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第二一話 バーデンボーデン 三 狩人ギルド


 貴族応対用の施設から市街へ出るなり、真綾の脳内に熊野の明るい声が流れた。


『ノーア様が親切な方でよかったですね~。いろいろと親身になって教えてくださいましたし』

(はい、いい人でした)


 真綾の機嫌も上々だ、ノーアの努力は実を結んだようである。

 先ほど、これを換金できないかと魔石を見せた真綾に、小さい魔石なら〈狩人ギルド〉でも換金できるが、大きいものは〈魔石商ギルド〉で商人を紹介してもらうようにと、ノーアは丁寧に教えてくれた。

 その〈狩人ギルド〉というのが、花から借りた小説で定番の〈冒険者ギルド〉にあたる組織らしいと、いたく熊野が興奮したため、花の影響で自分も冒険者ギルドに興味のあった真綾は、この東門から続く通り沿いにあるという狩人ギルドへと、これから歩いて向かうつもりなのだ。

 馬車を用意するとノーアが言ってくれたのだが、初めての異世界都市をぶらぶら観光したい真綾は、それを丁重に辞退していた。


『それにしても雰囲気ありますね~。いかにもヨーロッパの町並みといった感じで、とっても素敵です』

(はい、可愛いです)


 乙女趣味なふたりはすっかり観光気分である。

 木組みを剥き出しにしたハーフティンバー様式の建物が並ぶ様子は、真綾たちだけでなく日本人なら誰しもが憧れる光景だろう。

 視線を上げれば、角度のある三角屋根が行儀よく並んでいて、まるで、おとぎ話の世界にでも迷い込んでしまったようだ。


『それに真綾様、お気づきでしょうか? 空気が!』

(オッケー牧場です)


 ものすごく嬉しそうな声で熊野に言われるまでもなく、すでに真綾は気づいていた。通りを漂う空気の臭気レベルが許容範囲内であることに! そして、見える範囲に汚物が落ちていないことに!


 異世界都市に対して真綾たちが最も抱いていた懸念、それが、衛生問題だった。

 真綾のちっさい親友は口を酸っぱくして言っていたものだ、現実の中世、近世ヨーロッパ都市は悪臭放つ汚物にまみれ、そこら中を豚が走り回る、この世の地獄であると、行くならソフト系ナーロッパ一択だと……。

 この世界では少なくとも、汚物を窓から外へブチ撒けることなく他の手段で処理しているようだ。これなら他の衛生面も期待できるだろう。


(花ちゃん、ナーロッパっぽいよ……)


 しみじみと、心の中で親友に報告する真綾だった。


『あ、ノーア様が教えてくださった看板がございますよ! ここが狩人ギルドのようですね』


 通り沿いに並ぶ建物にはどれも、文字の読めない人でもわかるように、仕事を図案化した木製か金属製の看板が掲げられているのだが、狼と弩をかたどった看板を大きい建物の玄関先に見つけて、熊野が無邪気に声を弾ませた。


『真綾様、わたくし心臓はございませんが、なんだかドキドキしてまいりました。やはりこれから、お約束の展開が待っているのでしょうか? わたくしも気合いを入れて結界を張りますよ~。矢でも鉄砲でもどんと来いでございます!』


 熊野が興奮気味に言う『お約束の展開』とは、異世界を舞台にしたライトノベルなどで鉄板といっても過言ではない、視線集中からの、ガラの悪いやつに絡まれて過剰防衛、そしてみんなが愕然とする、という、あのパターンである。

 熊野ほどではないにしても、やはり花に毒されていた真綾は、ちょっぴりワクワクしながら狩人ギルドの扉を開けた。


      ◇      ◇      ◇


 ギルド内へ足を踏み入れた真綾に視線が集中した! 好意的な視線が……。


『あ……この方々、真綾様と一緒にお並びでいらした皆様です』

(はい……)


 それもそのはず、彼ら狩人の主な仕事場は大鴉の森周辺であり、そこへつながる東門にさっきまで並んでいた彼らが、仕事終わりにまず立ち寄る先はここしかないのだ。

 つまり、ここにいる狩人ほぼ全員が真綾と役人のやりとりを見ており、彼女のことを貴族だと思い込んでいる彼らが、貴族風も吹かせず一緒に並んでいた真綾に対して、ストックホルム症候群とは少々違うが、一種のシンパシーめいた感情を持っているのである。

 さらに、彼らが劣情を抱くには真綾の身長と身分はあまりにも高く、そして容貌はあまりにも美しすぎた。そうした相手へ男たちが抱く感情の向かう先が、崇拝にも似た憧れなのは、古今東西を問わず不変のものである。

 この異世界都市の狩人ギルドでも、ある意味、真綾は姫様になりつつあった……。


『予想とは正反対の雰囲気ですが……まあ、温かく迎え入れていただけるのはよいことです。――とりあえず、カウンターに受付窓口があるようですので、そちらへ向かいましょうか』

(はい)


