第一八話 奪還作戦 三
私が真綾ちゃんに関する情報をすべて開示した時、予想外にサブちゃんたちを驚かせたのが、〈召喚契約〉のことだ。少なくとも、サブちゃんたち日本の神様はそのシステムを知らないらしいんだよ。
その代わりこちらの世界には、〈神降ろし〉とか呼ばれているのがあるんだけど、それはかんなぎの体に神(物の怪も含む)を取り憑かせるもので、本体の召喚ができないうえに憑依していられる時間も短い。
だから、葦舟本体に乗らなければ異世界へ行けない今回の作戦では使えないんだって。
「サブちゃん、どう? できそう?」
ちっちゃな手で私の手を握ったまま目を閉じているサブちゃんに、私は小さな声で話しかけた。
サブちゃんは今、役目を終えたあと黄泉の国へ流れて行ったという葦舟と、私が召喚契約を問題なく結べるか、意識を集中して探ってくれているのだ。
タギツちゃんとサブちゃんが真綾ちゃんの事例を考慮して話し合った結果、召喚契約に必要な条件として、〈召喚者の才能〉、〈召喚者の年齢〉、〈召喚者と被召喚者との縁〉、その他にもあるかもしれないけど、取りあえずこの条件を満たしていれば、おそらく召喚契約は可能だろう、ということになったんだよ。
で、私の才能はみんなの折り紙付きらしくて、真綾ちゃんと同い年だから年齢も問題なし。縁というところは、葦舟の上位者であるサブちゃんと仲良しだから大丈夫なんじゃなかろうか、と――。
「うん、できそうじゃ。――花ちゃんも目をつぶって」
「オッケー」
私はサブちゃんに言われたとおり目を閉じた――。
そこは真っ暗な世界だった。
目を閉じているから暗いというわけではなく、まぶたを透過してくる光さえない、墨汁で塗り潰したような真の闇。その中に私はフワフワと浮かんでいる。――うん、前に真綾ちゃんから聞いていたとおりだよ。
その私の前に、何かがいる気配みたいなものを感じる。――たぶん、これがサブちゃんの葦舟さんだね。たしか真綾ちゃんの話だと、このあと熊野さんから話しかけてきたんだっけ……。
「……」
『……』
「…………」
『…………』
あれ? ちっとも反応がないぞ?
「サブちゃん、葦舟さん何も言ってくれないんだけど、どゆこと?」
思わず目を開けてしまった私の質問に、サブちゃんは目を閉じたまま答えてくれる。
「花ちゃん、言い忘れてごめんなさい。葦舟はしゃべれぬのじゃ」
「え? でも熊野さんはペラペラしゃべってたよ?」
快活におしゃべりしていた熊野さんを思い出した私が、ペコリと可愛い頭を下げているサブちゃんに疑問を投げかけると、横からタギツちゃんが説明してくれた。
「おそらく熊野は、器物であったものが付喪神となったことで、その能力を問題なく発揮できるだけの知性を得たのじゃろう。しかしサブロウ様の葦舟は、元から一柱の神であり神器でもあった。じゃから新たに知性を得ることもなかったのじゃ。もともとの知性というても、波に身を任せて漂うに必要なだけの知性では、あの熊野とは比べようもないしのう」
「なるほどね~、むしろ熊野さんが異常なのか。サンキュ、タギツちゃん」
あれだけ巨大な豪華貨客船の能力を十全に発揮するには、それこそ数百人ぶんの頭脳が必要だからね。だいたい付喪神って、お茶碗やら下駄やら、単純構造の道具ばっかだもんね~。
よし、そうと決まれば――。
再度目を閉じた私を、あの真っ暗な世界が包み込む。目の前には、サブちゃんの葦舟さんが静かに待っていてくれた。
その葦舟さんに私は語りかける。
「お待たせしてごめんね、葦舟さん」
相手がしゃべれないなら、私のほうから話しかければいいんだよ。
神の一柱として、知性は高くなくても感情はあるみたいだから、わかりやすく説明して心の底からお願いしよう。
「サブちゃんから聞いてるかもしれないけど、私の大事な友達が、ずっと遠いところへ流されちゃったんだ――」
『……』
私が真綾ちゃんを想って紡ぐ言葉を、葦舟さんは黙って聞いている。
「その子の名前、真綾ちゃんっていうんだけどね、でっかくて口下手で無表情で、おまけにとてつもない食いしん坊だけど、……すごく優しくっていい子なんだよ」
あ、ヤバい、真綾ちゃんのこと思い出したら、鼻の奥が……。
「真綾ちゃんがいなくなって、私も町のみんなも、とっても寂しいんだ……ホントに寂しいんだよ……。だから私、真綾ちゃんのこと、連れ戻しに行きたいんだよ」
『……』
なんか、涙が止めどなく溢れてくるけど……この際、そんなのどうだっていいや!
