第一九二話 再チャレンジ 三 異邦の武人
「それではまず、ここはどこですか? もし、グリューシュヴァンツ帝国のことを知ってるなら、ここと帝国との位置関係も教えてください」
「はい神使様、ここは帝国本土の北東にある島ですじゃ。本土との距離は、達者な者なら泳いでも渡れる程度ですかのう? まあ、こんな季節に泳ぐような馬鹿はおりませんがのう、ホッホッホ。――そしてこの神殿は、島の北端にある古代遺跡ですじゃ」
そうか、本来の転移ポイントからは結構ズレちゃったけど、帝国本土からそんなに離れていなかったのは不幸中の幸いだね。
「むかーし昔、今から八百年以上も前、帝国の威光も未だここまでは及ばんかった時代のこと、この島は〈諸侯級〉の悪い魔法使いに支配されておりましてのう、島内の村々は月ごとに、持ち回りで人身御供を差し出さねばならなかったのですじゃ……」
ん? なんか、おじいさんが勝手に語り始めたぞ、スイッチが入ったのかな?
ともかく、なんべんも脇道に逸れつつ語ってくれた内容を要約すると、こうだ――。
この神殿は当時すでに打ち捨てられて久しく、祀ってある神様の名前も忘れ去られ、特に地上部分なんかは荒れるがままになっていたんだけど、それを気の毒に思ったひとりの村娘が、神殿内を掃除したり神像に花を供えたりと、かいがいしく奉仕するようになったんだそうな。
そんなある日、とうとう、その心優しい娘が人身御供に選ばれてしまった……。
別れを告げるべく娘が神殿に来ると、そんな彼女を不憫に思ってか、神像は突如として輝き始め、ほどなく、見たこともない甲冑と片刃剣で武装した黒髪黒眼の男がひとり、娘の前に忽然と姿を現した。
なぜか全身びしょ濡れで現れたその男は、タイラー・ノ・某という名の武人だそうで、自分は海に身を投じたはず……などと、不思議がっていたんだけど、娘から話を聞くやこれを憐れみ、悪い魔法使いを退治してやろうと申し出てくれたそうな。
それから武人は、非凡な統率力で周辺集落を纏め上げ、男たちに戦い方を教えて魔法使いの下級眷属に当たらせ、自分はただひとり、常人じゃ歯が立たない魔法使いや上級眷属の相手を引き受けると、壮絶な戦いの末、とうとうこれを討ち取ったんだそうな。……うーん、カッケーな。
でね、ココ大事なポイントなんだけどさ、武人には守護者がいなかった、つまり、加護を得られない常人だったにもかかわらず、なぜか、彼の使う片刃剣は〈諸侯級〉の防御魔法さえも難なく貫き、甲冑はあらゆる魔法を無効化し、彼の肉体もまた、魔法を完全に無効化したんだって……。
それってさ、武人の召喚元は魔素の存在しない世界だったってことじゃない? たとえば私たちの世界とか。
「タイラー様ほどの武人なら、本土へ渡ればいくらでも出世できたはずじゃろうし、ここいら一帯の長になってほしいという声も多かったそうじゃが、タイラー様はその後、ご自分の髪をすべて剃り落とし、この神殿に籠もってひとり静かに暮らされたと、うちの村には伝わっております。なんでも、滅んでしもうた一族の冥福を祈るためとかで、お亡くなりになるまで木像を彫り続けられたとか……。そして、タイラー様の死後、救われた村々の衆は神殿を大切にお守りするようになったげな。――これが、この神殿にまつわる話であり、この神殿についてワシらが知っておるすべてですじゃ」
おじいさんは語り終えると、神像に向かって静かに――合掌した。
少なくとも私の知る限り、グリューシュヴァンツ帝国じゃ神に祈る際、両手の指を組むのが一般的で、手のひら同士をピタッと合わせる人なんか見たことないんだけど、この習慣、その武人から伝わったのかな……。
「ムーちゃん、コレ、異世界転移の大先輩がいたってことだよね……」
「うん。……メアリー・セレスト号……アイリーン・モアの灯台……アシュリー……アンギニク湖……藤代バイパス。……昔から世界中で謎の失踪事件があるのだから……日本から異世界に召喚された人間がいても……おかしくないわ……」
ムーちゃん、長い前髪の間から目をキラッキラさせてくるなあ、オカルト少女としちゃあ嬉しくってタマランのだろうなあ。
