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第一八〇話 方伯領を包む霧 一八 ラタトスク会議

 


 真綾が迷いの森を踏破した、その日(アイゼナハト七日目)――。


 伯爵家ともなれば、通常、ラッツハイム男爵のような通信官を一名くらいは抱えており、そういった通信官の眷属ラタトスクを己が従属する領邦君主の居城に派遣し、常駐させているものだ。

 このラタトスクは単なる連絡手段として使われることも多いが、わざわざ伯爵全員を招集するほどの案件でもない場合、または、彼らの集合を待つ時間が惜しい場合、あるいは本人に来られるとマズい場合、等々において、常駐しているラタトスクを使ったリモート会議が開かれる。

 この日も、方伯の居城にある謁見の間にて、ラタトスク会議が開かれていた。

 それにしても、厳粛な空気に満ちた謁見の間の中、領邦君主としての玉座に座るヘルマン(純真無垢なほう)と、その傍らに立つハインリヒを前に、ちんまりとラタトスク六匹が整列している様子は、なんともシュールである。

 ところで、ラタトスクに交じってフクロウも一羽いるが、このフクロウはヴェルナーローデ伯ヴァーテリンデの使い魔だ。

 これは、いちいち通信官など介さずとも自分の使い魔を使えばいいという、彼女の合理的判断によるものだが、ヘソを曲げた彼女が方伯との交流を絶ってからというもの、このフクロウ、ほぼ眠ってばかりである。


『なんじゃと!?』

『それは本当ですの!?』

『まさか、迷いの森に入られるとは……』


 ルートヴィヒの死をハインリヒから告げられるや、ラタトスクたちは動揺した。

 ……いや、迫真の演技ゆえにそう見えるが、ラタトスクが動揺しているわけではなく、ここにいるラタトスクが聞いたハインリヒの声を、各伯爵家にいる通信官の脳を経由して先方のラタトスクが伝え、それを聞いた伯爵たちの動揺を、同じ経路でここのラタトスクが再現しているのだ。

 ちなみに、ラタトスクは音声しか再現できないため、こちらのラタトスクが見ているものについては、必要に応じて通信官が簡潔かつ的確に口頭で説明せざるをえない。……通信官もたいへんである。

 それにしてもこのラタトスクたち、いかにも気難しそうな老人のようであったり、ふくよかな貴婦人のようであったりと、なんとなく各伯爵の外見までも再現しているように見えるのは、見る者の錯覚であろうか……。


「いえ、地元の案内人だけではなく、随行していた当家の騎士や兵らも方伯閣下のお消えになる瞬間を目撃しておりますし、ラタトスクを随行させていた当家の通信官の証言とも一致しますので、ヴェルナーローデ伯による虚偽報告でも誤報でもございません」

『なんということじゃ……』


 沈んだ表情でハインリヒが誤報の可能性を否定すると、気難しそうな老人のように見えるラタトスク(今後、老伯爵と仮称する)は天を仰ぎ、たちまち謁見の間は重苦しい空気に包まれた。

 このように、君主を失ったことはもちろん方伯領としても一大事だが、愛する夫を失った妻の悲しみはいかほどのものか……。


『それでは、エルジェーベト様もさぞ悲しんでいらっしゃることでしょう……。わたくし、のちほどエルジェーベト様をお慰めしたく存じますが、当家のラタトスクがお目通りしてもよろしいでしょうか?』


 悲嘆に暮れているだろうエルジェーベトのことを心配して、ふくよかな貴婦人のように見えるラタトスク(今後、フク女伯と仮称する)が申し出たが、ハインリヒは首をゆっくり横に振った。


「いえ、せっかくのご厚意ではございますが、奥方様はいらっしゃいません。最愛の人を失った以上、これからは弱者を救うことのみに身を捧げられるとかで、奥方様は自らのご意思により、お嬢様方とご一緒に城を出られたのです」

