第二五話 バーデンボーデン 七 お約束
異世界温泉を満喫した翌朝、真綾が部屋のドアを開けると、廊下の向こうからこちらを窺っていた侍女がサッと消え、その直後に――。
「マーヤ様っ! なんという偶然かしら!」
――と、なぜかバッチリおめかししたシュゼットが登場したのだが、それはどうでもいい話である……。
そんなこんなで、真綾はベッタリついてきたシュゼットとともに、ボリューム満点の朝食を堪能し、彼女と別れたあとは、魔石代の残金を受け取るために狩人ギルドへと向かった。
◇ ◇ ◇
ギルドの扉を開けた真綾を迎えたのは、とんでもない数の視線と、むくつけき男たちのどよめきだった。
実はゆうべ、彼ら狩人たち御用達の酒場では、ギルドを訪れた〈謎の女貴族〉の話で持ちきりだったのだ。
酒の入った狩人たちが語る話には必然的に尾ヒレと背ビレが生え、やれ「東方大陸にある大帝国のお姫様」だ、「人間界に遊びに来た女神様」だと、勝手に泳ぎまくったため、真綾をひと目見ようと思う者や、もう一度見たいと願う者が、こうしてギルドに集まっているわけである。
『今日はずいぶんと混んでいますね~。皆さんお仕事に行かなくていいのかしら?』
(都会では朝のラッシュがあるって、おじいちゃんが)
『はあ、そういうものですか……あら? 真綾様、あそこに見えるのは〈例の掲示板〉では!』
呑気に真綾と脳内会話していた熊野が、壁際の一点に何かを見つけて声を弾ませた。
真綾がそちらへ向かい始めると、狩人たちは海が割れるように道を作ったのだが、そういうことは日本でもたまにあったため、慣れている彼女はその中を平然と歩き、目的である壁の前に立った。
『真綾様、間違いございません、〈例の掲示板〉です。ちゃんと依頼票が貼ってありますよ』
(はい)
熊野の言う〈例の掲示板〉とは、異世界を扱った小説で定番ともいえる、仕事の依頼票が貼ってあるギルド掲示板のことだ。……と、なれば、彼女たちが期待するのはただひとつ――。
『新人イビリ、来ますかね~』
(はい、たぶん)
……そう、彼女たちは今日も期待していた、依頼票を見ている主人公に必ずと言っていいほど絡んでくる、新人イビリの野郎どもを! そして過剰防衛からの、みんなが愕然とするという、お約束の展開を!
『あら、連続失踪事件ですって。どれどれ……消えたのはうら若い乙女ばかり、このひと月ほどでもう六名も! 誘拐の可能性大、情報求む、と……。はーなんとも物騒なお話ですね~』
(誘拐犯なら成敗……)
などと依頼票を読みつつも、真綾たちは新人イビリの狩人が絡んできてくれるのを、今か今かとワクワクして待っていたのだが、なかなか期待どおりのイベントが発生しない。
当たり前である……。ここにいる狩人とギルド職員の大半は、もはや真綾のファンと化しており、残りの者も酒場で彼らから話を聞かされていたうえ、初めて目にした真綾に見惚れているのだ。
超人気アイドルの握手会にも似た熱気をはらむこの場所で、彼女に下手なチョッカイをかけた者がフクロにされるは自明の理。
まあそもそも、ひと目で貴族だとわかる真綾に、わざわざ絡んでいこうというバカなど、ここには――。
「おいおい、こんなところに女がいるぜ」
「ヒュー、なんてデケェ女だ。トロールかと思ったぜ」
「へっへっへ、アニキィ、たしかにデケェが、後ろ姿はなかなかのモンですぜ」
「おいネエちゃん、そのツラ拝んでやっから、ちょっとコッチ向いてみな」
――いた! 極め付きのバカが四匹も。特に二番目と三番目の発言はマズい……。
その発言に反応し、真綾が男たちのほうへクルリと向き直った。
