、従僕をお連れになるなら、もっと身なりには気をつけてやらないと。お家の格が知れるというものですぞ」

「違います」

「へ?」


 薄ら笑いを浮かべて嫌味を言っていた男は、真綾から即座に否定されると、目を豆粒のようにして間抜けな声を上げた。どうでもいいが表情の豊かな男だ……。


「従僕ではないです」

「おお、なるほど、これは失礼。そうですなあ、どんなに格の低い家でも、このように小汚い従僕など――」

「友達です」

「へ?」


 従僕ではないと知ったとたん、あからさまに侮蔑の色を強めてペーターを見始めた男だったが、続いて彼女の口から飛び出した信じがたい言葉を耳にすると、またもや間の抜けた声を上げてしまった。

 男が理解できていないと見て取るや、真綾は念を押すようにもう一度言う。


「ペーターさんは友達です」

「マーヤさん……」


 美しい声で紡がれた温かい言葉に、ペーターは言葉を失った。

 自分もカッターボートを漕いだ彼は知っていた、真綾の力がどれほど異常なものであるかを。

 さらに彼は見ていた、何もないところから次々に食べ物を出現させる彼女の姿を。

 そして、真綾の美しさと優しさに強く惹かれながらも、ペーターは気づいてしまったのだ、彼女が自分とは違う至高の存在であることに……。

 そんな至高の存在が、みすぼらしい石工にすぎない自分のことを、「友達」と呼んでくれたのだ、これで感動するなと言うほうが無理であろう。

 だが、そんな彼とは正反対の反応を示した者が、ここにひとり――。


「……ハ、ハハハッ! これは驚いた! コレと友達ぃ? ブワッハッハッハ! そうかそうか、私は勘違いしていたようだ。さては女、貴族ではないな? どうせその服もどこかで盗んだものだろう」


 真綾の言葉をようやく理解した男は、急に大爆笑すると彼女への態度を急変させた。おそらくこれが彼本来の姿なのだろう。


『わたくし、全ボイラーが今にも爆発しそうな思いです……。真綾様、ここはわたくしにお任せを。まずはこの者の耳障りなおしゃべりを止めますので、そのあと真綾様は、ひたすら冷たい視線で威圧し続けてください』

(それは得意)


 大切な真綾をここまで侮辱されたとあっては、いくら性格のおおらかな熊野でも憤慨せずにはいられないし、友達であるペーターをバカにされた時点で真綾もお怒りだ。

 こうして真綾たちの脳内裁判でギルティが確定したのだが、そんなことを知りもしない憐れな男は、自らの墓穴をせっせと掘り進める。


「――いやはや、危うく騙されるところだった。おい女! 船と服の窃盗に身分の詐称、これだけでも死刑には十分な罪状だが、叩けばまだまだホコリが出て――」

「『船とは、どちらの船のことでしょう?』」

「え……」


 目の前にいる女の中身が、今までとはまったく別人に変わったような気がして、一瞬、男は言葉を詰まらせた。

 不思議に思いながらも、男はカッターボートへ視線を送るのだが――。


「……あ、ああ、もちろんそこの…………無い!? そんなバカな! 今までたしかにそこに浮かんで――」


 そう、そこには何も無かった……。

 さっきまでプカプカと水面に浮かんでいたカッターボートが、跡形もなく消えているのだ。

 男の全身を、嫌な汗が伝い始めた……。だが、熊野はさらに追い討ちをかける!


「『その船とは、もしや、このような船でしたか?』」


 その言葉が終わると同時に、消えた六メートルカッターよりも大きい九メートルカッターが、何も無い水面に忽然と姿を現した!


