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第一八六話 方伯領を包む霧 二四 和解



 テューニンゲン方伯の生還から数日後――。


 古風にして精緻な装飾の数々、惜しげもなく魔石を使った魔導シャンデリア、思い思いに着飾った紳士淑女たち――。ここは、方伯の居城内で最も格式高い大広間である。

 かつて歌合戦が開かれたこともあるこの大広間に、この日、方伯陣営の主立った貴族たちが集められていた。

 なかでも、方伯の玉座から近い位置に立ち並んでいるのは、いかにも気難しそうな老人に、ふくよかな貴婦人、あるいは、でっぷりとした中年男や厚化粧のオバ……貴婦人、などなど……そう、方伯麾下の伯爵たちだ。

 驚くべきは、その列に、ヴェルナーローデ伯ヴァーテリンデの姿もあることだろう。

 現に、彼女の方をチラ見しつつ小声で話している者らも少なからずいるが、そうしている間に式典開始の時間となった。


「それでは皆様、このたびの功労者を、今、ここにお迎えいたしましょう。――赤き精霊馬を駆りし英雄、ヘルマン・フォン・トルンフルト城伯!」


 派手な格好の儀典長が高らかに呼び上げると、小姓たちは大広間下手にある扉を左右に開き、そこから、鎧姿のヘルマンが兜を小脇に抱えて入場してきた。

 実は、先日の一件での功に報いたいとルートヴィヒから招かれ、ヘルマンもまた、かつて逐電してしまったことを謝罪したいと思ったため、こうして久方ぶりの登城と相成ったのだ。

 ルートヴィヒとしては、クリンゾルにも来てもらいたかったのだが、そのような場は性に合わないからと言って、呆気なく辞退された。

 さて、話を戻そう。

 ヘルマンもさすがに今日ばかりは無精ヒゲを剃って髪も整え、いつもより身ぎれいにしているため、渋くも甘くもある彼のマスクと目も覚めるような騎士っぷりを前に、女性陣の中には頬を染める者も多い。

 しかし、その一方、男性陣の中には――。


「領地を捨てて逃げた腰抜けが、どのツラ下げて……」

「大恩ある方伯家に後ろ足で砂をかけた不忠者のくせに、よくもまあ臆面もなく、この城に顔を出せたものよ」

「黒騎士の分際で……」


 ――などと、眉をひそめる者がいる。

 そうした連中に目もくれずヘルマンは堂々と歩き続け、やがて、玉座に座るルートヴィヒの前で足を止めると、恭しく片膝ついて頭を垂れた。


「トルンフルト卿、頭を上げてくれないか」


 ルートヴィヒが穏やかに声を掛けるも、ヘルマンは頭を上げようとしない。


「いえ、貴族として恥ずべき罪を犯したこの身にございますれば、どうして閣下のご尊顔を拝せましょう。このたび恥を忍んで御前に参じましたのも、ひとえに、ひとこと謝罪申し上げ、罰していただきたく存じたゆえにございます。――閣下、誠に申しわけございませんでした」


 ……などと、いつもとは別人のような態度で彼が謝罪すると、その肩に、そっと手のひらが置かれた。

 思わずハッと顔を上たヘルマンの瞳に、ルートヴィヒの真摯な顔が映る。

 グリューシュヴァンツ帝国における諸侯の地位は、大貴族というよりも小国の王に近いため、わざわざ諸侯が玉座から立って歩み寄り、そのうえ相手と目線を同じくするなど、なかなかお目にかかれる光景ではない。ましてや、その相手が在野の城伯に過ぎないとなると、まず、ありえないことだ。

 世にも珍しい光景を目にして貴族たちが息を呑むなか、彼らの領邦君主は真摯な表情のまま口を開いた。


「罪と言うならば私の母にこそあろう、観劇などにかまけて、トルンフルト領の危機をすぐに教えなかったのだからね……。卿の行いはたしかに褒められたものではないが、庇護下にある貴族にそこまでさせた方伯家の罪は、はるかに重い。――トルンフルト卿、心から謝罪するよ」

「閣下……」


 ルートヴィヒから逆に謝罪され、ヘルマンは声を詰まらせた。

 そんな彼の手を取って立ち上がらせると、今度は貴族たちに視線を巡らせつつ問うルートヴィヒ――。


「さあ、ここに集まってくれた皆に問いたい、トルンフルト卿を罰するべきか否か。彼を罰すると言うならば、まず私がより重い罰を受けねばならぬが、皆の返答はいかに。――トルンフルト卿に罰を与えるべしと思う者は挙手を!」


 こうまで言われて挙手できる者などあるはずもなく、誰も動かないまま、気まずげな沈黙が大広間を覆った。


「私は皆を誇りに思う! それでは今後、過去のことでトルンフルト卿を罵るは方伯家を侮辱すると同じ、そう覚悟してもらうよ」


 皆の様子を見て満足げに声を張り上げると、ルートヴィヒは青い瞳に威を込めてまた視線を巡らせ、きっちりと貴族たちに釘を刺した。こうなるともう誰も逆らうことはできず、貴族の何人かが青い顔をして唾を呑み込んだ。

