第一八三話 方伯領を包む霧 二一 会議は踊る
方伯の居城内、謁見の間――。
会議は踊る、されど進まず、とはよく言ったもので、落ち着く気配さえ見せずに議論は白熱していた。
『いいえ! 方伯閣下の実弟でいらっしゃるハインリヒ様こそ、ヘルマン様の後見人にふさわしいですわ!』
『まったく同感です、血統こそ重んじるべきですな』
ケバ女伯とデップ伯爵が、ヘルマンの後見人としてハインリヒを推し――。
『くどいわ! 奥方様を立てるのがスジじゃと言うておろう!』
『そうですわね、まだ幼くていらっしゃるヘルマン様のことを考えても、エルジェーベト様にお願いしたほうがよろしいですわ』
――老伯爵とフク女伯はエルジェーベトを推して譲らない。
さらに……。
『それがしも奥方様にお願いすべきとは思いますが、やはり、お引き受けいただけなかった場合のことも考えねば……。ヘルマン様に守護者ができるまで閣下の死を公表しないのなら、それまでは後見人を立てず、とりあえず我ら伯爵家の合議制にする、という手もあるのでは?』
『いやいや、それでは決まるものも決まらんようになろう、今のようにな。下手をすれば内乱になりかねん……。さりとて、やはりエルジェーベト様に大権をお預けするのは不安極まりないし、貴族ではなく年若い家宰も後見人としていかがなものか……うむ、妙案を思いついたぞ、方伯家の外戚にして伯爵たるこの私が、後見人を引き受けようではないか』
……などと、他の二名も思い思いに主張する始末。
『ド阿呆! 外戚と言うならここにおる半分は外戚じゃ! 図々しいにもほどがあるわド阿呆!』
『ホントですわっ! 厚かましい! 守護者をお持ちじゃなくとも、ハインリヒ様はアナタなどよりもずっと高貴なお生まれでいらっしゃいますし、お若くともご立派に政務を執っておいでですもの、あとはアタクシたちがお支えすればよろしいでしょ!』
『それでは、どなたよりも高貴なお生まれでいらっしゃるエルジェーベト様を後見人に立てて、皆でしっかりお支えいたしましょう』
『いやいやいや、ですから、エルジェーベト様のようなお方が権力を握ってしまえば、この方伯領はですな――』
……もう、グチャグチャであった。ちんまりとした小動物たちが、あーだこーだ言っている様子は、たいへん微笑ましくもあるが。
(フェストゥング伯さえこの場にいれば……)
いつ果てるともなく踊り続ける会議の様子に、ハインリヒが奥歯を噛み締めた――その時である。
ノックもなく扉が開き、そこから、暗灰色のローブを身に纏い道化の仮面を被った何者かが、謁見の間に入って来た。……会議中は何人たりとも通さぬよう、厳命してあるはずなのに。
『何やつじゃ!』
『衛兵どもは何をしておる!』
『魔物かもしれませんわね……』
怪しげな風体の闖入者に騒然となる伯爵たちであったが、招かれざる客はラタトスクたちのことなど気にも留めず、ハインリヒただひとりに顔を向けると、若くはない男の声で――。
「オノグリア国王の配下にエルジェーベトを押さえられた。計画は失敗だ」
――と、まるで知り合いであるかのように告げた。
しかし、ハインリヒのほうは、知人ではないとでも言いたげに首をかしげた。……ただ、妙に落ち着いてはいるが。
「計画? あなたが誰で何を言っているのか、私には理解しかねますが、奥方様の身柄をオノグリア国王が保護したところで、なんら問題はありません。……いや、兄王の庇護下に置かれるとなれば、奥方様も今後、平穏に何不自由なくお暮らしになることができましょうから、私としてはむしろ喜ばしい。――で、計画とやらを失敗したあなたが、何をしにここへ?」
「ふん、他人事のように……」
余裕の笑みさえ見せるハインリヒに認識の齟齬を感じ、ほどなく闖入者は思い至った、計画の全容などこの男は知るはずもないのだと。
「……ああ、思い出したぞ。――私が方伯を消してやる対価として、お前はエルジェーベトを放逐し、さらに今後、私の活動に便宜を図る。そうすれば、私は聖女を旗印に弱者救済活動を拡大でき、お前もヘルマンの後見人として方伯領を思いのままにできる。――たしか、そういう約束だったな」
演出効果を狙ってか、仮面を外しつつ話し終える闖入者だったが、あらわになったその顔は、なんと、つい今しがた殺されたはずのコンラートのそれではないか……。