すると、彼女の美貌を目にした男たちのテンションが、敵機を見つけた迎撃機のごとく急上昇してゆく。
「おいおいおい、こりゃあどえらいベッピンじゃねぇか」
「ヒュー、なんていい女だ。トロールのメスはベッピンだってのは聞いたことがあるけどよ、あの話は本当だったぜ」
「へっへっへ、アニキィ、たしかにデケェが、こりゃなかなかの上モンですぜ」
「おいネェちゃん、依頼なら俺たちが受けてやってもいいぜ」
……この若い四人組、実は最近、憧れの銀ランクに上がったばかりで、すっかり気が大きくなっていた。
さらに、真綾を見た目で貴族だと判断できるほどの頭はなく、彼女の動きから実力を察するほどの経験もなく、現在ギルド中に充満するアウェイな空気と、真綾からほとばしる殺気を感じ取れるほど、繊細でもなかった。
そして不運にも、昨夜は酒場に行かなかったため〈謎の女貴族〉の話もまったく知らないときている。
『真綾様、期待どおりの展開にはなりそうですが、乙女に対して、あまりといえばあまりにも失礼な物言い。……わたくし、全ボイラーが爆発しそうな思いです』
(成敗……)
真綾たちの脳内裁判でギルティがほぼ確定したことにも気づかず、四人組はさらに自ら坂道を転がり落ちる。
「おいおい、黙ってねぇで、なんとか言ったらどうなんだ?」
「ヒュー、なんてこった、トロールが俺たちを見てビビってやがるぜ」
「へっへっへ、アニキィ、たしかにデケェが、このネェちゃん、首からギルド証をぶら下げていますぜ」
「おいネェちゃん、おめぇ銅ランクじゃねぇか、見ねえツラだと思ったら新人だったのかよ。女が狩人やっていけると本気で思ってんのか? ――しょうがねぇ、俺たち銀ランクパーティー『竜の眷属』が、狩人の厳しさってやつを手取り足取り教えてやるぜ。ちょっと裏の広場までツラ貸しな」
こうして最後に、二十代と思われる頭頂部の寂しい男が、ヒゲで覆われたアゴをクイッと扉へ向けた時点で……ギルティ確定!
実は、その失礼な発言の数々に激高したファンクラブ会員……狩人たちの多くが、調子ブッこいている若造たちを怒鳴りつけようとしたのだが、真綾からほとばしる殺気を感じて口をつぐんでいたのだ。その危機管理能力こそ、彼ら狩人に最も必要なものである。
「お願いします」
感情のカケラさえ感じられない声を返すと、真綾は『竜の眷属』の後ろについていった。
◇ ◇ ◇
グルリと壁で囲まれた都市の内部に、余分な土地というものは存在しない。最大規模の大都市にある最大の広場でさえ、二〇〇メートル四方もあればいいところだろう。
それはこの異世界においても同様である。つまり、小説などに出てくる〈ギルド専用の訓練場〉、などという広大な施設は存在せず、真綾が連れてこられたのは街区ごとにある小さい広場だった。
「おいおい、なんだこのギャラリーは?」
「ヒュー、なんてヒマな連中だ。そんなに俺たち『竜の眷属』の新人教育を見たいのか?」
自分たちの周囲に首を巡らせ、リーダー格の大男(身長は真綾くらい)とカマキリのような男は呆気にとられていた。
それもそのはず、ギルド内にいたほとんどすべての狩人と職員が、彼らと真綾を中心にしてビッシリ取り囲んでいるのだ。
「へっへっへ、アニキィ、たしかにデケェがこんだけの上モンだ、このネェちゃんがアラレもねぇ姿になって涙ながらに許しを乞う姿を、こいつら、今から見ようって魂胆に違いないですぜ。なんてぇ歪んだ性癖だコンチクショウ」
前歯の出た男がギャラリーを見て少し引いているが、それは間違いだぞ出っ歯。
彼らが期待しているのは、美しい女貴族によって華麗にお仕置きされるお前たちの、無様で滑稽な姿なのだ!
