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第二一〇話 荒れ地の魔女 五 大晦日



 集落を抜けてしばらく行ったところに、ロシュトルフ男爵の館はあった。……そう、城でも城館でもなく、ただの館である。

 無論、現代日本人の感覚からすれば大豪邸ではあるが、ラッツハイム男爵の城館に存在していた城壁の代わりに、ここでは真綾の背丈よりも低い生け垣で敷地を囲ってあり、その中に、ラッツハイム男爵邸よりも小ぶりな洋館や倉庫らしき建物などが、ポツリポツリと配されているだけで、とうてい実戦に耐えられるような造りではなく、館そのものも、あちこち漆喰が剥がれて下地が剥き出しになっているにもかかわらず、そのまま放置されているなど、全体的にかなりボロ……質素なのだ。

 そのボ、……慎ましい館の玄関先に馬車が横付けされると、すでに玄関の両開き扉は開いており、家人揃って真綾のことを出迎えてくれた。

 ……そう、家人揃って。

 男爵夫人だろうアラフォー女性や執事らしき初老の男性、また、いかにも夫人付き侍女然とした中年女性はいいとして、料理人にしか見えない格好の男性や、古びた私服にエプロン姿の女中たち、あるいは、厩舎係なのか庭師なのか下男なのかも判然としない格好の男、といった、普通の貴族家では客前に出ることのない職種の人々までが、玄関先で整列しているのだ。


「さあ、みんな、私の依頼を受けてくださった方にお越しいただいたぞ。昨日も話したように、お連れした方は金ランクの狩人というだけでなく、貴族家のご令嬢でもいらっしゃるからな、くれぐれも失礼のないように」


 などと、男爵から笑顔で釘を刺されたものの、貴族家のご令嬢など出迎えたことのない者たちは緊張し、また、執事を始め、貴族家の血に連なる者たちも、粗相があっては男爵家の名折れとばかりに身を引き締めた。

 一方、男爵に随行していた若い従者は、他の使用人たちに先んじて真綾を目にしていたため、女神のごとき美貌を思い出して頬染めながら、馬車の扉を恭しく開いた。


 ゴクリ――。


 国内に数名しか存在せぬ金ランク狩人にして、貴族家のご令嬢でもある人物とは、いったいどのような人物なのだろうと、男爵家の使用人たちは同時に喉を鳴らしつつ、馬車から出てくる人物に好奇と緊張の眼差しを向けた。

 そして――。


(なんと麗しいお嬢様でしょう)

(まあ! なんてお美しい!)

(すげぇ……)

(女神様みたい……)

(どえれぇベッピンさんもいたもんだなあ)


 地上に降り立った真綾を目にしたとたん、使用人たちは例外なく、まず、その美貌に心奪われ、さらに……。


(大きい!)


 ……と、全員揃って、心の中で失礼な声を上げたのだった。


      ◇      ◇      ◇


 この日は日本で言うところの大晦日、つまり、今年最後の日である。

 グリューシュヴァンツ帝国の王侯貴族らは、歳末、特に大晦日になると、自邸で盛大なパーティーを開き、あるいはそれに招待されと、社交に勤しむのが一般的だが、ロシュトルフ男爵家では、庶民と同じように家族で新年を迎えることが恒例らしく、男爵からの強い勧めで、今日明日は真綾も調査へ行かずに男爵家で泊まり、大晦日と元日の宴席に加えてもらえることとなった。

 そういうわけで、ちょうど親友が海賊退治に精を出しているころ、真綾はロシュトルフ男爵邸でダイニングテーブルに着いたのだが……。


「たんげ、めじゃぁ。――マーヤ様、こったらおごっつぉー、がっぱどもらっでまて、めやぐだっきゃ。ありがどごす」


 ……庶民の味方ポテトコロッケを幸せそうに頬張る女性、ロシュトルフ男爵夫人から、東北弁っぽい方言で話しかけられていた。

 説明しよう。

 新年の到来を祝う特別な料理であるうえに、今回は貴族家のご令嬢も口にするということで、男爵家の料理長は張りきって腕を振るい、そうやって完成した料理がテーブル上に並べられたわけだが、悲しいかな男爵家の経済力ではさほど豪華な料理も作れず、また、量に関しては、貴族家のご令嬢ひとり増えたとて誤差の範囲内と侮っていたため、真綾がペロリとたいらげては追加が運ばれてくるということを繰り返しているうちに、厨房にあった作り置きも今夜のぶんに回せる食材も、とうとう底を突いてしまった。

 給仕をしていた従者が、その事実を青い顔で男爵に耳打ちした際、これが真綾の地獄耳にも入り――。


『王侯貴族のお城やお屋敷では、主人やお客様の食べ残しを上級使用人が食べ、さらにその食べ残しを下級使用人が食べる、たしか、そういうシステムだったはずですから、このままですと、使用人の皆様は空腹なまま新年を迎えることに……』


 ――などと熊野が言ったため、さすがの真綾もこれはマズいと察し、思いついた料理やら酒やらを【船内空間】から出して男爵夫妻に振る舞い、同様のものを大量に取り出して使用人らにも提供した、というわけだ。

 ちなみに、給仕する必要のなくなった従者は下がらせたため、正餐室に現在いるのは男爵夫妻と真綾の三人だけである。……え? 気になるのはコロッケよりも、男爵夫人の方言のほう?


