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第一八一話 方伯領を包む霧 一九 死の価値



 同日、アイゼナハト市内――。


 この日もエルジェーベトは、救貧院前の広場で外来患者を治療していた。みすぼらしい服を身に纏い、見る影もなくやつれ果てた姿で……。


「エルジェーベト様、また治療を頼みます」

「はい……」


 新たな患者たちを連れてきたコンラートに、か細い声でエルジェーベトは返した。

 今日はやけに患者が多い……いや、いつもは忙しくし飛び回っているコンラートが、今日に限って時間を持て余しているらしく、自らせっせと患者を探し集めては、次々に連れてくるのだ。……しまいには、かすり傷くらいしか見当たらない、元気そうな男たちまで。

 先に力尽きたカラドリオスは召喚解除されており、その後ひとり患者を治療し続けていたエルジェーベトも、無論、とうに限界など超えている。

 ここ数日何も食べず、睡眠もロクに取れていないことを考えれば、彼女の命の灯火はいつ消えてもおかしくない……。


「聖女様、世話んなりました!」

「スンマセンね、ただのかすり傷だってのに」

「これも聖女様の修行だってコンラート先生から聞きましたぜ、えらくしんどそうに見えますが、頑張ってくだせえ」

「ま、また来ます!」


 来るな……。ともかく、彼女がどうにか治療し終えた最後の患者たちは、彼女の現状も知らず、口々に礼を述べると帰っていった。

 そんな彼らをなんとか見送ったあと、とうとうエルジェーベトは、プツリと糸の切れた人形ように倒れてしまい――。


「おっと」


 ――それをコンラートが抱き止めた。

 白蝋のごとき彼女の顔に向けた彼の眼差しは温かく、その顔には、やわらかな微笑みさえ浮かんでいる。……こんな状況だというのに。


「ご安心なさい、たとえあなたの命が潰えたとしても、弱者救済に身を捧げた聖女の名は永劫に残ります。……そう、崇高な理念に殉ずることで、聖女エルジェーベトは完成するのですよ。清貧を貫いたあなたの尊い死は、多くの人々の目を覚まさせることでしょう」


 意識も朦朧としている教え子に、優しく師が語りかけた――その時。


「じゃあ、アンタが死ねば?」


 人を喰ったような声が聞こえた。

 声の主をコンラートが確かめてみれば、そこに立っているのは、黒塗りの甲冑に身を包んだひとりの騎士ではないか。


「残念ながら、私などにエルジェーベト様の代わりは務まりません。召喚能力者であり方伯夫人であり、また、一国の王女という高貴な生まれの彼女だからこそ、死にも価値があるのですよ。――ところで、どなたですかな?」


 兜のバイザーを上げている騎士の顔を見ても、面識ない者にそれがヘルマンだとわかるはずもなく、コンラートはさも残念そうに答えたあとで名を尋ねた。


「俺? 俺なんかのことよりさあ、コンラートさんよ、アンタ、ここだけじゃなく、あっちこっちで貧乏な連中を助けてやりながら、貴族の本分だの聖女様の善行だのを熱心に話して回ってるんだって? そんなアンタが聖女様の死を願うとは、穏やかじゃねぇな」

「いえいえ、死を願うなどとんでもない。死の価値についての話でございます」


 名乗りもせず聞き咎めてきたヘルマンに、コンラートは首をゆっくり横に振ると、諭すような口調で静かに返した。


「死の価値、ねぇ……ああ、そういうことか。――どこよりも民衆の不満が燻ぶっている方伯領で聖女様がお亡くなりになる、それも、薄情な方伯家に城を追い出されたお気の毒な奥方様だ……。で、その噂がイイ感じに広まった頃合いを見計らって、聖女様のお師匠様が焚きつければ――ボッ! このアイゼナハトから盛大に燃え広がってくわけだ、『聖女様の仇を討て! 彼女を追い出した方伯家を絶対に許すな! 傲慢な貴族どもを今こそ血祭りに上げろ!』ってね。――アンタ、民衆を蜂起させるのが目的かい?」


 アゴをポリポリ掻きつつ考えを巡らせていたヘルマンは、ほどなくして、何やらひとり納得したかと思えば、おもむろに語り始め、軽く握った片手を着火の擬音とともに開く仕草なども交えつつ、聖女の死によって起きるかもしれぬ未来を語り終えると、最後にコンラートの両目を真っすぐ見据えて問うた。


