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第三一話 シュタイファーの彫像 一


 中低位山地に挟まれた細長い平野を、まるで巨大な蛇のようにくねりながら、一本の大河が北へと向かって流れている。


『水面がキラキラと輝いて、とっても美しいですね~。わたくし、やはり水上は落ち着きます』


 現地点での川幅は、おおむね二〇〇メートルといったところだろうか、川面に悠々と浮かぶたくさんの川船や筏の姿は、河川舟運が盛んであることを物語っていた。

 陸上よりもはるかに早く、安く、楽に行くことができる水上は、ここ異世界においても重要な交通路のようだ。


『真綾様、ご覧ください、列車のように長く連結した筏の上に簡単な船室を作ってますよ。おそらくはお客様も乗せて、木材を売った代金と旅客料の両方で儲けるつもりなのでしょう。商魂逞しいですね~』


 その、極めてのどかな水上風景のなかを、真綾ひとりだけを乗せたカッターボートが……爆進していた。

 ――シュゼットに言われるまま、バーデンベルク家の居城をトンズラした真綾は、そこから西へ十数キロメートルの距離を爆走し、教えてもらっていた川へあっと言う間に到着すると、その川を眺めながらまったり昼食を摂ってから、北へ向かうべくボートを漕ぎ出していたのだ――。


『花様のご推測どおり、機関の有無が鍵のようですね。ランチさえあれば、真綾様のお手を煩わせることもなかったのですが……』


 熊野が言っているのはお昼ごはんのランチではなく、熊野丸を召喚する際、すべての装備と物資を一緒に召喚できるのに、後部甲板に搭載していた小型艇、〈十二メートル内火ランチ〉だけが召喚できない、ということについてだ。

 花によれば、十二メートル内火ランチが、熊野丸と同じく機関を搭載していることに原因があるのでは? とのことだった。

 結局、日本で何度試しても、また、こちらの世界に来てからも召喚できなかったため、【船内空間】にランチを収納しておくこともできず、現在は仕方なくカッターボートを取り出して、真綾が直々に漕いでいるというわけである。


「ランチさえあれば……」


 たぶん、そのランチは違うぞ真綾。

 そもそもランチをたっぷり食べたからこそ、本来なら六人漕ぎであるはずの六メートルカッターを、たったひとりで爆漕ぎしているのではないか。

 艇長不在のため舵を固定し、進行方向となる背後を【見張り】で確認し、石神井公園にあるローボートのように、わずか二本のオールだけで……。


『あらあら、真綾様ったら、そちらのランチは終わったばかりですよ。それでは、もう少し頑張ったらおやつにいたしましょうね』

「やったるで」


 おやつと聞いて俄然やる気を出した真綾によって、さらに加速したカッターボートは、他の川船たちを次々とゴボウ抜きしてゆくのだった。

 おやつをチラつかせることでモチベーションを上げる……熊野もすっかり真綾の取り扱いに慣れたようだ。

 

 やがて、比較的小規模な筏を追い抜こうとした真綾は、横を並走する形になった筏上の光景を目にしたとたん、脳内会話に切り替えて熊野へ声をかけた。


(熊野さん)

『はい、何やら剣呑な雰囲気ですね』


 真綾に返した熊野の声が真剣なのも当然だろう、みすぼらしい旅姿の男が、屈強そうな男ふたりによって、筏の端へ追いやられているのだから。

 旅姿の男もガッシリとした体躯をしてはいるが、彼に詰め寄っている男たちの手には刃物が鈍く輝いていた。


『いかがなさいますか?』

(行きます)


 そう熊野に答えるや否や、真綾はカッターボートを筏に寄せて男たちのすぐ横を並走し始める。

 それに気づいた刃物男のひとりが、邪魔をするなと言いたげに真綾を一瞥し――彼女の美貌に釘付けになった。

 すると、今度は彼の相棒がその視線を追って――。


「おい、急にどうし――」


 同じように固まった。

 まあ、彼らのショボい人生では一度も見たことのないほどの美貌を、心の準備もないまま目にしたのだから、当然といえば当然の反応だろう。

 最終的には旅姿の男も固まってしまったのだが、彼はこうして近くで見ると年若いようで、栗色をした癖っ毛の下には、まだあどけなさの残る純朴そうな顔が覗いている。

 やがて、ポカンと口を半開きにして自分の顔に見入っている三人へ、真綾はひとことだけ尋ねた。


「どうしました?」


 その言葉が気つけの呪文だったかのように、刃物男たちは目をパチクリさせてから弁明を始めるのだが、どうにもバツが悪そうなのは、いい女に悪印象を与えたくないという男のサガゆえか……。


「……お、おお。いや何、このガキがよう、船賃払えねえっつうからよ、払えねえんならここで降りなって言ってたところよ」

「そ、そうだぜ、俺たちゃむしろ被害者だ、こんなところまでタダ乗り――」

「違う! おめぇらが急に船賃を上げたんずら! おら、途中で三倍に上がるなんて聞いてねえ!」


 自分たちの言葉を遮って若者が猛然と抗議の声を上げると、刃物男たちは顔を真っ赤にして彼を睨みつけた。

 どうやら若者は、タチの悪い筏に乗ってしまったようだ。

 そうやって睨み合う男たちの耳に、涼やかな声が聞こえてきた。


「こっち」


 声のするほうを同時に向いた三人がそこに見たものは、チョイチョイと若者を手招きする真綾。


「へ……」


 男三人による間抜けなユニゾンが流れたのは、一種の奇跡だったのか。

 すぐに若者は真綾の意図を理解したが、カッターボートと真綾の顔を何度も見比べながら、本当に乗っていいものかと逡巡する。

 そんな彼の目を真っすぐ見つめ、真綾がコクリと頷くに至り、彼は意を決してカッターボートに飛び乗った。


「仰天号、発進」


 若者が腰を下ろしたとたん、真綾は意味不明なセリフとともに……爆漕ぎを始めた!