 カウンターに着いた真綾を応対したのは、美しい受付嬢……ではなく、イカツイ顔のオッサンであった……。


「……」

『……』


 小説と現実の大きすぎるギャップに、真綾たちは言葉を失った。

 しかし、憐れなのは相手のほうである。突然やってきた貴族が目の前に立ったと思ったら、無言で自分を見下ろしているのだ。それも、氷のような視線で……。


(この女貴族、なんて威圧感だ! 歩いている時の動きにもまったく隙がなかった……俺にはわかる、守護者抜きでもとんでもねぇバケモンだ。……うちの狩人が何かやらかしたのか? と、とりあえず、何か言わないと……)


 受付係の男は焦った。彼は狩人たちと違い真綾と一緒に並んでいなかったため、彼女に対する印象が狩人たちとはまったく違うものになっていたのだ。

 自分の膝が笑っていることなど無視することにした男は、山賊のような顔に精一杯の笑顔を貼り付けると、勇気を振り絞って口を開き……。


「よ、ようこしょ……」


 ……噛んだ。

 その姿に親友の姿を重ねた真綾が(花ちゃん元気かなー)などと思いながら、男の顔を無言で見つめていると、さらに焦燥感を増した男は滝のような汗を流しながらも、なんとかプロの意地を見せた。


「……ようこそいらっしゃいました。貴きお方が自らこのような場所にいらっしゃるとは、今日はどのようなご用向きでしょう?」

「女の子じゃないんですね」

「へ?」

「受付係」

「……」


 真綾の美しい口から流れ出た、あまりにも斜め上からの質問を聞いて、男は一瞬、頭が真っ白になってしまった。

 だが、彼もいい年した大人である。ポカンと開いていた口をすぐに閉じると、真綾の問いに答えた。


「……ああ、それはですね、いくつか理由がございまして。まず、ここが引退した狩人の受け皿も兼ねておりまして――」


 そう言うと、男は自分が着ている服の左袖をポンポンと叩く。そこには、あるべきはずの左腕が無かった。

 彼の後ろにいる職員たちを見てみれば、たしかに皆、とうに全盛期を過ぎている年代か、体のどこかが不自由そうな男ばかりだ。


「――まあ、受け皿といっても、ずいぶんと小さい皿なんですがね、それでも無いよりはマシです。それに、ベテラン狩人が職員やってると、何か起こったときの対応が的確で早いですし、若い連中へ何かとアドバイスもしてやれます。おまけに揉めごとも起こりにくい。……まあそんなわけで、ここにいるのは俺らみたいなムサ苦しいオッサンばかりなんでさあ」


 説明しているうちに緊張が解けたのか、最後のほうは口調に地が出てしまっている男だが、彼の話を真剣に聞いていた真綾はそんなことを全然気にしない。


「……なるほど。――つまらないことを聞いてごめんなさい」


 美しい所作で自分に頭を下げる真綾を見て、男の真綾に対する印象は激変した。いや、率直に言うならば、感動していた。

 貴族が平民に頭を下げるなど、ヴァルキューレが弱者の魂を連れていくのと同じくらい、ありえないことなのだから。


「……あ、頭を上げてくだせぇ、俺なんかに勿体ない。――ああ、そんなことより、今日の用向きはなんでしょう?」

「はい、魔石をお金に――」


 男が慌てて真綾の頭を上げさせると、彼女は用件を口にしながら、いつの間にか首に提げていたガマ口の中へ手を突っ込んだ。


「――これです」


 コトリ、と、カウンターの上に真綾が置いたのは、小指の先ほどの小さな魔石、ゴブリンの成れの果てだ。


(ああなるほど、そういうことか……。なんで自分ちの御用商人を呼びつけないのかと思ったら、〈男爵級〉ひとつくらいじゃ悪いと思ったんだろうな、見かけよりも気立てのよさそうな娘さんだし。ひょっとしたら、親にナイショで小遣い稼ぎかな?)


 などと、男が温かい視線で見ていると――。


 コトリ、コトリ、コトリ、コトリ、……。


 カウンター上に次々と魔石が並べられていった、几帳面に……。

 それがありえないほどの数になると、今度は〈城伯級〉であるレッドキャップやハーピーの魔石が並び始め――。


 ゴトリ、ゴトリ。


 最終的に、古城で拾った〈ひときわ大きい巨人〉の魔石がふたつ出現するころ、受付係の男は口からエクトプラズムを出して固まっていた……。


「お願いします」

「ムリ!」


 真綾のひとことで我に返った男が勢いよく断ると、いつの間にか真綾たちを取り囲むようにできていた人垣が、揃ってウンウンと頷くのだった……。

 するとそこへ、ドスの利いたしゃがれ声が響いた。


「おいお前ら、こりゃあなんの騒ぎだ?」


 魔石を片付けようとしていた真綾が声の主へ視線を向けると、そこには、山賊の頭目が立っていた。

 その男の髪やアゴヒゲには白いものもずいぶん交じっているのだが、真綾より上背がある体のほうはゴリラのように筋骨隆々で、鬼のような顔を縦に走る傷跡で右目は潰れていた。

 顔を見ただけで子供が泣き出してしまいそうな男の登場に、受付係の男は大きく声を上げる。


「と、頭目!」

「頭目じゃねえ! ギルド長だっつってんだろ!」


 彼はここのギルド長であった……。





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