「そのためにはね、葦舟さんの力が必要みたいなんだ。長い長い年月、サブちゃんを守って世界を漂い続けた、葦舟さんの力が」
『……』
「だから――お願いします! 私と召喚契約して、私が真綾ちゃんをこっちの世界に連れ戻すの、手伝ってください!」
私は右手を差し出しながら、バッと勢いよく頭を下げた。そのとたん、耳の痛くなるような静寂が世界を包む。
やがて――。
コツン。
――差し出した私の右手指先に、何かが優しく触れた。まるで猫が鼻先でチョンと触れるように。
次の瞬間、私の心が温かい何かとつながった。それは冬の寒い夜、布団の中に潜り込んできた猫が、体の一部分だけをくっつけてきたような、不思議な安心感。
私はこの時、葦舟さんとの召喚契約が成ったことを悟った――。
「花ちゃん、契約おめでとう」
ゆっくりと目を開いた私に、サブちゃんがニッコリ笑いかけてくれた。
「うわっ! 花、なんじゃその顔は! 涙と鼻水でグチャグチャじゃ。 ……ううむ、しかたあるまい、これで拭くがよい」
「あ、ありがとタゴリちゃん……」
実際に泣いていたらしい私の顔を見て一瞬ドン引きしたタゴリちゃんは、ちょっとだけ悩んだあとで、自分が着ている服の長い袖をそっと私に貸してくれた。やっぱ優しいね、プチガミ様は……。
では、お言葉に甘えて――。
ズビビーッ!
「ぎゃあぁぁぁぁ! 何をする! バッチイではないかっ!」
「あ、ごめん……」
思いっきり鼻をかんだら、タゴリちゃんにえらい剣幕で怒られてしまった。そんな涙目にならなくてもいいと思うんだけどな……。あ、タギツちゃんとイッちゃんが遠巻きになって、タゴリちゃんにエンガチョしてるよ……。
まあ、それはどうでもいいとして……。私は自分に与えられた加護について理解したぞ。これはアレだね、熊野さんみたいな超高性能メモリがないぶん、自分の脳に説明が直接来たんだろうね。
それでどんな加護を貰ったかというと――。
まずはやっぱり、【渡り】だ。召喚した葦舟さんに乗ることで、サブちゃんが開いた門を抜けて異世界へ渡ることも、あちらで自分が開いた門を抜けて、サブちゃんが開いたこちら側の門へ渡ることもできる。かんなぎの才能を持ってる人が葦舟さんに乗っても、私がいないと門を抜けられないみたいだね。
よっしゃ! この加護さえ貰ったら、あとはもうオマケみたいなもんだ。
まあ、【見張り】や【並列計算】は当然なかったし、【強化】は貰えてたけど力の上乗せはなしで、葦舟さんの防御力相当の結界が張られているだけ。しかも結界を通過させるものの選別は自分でやらなきゃなんないんだよね。
でも、内心諦めてた【船内空間】が貰えたのはとても嬉しかった。
もちろん、豪華貨客船である熊野さんには遠く及ばないけど、質量にして三〇〇キログラムくらいまでなら収納が可能っぽい。
たしか、馬車じゃなくて馬一頭に直接載せられるのが、一〇〇キログラムくらいっだったはずだから、そう考えたらなかなかのもんじゃない? 二リットル入りペットボトル約一五〇本ぶんだよ? いや~ホントに助かる、これで重たい荷物をわざわざ背負って異世界旅行しなくてもいいよ。
最後に貰った加護は【浮沈】といって、これは文字どおり、物理的に沈まないんだって。膨大な時を漂い続けた葦舟さんらしい加護だね、泳げない私にとってはムッチャありがたい加護だよ。
「花ちゃん、異世界へ渡れそう?」
