表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

210/213

第二〇九話 荒れ地の魔女 四 エイミーは消えた



 栗色の巻き毛とソバカスの愛らしい幼女が、みすぼらしい毛布で身をくるみ、夕陽に赤く染まった荒れ地の中をひとり、不安げな表情で歩いている。

 彼女の名はエイミー、この秋の初めごろ六歳になったばかりだ。

 この世界において、人里を少しでも離れれば、そこは人ならざるモノの領分であり、その危険も夜が近づくにつれ増してゆくというのに、なぜ、このような幼女がひとり、こんな時間に荒れ地の中をさまよっているのか、そのことを説明するために、少々お時間を頂戴したい。


 彼女の父は、自由農民から土地を借りて耕作する小作人であったが、今年の夏を迎える前に、ちょっとした怪我から高熱を発し、そのまま帰らぬ人となった。

 遺されたのはエイミーと妹、そして彼女の母、この三人である。

 ただ、エイミーの実母が彼女を産んですぐ他界しているため、今の母は継母であり、彼女と同い年の妹もその連れ子であった。

 この継母というのが、少々器量は良くとも意地の悪いところがあり、以前からエイミーには冷たく、実の子ばかりを可愛がっていたのだが、エイミーの父親が他界してしまったことで、誰はばかることなく彼女を罵倒するようになり、妹のほうには何もさせず、彼女ばかりに仕事を押し付けるようにもなった。

 また、妹も母親に似て性悪で、父という重石が消えてからというもの、姉のことをいじめて悦に入るようになったため、エイミーの居場所は家庭の中になくなってしまった。

 そうやってエイミーが孤独に耐える日々を送る一方、継母はと言えば、一家の大黒柱を失ったことで生活が以前にも増して苦しくなってゆくと――。


「……ああ、小作人なんかに嫁ぐんじゃなかった、しかも、その夫がポックリ逝っちまうなんて、アタシはなんて不幸なんだろう。……全部、あの甲斐性なしが悪いんだ」


 ――などと、亡き夫を恨むようになり、そうなると、夫の娘であるエイミーのことまで憎たらしく、また、自分の足に嵌められた重い枷のようにも思えてならなくなった。

 やがて、継母は決めた。


「エイミー、父ちゃんから聞いたことがあるんだけどね、アンタを産んだ母親は荒れ地の花が大好きだったそうだよ」

「えっ? 本当?」


 ある秋の日の夕暮れ前、家の外で薪を運んでいたエイミーは、いつになく優しい声をして言う継母に目を丸くして聞き返した。


「ああ本当さ、聞いてなかったのかい? ……あの人ったら、亡くなった母親のことを聞いてエイミーが恋しがっちゃいけない、とでも思ったのかねぇ……。でもね、私には言ってくれたんだよ、『実は俺も荒れ地の花が大好きなんだ』とも。だからさ、いいことを思いついたんだけどね、アンタの両親のお墓に荒れ地の花を供えたらどうだろう」

「うん、それがいい!」


 いつもは怖い顔で叱りつけてくる継母が、どうしたわけか、今日は別人のように優しい表情で、しかも、亡くなった両親の喜びそうなことを提案してくれたものだから、エイミーはすっかり嬉しくなり、パァッと顔を輝かせて賛成した。


「……あ、でも、荒れ地の花、もう咲いてないよ……」


 しかし、荒れ地の花(日本ではエリカの名で有名)が咲いている時期など、とうに過ぎていることを思い出すと、とたんにエイミーは悲しくなり、クリクリとした両目から涙が溢れ出してきた。

 そんな彼女の涙を指で優しく拭いつつ、継母は言う――。


「泣かなくても大丈夫。――実はね、あの荒れ地のどこかに、一年中咲き続ける不思議な花があるんだよ。そしてその花は、親想いな優しい子供のことが大好きでね、親に花をあげたいって心から願う子がいたら、必ず自分のところへ導いてくれるんだよ」


 ――と、愛娘にするように微笑んで。


「本当?」

「もちろん。しかも、愛しい子の手でその花を供えてもらったら、亡くなった親は必ず天国で幸せになれるんだそうだよ」

「お父ちゃんとお母ちゃんが、幸せに……」


 生まれ変わったように優しい継母から優しい答えが返ってくると、エイミーはもう、嬉しくって堪らなくなり、また、懐かしい父と記憶に無い母の幸せそうな顔を思い描き、ぜひともその花を見つけ出したいと、幼い胸に使命感のようなものを芽生えさせた。


「ただ、その花は強い光に弱いから、明るいうちは地面の下に隠れててねぇ、お日様が傾いてから夜になるまでの少しの時間だけ、地上に出てくるんだよ。だから、その花を見つけるには、ちょうど今くらいの時間に行くしかないんだよねぇ」

「今から……」


 継母の言い足してきた条件を聞いて、エイミーは夜へと向かいつつある空を見上げ、それから、種播きの終わったばかりの畑の向こうに広がる荒れ地へと、その不安げな視線を落とした。

