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第二四話 バーデンボーデン 六 ディナー


 宿に戻った真綾は、夕食の時間が来ると速攻で食堂へ行き、給仕長に案内された席に着いていた。

 その涼しげな表情からは窺い知れないが、初めての異世界ホテルディナーに彼女は内心ワックワクである。


『中世ヨーロッパと違って手掴みではなさそうですね、それぞれ一本ずつですが、ちゃんと個人個人にカトラリーが配られてますよ。――さあ、どのようなお料理が出てくるのでしょう? わたくしもワクワクしてきました』

(はい、楽しみです)


 真綾たちがそうやって楽しく脳内会話していると、そこへ、地味なドレスに身を包んだ十代後半と思われる少女がやってきた。

 その少女は、両手でスカートの裾をつまんで膝を深々と折ったあと、丁寧な口調で真綾に話しかけてくる。


「神のご寵愛受けし貴きお嬢様、突然のご無礼をお許しください。わたくしは、セファロニアのプランタジネット男爵家に仕る者でございます。誠に失礼かとは存じますが、当家の次期当主たるシュゼットが、あなた様との会食を望んでおります。ご相席をお許しいただいてもよろしいでしょうか?」


 生真面目そうな彼女の真綾を見つめる瞳には、わずかに怯えの色が浮かんでいた。


「無口でもいいなら」


 少しだけ思案してから真綾がそう答えると、その少女はホッとしたように礼を言ってその場を去り、それからしばらくして、金髪を揺らせながら歩いて来たひとりの少女が、真綾の向かい側の席に座った。


「今宵はわたくしのわがままをお聞き入れくださり、ありがとうございました。わたくしがプランタジネット男爵家の次期当主、シュゼットです」


 やや上気した顔で真綾に名乗ったのは、今日の夕方、転んでいた子供の傷を不思議な力で治した、あの少女であった。


「真綾羅城門です」

「ラ・ジョーモン家のマーヤ様ですね、素敵なお名前です。いきなりで失礼かとは存じますが、マーヤ様とお呼びしても?」

「はい」

「ありがとうございます、わたくしのこともぜひ、シュゼットとお呼びください。それにしても、マーヤ様もここに宿泊していらっしゃったのですね。わたくし、運命のようなものを感じます」


 こうして、馬車に乗っていた時よりもバッチリおめかししているシュゼットが、積極的に……そう、なぜかグイグイとくる感じで、真綾の異世界初となるホテルディナーは始まったのであった。

 ちなみに、シュゼットという名前の由来は〈ユリ〉にあるのだが、それをここで説明することに、さして深い意味はない……。


      ◇      ◇      ◇


 さすがに国外の貴族を迎えるだけあって、真綾が泊まっている宿の料理はたいへん豪華なものだった。

 郷土料理の他に文化先進国の宮廷料理も採り入れているそうで、豚の丸焼きのような大皿料理ではなく手の込んだものが、テーブルの上にズラリと並べられた。

 一品ずつ運ばれてくるコーススタイルではないのだが、こちらのほうが見た目に豪華で、真綾的にはもちろんアリだ。


「こちらの、白チーズを塗った薄い生地に玉ネギやベーコンを散らして焼き上げたものは、我がセファロニア東部にもある料理です。そしてこちらの、挽き肉などの具材を生地で包んでから煮込んだものは、南方にあるエルトリアの料理を採り入れたものですね。この地方は西方にも南方にも近いですから、食文化の影響を受けているのでしょう」


 白いピザのような料理と大きいラビオリのような料理を指し、シュゼットが詳しく説明してくれていた。

 なんでも彼女は、幼いころより何度もバーデンボーデンを訪れているため、ここの料理に詳しいのだとか。

 その説明を聞いているのかいないのか、真綾は相変わらず黙々と料理を堪能しているのだが、シュゼットはそんな彼女をウットリと眺めている。


「文化的にはこの国より先をゆく我が国でも、カトラリーを上手に使えない方はまだ多いというのに、マーヤ様はとても美しい所作でお使いになるのですね。……思わず見惚れてしまいます」

「ありがとう」


 真綾の所作は異世界貴族の目にも美しく映ったようだ。

 自分を育ててくれた祖父を褒めてもらったような気がして、珍しく真綾がやわらかい微笑みを浮かべると、それを見たとたん、シュゼットはクワッと目ン玉ひん剥いて、自分の胸を押さえた。


「クッ!」

「大丈夫?」

「え、ええ、お気になさらず……」


 心臓発作でも起こしたかと心配して声をかける真綾の瞳を、頬を薔薇色に染め、熱のこもった視線で見つめ返すシュゼット……。

 シュゼット・ド・プランタジネット……なかなかに業の深い少女のようである。


『……業の深いお方のようですね』

(業?)

