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第一九話 バーデンボーデン 一 黒き王


 異世界で何かやらかしそうな真綾のことを心配し、日本で〈ちみっ子軍団〉が奪還へ向けた準備に励んでいたころ――。

 異世界では、真綾がやらかしていた……正確に言うと、熊野が……。


 南北に長い大鴉の森のすぐ西側に北へ向かって流れる大河があること、その川沿いには人間たちの町や村がたくさんあり、ちゃんと街道も通っていることを、ドリアーデの長、クレメンティーネが昨日教えてくれた。

 そのため、道のない森の中をこのまま北上し続けるより、川か街道を使ったほうが快適だろう、ということで、クレメンティーネに行き方を教えてもらった最寄りの町へと、真綾は森の中を着実に進んでいた。


 いつものように優雅な昼食を終え、真綾が半時間ほど歩いたころだろうか、メリメリと木の折れる音や複数と思われる人間の怒号が、かすかに遠くのほうから聞こえてきた。

 そのとたん、真綾は一瞬の躊躇もせずに走り出す。


『どうやら人間が、人間もしくは別の何かと戦っているようですね。真綾様、お気をつけください』

「はい」


 しばらくすると真綾の前方に、熊野の言葉どおり、武装した男たちと巨大な魔物の戦っている光景が見えてきた。

 どうやら怪我人もいるらしく、男たちのうち、ふたりが注意を引きつけている間に、残るふたりが怪我人を連れて逃げようとしているようだ。

 彼らを襲っている魔物、それは、身長が四メートル近くはあろう羊頭の巨人だった。


 漫画やアニメで慣れている現代人にはピンとこないかもしれないが、よーく想像していただきたい、素手で人間を引き裂ける力があるというゴリラと実際に向き合った、自分の姿を。

 さらに、身長がその二倍に、体重は八倍にも膨れ上がったゴリラが、殺意のこもった目で自分を見下ろしている姿を!

 考えていただきたい、それがいかに恐ろしく絶望的な状況かを……。


 巨人が手にした巨大な棍棒を振るうと、両手剣を持った男は、戦い慣れしていそうな動きでそれを躱し、もうひとりが巨人の顔めがけてショートボウを放った。

 だが、顔面に命中した矢は虚しく弾かれ、巨人の黒い羊頭にひとすじの傷さえつけることはできない。男たちが圧倒的に不利な状況であるのは明白だ。


『真綾様、あの魔物、もしかすると……』

(はい)


 真綾たちの脳裏に、湖の乙女がかつて住んでいたという古城、ラーヴェンブルクで真綾が拾った棍棒と、クレメンティーネから聞いた話がよみがえっていた。

 優しい木の精霊は言っていた、かつてラーヴェンブルクを襲った魔物の中に、牛馬や羊の頭部を持つ異形の巨人たちがいたことを、そして今もなお、その生き残りが存在していることを――。


『奥様と湖の乙女様を襲った輩の残党でしょう。……まさしく、ここで会ったが百年目でございますね』

(行きます)

『お待ち下さい――』


 自分のご先祖を襲った魔物を成敗すべく、相変わらずなんの躊躇もなく突撃しようとする真綾を、なぜか熊野が静止した。


『――花様の小説をお忘れですか? ここは異世界です、敵がどのような能力を持っているかわかりません。たとえば相手の結界や防御力を無効化したり、攻撃のベクトルを変えたり……。真綾様、念には念を入れて完全武装で向かうべきです』

(なるほど……)


 ふたりは花によって、すっかり洗脳されていたのだ……。


『それでは――』


 こうして、心配性な熊野の進言により、真綾の参戦はほんの少しだけ遅れるのであった……。


      ◇      ◇      ◇


「クソっ! 鋼の矢尻が弾かれちまう! いくらすると思ってんだチクショウ! これだから大鴉の森なんかに入るのは嫌だったんだ」

「しょうがねえだろ、受けちまったもんはよ! 深部でもない場所でこんな大物と出くわすなんて誰が思うよ。――おいお前ら! 早く逃げろ、そう長くは持たねえぞ!」

「すまねえ……」


 森の中に男たちの怒号が響く。

 彼らはギルドからの依頼を受けて大鴉の森を調査に来ていた、〈狩人〉たちだった。狩人といっても魔物が跋扈する世界のそれであり、狩る相手は鳥獣だけではなく魔物も含まれる危険な職業だ。