「な!?」


 大きくなって戻ってきたカッターボートを、男は目ン玉ひん剥いて凝視した……。

 だが、真綾の口を借りて熊野はさらに続ける。


「『それとも、このような船でしょうか?』」


 チャプン――。


「『それとも、このような――』」


 チャプン――。


 ひとこと終わるごとに次々とカッターボートが出現し、最後に――。


「『それとも、こんな船だったかえ?』」

「ヒッ!」


 いささか芝居掛かったセリフが終わるや否や、まとめて数十隻ものカッターボートが出現し、川港をびっしり埋め尽くしてしまうと、男はとうとう腰を抜かしてしまったのであった。

 もちろん、〈熊野丸と一緒に召喚された物なら手を触れずとも、また、見えずとも【船内空間】へ収納でき、ある程度離れた任意の場所にも取り出し可能〉という特性を利用しただけなのだが、それを簡単なことのように思えるのは、真綾と熊野だけだろう。


「『ああ、これでは他の方のご迷惑になりますね』」


 その言葉とともに、カッターボートすべてが忽然と消え去るに至り、ようやく我に返った男は、己の人生最大最後となるミスを覚った。


(こ、こんなことのできる貴族なんて聞いたことがない。少なくとも、下級貴族では絶対に不可能だろう、いや、おそらく伯爵でも……)


 この世界で生きているがゆえに、また、貴族と接する機会も多い職業柄、彼は身に沁みて知っていた。

 貴族というものは、爵位が上がれば上がるほど飛躍的にバケモノ度を増してゆき、そして……王侯クラスにとっては、自分たち平民などシラミ程度の存在だということを。


(……私はさっき、このお方に何を言っていた?)


 みっともなく地面に尻を着け、自分でも気づかずカチカチと歯を鳴らしながら、男は恐る恐る真綾を見上げる。

 そこに彼が見たものは……死という概念が具現化したような黒衣の女性の、太陽ですら凍りつかせそうな冷たい視線。

 ……まあ、熊野に言われたとおり真綾が張りきって威圧していただけなのだが、それで充分だった、この男がブクブクと泡を吹いて失神するには……。


 その後、誰かから知らせを受けて走って来たらしい顔面蒼白の役人が、真綾の足元に転がる同僚をスライディングで蹴飛ばしてから、両膝をついて必死に謝罪し、最終的に、彼女を貴族応対用の施設へと丁重に連行……案内していった。


(マーヤさん、おら、おめぇ様の言葉に恥じねぇ一流の職人になるだ)


 ドナドナされてゆく真綾の美しい後ろ姿を見送りながら、固く心に誓うペーターであった。


 ちなみに、この川港で相当に嫌われていたらしいあの男が失神した際、一部始終を見守っていたギャラリーから、割れんばかりの歓声が上がっていた。

 真綾はまたひとつ、伝説を作ったようである。


      ◇      ◇      ◇


 失神した男に代わって真綾の応対をした役人は、至ってマトモな人物だった。

 しかし彼自身、カッターボートの大量出現と消失の瞬間を目にしているうえ、こともあろうかその奇跡を行なった相手に、バカな同僚が信じられない無礼を働いていたため、胃にポリープができそうなほど真綾に気を遣っていたのは、ただただ憐れとしか言う他ないだろう。

 まあ、そのおかげで大量の焼き菓子をゲットできた真綾は、役人に教えてもらった宿へ内心ホクホクしながら向かい、この都市随一というその高級宿で羽を休めたのだが……。

 

 その一方で、役人からの報告を受けて緊急召集されたシュタイファー参事会は、阿鼻叫喚の様相を呈していた――。


「そいつはバカか! そもそも、こういう事態を避けるための役職だろうが! いってぇ誰が雇いやがった!」

「うるせぇや! 文句ならよ、どっかのバカ息子をねじ込んできた商業ギルドに言えってんだ! だいたいよぉ、貴族に窃盗と身分詐称の濡れ衣を着せて罵るようなバカ、いると思うか? 普通……」