『いいえ、お気になさらずに……』


 脳内でつぶやかれた熊野のひとりごとを疑問に思いながらも、真綾はふたたび料理に集中し始めた。

 こうして、黙々と食事する真綾へシュゼットが一方的にしゃべり続ける形で、ディナーの時間は進んでゆき、やがて、シュゼットが乗っていた馬車の主に話題が移った。


「今日はお見苦しいところをお見せして、たいへん申しわけございませんでした……。彼はこのバーデンボーデン周辺を治める領主、アードルフ・フォン・バーデンベルク子爵なのです。……ああ、この国では城伯でしたね、失礼しました」


 シュゼットはこれまでの楽しそうな雰囲気とは打って変わり、暗く沈んだ表情で話し始めた――。


 彼女によると、アードルフの母親と彼女の母親が姉妹であり、父親同士も国を超えた友誼を結んでいたため、シュゼットは幼いころより何度もここを訪れ、アードルフのこともよく知っているのだそうだ。

 しかし、彼は生まれつき病弱で、たまたま彼の居城を訪れていたシュゼットが、彼女の守護者である〈カラドリオス〉の加護【治癒】を使い、命を救ったこともあるのだとか。

 そして、そのアードルフが、先月急死した父の跡を継ぎ、ここの領主になった。


「――そういうわけで、わたくしは伯父の葬儀に来られなかったため、せめて墓前にお花でもと思っていたところ、父と親交のある子爵家がこちらへ保養に来られるのことでしたので、こうしてバーデンボーデンまで便乗させていただいたのです。でも、久しぶりに会ったアードルフはあのとおりで……」


 そう言ってから食後のワインをひとくち飲むと、シュゼットは甘い香りのするため息をついた。

 彼女の青い瞳に、長いまつげが影を落とす。


「以前はもっと優しい人だったのですが……」

「ダメ」

「え?」


 グラスの中で揺れるワインを遠い目で眺めていたシュゼットが、急にかけられた声に驚いて顔を上げると、そこには、夜空のように静かな瞳で自分を見つめている、真綾の美しい顔があった。


「もう、アレに近づいたらダメ」

「アレ? アードルフのことでしょうか?」


 そう聞き返した自分の言葉に真剣な表情で頷く真綾を見て、シュゼットは思った。


(相手の守護者についてこちらから聞かないことが貴族の礼儀だから、わたくしもお聞きしなかったけれど、走っている馬車を片手で止めるお力を見れば、マーヤ様が〈伯爵級〉以上の守護者をお持ちなことは確実だわ。男爵のわたくしでは見えない何かが、マーヤ様には見えておいでなのかも……)


 この世界を生きる貴族として当然の判断をしたシュゼットは、真綾の真っすぐな視線を青い瞳で受け止める。


「マーヤ様、ご忠告ありがとうございます。わかりました、明日は彼の居城へ向かう予定でしたが、もう行きません」


 凛々しい表情でキッパリと言い切ったシュゼットだが、なぜかそのあと、上気した顔に変わると、チラチラと上目遣いに真綾を見つめてきた。


「……それでマーヤ様、この宿の温泉浴場には、もうお入りになりまして?」

「混浴はちょっと……」


 シュゼットの問いかけに首を横に振ると、やや暗い表情で答える真綾……。

 この宿にも温泉大浴場があることは従業員から聞いていた真綾だったが、公共浴場のトラウマにより、入ることをためらっていたのだ。


「まあっ! それでしたらご安心ください、ここの浴場は公共浴場と違って男女別になっておりますので。バーデンボーデンまで来て温泉に入らないのは勿体ないですわ、ぜひ、入られるべきですっ! ……それでですね……あの、もしよろしければ、このあと、わ、わたわた、わたくしとご一緒に、ごご、ご入浴、など……」

「オッケー牧場」


 真綾が発したその言葉を知らずとも雰囲気で意味を察したシュゼットは、残っていたワインを一気に飲み干すと、有頂天に舞い上がってゆくのであった。


『……業の深いお方です……』


 真綾の頭に、熊野の沈鬱な声が流れた。


      ◇      ◇      ◇


 夕食後、大理石製の立派な浴槽に浸かって真綾が久しぶりの温泉を堪能し、その美しい裸身を堪能したシュゼットが鼻血で温泉を赤く染めていたころ――。


 バーデンボーデンを見下ろす場所に建つバーデンベルク家の居城、その中にある大食堂では、ある男が血のしたたる骨付き肉に喰らいついていた。

 その男、アードルフ・フォン・バーデンベルクは、人の大腿骨に似た骨を床に投げ捨てると、忌々しげに言葉を吐き出した。


「クソッ! 下等なガキが転んだせいで、せっかくのディナーが! 宮中伯にバレる前に逃げなければならぬというのに。……フン、まあいい、一日ぐらい。少々じらされたほうが悦びも増すというもの……」


 どんよりと濁った目をしたままシュゼットの白い肢体を想像し、彼は血と脂で汚れた口を醜く歪めた。

 魔導ランプの明かりが揺らめくのに合わせて、アードルフの蒼白い顔に作られた陰影が揺れる。

 その時、床に転がる骨に近づこうとしたネズミが、アードルフの足元から伸びる影に触れたとたん、パタリとその場に横たわった。

 まるで、急な睡魔に襲われたかのように……。


「……それにしても、あの黒衣の女、なぜか魔力を隠しているようだったが、二頭立ての馬車を片手で止めた力からすると、おそらくトロールあたりを守護者にしているな。伯爵相手ならギリギリやりようはあるが、厄介だな……。いらぬ邪魔が入らぬよう、ここは予定を変えるか……」


 アードルフは口を拭うと、ワイングラスに注がれている赤黒い液体をゴクリと飲み干した。己の犯した、〈相手の力を見誤る〉という致命的なミスに、まったく気づくこともなく――。




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