「うん、ちゃんと渡れるみたい。ありがとサブちゃん」
心配そうに聞いてきたサブちゃんに私がお礼を言っていると、服に付いていた私の鼻水を神力で消したらしいタゴリちゃんが、何を血迷ったか、いきなり適当な方角をビシッと指差した。
「よし花! 今すぐ行くのじゃ!」
「行けんわっ! 考えなしのパワハラ上司か!」
「花よ、……うちのタゴリがすまぬの……」
なんの準備もなしに行けという無茶振りに、私が全身全霊で突っ込んでいたら、タギツちゃんが心底申しわけなさそうに謝ってくれたよ。
「そもそも、まだ召喚できるかも試してないんだよ、準備以前の問題だよ」
「ならば今すぐ召喚じゃ!」
「せっかちか! ……もう、しょうがないなあタゴリちゃんは……。じゃあ、いくよ!」
せっかちなプチガミ様の言うとおり、私は初召喚に挑むことにした。
(えー葦舟さん葦舟さん、せっかちな子が納得しないので、ちょっと出てきてやってくださいな)
私が心の中でそう語りかけた次の瞬間、和風な感じの模様をした召喚魔法陣が、こぢんまりと地面の上に出現した。
それを見て、私たちの声がピタリと揃う。
「おお!」
目を輝かせて見つめる私たちの前で回転を始めた魔法陣は、ちょっとだけ上昇してから消滅し、その下から姿を現したのは、大きさがカナディアンカヌーくらいの、まさしく葦で造られた舟だった。
「おおー」
のじゃっ子軍団が葦舟さんを取り囲んで、嬉しそうに小さな手をパチパチと叩いている。ああ、なんて可愛らしい光景だろうか。
あ、ヤバい、嬉しい。……なんだろうこの感じ、初めて自分の自転車を買ってもらった時のアレに近いぞ。
そりゃあね、熊野さんと比べちゃったら少々見劣りするかも知んないけどさ、この子は私が召喚したんだよ? すごくない? そう思ったら愛着が……。
「あ、こらそこ! 私より先に乗るな!」
私が感動している間に、ちゃっかりプチガミ様たちが乗り込もうとしていた……。
「……もう、油断も隙きもあったもんじゃないよ」
「よいではないか、減るものでもなし……。花は相変わらず、みみっちいのう……」
「しょっぱいのう……」
「小さい……」
「うるさいわ!」
制止した私を口々に批難するプチガミ様たちは放っておいて、さっそく乗り込んでみよう――。
「葦舟さん、ちょっと乗らせてね。――よっこらせ」
おお、なんか、舟だ、当たり前だけど……。座るところとパドルがないから、あとで使えそうなのを買って【船内空間】に入れておくか。
――などと、船底に座った私がニマニマしながら考えていたら、プチガミ様たちがよじよじと登ってきた……まあ、いいけどね。
「サブちゃんは乗らなくていいの?」
「うん、たくさん乗ったから……」
葦舟さんの舳先横で大二郎に乗ったままのサブちゃんへ、中から私が尋ねると、サブちゃんはそう答えながら、葦舟さんの舳先を愛おしそうに撫でた。
すると、葦舟さんの嬉しそうな感情が、契約を通してつながっている私の心に流れ込んできたんだよ。
「サブちゃん、葦舟さんが、また会えて嬉しいって」
「うん」
私の言葉にニッコリ笑顔で返すと、サブちゃんはしばらくの間、ちっちゃな手で葦舟さんを優しく撫で続けていた。
かくして、サブちゃんとプチガミ様たちのおかげで、私は異世界へ渡る手段と真綾ちゃんを探す手段を無事確保し、真綾ちゃん奪還への確かな道すじが見えてきたのだった。