 一方、ヘルマンと並んで立ったことにより、今の自分が、かつて見上げていた師と変わらぬ背丈になっていたのだと気づき、ルートヴィヒは感慨深いものを感じた。


「さて――お久しぶりです、ヘルマン先生」

「ご立派になられましたな、ルートヴィヒ様」


 かつての剣の教え子と師は、心から懐かしげに微笑み合った。

 もうひとりいた幼い弟子の名を、どちらもあえて口にしないのは、彼らなりの大人の気遣いというものか……。


「それでは本題に移ろう。――前もって皆にも伝えたとおり、先日、トルンフルト卿は我が妻エルジェーベトを救い、さらには、領内に騒乱を招かんと企てていた悪魔までも誅殺してくれた。この大功に私はどう報いればよいだろうか?」


 またも視線を巡らせてルートヴィヒが問うと、それを待っていたかのように声が上がり始め――。


「しからば、方伯家のお預かりとなっている旧領に復させ、さらに、当面の資金などを下賜されてはいかがでしょう?」

「それは良いお考えですわ」

「私も賛成です。ヘルマン殿は聡明にして剣の達人でもいらっしゃったと、母からも亡き祖父からも聞き及んでおりましたが、このたびのご活躍を聞いて私も得心いたしました。ヘルマン殿のような智勇兼備の英傑にかの地をお任せすれば、ここアイゼナハトの守りは完璧なものとなりましょうし、また、かの地の近隣を治める私どもとしましても、たいへん心強うございます」


 ――などと、トルンフルト家再興を進言したのは、ヘルマンの父と仲の良かった貴族たちやその跡継ぎである。さらには、そこにヘルマン自身の旧友らも加わり始め、場の雰囲気は一気に明るくなった。


「トルンフルト卿、皆、このように言っているが、城伯として旧領を守ってはもらえないだろうか? ……長い歴史の中で多くの者が傲慢になっていたところに、私の母のような暗君が現れたせいで、残念だが、私に代替わりした今でさえも、方伯領には目の曇っている者が少なくない。私はそれを変えたいのだ……。卿ほどの人物が直臣として帰参してくれるなら、私も心強いことこの上ないのだが……どうだろう?」


 真実心からの言葉を紡いでルートヴィヒはヘルマンを口説いた。

 この若く聡明な領邦君主の下で働けたならと、たしかにヘルマンも思う。

 しかし――。


「過分なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます。……しかしながら、当家の再興につきましては、謹んで辞退させていただきます」


 ――彼は胸に片手を当て、恭しく頭を垂れて感謝の意は示したものの、予想外の言葉を付け加えた。

 当然、にわかに場はざわめき始め、ここぞとばかりにヘルマンを非難しようとした者らもいたが、そういった連中は、上座に並ぶ伯爵たちから殺さんばかりの眼光で睨みつけられるや、顔面蒼白になって口を噤んだ。

 伯爵たちは、あの日の誓いを忘れていないようである。


「……そうか、やはり、方伯家を許せないか……」

「いえ、ルートヴィヒ様のご成長を確信した今、恨みなど消え失せました」


 母のしたことを改めて思い起こし、ルートヴィヒは表情を曇らせたが、首を横に振って答えるヘルマンには、たしかに恨んでいる様子など微塵もなく、やけにさっぱりとした表情をしている。

 そのため、ルートヴィヒは尋ねることにしたのだが――。


「では、他に理由が?」

「……いや、まあ、ぶっちゃけ、長いこと狩人やってたせいで、すっかりコッチのほうが身についたっつうか、堅っ苦しい貴族なんかに戻る気はこれっぽっちも無いんでさ。……それにね、お仕えするならこの人にって思える人物なら、もう見つけちまってるんですよ」


 ――などと急に砕けた口調で答えるヘルマンに、またも貴族たちがざわめいた。

 一方、ルートヴィヒは納得したのか、わざとらしく肩を落としつつも、ヘルマンの目を見つめて少し嬉しそうに笑みを浮かべた。


「そうか、先を越されたか……」

「気落ちしてもらえるのは光栄ですがね、俺なんかいなくたってルートヴィヒ様なら大丈夫。アンタは先代と違う、アンタほど聡明な領邦君主なら、そのうち、みんなだって喜んで支えてくれるようになりますよ」


 そう言ってヘルマンが視線を移し、いたずらっぽくウィンクすると、その先にいた彼の友人知人たちは苦笑いでそれに応じた。


「……なるほど、ならば私もその期待に応えねばならないな。――ではトルンフルト卿、せめて報奨金だけでも受け取ってもらえないだろうか? 私の顔を立てると思って」


 かつての師から褒められて襟を正したルートヴィヒだったが、方伯として褒美を渡さぬわけにもいかないため、頼み込むようにしてヘルマンに言った。


「それなら、スタンピードの際に世話んなった各家と、あと、俺の供回りやってた連中の所在がわかるなら、そいつらにも、報奨金は適当に分けてやってください」

「わかった、約束するよ」


 こうして無事、ヘルマンの件は片付いたのだが……。


「それでは、そろそろ、トルンフルト卿の心を奪ったお方を出迎えるとしよう」

「そうしますか。……それにしても、思いっきり派手な登場をってご注文でしたが、何かお企みで?」

「ハハハ、とんでもない」

「……ホントまあ、ご立派に成長しちまって」


 ……などと、ふたりで何やらヒソヒソと話し合ったあと、ルートヴィヒとヘルマンが仲良く歩き始めると、伯爵たちも揃ってそれに続いたため、他の者たちは戸惑いながらも、ゾロゾロと彼らについていった。


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