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第一八八話 方伯領を包む霧 二六 悪役令嬢ムーブ



 召喚陣を長時間保持しておくことはできないため、しばらくすると熊野丸は召喚解除され、【船内空間】に収納される甲冑人形や熊野丸楽団、〈王級〉魔石や太刀光背とともに消えていった。

 残ったのは振り袖姿の真綾だけ、ということで、さぞや貴族たちもホッと……するものか、召喚契約を結んだ者が守護者と同等の力を持っていることなど、彼ら貴族自身が最もよく知っているのだから。


「このところ宮中伯陣営が噂を広めているから、皆もご尊名を耳にしたことくらいはあるだろう、こちらのお方こそ、ラ・ジョーモン家のマーヤ姫殿下でいらっしゃる」


 城壁手前に着地した真綾を手で指して、ルートヴィヒが声も高らかに紹介した時、すでに、彼とヘルマン及びヴァーテリンデの三名を除き、誰もが力なくその場に両膝をついていた。

 その全員が、これから始まるであろう裁きの時を覚悟し、断罪の女神の第一声を成すすべもなく待っている。

 と、そこへ――。


「マーヤ様、ようこそお越しくださいました」


 ――思いもよらぬ方向、貴族たちのちょうど背後から、若い女性のやわらかな声がした。

 皆が一斉に振り返り、声の主を確かめてみれば、なんと、こういった場には普段あまり顔を出さないエルジェーベトが、ニコニコと微笑みながら立っているではないか。

 ポカンとしている貴族たちの間をしずしずと抜け、エルジェーベトは真綾のほうへ歩み寄る。


(あの恐ろしい姫君を前に、笑っていらっしゃる……)

(なんて豪胆な、それに、なんて優雅な……)

(そうか、エルジェーベト様は王女でいらっしゃった)


 神殺しの姫君に怯えるどころか微笑みさえ浮かべて歩み寄る、エルジェーベトの高貴な姿を目の当たりにして、普段は彼女のことを快く思っていない者らでさえ、今、王族の品格というものを思い知り、同時に、不思議と心強いものを覚えた。


「まあ、マーヤ様、伝統衣装ですか? とっても美しいですわね」


 前回は花嫁であるアンナより派手な格好を控えたが、本日の真綾の出で立ちは、思いきり派手な登場を、とのルートヴィヒからの要望もあり、黒地に紅白の椿などを大胆に配し金彩加工を施した京友禅の振り袖に、金糸銀糸をふんだんに使った西陣の袋帯という、かなりゴージャスなものだ。ちなみに、髪飾りと帯留めには、大小いくつものダイヤが使われており、足元は袴姿の時と違って編み上げブーツを履かず、白足袋に草履である。

 ともかく、こうしてエルジェーベトが真綾の衣装を褒めたことで、貴族たちは、ひょっとしてコレ、丸く収まるんじゃね? などと希望を抱き、特に女性陣は、ようやく振り袖の素晴らしさに気づいて、もっと近くで見たい、私もマーヤ姫様とお話したいと、ウズウズし始めた。

 ここで、真綾の第一声が――。


「『お褒めいただいて嬉しいですわ、エルジェーベト様。――さて皆様、どうか楽になさってくださいませ、わたくしが本日参りましたのは、お友達であるエルジェーベト様のお招きにお応えしたまでで、他意はございませんことよ』」


 誰だ……。

 ともかく、真綾からやんわりと言われたことで――。


(お怒りでない? エルジェーベト様に招かれただけ? ……よかった、取り越し苦労だったか……)

(思っていたよりも気さくな姫君のようですわ……)

(た、助かった……)


 ――と、貴族たちは一気に安堵して、表情も明るく立ち上がった。

 こうなると、帝国のファッションリーダーを自負する方伯領の女性貴族たちが、じっとしていられるはずもない。


「あ、あのっ、マーヤ姫殿下、突然お声がけする無礼をお許しくださいませ。わたくしはグリンマ城伯をしておりますウーテと申します。不躾かとは存じますが、姫殿下のお衣装について、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「マーヤ姫殿下、ぜひ、わたくしも!」

「わ、わたくしも!」


 案の定、ひとりの女性貴族が意を決して声を上げたのを皮切りに、他の女性貴族たちも続々と声を上げ始め、たちまち真綾の周りに人垣ができた。

 文化先進国セファロニアで流行している東洋風のデザイン、この大陸ではまずお目にかかれない品質の絹、この世界に存在しないカットのダイヤモンド……。これらは彼女たちの目にどう映るだろう。


「『この花は椿と申しまして、冬に咲く聖なる花でございます』」

「なるほど、お召し物の柄を季節に合わせていらっしゃるのですね、なんとも素敵な遊び心ですわ。――生地に使われている絹の光沢もさることながら、染めの技術やデザインも衝撃的なまでにお見事ですし、それから、そちらの金色の帯もたいへん華やかですわね」

「『これは西陣というところで織られた帯でございまして、絹糸に純金箔を巻いた本金糸を使用しておりますの』」

「た、ただでさえ高価な絹糸に、純金を……。あの、そちらの装飾に使われている宝石、言葉にできないほど美しい輝きですが、なんという宝石でしょうか?」

「『あら? この宝石でしたら、皆様もご存じではなくって? ただのダイヤモンドですわよ。……ああ、輝き方が違うから、おわかりにならなかったのね、ごめんあそばせ。これはラウンドブリリアンカットという、ダイヤモンドが最も美しく輝く形にカットしてあるので、このように輝くのですわ』」

