第一八七話 方伯領を包む霧 二五 怒りの日
貴公子とイケオジを先頭にした貴族たちの列が、古式ゆかしい城館の中を抜けてゆく、先頭のふたりは何かを楽しみにしているように、ヴァーテリンデを除く第二グループの伯爵らは緊張した面持ちで、そして、第三グループたるその他大勢は困惑気味に。
「……あのう、これから方伯閣下は何をなさるおつもりでしょう?」
第三グループの先頭にいる中年貴族が、疑問に思うあまり、事情を知っていそうな老伯爵に尋ねた。
この中年貴族、意味のわからぬままも先頭切って伯爵らに続いたことから察するに、判断力も行動力もそれなりに優れた人物のようだ。
「さるお方を出迎えなさるのじゃ」
「閣下直々にお出迎えを!?」
老伯爵の答えを聞いて彼が驚いたのも無理はない、わざわざ諸侯が出迎える相手など、よほど仲の良い諸侯、もしくは、それ以上の地位にある者しかいないのだから。
現に、思わず大きくなってしまった彼の声を聞きつけ、他の貴族たちからも驚きの声が上がり始めたではないか。
皆のざわめきにより、自分の声が大きくなっていたと悟り、慌てて声のトーンを下げる中年貴族。
「……まさか、皇帝陛下がお越しに?」
「いや、皇帝陛下だったらまだよかったわい……。いいか、くれぐれも粗相の無いよう、肝に銘じておけ」
「はい……」
彼は再度問うも、答える老貴族の緊張に嘘偽りナシと察するや、その緊張が伝染したように首肯し、そのあとは黙って歩き続けた。
山頂に築かれた方伯の居城は、上から見ると南北に細長いビンのような形をしており、ビンの口にあたる場所に設けられた北門を除き、三方を急峻な斜面や崖で守られている。
東側の崖上にそびえる城館を出たルートヴィヒとヘルマンが、玄関先で待つでも北門へ向かうでもなく、庭園になっている西側に歩き始めたため、ある者は首をかしげ、またある者は、飛行可能な守護者を持つ人物が来るのだろうと納得した。
「皆もここへ来るといい、横並びになったほうが見やすいかな」
やや高台になっている庭園へ上って立ち止まるや、ルートヴィヒが振り向き、そんなことを言ってきたため、貴族たちは大人しく従った。
特に切り立った崖で守られたこの部分には、手すりほどの高さの城壁しかなく、高台にある庭園から眺望を楽しめるようになっており、今も、雪化粧したテューニンゲンの森が遠くまで見渡せる。
茫漠と広がる真冬の森は、見る者に不吉な何かを感じさせた。
「さて、これから、さるお方をお迎えする。伯爵たちには前もって話しているが、失礼があってはならないので、そのお方について皆にも説明しておこう」
ルートヴィヒは全員が並び終わるのを待ってから、吐く息も白く、主賓についての説明とやらを始めた。
「そのお方は最果ての地よりお越しくださった、それも、千三百年以上も続く名家の姫君でいらっしゃる。無論、ご自身が〈王級〉の守護者と契約されておいでだ」
「おお」
「千三百年以上も……」
とほうもない数字を聞いて、貴族たちは感じ入った。
五摂家以上の家格を誇る羅城門家は歴史も古く、平城遷都に際して今の家名に改めた時点から数えてさえ、もう千三百年以上、改名前まで含めてしまうと、ヤマト王権の時代から続くのではないかとされている。
控えめなほうの歴史を真綾から教えられていたルートヴィヒは、当然そちらを皆に披露したのだが、血統主義に凝り固まった方伯陣営の貴族たちを唸らせるには、これでも過剰戦力だったようだ。
「それほど歴史ある名家の姫君に拝謁を賜るとは、光栄なことですな」
「そうですわね、他領の者に自慢してやりませんと、ホホホホホ」
――などと、この時点では、貴族たちも単純に喜んでいた。
そんな彼らを生温かい目で見やりつつ、ルートヴィヒは続ける。
「やんごとなき事情により、姫君のご本国についての明言は避けておくが、ご本国の文化水準は極めて高く、セファロニアやエルトリアが蛮族に見えてしまうほどとか」
「……へ、へぇ……」
「セファロニアやエルトリアが、蛮族……」
「さすがにそれは言いすぎでは……いや待て、はるか東方の大国ならば、あながち……」
先代方伯の影響もあって、ここ方伯領では、芸術やファッション、美食といった、文化的なものに対する関心が非常に高い……と、いうか、文化人であることを鼻にかけて他領の貴族たちを見下しているフシがある。