「……これは驚きました、聡いお方ですね。――ところで、わざわざ甲冑を黒く塗っていらっしゃるということは、どこにもお仕えでない黒騎士殿とお見受けしますが、ならば話は早い。……あなたも思いませんか? 召喚能力者らによって支配されるこの世界は間違っていると。強欲で傲慢極まりない貴族らを憎いと感じたことは?」

「まあなー」


 ヘルマンの慧眼に目を見張ったものの、コンラートは否定するでも怯むでもなく、不思議と心奥に染み込むような声で語りかけ、それを聞いたヘルマンは即座に同意した。


「そうでございましょうとも。貴族のご子息でありながら召喚能力が無いというだけで他家に出され、そのうえ、正騎士となられても野に下られたあなたのこと、きっとご理解いただけると思いました。……そのようなご境遇でいらっしゃるゆえ、さぞや理不尽と感じたことも多かったでしょう」

「たしかに、理不尽なことだらけだ……」


 ヘルマンの風体から彼の境遇を察したらしく、コンラートはあの不思議な声で、さも同情したふうに言い、苦い表情で嘆息する相手を見るや、我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。

 しかし、彼の目的が市民革命だったとして、それはあまりにも無謀ではないか……。


「……とはいえ、いくら民衆が蜂起したところで相手はお貴族様だ、あっと言う間に潰されちまうぜ?」

「ご心配なく、来るべき日に蜂起すれば容易に潰されることはございません。そして、必ずや実現できるでしょう、全人類が平等に暮らせる理想世界を」


 ヘルマンの言うとおり、圧倒的な力を誇る貴族たちを相手に蜂起したところで、民衆に勝ち目など無いのだが、当然の疑問に対して、コンラートは自信ありげに言いきった。


「来るべき日?」

「詳しくは申せませんが、世界の浄化は神々のご意思、決定事項でございますよ」


 気になる言葉を聞き返したヘルマンに、ニコリと笑みで返すコンラート。この黒騎士もこれで確実に堕ちる、今後、それなりの役には立ってくれよう、と……。

 だが――。


「ふーん……。でもなあ、本当の意味で平等な世界なんて来るのかねぇ? それに、あんまり急激な変化もどうかと思うぜ? 王侯貴族から全国民に権力を移したいんだろうが、冷静かつ正しい判断をするに足る知恵も知識もある民なんざ、まだほとんどいねぇんだ、文字も読めねぇような連中が突然権力なんか握っちまってみろ、理想世界どころか、この世の地獄だぜ」

「……」

「そもそも、俺はアンタのやり方が気に入らねぇ、そんなイイ女をボロ布みたいに使い捨てて何が理想世界だ、まったく笑えねぇ冗談だぜ。いいか、世界中のイイ女は幸せになるべき存在なんだ、それを犠牲にして理想世界もクソもあったもんじゃねぇや」


 ――ヘルマンはつまらなそうに聞いたあと、同調するどころか反論し始め、黙り込んでしまったコンラートをよそに話し続けると、最後に強い口調でキッパリと否定したではないか。

 エルジェーベトを贄にしようとした相手に、イイ女の守護者を自負するヘルマンは心底ご立腹なのだ。


「……私の能力が効いていないということは……なるほど、貴族でしたか。甲冑を黒く塗っているうえに本人も下品なものですから、すっかり騙されてしまいましたよ」


 表情と口調は穏やかなまま、コンラートの中で何かが変わった。

 一方、肩をすくめて不敵に笑うヘルマン。


「そりゃどうも、騙したつもりはねぇんだがな。……ふーん、聞かれたらマズそうなことをペラペラしゃべってくれると思ったら、やっぱり精神操作系の能力を使ってたのかよ。それも、相手の意識を完全に支配するってやつじゃなく、相手の思考のバランス感覚を狂わせつつ、心の隙につけ込んで言葉巧みに誘導してくってとこか? ……なるほどなあ、本人は自分の意思で決めたと思い込んでるし、精神支配されている者特有の不自然さもねぇから、まさかアンタの手の上で踊らされているとは、誰も気づかねぇわな」