「素晴らしいお料理を頂いたことに、妻は感謝申しております。……本当に申しわけございません、妻はナデジア大公国の出でして、しかも、かなり僻地の男爵家が実家で、社交界とも縁遠い生活をしておりましたから、ナデジア大公国やレフスカ王国などの使う東北訛りが身に染み付いているのです」


 ……そう、ロシュトルフ男爵がすべて語ってくれたように、東北地方出身の夫人はお国訛りがエグいのだ。

 謎の翻訳システム、恐るべし。


「マーヤ様、かにしてけろ、わっきゃ、じゃいごもんだはんで……。この人が社交の場行がねのも、こったらわぁを思ってのことだんず」

「いやいや、それは社交に回せるような金が無いだけだし、私自身、あのような場は性に合わないからね、きみが気に病むことじゃないさ。きみこそ、華やかな場に憧れる気持ちもあるだろうに、こんな貧乏貴族に嫁いだせいで……」

「なもしー、そたらだごとねぇよ。わぁも、あしたせわしね場は、おったるだけだはんで、おめ様や使用人たづとここさおるほが、あずましくって好ぎだ。貴族相手するより庭いずってるほがえ」


 この会話からすると、家計が苦しくとも男爵夫妻の仲は睦まじいようである。


「ところでマーヤ様、私はあなたに謝罪申し上げなくてはなりません……。実を申しますと、私は、あなたのことを女性騎士志望のご令嬢だと思い込んでおりましたが、あなたご自身が爵位をお持ちだったのですね、しかも、私などより高位の……。恥ずかしながら、凡庸な私では察することができませんでした、これまでのご無礼の数々、どうかお赦しください」


 何も無い空間から次々と料理が現れる光景を目撃したことで、さすがの彼も真綾に守護者がいると気づいたらしく、――どこかの女伯爵だとは思うが、あえて爵位を伏せているからには、彼女にも何か事情があるのだろう――と、貴族らしい考えも巡らせつつ、男爵は真綾のほうへ向いて姿勢を正したかと思えば、自身の思い込みゆえ気安く接してしまったことを謝罪した。

 それを聞いた真綾が――。


「いいえ。どうか気楽に」


 ――などと、軽く首を横に振って真顔で言うものだから、せっかく身分を伏せているのに仰々しく接するな、という意味として男爵は受け取り、夫人と一度頷き合ったあと、真綾への接し方を決めた。


「……わかりました。それでは、私は今後もあなたをマーヤ嬢とお呼びし、気兼ねなく接することにしますが、よろしいですか?」

「はい」


 真綾がコクリと頷いたことで男爵の方針も決まり、その後は、黙々と食べ続ける真綾に男爵夫妻が気楽に話しかけ、楽しい時間が流れていった。


      ◇      ◇      ◇


「たげめぇ~。マーヤ様、この、栗っこ入っだ甘ぇお菓子、なんぼめっきゃの、いい味っこだぁ」


 などと、天にも昇るような表情で言ったかと思えば、すぐさま同じものに手を伸ばす男爵夫人……。さすがはかつて好評を博した熊野丸土産である、銘菓〈旅鴉〉は異世界の淑女をも魅了したようだ。


「こらこら、はしたないぞ、ハハハハハ。――いやあ、このように楽しげな妻を見るのはいつぶりでしょう。何ぶん、私たちには子供がおりませんし、誰かを招待することもありませんから、いつもふたりきりで食事をしているんですが、食卓を囲む人数が増えると、こうも楽しいものなんですねぇ」


 はしゃぐ夫人を見てよほど嬉しかったのだろう、男爵は目を細めて笑うと上機嫌でしゃべり、最後に、真綾提供のコップ酒をグビッとあおった。


「プハ~ッ! うまいっ! この酒は初めて飲みましたが、異国のものですか? スッキリとした味わいで実にうまい――おや? マーヤ嬢、お次は何ですか?」

「年越しそばです」

「ほう、年越し……」

「めったらだかまりっこだあ」


 ほろ酔い加減の男爵の前で、大晦日ならコレとばかりに真綾が年越しそばをテーブル上に出し、それを男爵夫妻が興味津々と覗き込もうとした、その時――。


「失礼いたします……」


 ――と、執事が正餐室に入ってきた。

 ゾロゾロと、酒くさい使用人一同を引き連れて。



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