しかし、ルートヴィヒの説明を聞いているうちに彼らは気づき始めた、千三百年も続く名家の姫君からすれば、浅い歴史を誇って威張り散らしている自分たちは、さぞ滑稽に見えることだろう、そして、文化先進国のツートップすら蛮族に見えるほどの文化大国の姫君が、そのツートップを必死に真似て文化人ぶっている自分たちを見たら、どのように思うだろう……と。
(マズいぞ……)
(マズいですわ……)
本物を前にしてはメッキなど容易に剥がれるもの……。貴族たちは平静を装いながらも、冷たい汗を掻き始めていた。
ルートヴィヒ、掴みはバッチリである。
「それでは、ヴァーテリンデ様」
「あいよ」
焦る貴族らに心の準備をする間も与えず、ルートヴィヒが目配せすると、ヴァーテリンデは預けてある使い魔を通し、スタンバイ中の真綾に出番が来たことを告げた。
すると、次の瞬間――。
「し、召喚陣!?」
「そんな馬鹿な! こんな召喚陣があるものか!」
「お、大きい……」
自分たちの足下で召喚陣が輝き始めるや否や、貴族たちは騒然となった。
……さもありなん、なんと、召喚陣の範囲は視認可能な限り城内すべてに及び、さらに、それですら一部分に過ぎず、そこから続いて森の上空までも広がる範囲から推定すれば、前代未聞、中規模都市を呑み込みかねないほどの超巨大召喚陣、ということになってしまうのだから。
さて、召喚陣の出現位置と向きは自由、守護者をどの部位から出現させるかも自由、空間座標の固定を召喚陣と守護者のどちらにするかも自由、等々、召喚に際しての自由度は意外と高いが、このたび熊野が選んだのは、庭園の高さに召喚陣を固定し、それを水面と見立てて熊野丸のほうを浮上させる、という、オーソドックスなものである。
つまり、どうなったかと言うと……。
「え……」
「へ?」
「な、ななななな……」
森を背に皆と向き合っているルートヴィヒの背後、低い城壁のすぐ向こう側の空中に、三本足の鴉らしき紋章を描かれた赤い塔が二基、天を突くかのごとく屹立し、それに続いて白い建造物のような部分が、さらに続いて、その下の黒い壁のごとき部分がそそり立ってゆく、その信じがたい光景を、貴族たちは言葉もなくただ傍観した。
やがて、喫水線あたりで熊野が召喚を一時停止したことで、あたかも水面に浮かんでいるかのような熊野丸が完成した時、皆、一様にポカンと口を開き、首が痛くなるほどの角度で熊野丸を見上げていた。
無論、巨大な船体を間近に、それも水面付近から見上げている状況と同じゆえ、その全容を視界に収められる者など存在しないが……。
(……まさか、これほどとは……)
恐る恐る背後を振り返って熊野丸を見上げ、自身も初見だっただけに冷や汗を拭ったルートヴィヒは、気持ちを切り替えて貴族らのほうへ顔を戻すと、ここぞとばかりに補足説明し始めた。
「さて、皆にひとつ、残念な報せがある……。かの姫君は前皇帝ファビアン陛下と友誼を結ばれ、陛下の代理として帝国内を巡っておいでだが、方伯領内にお入りになったとたん、ご気分を害されることが格別多かったとか。……もう少し詳しく言えば、いたずらに民を虐げる貴族やその配下と頻繁に遭遇されたそうだ……」
(この状況でそれを言うか? あーあ、みんな死刑囚みてぇな顔になっちまった。……なるほどねぇ)
ルートヴィヒの口から出た事実を聞いて、ヴァーテリンデを除く貴族たちが一気に顔面蒼白になると、ヘルマンは呆れつつも、若き領邦君主の真意を察して納得した。
「姫君は実際に悪神を誅されたほどの絶対強者でいらっしゃるゆえ、いかなる王も敵たりえず、人界のすべてを手にされることも、あるいは灰へとお変えになることも、ご意思のままでいらっしゃる。……そのようなお方のご気分を害したらどうなるか……皆、わかっているね?」
最上位のドラゴンをもはるかに凌ぐだろう巨体を見ていると、〈神殺し〉などいう突拍子もない話にも、まったく疑問が湧いてこない。
皆に視線を巡らせてルートヴィヒが問うも、答えられる者など存在するはずもなく、貴族たちは今にも血を吐きそうな表情をして、ただただ震えるばかり。
ここで再度、ルートヴィヒがヴァーテリンデに目配せすると……。
「あ、あれは……」
「魔物? ……いえ、姫君の眷属ですわね」
「漆黒の、魔人……」
……などと、にわかに貴族たちがざわめき始めた。
何を見て?