 速い! 恐ろしく速い! バーデンベルク城の一件で、彼女はトンズラする快感に目覚めたというのか!

 白波を立てて遠ざかりゆくカッターボートの姿を、男たちはただポカンと口を開けて、筏の上から見送るのであった。


      ◇      ◇      ◇


 筏の姿が見えなくなり人心地ついた若者は、真綾に何度も礼を言ってから、自分のことについて話し始めていた。

 

 彼の名はペーター。現在十九歳で、職業は石工をしているのだとか。

 なんでも石工という職業は、徒弟期間を終えてからは親方になるまで定住せず、大きな工事が行われる都市から都市へ渡り歩く者が多いらしい。

 工事終了と同時に需要が激減することを考えれば、たしかに当然の習慣ではある。


「――まあ、石工以外の職人もたいして変わんねぇけどね。――ほいで、次の現場探してたら、シュタイファーで大神殿の改修が始まるって聞いたもんで、おら一番安い筏に乗せてもらっただに。まあ、その結果がアレで――え、貰ってもいいだ? へぇ何から何まで、おしょっさまえ」


 それまでしゃべっていたペーターは、真綾が差し出したリンゴをありがたそうに受け取ると、小気味よい音を立ててかじりついた。

 豊潤で甘ずっぱい果汁が口中を満たしたとたん、彼の目はおもしろいほど丸くなる。


「んめぇ! へぇおら、こんなにうめぇリンゴ食ったことねぇ!」


 感嘆の声を上げると、ペーターはリンゴを夢中で食べ始めた。

 それもそのはず、このリンゴは、かつて熊野丸で客に提供されていた最高級の品であり、生食用に品種改良されているため、近世レベルと思われるこの世界のリンゴよりは、味、香り、瑞々しさにおいて、はるかに優れているのだ。

 そんなペーターを眺めつつ、カッターボートを川の流れに任せて、真綾も黙々とリンゴをかじっている。相変わらずの凛とした姿勢と美しい所作で。

 やがて、芯までたいらげたペーターは、目の前にいる真綾の神々しい姿に、ぽーっと見惚れてしまった。


「女神様……」

「?」


 思わず口をついて出た言葉に真綾が首をかしげると、ペーターは顔を真っ赤にして背を向けた。


「いや、マーヤさんもずーっと漕ぎっぱなしで、ごしてぇら? おらが代わるで、まあ休んでおくんなして」


 背中越しにそう言うと、船内に引き上げていたオールを下ろし、必死になって漕ぎ始めるペーターだった。


『リンゴのように甘ずっぱいです……』

(何が?)

『いいえ、なんでもございませんよ』

(?)


 熊野との脳内会話に疑問符を浮かべた真綾を乗せて、カッターボートはゆったりと流れる大河を下っていった。


      ◇      ◇      ◇


 張りきりすぎてすぐに力尽きたペーターに代わり、真綾が長距離を爆漕ぎし、一緒におやつを食べてはペーターが張りきって力尽き……そんなことを繰り返しているうちに、川港のある都市が見えてきた。


「でけぇ神殿が見える! 間違いねぇ、シュタイファーだ! 普通なら途中の町で一泊するはずの距離だで、こんなに早く着けるとは思わんかっただ。――信じらんねぇ、へぇおら、夢でも見とる気分だに」


 足場を組んである大神殿が見えると、ペーターは興奮した声を上げてから目を白黒させた。

 無理もなかろう、真綾が彼を拾ったころには正午をとうに過ぎていた。そしてその位置からここまで、地球の単位でおよそ七〇キロメートル、本来なら彼の言うように、今日は途中で一泊しなければならない距離である、日のあるうちに到着できるなどとは誰も思うまい。


「マーヤさん、ホントにお代はいらねえだ?」

「はい」

「ほうは言うけど、助けてもらったうえに、うめぇもんまでうんと貰っちまって、このまんまじゃ申しわけねぇだ。見てのとおりおら貧乏だで、できることは少ねぇけど、なんか礼をさせてほしいだに」


 わずかな船代すら受け取ろうとしない真綾に、律義者のペーターは困り顔である。

 その様子を見て、さすがの真綾も何か言ったほうがいいと思ったのだろう、ひとつだけ要望を口にした。ペーターの茶色い瞳を黒い瞳で真っすぐ見据えて。


「じゃあ、いい職人さんになってください」


 その時、ペーターの心に雷のような衝撃が走った!

 他人にここまで親切にしておきながら、わずかな見返りすら求めず、ただ、相手の成長と栄達のみを願う。その真綾の姿は、悪徳筏に引っかかったばかりである彼にとって、あまりにも清らかで尊いものとして映ったのだ。


(でけぇ、……マーヤさん、なんてでけぇ娘さんだ……)


 そうやって深い感銘を受けていたペーターは、やがて、川港に着いたカッターボートから降りるため、真綾と一緒に立ち上がった時、再度の衝撃を受けた!


(マーヤさん、なんてでけぇ娘さんだ!)


 現代欧米人と比べても股下比率のおかしい真綾が、カッターボート内ではずっと座っていて、座高がペーターと同じくらいだったため、今まで彼は気づかなかったらしい……。


(……でも、そこがまたイイだ)


 どうやらペーターは、長身女子派のようである。

 そんな感じで、彼がウットリと真綾に見惚れていると、そこへ、仕立てのよい服を着た男がやってきた。

 その男は真綾に恭しくお辞儀をし――。


「これはこれは神のご寵愛受けし貴きお嬢様――」


 ――と、どこかで聞いたような口上を述べ始めるのだった。




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