『そんな……』


 彼がそう告げたとたん、フク女伯は声を失い、他の伯爵たちも騒然となった。


『家宰! お前さんは指を咥えてそれを見ておったのか!』

『まさか、追い出したわけではあるまいな!』


 などと、ハインリヒを激しく糾弾する者もいたが、まったく違う反応を見せる者もいるあたり、方伯領でエルジェーベトがどう思われているかをよく示しているだろう。

 このように――。


『嫌ですわ、そんなふうに噛みつくなんて。ハインリヒ様が今おっしゃったじゃございませんの、自らのご意思で、って。あのエルジェーベト様なら言いかねませんし、本人たっての願いなのですから、むしろ引き留めるほうが悪いですわよ』

『まったくですなあ。それに、方伯家の庇護下にある我々としても、ちょうどよかったのではございませんかな? あのお人好しのエルジェーベト様が、このままヘルマン様の後見人として実権を握ってしまえば、方伯領の財政が破綻しかねませんからなあ』

『……うむ、たしかに、卿の言にも一理あるな』


 眠りこけているフクロウは除外するとして、ここにいるラタトスク……いや、伯爵六名のうち三名が、エルジェーベトのいなくなったことを歓迎した。

 こうなっては、他の者もこれ以上ハインリヒを糾弾するわけにいかず、エルジェーベトの件についてはいったん置くこととなり、会議は進められた。


『それでは、まず、方伯閣下の亡くなられたことを皇帝陛下にご報告し、正式に発表するのはそれからでしょうか?』

『うむ、先代の時も先々代の時もそうじゃった。まあ、そうするのが慣例じゃな』


 伯爵たちはこれからのことについて話し合い始めたのだが、方伯陣営の重鎮たる老伯爵が慣例を持ち出したところで、ハインリヒが――。


「いえ、それはいけません」


 ――と、なぜか異を唱えたではないか。


『なんでじゃ!』

「まあまあ、落ち着いて。まずは、私の話をお聞きください」


 とたんに怒り出した老伯爵を、手のひら広げて制すると、ハインリヒは説明し始めた。


「すでに皆様もご存じでしょうが、先ごろ、皇帝直轄領内においてフェストゥング伯が殺害されました。『皇帝直轄領内で大罪を犯したゆえ、やむなくこれを誅した』と、皇帝側は報告してきましたが、この件について、私はハッケルベルクによる策謀だと考えております。――つまり、フェストゥング伯は無実の罪で命を奪われたのです」

『まあっ! なんて恐ろしい! ……ゼルマ様もさぞやご無念でいらしたでしょうねぇ』

『なるほどなるほど、腰抜けの皇帝親子はともかく、あのハッケルベルクなら、やりかねませんなあ』


 ハインリヒの話を聞くや否や、派手目の化粧をしているように見えるラタトスク(今後、ケバ女伯と仮称する)が、両手で口を押さえてわざとらしくリアクションをとり、でっぷりとした中年男のように見えるラタトスク(今後、デップ伯爵と仮称する)も、芝居がかった仕草で何度も頷いた。……これはこれで可愛い。


「さらに、テューニンゲンの森南方に住む小領主たちから、『皇帝の代理人を名乗る者が方伯領内に侵入した』、との報告を受けております。皇室の紋章入りの宝剣を所持していたそうですので、おそらくは本物かと思われますが、フェストゥング伯を殺した直後にそのような者を送り込んでくるとは、やはり、ハッケルベルクが何か企んでいるとしか思えません」

『そのお話でしたら、アタクシにも心当たりがございますわ。実はアタクシ、ラタトスクを個人的に預けてあるお友達がいるのですけれど、ちょうど昨夜、そのお友達から聞きましたの、皇帝の巡検使なる者にいじめられたと。なんでもその者、トロールのような大女だったとか、ブサイクな……。お友達ったらかわいそうに、お顔に落書きされたそうですのよ、それも、なかなか消えないインクで……。落書きが消えるまで部屋から出られないと、彼女、ラタトスクの向こうで泣いていらっしゃいましたわ』