「おいネェちゃん、そのきれいな顔に傷でも付けたら寝覚めが悪い、俺たちゃ素手で相手してやるから得物を持ってかかって――」
「はい」
短い返事と同時に、ヒゲで覆われたアゴへ真綾の掌底が当たった瞬間、若ハゲ男の意識は途切れた。
こうして刑の執行が開始され――。
――その、およそ一時間後。
「ずんばぜんでじだ……」
「ヒュー、ヒュー……」
「へっへっへ……アニキィ……ノドから変な音が……出てますぜ……」
「ごべんだざい……」
広場の真ん中に、顔面をパンパンに腫らした男たちの、涙ながらに許しを乞う憐れな姿があった……。
そんなボロ雑巾たちを感情のカケラも感じられない視線で見下ろすと、真綾は平坦な声で告げる。この一時間、何度も繰り返してきた言葉を。
「もう一度。……立って」
こうして、バーデンボーデンの銀ランク狩人パーティー『竜の眷属』の受難は、さらに半時間ほど続いたのであった……。
◇ ◇ ◇
テーブルに置かれた木製コップから、ゆらゆらとハーブティーの湯気が立っている。
真綾はギルド長の執務室へ連行……呼ばれていた。
「……いやまあ、たしかに自業自得なんですがね、ありゃあしばらく使いモンになりませんぜ」
「ごめんなさい」
言いにくそうにするギルド長へ、真綾はペコリと頭を下げた。
その、貴族とは思えぬ素直な様子を見て、ギルド長はアゴをポリポリとかきながら苦笑する。
(これだ、このお人のこういうところに、みんなコロッといっちまったんだろうな)
彼女のことを語る職員や狩人たちの明るい顔を、微笑ましく頭の中に浮かべてから、隻眼の男は真綾に優しく語りかける。
「姫様、頭を上げてくんなさい。……まあ実際、お貴族様に失礼を働いて命があっただけでも奇跡ってモンだ。それに見てましたぜ、あんた、守護者どころか加護すら使ってなかった。違いますかい? そこまでお慈悲をかけてもらって、娘さんひとりにボコられるアイツらが悪い。あのまま調子こいてたら、いずれは魔物か他のお貴族様に殺られてたでしょうよ。……まあ、いい薬になったと思いますぜ」
ギルド長はニヤリと凶暴な笑みを浮かべながら、自分が「姫様」と呼んだことに少し驚いた。だが、あらためて考えると、なぜか彼女にはその呼び名がシックリとくるのだ。
(こりゃあ本当に、どっか遠い国のお姫様なのかもな)
美しい所作でハーブティーを飲み始めた真綾を、ひとつしかない目で眺めながら、ギルド長は本題を切り出した。
「ところで姫様、ひとつ、お耳に入れたいんですが――」
ギルド長が真綾に語ったのは、最近、このバーデンボーデン周辺を騒がせている、連続失踪事件のことだった。
その内容は、おおむね真綾が読んだ掲示板の依頼票どおりだったが、ここにいくつかの新しい情報が加えられた。
ひとつ、今からおよそ一か月前に、高潔で慈悲深かった領主が急死し、病弱でそれまで表に出なかった若様が当主を継いだこと。
ひとつ、かつての若様を知る数少ない者の話によると、現在の彼は別人のように性格が歪んでしまっていること。
ひとつ、新たな領主は父に仕えていた忠臣をすべて解雇し、素性の知れぬ者に入れ替えたこと。
そして最後に、領主が代替わりしたあたりから事件は始まったこと――。
「……でけぇ声じゃ言えねえが、ちっとでも頭の回るモンはみんな気づいてまさあ、誰が一番怪しいかってね。だが俺たちの短けぇ手じゃこれ以上は届かねぇんでさ」
そこまで言うと、ギルド長はギリッと歯を食いしばる。
「――魔物や盗賊相手に命の取り合いしてきた俺だ、消えちまった娘たちが無事だとは思わねぇ。……だが、せめて仇を討って、娘たちや遺されたモンの無念を晴らしてやりてぇし、犠牲者がこれ以上出ねぇように――っと、危ねえ、熱くなっちまった」
ギルド長は真綾にすがろうとした自分を、すんでのところで引き止めた。
真綾が諸侯以上の存在であり、城伯くらいなら簡単に倒せるだろうことは察している。
だが、昨日今日と話してみて、彼女が見た目より幼いかもしれないと思い始めていた彼は、いくら力があるからといって、年端もいかぬ少女に重荷を背負わせられないと、強く思ったのだ。
なぜなら、彼は大人なのだから。
「……すんません、今のは忘れておくんなさい。実はすでに伝手を頼って、エーデルベルクの宮中伯様に手紙を送ってますんで、近いうちになんとかなるでしょう。まあそんなわけなんで、姫様も夜遊びするんじゃありませんぜ。――ああ、コップが空んなってますね、もう一杯どうですかい?」
その後、魔石代の残金を受け取った真綾は、その圧倒的な力にますます魅せられた野郎たちと、山賊の頭目然とした男の凶暴な笑顔に見送られ、狩人ギルドをあとにした。
『人相に似合わず、優しいお方でしたね』
(はい)
『やはり犯人は、アレ、でしょうね』
(はい)
通りを歩きながら脳内会話する熊野と真綾、彼女たちが最初に思い浮かべたのは、優しいギルド長の厳めしい顔。
そして今、その次に浮かんだ顔が、真綾の頭にハッキリと像を結んでいた。
それは、彼女の勘が「コレは殺らなければならない」と、出会った瞬間に警鐘を鳴らした男の、蒼白い顔であった――。
「おいおい、木曜でもないのに、コイツ投稿してやがるぜ」
「ヒュー、なんてバカなんだ、残弾が少ねえってのによう」
「へっへっへ、アニキィ、たしかに残弾少ねえが、どうやらゴールデンウィーク中、どこにも行けなかったもんで、筆が進んだようですぜ」
「おい読者のみなさんよ、木曜からは週一投稿に戻るから、これからもヨロシクな」