 ギルドから指名されるほど実力も実績もある彼らだったが、今日は運がなかったらしく、まさかの場所でまさかの大物、彼らが〈伯爵級〉と呼ぶクラスの魔物に出くわしてしまった。

 しかも、〈伯爵級〉以上の魔物を見たら何も考えず逃げろ! というのがこの世界で生きる者の常識だというのに、新人メンバーが魔物を見たとたん腰を抜かしたうえ怪我を負ってしまったせいで、見事に初動を挫かれていたのだ。


「刺さんねぇでいい! とにかくお前は矢を射続けろ、なんとかあいつらの逃げる時間を稼ぐんだ」

「おう! お前もご自慢のツヴァイヘンダーでどうにかしてくれよ」


 位置を変えながら矢を放つ仲間にそう言われて、男は自分が握っている長大な両手剣を握りしめた。

 だが、いつもは頼もしいツヴァイヘンダーが、今は枯れ枝のように心細く感じられる。


「ムチャ言うなよ! 〈伯爵級〉に俺たちの武器が通じるか! 俺はお貴族様じゃねえんだ――よっと!」


 唸りを上げて襲い来る棍棒をギリギリで躱すと、ツヴァイヘンダーの男はゴクリと生つばを飲み込んだ。

 ――今のは危なかった。あの棍棒をまともに喰らえば、自分のレザーアーマーはもちろん、騎士たちのプレートアーマーを身に着けていたとしても、まず即死をまぬがれまい。

 このままではもう長くは持たないだろう。先に逃した仲間たちの気配がなくなったら、タイミングを見計らって別々の方向へ逃げよう、そうすればひとりは生き残れるはずだ。

 ひとりは確実に死ぬが……。


「まったく今日は厄日だ……」


 ツヴァイヘンダーの男が、自分か仲間、どちらかのたどる末路を想像してひとりごちた、その時――。


 ガシャン。


 ――狩人たちの鋭敏な耳が、硬質な音を捉えた。


 ガシャン、ガシャン……。


 ナニカが、ここへ近づいている……。

 徐々に強くなる尋常ではない気配に、その場にいる者全員が、音の聞こえてくるほうをゆっくりと向いた。……羊頭の巨人でさえも。

 やがて木立の陰から、ソレは現れた。


「……なんてこった……」

「……まったく、今日は厄日だ……」


 その姿を目にした男たちから、呆けたような声が漏れる。

 巨人と同じく人型をしたソレは、今まで彼らが見たことも聞いたこともない、明らかに強者の雰囲気を纏った漆黒の魔物だったのだ。

 頭の両側からは二本の巨大な角が天に向かってそそり立ち、甲冑のようにも見える硬そうな外殻が体を覆っている。

 恐ろしげに開いた口からは黄金の牙が覗き、何より恐ろしいことに、その手には、ツヴァイヘンダーすらおもちゃに見えるほど長大で、ゆるやかに湾曲した片刃の剣が、しっかりと握られていた……。


 巨人の前方で立ち止まった漆黒の魔物は、その剣を静かに、そして男たちが見惚れるほど美しい動きで中段に構える。

 魔物でありながら卓越した剣の技量を持っていることが、数多の戦いをくぐり抜けてきた狩人たちにはわかった。……それがどれほど危険な存在であるかも。

 そして、そう感じたのは、彼らだけではないようだ――。


「ンメェェェェェェ!」


 新たな敵を威嚇するように、羊頭の巨人が咆哮した!

 それとともにビリビリと空気が震え――なんということだろう、その声を聞いた男たちの全身が硬直したではないか!