 無理もない、亡き父からは「危ないから絶対にひとりで森や荒れ地へ入るなよ、夜に村の外へ出るのもダメだ」と、何度も言い聞かせられていたのだから。


「そうだよねぇ、そりゃあ誰だって、死んじまった親のことなんかより自分のほうが大事だよねぇ……。エイミー、今の話は忘れとくれ、いい考えだとは思うけど、肝心のアンタが嫌だってんならしょうがない。……ま、こんな親孝行な娘を持って、ふたりもさぞ喜んでいることだろうさ」


 などと、さも残念そうに言う継母を見て、ここで断ったら、彼女はまた恐い人に戻ってしまうかもしれない、逆に自分が荒れ地の花を持ち帰れば、これからはずっと優しい母でいてくれるかもしれないと、切実な不安と健気な希望を抱いたこともあり、また、亡くなった両親を幸せにしたいという想いもあり、ついにエイミーは決断した。


「あたし、行ってくる」


 こうしてエイミーは、両親の魂を幸福にしてくれるという不思議な花を求め、夕暮れ時の荒れ地をひとり、さまようことになったのだ。

 継母の優しい笑顔の裏側を知りもせず……。


      ◇      ◇      ◇


 秋の空は黄金色に、そして、黄金色からグラディエーション織り成す複雑な色へと移りゆき、やがて群青色の割合が多くなったころ、どこかで鳴く獣の声を聞いたことで、恐ろしくて堪らなくなったエイミーは、もう引き返そうかと振り返り、そこに、夜の闇と同化しつつある広大な荒れ地を見て、自分がどこをどう帰ればいいのかわからなくなった。


「どうしよう……」


 途方に暮れたエイミーは、防寒着代わりにくるまってきた毛布を頭から被り、その場にうずくまった。

 と、その時、彼女は背後に何かの気配を感じて、子供らしい好奇心のまま恐る恐る振り返り――そこに見た。


「お、狼だ……」


 ……そう、大きな狼が一匹、両目を妖しく光らせて、薄闇の中からこちらの様子を窺っているのだ。

 しかも、ただの狼ではなく、足が六本もあるではないか。


「逃げなきゃ!」


 アレは魔物だと気づいたとたん、エイミーは弾かれたように立ち上がり、そのまま力の限り走り出し――次の瞬間、毛布だけを残して世界から消えた。


      ◇      ◇      ◇


 真綾に依頼を引き受けてもらえたことで、ギルド長とロシュトルフ男爵が喜んだことはもちろん、なぜか室外からも歓声が聞こえてきたのだが、ともかく、翌日の午前中に男爵が真綾を迎えに来るという話で決まった。


 そんなわけで、真綾が依頼を受けた日の翌日――。


 帝国の冬では珍しくもない灰色雲の下、真綾を乗せた箱馬車が、グリューネブルクからロシュトルフ男爵領へと向かっていた。

 手入れこそ行き届いてはいるものの、かなり年季の入ったその二頭立て馬車は、とても貴族家所有とは思えぬほど質素であり、また、老朽化のせいか、揺れるたびギシギシと盛大に軋み、そのままそれが男爵家の経済事情を物語っているようだ。


「申しわけありませんねマーヤ嬢、ひどい乗り心地でしょう? ご実家の馬車とは比べるべくもないでしょうが、すぐに着きますので、どうか我慢してください」


 御者側の小窓から顔を覗かせ、真綾に謝るロシュトルフ男爵。

 田舎の貧乏貴族ではあるが、家族以外の女性とふたりきりで馬車に乗らないという最低限のマナーは、さすがに彼もわきまえているらしく、こうしてずっと御者のとなりに腰掛けているのだ。

 ちなみに、前にも述べたとおり、戦闘方面に関して素人同然である彼は、真綾のヤバさを察することができず、また、あえて社交の場から遠ざかっているため、マーヤ・ラ・ジョーモンの噂を聞いたこともなく、その結果、真綾のことを守護者持ちの貴族本人だとさえ気づかず――。


(おそらく、武門の誉れ高き城伯家あたりのご令嬢が、王侯お抱えの女性騎士になろうと武者修行しているのだろうが、女性の身で金ランクにまで上り詰めたのだから、ただ武の才に恵まれているだけではなく、さぞや厳しい鍛錬の日々を送ったのだろうな……。才を奢らず研鑽に励み、ひたむきに高みを目指すとは、立派なご令嬢ではないか……)


 ――などと、彼は勝手に思い込んでいた。

 最下級貴族に過ぎない男爵位ではあるものの、城伯の娘というだけの非召喚能力者よりは、さすがに社会的身分が上であるため、最低限のマナーは守りつつも気軽に接する男爵だが、もし、真綾のことを〈神殺しの姫君〉だと知っていたら、彼もひたすら畏れ入るばかりで、とても依頼などできなかったに違いない。知らぬが仏とは、このことである。

 さて、蛇足はこれくらいにして、車窓の風景がグリューネブルク近郊の耕作地から森へと変わり、森から荒れ地へと、そしてまた森へと変わり、ふたたび森から荒れ地に変わり、秋播きのライ麦畑だろう耕作地や休耕地らしきものと、うら寂れた集落が見えてきたころ、またも男爵が小窓から声をかけてきた。


「マーヤ嬢、我が領地へようこそ」


 この、森と荒野に囲まれたささやかな農村と、同じような村のいくつかが、ロシュトルフ男爵領のすべてであった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