いかにも強者感のある漆黒の魔人らが突如として空中に現れ、身の丈を超える長さの片手剣を胸の前に立てて、近衛のごとく整列したのだ。
もちろんこれは、演出のため熊野が等身大の人形十数体に甲冑を着せ、それっぽく空中に並べただけであるが、そんなことを知らぬ貴族たちは、少なからず気圧されたに違いない。
(あの黒い格好は、たしか……どれ、アタシもちょっと手伝ってやるか)
ここで、人形のそれが真綾の着ていた甲冑と同じだと気づいたヴァーテリンデが――。
「この無礼者! 眷属ごときが方伯の頭上に並ぶんじゃないよ!」
――などと、いきなり漆黒の魔人たちをビシッと杖で指しつつ、わざとらしく怒り始めたかと思えば、信じられないことをやらかした。
あろうことか、彼女は問答無用とばかりに魔法陣を複数展開し、魔人たちに攻撃魔法をぶっ放したのである……。
それは、誰にも止めることのできない一瞬の凶行であった。
(魔女め、なんということを!)
(もう、おしまいですわ……)
(ババア、我らを道連れに死ぬ気か!)
ヴァーテリンデの魔法は諸侯に届くと噂されている。その魔法が漆黒の魔人たちを屠り、眷属を害された姫君が怒り狂う、そんな絶望的な未来を、一秒にも満たない時間の中で誰もが想像した。
しかし……。
「む、無傷!?」
「まさか、あれらすべてが、〈諸侯級〉……」
「あれほどの数の〈諸侯級〉を従える王など、聞いたこともない……」
ヴァーテリンデの魔法を受けてなお微動だにしない魔人らを見て、貴族たちは驚愕すると同時に、その上に君臨する者の実力を思って戦慄した。
一方、魔法を放った張本人はと言えば、方伯陣営の貴族たちに対して不満を溜め込んでいたらしく、愕然とするどころか、(ヒッヒッヒ、みんな肝を冷やしたみたいだねぇ)などと、皆の反応を見てほくそ笑んでいる。
(婆さん、みんなをビビらせたのがそんなに嬉しいのかよ……まあいいや。――さて、そろそろかな……)
そんな老婆の様子を見てゲンナリとしたヘルマンが、今度は熊野丸を見上げてニヤリとした――その時!
甲冑人形たちより一段上の空中に、振り袖姿の真綾が出現した!
ひと目で〈王級〉とわかる魔石を頭上に浮かべたうえ、光背のごとく背後に無数の太刀を放射状に並べ、しかも、それら太刀が光を反射しつつグルグルと回転する、という、熊野による過剰な演出つきで……。
さらに熊野は、以前、宮中伯陣営の貴族らを船内に招待した際、個別にお世話していて思いついたことを、今ここで実行に移した。
熊野丸楽団を空中に並べて演奏させただけでなく、なんと彼女は、船体側面の空気を振動させることで複数の音声を作り出し、百人以上もの人間による混声合唱を再現してみせたのだ。
選曲は、モーツァルトのレクイエムより、『怒りの日』である。
これほどこの場にふさわしいBGMが他にあろうか、キリスト教終末論における審判の日を歌ったこの曲は、謎のシステムによってイイ感じに翻訳され、まんまと貴族たちの恐怖と絶望を呼び起こした。
「……い、怒りの日……」
「ダビデとシビラの予言のごとく、世界は灰燼に帰す……」
「審判者来たり給いて、すべてが厳しく裁かれる時、その恐ろしさはいかほどか……」
真綾の非現実的な美貌だけでも相手を畏怖させてしまうというのに、そのうえこの演出である。断罪の女神がごとき彼女の姿を恐怖の眼差しで見上げながら、次々と膝から崩れ落ちる貴族たち……。
(クマノ様ぁ、やりすぎですぜ……)
ヘルマンが遠い目をして言ったとおり、熊野、やりすぎであった。