「クッ!」

「体が……」


 これが巨人の持つ特殊能力なのか、呪縛から逃れようといくら力を込めても指一本動かせない。

 しかし、そうやって焦る男たちには見向きもせず、羊頭の巨人が漆黒の魔物へ棍棒を振り上げた、次の瞬間――。


「え……」


 ――男たちは一様に目を見開いた。

 振り上げた太い両腕ごと、巨人の羊頭が宙を舞っていたのだ……。


 わずかに遅れ、ズン! と、地面に落ちた棍棒が重い音を立てる。そのころにはもう、羊頭の巨人は大きい魔石だけを残し、光の粒子に変わっていた。

 ――咆哮による呪縛をものともせず、漆黒の魔物が羊頭の巨人を一刀のもとに斬り伏せたのだ――。

 その事実を男たちの脳がようやく理解した時、巨人の魔石を拾い上げた漆黒の魔物が、彼らのほうへ……グリンと首を向けた。

 ここに至り、男たちの勇気は限界を迎える……。


「ぎゃあああああああ!」

「うわあああああああ!」


 巨人が死んだことで呪縛から解放されていた彼らは、口々に悲鳴を上げながら一目散に逃げ出したのだった。


 全力逃走するふたりが怪我人を含む仲間たちへ追いつくのに、そう時間はかからなかった。

 しかし、彼らは止まれない。


「ムリムリムリムリ!」

「あれはヤバイあれはヤバイあれはヤバイ!」


 殿(しんがり)を務めていてくれたはずの仲間たちが、わけのわからないことを言いながら自分たちを追い抜いていったあと、怪我人と、彼を守って逃げていた男たちは顔を見合わせた。


「……行っちまった」

「いったい何があったんだ?」

「……なあ、なんか、後ろから聞こえてこないか?」


 最後に怪我人がそう言うと、彼らは三人揃って、恐る恐る後ろを振り向いた――。


 ガシャガシャガシャガシャ!


 ――そこに、巨大な角を持つ漆黒の魔物が迫ってきていた。クワッと開いた口から黄金の牙を覗かせて……。


「ぎゃあああああああ!」

「うわあああああああ!」

「ムリムリムリムリ!」


 それを見たとたん、大声で悲鳴を上げながら仲間のあとを追う男たちであった。

 そのなかで、怪我人の足が最も速かったことは、生命の神秘としか言いようがないだろう……。


      ◇      ◇      ◇


「…………」

『…………』


 怪我人を先頭にして脱兎のごとく走り去る男たちの背中を、真綾と熊野はただ無言で見送っていた。


 真綾の身を心配した熊野の提案により、彼女は現在、【船内空間】に収納してあった羅城門家伝来の甲冑、『黒漆塗南蛮胴具足』を、鎧下に着る衣装の〈鎧直垂〉込みでフル装備しているのだ。クワッと口を開いた鬼の顔をかたどった面頬まで装着して……。

 結局、そうやって完全武装で向かったわりに、拍子抜けするほどサックリと羊頭の巨人を倒すことができた。

 だがしかし、魔物から自分たちを救ってくれた真綾を見ると、なぜか男たちは悲鳴を上げて逃走を始めたのだ。

 そこで――。


『あらあら、あんなに急いで……あ! 名案がございます、彼らに魔石を渡せば好感度が上昇するのではないでしょうか? 真綾様、ちょっと追いかけてみましょう』


 ――との、熊野からの進言どおりに、素直な真綾は魔石を持って彼らのあとを追ったのだが、どうしたわけか男たちのスピードはますます上がり、とうとう怪我人を含む全員が走り去ってしまったのだった……。


『何がいけなかったのでしょう……』

「さあ……」


 屈強な男たちが悲鳴を上げながら逃げ去った理由、それは至って簡単なことなのだが、熊野と真綾にはわからなかった。一般人と感覚の若干ズレたふたりには……。

 花から借りた小説では、異世界で最初に助けた人間と主人公が良好な関係を築ける、ということは多々あり、その人間が主人公の良き理解者となることもあったため、内心それを期待していた真綾としては残念な思いだ。

 黒い陣羽織の背中に金糸で施された〈三足鴉〉の家紋も、心なしか寂しげである。


『小説のようにはいきませんね……。では真綾様、ここは気を取り直して、クレメンティーネ様が教えてくださった町へ向かいましょうか? あの方々が走って行った先にありそうです』

「はい」


 真綾は甲冑一式を一瞬で【船内空間】に収納すると、男たちの逃げ去った方角へと足を踏み出した。初めて訪れる異世界の町に、何かおいしいものが売っていることを期待しながら。


 かくして、真綾と異世界人とのファーストコンタクトは失敗に終わり、数々の伝説に彩られた大鴉の森に、〈伯爵級〉の魔物をも瞬殺した〈黒き王〉の伝説が加わることになるのだが、当の本人はそれを知るよしもなかった……。



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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しく読ませていただいてます。  しかしまさか花ちゃんが合流しそうな流れに… いいですね!  それにしても熊野さんがギャグの人になってしまうとは…\(^o^)/
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