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第二〇七話 荒れ地の魔女 二 金ランク、います



 真綾は名家のご令嬢ではあるが、一庶民として祖父と慎ましく暮らしていたため、物価というものに対して鈍感なわけではない。……いや、同じ内容量の袋菓子あらば一円でも安い商品を選ぶほど、むしろ金銭感覚はシビアである。

 グリューネブルク市内をのんびり観光したあと、正午の鐘を待たずマルクト広場(塩市場ではないほう)へと突入した彼女は、そこでいつものごとく買い食いしながら、あることに気づいた。


「高い……」


 ……そう、あちらこちらの都市で買い食いしてきたからこそ実感できるが、これまで訪れたどの都市よりも、ここは明らかに物価が高いのだ。

 すると、彼女のつぶやきが聞こえたのだろう、ブレーツェル売りのおばさんが代金を受け取りつつ話しかけてきた。


「その身なりからすると、アンタ、どこかの豪商のお嬢さんってとこかい? 親の仕事について来たんだろうけど、北部低地は初めてみたいだね。――はいどうぞ」


 真綾にブレーツェルを渡したあとも、おばさんは続ける――。


「ごめんよお嬢さん、この辺りじゃあ、これが普通なんだよ。この北部低地は商売が盛んでね、都市は勢いがあるんだけど、その代わり、ろくに作物が育たないもんだから、村を捨てて都市に移る農民が跡を絶たなくね、おかげで、主食になる穀物を遠方から買わなきゃならないから、当然その値段が高くなって、それに合わせて他の物の値段まで上がってるのさ。――そんなわけだから、ちょっと高くても辛抱しとくれよ、代わりと言ったらなんだけど、ここで採れた上等の塩をタップリ振ってあるからさ」


 その話を聞いているうちに真綾は思い出した、アイゼナハトからここまでの道中で見てきた光景を。

 アルツ山地を北に抜けると景色が一変し、見渡す限りの平野が広がっていたのだが、しばらく走った辺りから耕作されていない土地が目立つようになってきた。

 特に、この都市へと近づくにつれ、エリカが生い茂り潅木がまばらに立っているだけの荒野を目にすることが多くなり、それとともに、村々の建物はより粗末に、村人たちの雰囲気もより暗くなっていったような気がする。

 実は、魔女の領分たるアルツ山地より北には山らしい山もなく、緩やかな起伏のある大平野が北方の海まで広がっているのだが、概して土地が痩せているためにライ麦や燕麦くらいしか育たず、北部低地と呼ばれる広大な平野のうち、決して少なくない部分が、湿地や荒れ地のまま放置されているのだ。

 そのうえ、都市人口を支えるべき農村から都市へと人が流入し、食料の需給バランスが崩れてしまっているとは、頭の痛い話である。


『耕作に不向きな地域における都市の肥大化と農村の過疎化、それによる食料自給率のさらなる低下と物価の上昇ですか……。こちらの世界も世知辛いですねぇ』


 熊野の声を脳内で聞きながらかじったブレーツェルは、少々しょっぱすぎるように真綾には思えた。


      ◇      ◇      ◇


 真綾は次に、とある赤レンガ造りの建物の前へとやって来た。


『は~、ここも立派な建物ですね~。交易で栄えている大都市ということですから、商隊の護衛依頼などで繁盛しているのでしょうか? この様子ですと、抱えている狩人の数もさぞや多いことでしょうね、これは期待できそうですよ』

(腕が鳴ります)


 ……そう、方伯領ではエルジェーベトの手伝いなどで忙しかったため、すっかり忘れていたが、狩人ギルドの会員証は登録ギルドが属する領邦のみ有効ということで、こうして北部低地公領へと移動した今、真綾はここでも会員登録しようと思い立ち、グリューネブルクの狩人ギルド会館を訪れたのだ。

 そう思い立った理由のひとつは、魔石を換金するためである。

 狩人ギルドと魔石商ギルドとの取り決めがあるとはいえ、貴族である彼女なら〈城伯級〉以下の魔石を商人に買い取らせることも可能だが、真綾は、ギルドという組織が引退した狩人たちの受け皿でもあると知ってから、それを応援するつもりで、〈城伯級〉以下の魔石はギルドに卸すよう決めているのだ。

 もうひとつの理由については説明するまでもなかろう、絡んできたイキリ狩人を返り討ちにするという、お約束イベントを、彼女は期待しているのである。

 そんなわけで、真綾は期待に胸を膨らませつつ扉を開け――。


「……?」


 ――ワンテンポ遅れてから首をかしげた。

 だだっ広いホール内に、狩人の姿がひとりも見当たらないのだ。……まあ、この世界のギルド会館には、狩人たちの溜まり場になるような飲食スペースなど存在しないし、そもそも、この時間は彼らも仕事をしている最中だろうから、こうして姿が見えないのは当然なのだが。

 ただ、ひとつ奇妙なことに、受付カウンターの向こうで働いているはずの職員たちが、なぜか階段の下に群がり、何やら上階のほうを見上げているではないか。


『そうでした、この時間は狩人の皆様はお仕事中でいらっしゃいましたね。……それにしても、職員の皆様、いかがなさったのでしょう?』


 などと熊野が不思議がっていると、職員のひとりが、ふと、真綾のほうを一度振り返り、それからすぐに上階へと視線を戻して――ソッコー振り返った!