ともかく、〈私たちと同じ世界から武人が来た〉と仮定して、合掌する習慣、円空仏っぽい仏像、黒髪黒眼、剃髪、八百年以上前、一族滅亡、海に身を投げた、そして、タイラー・ノ・某という名前、これらのワードから導き出されるのは、たぶん日本人、それも壇ノ浦で滅んだあの一族の誰かが、ここに召喚されたんじゃないかってことだ。
それにね、ちっちゃな仏像の底に刻まれていた文字のいちばん上、漢字で『安』とも読めたんだよね……。
「……いちおう、手を合わせとこうか」
「うん……」
「あ、ほなウチも」
私がムーちゃんを誘っていると火野さんも加わり、一族の菩提を弔うために大先輩が彫った仏像たちと、死ぬはずだった彼に活躍の場を与えてくれた神像に向かい、私たちは三人で真剣に手を合わせた。
「あのう……。手を合わせてくださるのじゃったら、ぜひ、こちらにも……」
私たちが拝み終わると、おじいさんが先導するように階段を上り始めたので、私たち三人は目配せして頷き合ったあと、彼の背中を追うようにして階段を上った。……おじいさん、どこへ案内する気かは知らないけど、もう腰は大丈夫みたいで安心したよ。
その後、石灰岩を削ってできた急階段は弧を描くように続き、虚弱な私とムーちゃんが早々に限界を迎えようとしたころ、ようやく地上へ出た。
「わっぷ!」
地上へ出たとたん朝日と風をモロに受けたもんだから、私は思わず目を閉じ、変な声を上げてしまった。
それから、ゆっくりと目を開けてみると――。
「おお、海じゃん!」
「ホンマや、岬の上っちゅうことか?」
――そう、火野さんの言うとおり、私たちが出た場所は三方を海に囲まれた岬の上だったんだよ。
ここが島だってのは、もちろん、おじいさんからさっき聞いて知ってるけど、前回の異世界旅じゃ空からでさえ海を見たことないからね、こうして実際に見ると感慨深いなあ。
雲間から差し込む朝日が水面に反射するキラキラとした輝き、冷たい海風が運んでくる潮の匂い、海辺の町で暮らしている私たちにとってお馴染みのそれらに、私はちょっぴり安心した。
「そろそろよろしいですかの? こっちですじゃ」
「あ、ハイ」
海に向かって深呼吸している私たちのことを、孫でも見るような目で眺めたあと、おじいさんは目的の場所へと案内してくれた。
岬の上は広い野原になっていて、建造物の残骸なんかがあるわけでもなく、こんな殺風景な場所に古代の神殿があったとはとても思えないけど、これはたぶん、神殿の地上部分にある建造物群が木造だったせいで、長い年月のうちに跡形もなくなってしまったんだと思う。
ここだって、考古学者が根気よく発掘したら、柱の跡とか祭器の破片とかが見つかるんじゃないかな? 実際にヨーロッパでもそんな遺跡はいくつもあるからね。
私たちの出てきた階段を覆う神殿内陣部だけは、石灰岩製だったおかげで、ボロボロに風化しつつもまだ残っているんだろう。
そんなわけで、だだっ広い野原になっている岬の上、地下鉄の入り口みたいな内陣だけがポツンと姿を留めているんだけど、その内陣から少し離れた場所にある石積みの前で、おじいさんは足を止めた。
おや? この石積み、昔の漫画に出てくるおでん……いやいや、お寺なんかにある五輪塔っぽい?
「こちらが、タイラー様のお墓ですじゃ」
「ああ、それで……」
おじいさんの言葉で私は納得した。自分が死んだらこうやって埋葬するよう、おそらくタイラーさんは村人に頼んであったのだろう、だから異世界に五輪塔があるんだ。
よく見たら、お墓の周りはきれいに草が抜いてあるし、お墓の前にはニゲルっぽい花もお供えしてある。
「同郷の方に冥福を祈ってもらえたら、タイラー様もさぞお喜びになると思います。お願いしてもよろしいじゃろうか?」
しげしげと五輪塔を眺めている私に、おじいさんは、ちょっと申しわけなさそうにして頼んできた。……八百年以上もの時を経てさえ、こうして村人の子孫が気にかけてくれるんだから、きっとタイラーさんも本望だろう。
「わかりました。――いいかな?」
「当たり前やん」
「もちろん……いいよ……」
了承したあとになっちゃったけど、いちおう確認してみたら、やっぱり火野さんもムーちゃんも快く頷いてくれたので、【船内空間】に入っていたおにぎりをお供えして墓前にしゃがむと、私たち三人は手を合わせた。
タイラー・ノ・某さん、異世界で村人たちの英雄になったあなたのことを、私たちは誇りに思いますよ、なむなむ――。