『悪魔のごとき所業ですな……。ともかく、ハッケルベルクに策謀あることは明白でございますぞ』


 皇帝の巡検使の話をハインリヒが持ち出すと、お友達とやらの受けた被害についてさも一大事のようにケバ女伯が語り、デップ伯爵もそれに追従した。

 すると、ふたりの発言を待っていたかのように――。


「何やら企んでいるのはハッケルベルクだけではございません。すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、レーン宮中伯領の貴族らが最近になって、マーヤ・ラ・ジョーモンなる異邦の姫君の噂を意図的に広め始めました」


 ――と、今度は真綾のことを持ち出すハインリヒ。……そう、レーン宮中伯領の貴族たちは、湖の乙女の子孫たる真綾との約束を、それはもう張りきって果たしたのだ。


『その噂でしたら、わたくしも耳にいたしましたわ。たしか、異国風の黒衣をお召しになった黒髪の美姫で、〈黒き乙女〉、もしくは〈黒き姫君〉、などと呼ばれておいででしたわね』

『おお、その噂じゃったらわしも聞いたぞ、なんでも、湖の乙女様のご子孫らしいの。宮中伯領のやつら、それはもう自慢げに触れ回っておるらしいではないか』

『まあ、湖の乙女様に対する連中の思いは信仰に近いですからなあ、それがしが顔を合わせた者も、目の色が違うというか、何かこう、尋常ならざる様子で話しておりました』


 この噂についてはすでに広く知られているようで、エルジェーベトに同情的だった者たちも口々に話し始めた。……それにしても、宮中伯領の貴族たち、すっかり真綾の狂信者になってしまったようだ。


『ふん、異邦の姫君、それも、よりにもよって、宮中伯領で崇拝されている湖の乙女様のご子孫が、都合よく現れて宮中伯領の危機を救ってくれたなんて、そんなの嘘に決まっているじゃございませんの。あの〈残虐公女〉のことですもの、何か善からぬことを企んでいるに違いませんわよ』

『まったくですなあ。しかも宮中伯領の連中、言うに事欠いて、〈神殺しの姫君〉だなどと吹聴しておるそうですぞ。まったく、わざわざ嘘だとバレる飾りをつける者どもの気が知れませんなあ』

『私の聞いた話では、その〈神殺しの姫君〉とやらの守護者、最上位のドラゴンよりもはるかに巨大だとか。……たしかに、そこまで話を盛られては、もはや信憑性も何もあったものではないな。ともかく、あのエックシュタイン家も再興したと聞くし、それによって戦力が増強された今、さらに宮中伯の背後に強力な味方までついていると見せかけて、他領との交渉を有利に運ぼうという魂胆か、それとも、他に何か……』


 ケバ女伯及びデップ伯爵と他一名、エルジェーベトを好ましく思っていない者たちも話に加わり、こちらは宮中伯ゾフィーアによる策謀を警戒した。

 そういった反応を見て、我が意を得たりと頷くハインリヒ。


「そのとおり、宮中伯は確実に何か企んでおりますし、狼のごとき心を隠し持っているのは他の諸侯とて同じでしょう……。もはや皇帝も諸侯も信用なりません、今、方伯閣下の死を教えれば、まず間違いなく、ヘルマン様の後見人の座を狙い、皇帝や諸侯らが介入してくるでしょう。それを避けるため、ヘルマン様が守護者を得られるまでの時間、あと五年少々の間だけは、なんとしてでも方伯閣下の死を伏せておくべきだと、私は考えます」


 ――と、ついに彼は本題を切り出した。

 たしかに彼の言うとおり、皇帝や諸侯が介入してくる可能性は否定できないし、ヘルマンが〈方伯級〉の守護者を得てしまえば、方伯領に手を出そうなどとは誰も思うまい。

 結局、これには反論する者もなく、次に、幼いヘルマンの後見人に誰がなるかという話に移るのであった。



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