「ただのダイヤモンドとおっしゃいますが、こちらでは王侯しか持てませんわ……。それにしても、ラウンドブリリアンカットですか、なんて美しい……」


 真綾の説明を聞くたびに溜め息を漏らす女性陣……。無理もない、なまじファッションのことを勉強しているだけに、真綾の衣装が、どれほど洗練された美意識と高い技術力の上に生み出されたものであるか、そして、これと同等のものが自分たちの大陸に存在しないことも、彼女たちにはわかってしまうのだ。

 これほどの衣装を目の当たりにした今、マーヤ姫の本国がセファロニアやエルトリアより高い文化水準にあることは、もはや疑う余地もない。

 その衣装に、女神と見紛う真綾の美貌や凛とした佇まいも相まって、さらに、彼女が由緒正しき名家の姫君ということもあり、女性貴族たちはソッコーで真綾に心酔してしまった。

 そんな女性貴族たちの様子を、エルジェーベトは真綾のとなりで微笑ましく眺めていたのだが……。


「マーヤ姫殿下は華がおありですなあ、あっと言う間に皆を虜になさった。……同じ姫君とはいえ、みすぼらしい衣装ばかり着ているどこかの誰かとは大違いですな」

「なにしろエルジェーベト様は、ご自分の衣装代のほとんどを、貧民どもに恵んでやっておしまいになるそうですからな。お優しいことはよろしいが、少しは方伯夫人としての自覚をお持ちいただきたいものです」

「下賤の者どものことなど放っておけばいいものを、まったく……。あのような変わり者、母君が殺された時点でオノグリアに返すべきだったのだ」


 真綾の周りにできた輪を遠巻きに眺めながら、エルジェーベトのことを特に疎ましく思う者たちが、彼女ことをこき下ろし始めた。

 さすがに方伯夫人のことを面と向かって悪く言う者などいないが、残念なことに、こうして陰口を叩く連中は少なからず存在するのだ。

 ただ、彼らにとって不幸だったのは、今回、その声を、真綾の地獄耳が拾ってしまったことだろう。


「『そこのあなた方!』」


 陰口を叩いていた連中を、いきなりズビシと扇子で指し、キッと睨みつける真綾。


「『聞こえましてよ。殿方のくせにコソコソと、エルジェーベト様のことをけなしておりましたわね』」

「え? い、いや、滅相もな――」

「『お黙り!』」

「ヒッ!」


 真綾からの追及を躱そうとして一喝され、男たちは縮こまった……。


「『命の恩人のことを悪しざまに言うだなんて、呆れて物が言えませんわ。テューニンゲン方伯領の貴族とは、この程度ですの?』」


 真綾は広げた扇子で口元を隠しつつ、冷ややかな視線を男たちに向けて続ける。


「『教えて差しあげますわ、民を虐げる愚物に何度も何度も出くわしたものですから、実はわたくし、この方伯領を滅ぼしてしまおうかと本気で思っておりましたのよ』」


 真綾の言葉を聞いて、追及されている者たちだけでなく全員が、先刻までの恐怖と絶望を思い出し、顔色を青くして息を呑んだ。

 何しろ目の前の姫君には、比喩ではなく本当にそれをやってしまえるだけの力がある。


「『そんな時、エルジェーベト様と出会ったのです。……恵まれぬ人々のために尽くしていらっしゃる彼女のお姿を拝見して、わたくしは感激いたしました、これこそ貴族の本来あるべき姿、ここにも正しき貴族はいたのだ、と……。当然ながら、方伯領を滅ぼそうという気も消え失せました』」


 ――などと穏やかな声で言いつつ視線を向けてくる真綾に、エルジェーベトは微笑みで返した。

 すると真綾は、いったん語り終えたあと、今度は汚物でも見るかのごとく視線を男たちに戻し、ペチンペチンと、畳んだ扇子で自分の手のひらを打ち始めた。


「『さすがにここまで言えばおわかりかしら? あなた方がこうして無事に生きていられるのは、ひとえにエルジェーベト様のおかげなのですわよ、恩人の陰口を叩くだなんて恥を知りなさい。……よろしくって? 今後、エルジェーベト様のことを悪く言う恩知らずを見た場合――その者の城ごと、この世から消して差しあげますわよっ!』」

「ヒィィ……」


 最後に扇子でズビシと指されるや、エルジェーベトの陰口を叩いていた連中は小さく悲鳴を上げた。……と、いうか、ここにいる全員が一緒になって震え上がっていた。

 さて、すでにおわかりかとは思うが、説明しよう。

 コレは真綾であって真綾ではない、熊野である……。思い上がった貴族どもをグウの音も出ぬほどにやり込め、少しでもエルジェーベトの生きよい方伯領にすべく、花から借りた本で知った悪役令嬢っぽく熊野がしゃべり、真綾はそれに合わせて動いているのだ。

 熊野も真綾もノリノリであることは言うまでもない。

 ちなみに、いつも熊野の代弁をしたあとに真綾がつけている「だって」だが、熊野の提案により今日は封印しているのであった。



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