 教科書に載せたいくらいの二度見である。


「……あ、……ああ、……」


 真っ青な顔で真綾を見つめたまま、チワワのようにプルプル震え始める職員。

 すると、そんな彼に気づいた同僚が、彼の視線の先を追って――。


「……あ、……ああ、……」


 ――真綾を見るや否や、自分も彼と同じ状態になり、ほどなくして、それは波紋のように広がっていった。


「……あ、……ああ、……」


 結局、階段下にいた職員全員が真綾のほうを向いて震えるという、チワワ祭りのごとき光景が、異世界に現出したのであった。

 だがしかし、彼らを滑稽だと笑うなかれ。彼らは皆、引退した狩人であり、魔物や野盗との戦いを生き延びてきた猛者ばかりなのだから、そんな彼らが、真綾をひと目見ただけで尋常ではない存在だと察するのも、無理からぬことであろう。

 ただ、彼らが畏怖している相手は、あまり空気を読めない子である。


「登録お願いします」


 真綾が金ランク狩人の証たる金のメダルを取り出すと、それを見てさらに震えを増す職員たちであった。


      ◇      ◇      ◇


 この国に数個しか存在しない金の狩人証を見て驚いたものの、得体の知れぬ魔物ではなく狩人だとわかって安心し、また、金ランク狩人ならば自分が気圧されて当然だと納得もしたのか、あのあと、ギルド職員たちは弾かれたように持ち場に戻り、真綾の登録と魔石の鑑定を行った。

 登録にあたって真綾が名乗った際、ギルド内が一瞬だけザワついたようだが、この反応は、バンブルクで誕生した新たな金ランク狩人の名が、すでにここまで広まっているということだろう。


「たいへんお待たせいたしました、こちらが魔石の代金とギルド証でございます」


 さすがは大都市にある狩人ギルドの職員というべきか、真綾の担当になった受付係の男は、狩人上がりとも思えぬ丁寧な口調でしゃべりつつ、硬貨の山と狩人証をカウンターの上に置いた。……山賊のごとき顔を強張らせてはいたが。

 そんな時、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。


「男爵様、たしかにお受けはしますがね、あまり期待しねぇでくださいよ。何度も言って申しわけねぇが、今回の依頼をこなせるほどの狩人はそう多くいませんし、使えそうな連中も、今はみんな商隊の護衛で出払ってて当分の間は帰らねぇ。だから、この依頼を受けるやつはいねぇでしょうし、もし、いたとしても、適当に報告して金だけ頂戴するようなクズか、あとは、自分の力量も知らねぇ半端者くらいですぜ」

「わかっちゃいるさ。しかし、領主として放ってもおけないだろう? ……まあ、しばらく待っても受けてくれる者がいなかった場合は、私自身が出向こう。ともかく、もし受注希望者がいた場合、それに足る者かどうかの判断はお前に一任するから、ギルド長たる者の眼識のほどを見せてくれ」


 階段を下りながら話し合っているのは、男性ふたりのようで、片方はドスの利いた低音ボイス、もう片方はやわらかい印象の声である。

 そのふたりは階段を下りきったところで足を止めると、向き合った。


「そりゃあ構わねぇが……男爵様、もし依頼が流れちまった場合、本当に自分で行きなさるんで? 悪いこたぁ言わねぇから、このまま公爵様に頼んでみたらどうですかい? 直臣である男爵様の頼みなら、公爵様だってすぐ動いてくださるかもしれませんぜ」

「その直臣だけで百四十家余り、麾下の伯爵家と陪臣まで含めたら百八十家以上、それだけの数を公爵閣下は抱えていらっしゃるんだぞ、ただでさえご多忙な閣下に動いていただくためには、こちらも可能な限り詳細で正確な情報を上げるのが道理じゃないか。そんなこと、ここのギルド長であるお前なら百も承知だろう」


 話の内容から察するに、ふたりのうち、山賊の頭目かと思うほど厳めしい初老の男はギルド長で、くたびれた貴族衣装を着ている中年男性のほうは、なんらかの依頼を出しに来た男爵らしい。


「そりゃあそうですがね、言っちゃあ悪いが、男爵様は銅ランクのヒヨッコ狩人にすら勝てねぇほど、ドンくさいじゃねぇですか」

「本人を前にそこまで言うか……」


 ギルド長から身も蓋もないことを言われると、小柄な男爵は激怒するでもなく、痩せた頬を掻きながら苦笑した。

 王侯貴族と庶民との格差が極めて大きいこの世界にあって、これは、本来ありえない光景である。


「俺は心配してるんでさ。男爵様はドンくさいうえに貧乏だが、他の貴族たちみてぇに偉ぶることもねぇし、バカ正直でお優しい。貴重なお人だと思うからこそ、俺はアンタに死んでほしくねぇ……」

「……」


 厳めしい顔に憂いを浮かべつつ心配してくれるギルド長を見て、男爵は言葉に詰まってしまった。

 一方、職員たちは彼らの会話に聞き耳を立てており、真綾も元来無口なため、たちまちギルド内は沈鬱な静寂に包まれた。


「……ハァ。金ランクの狩人でもヒョッコリ現れねぇかなぁ……」


 深く嘆息して静寂を破ったあと、己が職責の重きを忘れ、叶うはずのない希望を口に出してしまうギルド長……。

 その時である。


「金ランク、います」

「へ?」


 受付カウンターのほうから聞こえてきた若い女性の声に不意を突かれ、思わず間の抜けた声を出してしまったギルド長は、声のした方向を反射的に振り返り――。


「……あ、……ああ、……」


 ――金メダルを突き出している真綾を見た瞬間、チワワのごとくプルプル震え始めるのであった。



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