第二二話 バーデンボーデン 四 入会します
その後、ギルド長の執務室へと連行……案内された真綾は、狩猟によって得た鳥獣や魔石をギルドへ売るには、形だけでもギルド会員にならなければならないことを、山賊の頭目然としたギルド長から直々に教えてもらった。
また、ギルドで買い取れる魔石は〈城伯級〉が限度であり、〈伯爵級〉以上ともなれば高価すぎるため、よほど大きな商会もしくは、それなりに裕福な王侯貴族でないと、買い取りは難しいそうである。
「本当によろしいんですかい? そりゃまあ、狩人ギルドとしちゃあ助かりますが、わざわざ会員になってまでうちへ売らなくても、商人なら喜んで買い取ってくれますぜ? 魔石商ギルドとの取り決めで、庶民から〈城伯級〉以下の魔石を買い取れるは狩人ギルドだけ、それ以上の魔石は魔石商ギルドの会員が買い取る、ってことになっちゃいるが、相手がお貴族様なら話は別だ」
「会員になります」
殺風景な執務室の中、潰れていないほうの目を丸くして、ギルド長が見た目を裏切らない口調で確認すると、真綾は迷いのカケラもなく答えた。
小説の〈冒険者〉に当たる〈狩人〉になれるのだ、迷うどころか内心ワクワクものである。
「……わかりました。それじゃあ年会費として、大銀貨一枚を買い取り額から引かせてもらいます。一年後にもう一度支払ってもらえば、また一年更新って仕組みでさあ」
「はい」
「ただ、買い取りの額が額なんで、恥ずかしいが今すぐ払えるのは半金がやっとだ。申しわけねぇですが、残りは明日の朝になってもいいですかい?」
「オッケー牧場」
「オッケ? ……すんません、助かります。それで――」
わけのわからない単語に一瞬キョトンとなったギルド長だが、異国の言葉に違いないとひとり納得すると、真綾に頭を下げてから話を続ける。
「――狩人ってのは、金、銀、銅の三段階に分かれてるんですが、まず銅ランクから始めてもらうってのが決まりです。〈城伯級〉下位の魔物とサシで殺り合えるようになったら銀ランク、でけぇ熊や〈城伯級〉上位とサシで殺り合えるようになったら金ランク……なんですがね、金なんざ人間としちゃあ最強クラスだ、国中探したってそうはいねぇ。だからまあ、腕利きの狩人でも銀ランク止まり、ってのが本当のところなんでさあ」
小説などでは、ドラゴンと戦えるほど身体能力の高い異世界人もいるのだが、ギルド長の話からすると、この世界の人間は地球人とあまり変わらないようだ。
『……真綾様ご自身の身体能力が、こちらの一般人に後れを取ることはなさそうですね。――真綾様、少々お願いが』
木製コップに入ったハーブティーをグイッと飲み干したギルド長が、目の前の珍客に次は何を話そうかと考え始めた時、熊野にお願いされた真綾が口を開いた。
「『つかぬことをお伺いしますが――』」
その声を耳にしたとたん、ギルド長のひとつしかない目が大きく開かれた。
表情の乏しい美貌はそのままに、真綾の口調だけが、まったく別人のものに変わったのだから当然だろう。
「『――実はわたくし、はるか遠い地より流れ来たばかりで、こちらの世情を存じません。〈伯爵級〉以上の魔物にはどう対処しておいでですか?』」
真綾の声真似スキルは、意外にも異世界で大活躍だった。
(……いや、いくら遠い国から来たって、そんなの万国共通じゃねえのかよ。もう世情に疎いってレベルじゃねえぞ、いったい何者なんだ?)