「クソッ! 商業ギルドのキツネどもめ、まさか、これを狙って仕込んでやがったんじゃねぇだろうな」

「わし、死にとうない」


 参事会室に飛び交う言葉が少々エレガントさに欠けているのは、まあ致し方ないことであろう。

 かつて参事会を牛耳っていた商業ギルドや有力商人を追い落とし、今の参事会を取り仕切っているのは、手工業ギルドを意味するツンフトの各代表たちがほとんどである。

 つまり、彼らの多くは職人の親方なのだ。


「そのマーヤ・ラ・ジョーモンってぇ女貴族、本人は爵位を伏せているらしいが、川港を埋め尽くすほどの船を一瞬で召喚したらしいな、本当なのか?」

「ああ、役人はもちろん、荷役人夫に船乗り、商人、船客、その場にいた大勢が見ていたらしい、今ごろ酒場じゃその話で持ちきりだろうさ。――なあ、狩人ギルドはその女貴族について何か知らねぇか?」

「いいや、ウチにゃまだ何も情報が入ってねぇ。……それにしても、川港を埋め尽くすほどの船か……たぶん守護者の加護なんだろうが、呼び出した数がヤベェな、とんでもねぇ能力だ」

「わし、死にとう……なんじゃ、よく考えたら船を出すだけの能力か、それなら下級貴族じゃないかのう? 心配して損したわい」


 自分の発言に続いて、パン職人ツンフトの老人が気の抜けた声を出すと、イカツイ顔の狩人ギルド代表は、首をゆっくりと横に振った。


「いや、船のことでイチャモンつけられたから、今回はわざと船を呼び出してビビらせたんだろうよ。――いいか、パン屋のじいさん、船をポンと出せるような力のあるやつが『船だけしか出せない』、なんて考えてちゃ狩人は生きてけねぇんだ。それに言ったろ? 呼び出した数がヤベェんだよ、尋常じゃねぇ。――なあみんな、俺の秘蔵ワインを賭けたっていいぜ、そんだけヤベェ能力をお持ちなら、そのお貴族様はまず間違いなく、どっかの国の……〈王侯〉だ」


 魔物との豊富な実戦経験を持ち、相手の力量を見極めることに長けた狩人ギルド代表の、最後に発したひとことが、それまで騒然としていた参事会室の空気を凍りつかせた。

 王侯とは、王と諸侯をまとめて指す言葉である。

 諸侯はたったひとりで都市を、王ならば国を滅ぼせる。それは決して比喩などではなく、この世界の歴史が証明する事実……。


「どうして、こうなった……」


 水を打ったような静けさの中に、市長の震える声だけが響いた――。


      ◇      ◇      ◇


 都市のたどる末路を憂いて市長らが青ざめていたころ、別の場所、この都市でも有数の大きさを誇る建造物、毛織物商ギルド会館の一室に、各商業ギルドの代表たちが集まっていた。


「それだけの失態を犯したのなら、その責任を糾弾して、参事会からツンフトを引きずり下ろせるのでは?」

「その女貴族、なんとかこちら側に抱き込めないものか……」

「いや、そんなことを言っている場合ではないじゃろう、報告書をよく読め」


 したたかな笑みを浮かべていた男たちは、仲間のひとりに促されて報告書に目を通したとたん、その表情を一変させた。


「川港を埋め尽くすほどの船を呼び出したか……。我々商人から見たら羨ましい限りの能力だが、どう考えても諸侯以上だろうな」

「諸侯以上!? そんな相手を怒らせたら、このシュタイファーは……」

「まず滅びるじゃろうな。最悪、皆殺し……」


 その言葉を最後に、水を打ったような静けさがその場を支配した――。


      ◇      ◇      ◇


 そしてその翌朝――。

 豪華な朝食で食欲を満たしたことで幸福感に包まれた真綾が、チェックアウトを済ませて宿の外へ出ると、彼女を待っていたのは――。


「申しわけございませんでした!」


 尋常ではない悲壮感に包まれたオッサン十五人による、ピッタリ息の合った謝罪のユニゾンであった……。




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