双子の悪魔? ……いや違う。実は、彼が〈人形遣い〉と呼ばれるゆえんは人を操ることだけにあらず、自分の作り上げた人形に魂を移すという能力にもあったのだ。
ただ、コンラートの顔を知らぬ者に彼が誰かなどわかるはずもなく、そんなことよりも、彼の爆弾発言のほうに大きな衝撃を受けた。
『家宰! それは真か!』
『閣下の暗殺を頼んだのか!』
『そんな……』
『ハインリヒ様、ホントですのっ!? 弑逆するとまでは伺っておりませんわよ!』
『そ、そうですぞ、万一のことあらばハインリヒ様を後見人として推すよう頼まれましたが、まさか、閣下を暗殺するなど……』
『家宰!』
闖入者の暴露した事の重大さに、それまで揉めていた伯爵たちは揃ってハインリヒを糾弾した。
しかし、彼らの受けた衝撃も大きかろうが、それとは比べるべくもない衝撃を受けた者が、この場にひとり……。
「そんな……叔父上が、父上を……」
小さな声を聞いて振り返ったハインリヒの碧眼に、愕然とした少年の顔が映る。
慕っている叔父が父を殺し、母や妹たちまでも追い出した……。そう聞かされたヘルマンの心情を思うと、冷静沈着なハインリヒもさすがに胸が痛んだらしい。
「ヘルマン様、騙されてはなりません」
懇願するような視線を幼い甥に向け、彼は悪魔の言葉を否定した。
一方、ことさら憐れむような表情をしてヘルマンに語りかけるコンラート――。
「かわいそうな少年よ、これは真実だ。お前が信じ尊敬していた叔父上は、温厚で忠実な家宰を演じる一方、腹の底では兄への嫉妬を澱のように溜め込み、殺したいほどに憎んでいたのだ……。お前に優しかったのも手ずからお前を教育したのも、すべて、己が後見人となったときに大人しく言うことを聞いてもらうためよ」
「黙れ悪魔!」
己の闇を幼い甥に知られることがよほど嫌だったか、ハインリヒは鋭い眼光で悪魔を睨みつけた。
「なあハインリヒ、たしかに私は、聖女を旗印に弱者救済活動を拡大すると言ったが、あれには続きがある。聖女を贄として方伯領中の民を蜂起させることこそ、私の真なる目的だったのだ。……つまり、憎い兄に成り代わって方伯領を手に入れたところで、お前はそう遠くない未来、甥と一緒に死ぬ運命にあったのだ、怒り狂う民衆の手によってか、私の手によって」
「……」
真実を知り黙ってしまったハインリヒに構わず、ひとりコンラートは続け――。
「……まあ、聖女という唯一無二の贄を奪われた今、その目的も果たせなくなってしまったがな。――ハインリヒ、お前は先刻、何をしに来たと私に問うたが、そんなこと答えるまでもなかろう」
――語り終えると、玉座に座る少年へと視線を移した。
すると、その意を察したか、ハインリヒが剣を素早く抜きつつ、ヘルマンを庇って前に出たため、コンラートは意外そうに片方の眉を吊り上げた。
「おや? いたいけな子供から家族を奪っておきながら、今さら庇おうというのか? えらく矛盾した――」
「黙れ! ――ヘルマン様、私が時を稼いでいる間にお逃げください」
鋭いひとことで悪魔を遮ったあと、ハインリヒは打って変わり、なるべく穏やかな声で背後のヘルマンに声をかけた。
「……ああ、なるほど、そうすることで皆からの疑念を晴らそうという魂胆だな、お前らしい小賢しさよ。……しかしなあハインリヒよ、お前は下級貴族ですらないただの人間なのだ、〈伯爵級〉の悪魔から守りきれるものではあるまい? さあ、大人しく引き下がれ、そうすればお前の命だけは助けてやらんでもないぞ」
「ヘルマン様を殺させはしない」
まるで弟子を諭すように言う悪魔だったが、ハインリヒの意思は揺るがない。……兄に成り代わって権力を得る、という計画を持ちかけられた際は、あれほどたやすく堕ちたというのに。
これこそ、コンラートの見たかったものであった。
「素晴らしい! 私が人間を愛するのは、まさに、冷酷と温情、卑劣と高潔の同居しているところに惹かれるがゆえ! ハインリヒよ、私を喜ばせてくれたことへの礼に、なるべく苦しまぬよう殺してやるぞ、無論、お前の甥もな」
両手を大きく広げて天を仰ぎ、声高らかにハインリヒを称賛するコンラート。
と、そこへ……。
『よく回る舌だねぇ……』
『ヴァーテリンデ様!?』
ラタトスクたちが揃って驚いたのも無理はない、いままでずっと眠りこけていたフクロウが、急にしゃべったのだから。……そう、ヴァーテリンデの声で。