などと呆気にとられながらも、もしかしたら自分は試されているのかもしれないと、ギルド長は素直に答えることにした。
「そりゃあもちろん、あんた方お貴族様のお役目じゃねぇんですかい? 俺らの武器が通じねえ〈伯爵級〉の魔物には、〈城伯級〉の守護者を召喚できる城伯様が複数で、もしくは〈伯爵級〉の守護者を持つ伯爵様が、って具合に、爵位に応じて魔物を討伐するのは常識ですぜ」
「『なるほど……。それでは、この国だと魔物の爵位をどのように分けているのでしょうか?』」
「そりゃあ、低いほうから、〈男爵〉〈城伯〉〈伯爵〉〈諸侯〉〈王〉の五段階でさあ。……まあ、実際は同級でも力のバラつきがでけぇから、俺らはそれぞれをさらに三段階くらいに分けて、その都度判断してるんですがね」
「『……ふむふむ。それでは最後に、〈王級〉の魔物や守護者とは、どういったものなのでしょう?』」
「〈王級〉!? ……そりゃあ、ドラゴンとか神様とかに決まってますぜ」
「『なるほど……。ご親切にお教えいただき、ありがとうございました』」
片目を白黒させているギルド長をよそに、熊野は彼女らしい丁寧な口調で質問を締めくくった。
彼女はこの世界の戦力分析をしていたのだ。
召喚能力者らしい貴族を除く一般人に、真綾を害することはできないだろう。
また、ギルド長に聞いた話と大鴉の森における戦闘経験から、中級である〈伯爵級〉の魔物までなら瞬殺可能なことがわかった。
この国は、召喚可能な守護者の格によって爵位が決まる超実力主義社会のようだが、おそらく貴族であっても、城伯数人や伯爵ひとりなら真綾の敵ではないと思われる。
情報不足のため〈諸侯級〉については判断が難しいが、問題は〈王級〉の魔物と人間の王だ、さすがにドラゴンや神には注意が必要だろう。
カッツェン・ヴァイトを倒したあとに花の説を踏まえて立てた推論が、当たっていればいいのだが――。
そうやって思考する熊野であったが、当の真綾は、出されたハーブティーの微妙な味について思考していた。
そんな真綾に、ギルド長が神妙な顔で問いかける。
「……ところで、さっきうちの狩人から聞いたんですが、……お嬢さん、あんた東門に並んでたそうじゃねえですか、まさか大鴉の森から来たなんてことは……」
「来ました」
さもこともなげに答える真綾を見て、ギルド長の脳裏に、ベテランパーティーから本日もたらされたばかりの重大報告がよぎった。
その報告にあった魔物と、目の前にいる不思議な女貴族は無関係ではない。死線を何度もくぐり抜けてきたギルド長の鋭敏な勘が、そう告げている。
「……今日の昼過ぎに、うちの狩人たちが大鴉の森で、〈伯爵級〉らしい羊頭の巨人に襲われたんですがね、そこに二本角を生やした真っ黒な魔物が現れて、その〈伯爵級〉を一瞬で殺っちまったらしいんでさあ。それが本当なら〈諸侯級〉以上の大物が出現したことになる。そうなりゃ国を揺るがす一大事だ、しばらくは東門を閉鎖しなきゃあなんねえから、うちの狩人たちは満足な蓄えもねぇまま、この冬を迎えなきゃならねぇ。――お嬢さん頼んます、あんたの秘密は絶対に守る! なんでもいいから知ってたら教えてくれねぇですか?」
そう言って自分の目を真っすぐ見つめてくる、ギルド長のたったひとつしかない瞳から、狩人たちの生活を心配する親心を読み取った真綾が、当然、黙っていられるはずもなく――。
「大丈夫です」
――と、短いひとことを返したのだった。
「へ?」
「悪い人しか襲いません」
「…………」
豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になったあと、真綾の目をジッと見つめたギルド長は、彼女の近寄りがたい美貌の奥に、自分のことを慮ってくれている意志があるのを認めた。
そもそも、貴族である彼女に答える義務はない。
知らぬ存ぜぬで通せば済むことを、わざわざ彼女は教えてくれたのだから、それが彼女の厚意なのは明らかであるし、ここで嘘をつく道理もない。
しかし彼の立場上、もうひと押しが欲しいのも事実である。
「……お嬢さんの言葉に嘘はねぇ、俺自身はそう思う。しかし俺も立場上、ハイそうですかと鵜呑みにするわけにもいかねぇ。……無礼は承知でお願いします、なんでもいい、あんたの言葉を信じるための、あとひと押しを貰えねぇですか?」
貴族を怒らせるとどうなるか、それを承知でギルド長は踏み込んだ。
しかし、真綾がそんなことで怒るはずもなく――。
「わかりました」
そう言ったあと、彼女はスッと立ち上がると……一瞬で、狩人たちが〈黒き王〉と呼ぶ形態へモードチェンジした!