 ……そう、まさしく彼の分析どおり、コンラートは会話している間ずっと、怪しげな能力を使っていたのだ。

 そんな能力を使えるということは、貴族、もしくは――。


「お前、魔物だな?」


 そう言うが早いか、ヘルマンは二本の魔剣を抜き、コンラートもまた、エルジェーベトを抱きかかえたまま空中へ逃げた。

 ……そう、空中へ逃げたのだ、背中にコウモリのごとき翼を生やして。


「まったく聡い人間だな……。そのとおり、私は〈人形遣い〉の異名を持つ〈伯爵級〉の悪魔だ」

「ふーん、悪魔ねぇ……。俺たち人間のことを悪魔が心配してくれるとは、嬉しくって涙が出そうだよ。……でもまあ、そんなはずねぇわな、民衆を蜂起させるってのも理想世界とやらのためじゃなく、どうせ、ロクでもねぇ目的のためなんだろ?」

「これは心外だな、理想世界実現のための一手であることは間違いないぞ。……まあ、理想世界などと言っても、神々や悪魔を含む精霊の下、すべての人間が家畜として平等に暮らせる、そんな世界ではあるがな」


 空中に浮かぶ悪魔と地上に立つ黒騎士、双方による問答の最後、悪魔のほうは縦長になった瞳孔で相手を捉えたまま、口の端を耳まで吊り上げて笑った。


「あー、やっぱロクでもねぇ……。もういいから、エルジェーベト様を渡して失せな」


 悪魔らしい目的を教えてもらったことで、ゲンナリとしたヘルマンは、片手でシッシと追い払うような仕草をしてコンラートに言うが、相手が大人しく従うはずはない。


「いや、消えるのはお前のほうだ。……とはいえ、相手をそそのかすことに特化しているせいか、私は荒事に向いておらんのでな、お前の相手は下級悪魔らに譲るとしよう。この任に就くにあたって相当数を預かっておるゆえ、心ゆくまで楽しんでくれ」


 コンラートが言い終わるや否や、ヘルマンを囲む空中に、そして地面にと、いくつもの召喚陣が続々と輝き始め、そこから邪悪なモノどもが姿を現した。

 守護者と契約してその加護を受けるというシステムは、人間だけに与えられたものであるため、コンラートによって召喚されたモノどもは守護者と違い、死んでしまえば再召喚不可能な、ただの〈城伯級〉の下級悪魔ばかりだ。

 さりとて、これほどの数を相手にひとりで戦えば、普通の城伯ならまず間違いなく死ぬだろう、普通の城伯なら……。


「あらら、こりゃまた熱烈な歓迎だこと。いやあ、モテる男はつらいねぇ。……でもゴメンよ、どの子もタイプじゃねぇんだ――よっと!」


 下級悪魔たちの群れを前に怯むでもなく、普通じゃない城伯は兜のバイザーを下げつつ軽口を叩き、襲いかかってきた一体の頭を断ち割った。

 それを合図にして、飛行タイプに陸上タイプと、さまざまな下級悪魔たちが襲いかかってくるが、ヘルマンは二本の魔剣を巧みに振るい、それらを次々に斬り伏せてゆく。


「見事な剣技よな、空中へ逃げて正解であったわ」


 凄惨な光景を高みから眺めつつ、コンラートは地上のヘルマンに声をかけた。


「そんなこと言わずにちょっとコッチ来いよ、遊んでやるからさ」

「いや、遠慮する。退屈ならば、これをやろう」


 ヘルマンからの誘いをサラッと断ってコンラートがしたことは、闇色に輝く魔弾を指先から撃ち出すことであった。


(おっと。……こりゃあ、ヤバいことになったな……)


 下級悪魔を斬り伏せつつ器用に魔弾を躱したヘルマンではあったが、内心、焦り始めていた。

 空中から魔法で攻撃してくるコンラートには手も足も出せず、このままではいずれ力尽き、数の暴力によって蹂躙されてしまいかねないのだ。


(バイヤールを呼びゃあ楽になるんだが……いや、まだだ、今じゃねぇ)


 バイヤール投入の時期を彼が探り始めた――その時!


「!?」


 空中のコンラートが慌てて何かを回避し、同時に地上でも――。


「おお! ――おお!?」


 すぐ近くで爆散した下級悪魔たちを見てヘルマンは驚き、それを成した人物を見てまた驚いた。


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