「な……」
ギルド長は言葉を失った。
黒い甲冑のような体、頭の両側から生えた大きな角、恐ろしげな口から覗く金色の牙、そして、右手に光る長大な片刃剣。
狩人たちから報告されていたとおりの魔物が、そこに立っていた。
ギルド長を務めるほどの男を理解させるには、それでもう充分だ。
(あいつら、勘違いしてやがった! 〈黒き王〉は魔物なんかじゃねぇ、このお人だったんだ! ……待てよ、つまりこのお人が、〈伯爵級〉の首をひと太刀で……)
すべてを悟った彼を、現役だったころにも感じたことのない恐怖が襲う。
――貴族――。
強力な魔物の跋扈する世界で滅びてしまわぬよう、最高神たる三女神が人間に与え給うたとされる〈召喚能力〉。その力で守護者を召喚し、守護者に与えられた加護によって自らも戦う戦士が〈貴族〉、その頂点に立つ者が〈王〉と呼ばれるようになった。
契約した守護者により爵位が決まり、当然ながら爵位が高いほど得られる加護も強力なものになるのだが――。
(……このお人は、どんだけ強ぇ加護を持っていなさるんだ? いってぇ何と契約しなすったんだ? まさかホントに〈王級〉じゃあ……)
対峙しているだけで汗が噴き出してくるほどのプレッシャーを感じ、ギルド長が呼吸することすら忘れていると、鬼をかたどった黒い面頬の奥から、真綾の声が小さく聞こえてきた。
「おかわり、ください」
彼女は結局、微妙な味のハーブティーを気に入ったようである……。
真綾の片手にあるカラッポの木製コップを見ながら、ギルド長が(あれ? 案外、怖くねぇんじゃ……)と、胸を撫で下ろしたとか下ろさなかったとか……。
ともかく、こうして無事に、〈城伯級〉以下の魔石を売った半金と、狩人ギルド会員証である銅のメダルを手にした真綾は、(これでおいしいものが買える)などと心中ほくそ笑みながら、華麗に狩人ギルドをあとにした。
◇ ◇ ◇
ギルドから遠ざかる真綾の黒い背を執務室の窓から眺めながら、ギルド長はひとりつぶやいた。
「その力は計り知れねぇが、その性質は善良か……。あのお人なら、なんとかしてくれるかもな……。まあ、いずれにしろ、このまま何もねぇってわけにゃあ、いかねえわな」
最近多発中の〈ある事件〉を頭の中に思い浮かべ、ギルド長が期待と不安の入り交じった息を窓の外に吐くと、そのため息に代わり、冷たくなってきた秋の風がガラスのない窓から吹き込んでくるのだった。
――さて、前述のとおり、この日、大鴉の森に〈黒き王〉の伝説が加わるのだが、狩人ギルドは〈黒き王〉のことを、悪しき者しか襲わない大精霊であり決して凶暴な魔物ではない、と発表した。
そのため東門の閉鎖が見送られ、バーデンボーデンを拠点とする狩人たちは、無事に冬を迎えることができたのだった。
こういう発表になったのは、報告したパーティーの顔を潰さないため、真綾の秘密を守るため、悪しき者を襲う大精霊の存在が犯罪の抑制につながること、などを総合的に判断してのことだ。
のちにこの地方では、毎年この時期になると、恐ろしげな〈黒き王〉の扮装をした男衆が、刃物と木のコップを手にして家々を回り、「泣く子はいねが~、親の言うこどさ聞がね悪ぃ子はいねが~」と、子供たちを恐怖の渦に突き落とす風習が生まれるのだが、そのモデルとなった人物には教えないほうが吉であろう……。
 




