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第一七七話 方伯領を包む霧 一五 アルツの魔女



 ヘルマンと魔法使いが対峙した日の翌日(アイゼナハト七日目)――。


 昨日の夕方、ようやくアルツ山地南側の町に到着し、そこで一夜を明かした真綾は、この日の朝、いよいよアルツ山地に足を踏み入れると、ハッケルベルクの大鴉を追って一直線に進んだのち、ついに迷いの森まで到達した。

 無論、抜かりない熊野の進言により、今日の彼女は甲冑と大太刀でガッチガチに武装している。……そう、〈黒き王〉モードだ。

 真綾が足を止めるや、これまで先導してくれていた大鴉は空から舞い降り、木の枝に留まってくちばしを開いた。


『案内はここまでじゃ。……これより先は何が起きるかわからぬ魔境中の魔境ゆえ、気を緩めるでないぞ』

「ありがとうございました」


 珍しく気遣いを滲ませて言うハッケルベルクの言葉に、真綾が感謝の言葉で返すと、大鴉は空へと羽ばたいて行った。

 その姿を見送ったあと、霧に包まれた森を静かに見つめる真綾。

 迷いの森と言っても、何も無い場所にその森が独立して存在するわけではなく、アルツの山々を内包する広大な森林地帯のごく一部が、そう呼ばれているのだが、ここから先が迷いの森だということは誰にでもわかる。

 なぜなら、そのエリアだけが濃い霧で不自然に覆われているうえ、その前に立ったとたん、なぜか人は根源的な恐怖心を呼び起こされて、足がすくんでしまうのだから。


『う~ん、いかにもといった風情でございますねぇ。――真綾様、ハッケルベルク様もおっしゃったとおり、何が起きるかわかりませんので、くれぐれもお気をつけください』

「はい」


 注意を促す熊野に短く返したあと、真綾は迷いの森に足を踏み入れた。


      ◇      ◇      ◇


 霧に包まれた森の奥深く、その家はひっそりとたたずんでいた。

 木組みと白壁の美しいオーソドックスな様式で建てられた、小さな家である。

 その家の中、テーブルの上に置かれた水晶玉に映っているのは――なんと、迷いの森の攻略を開始した真綾の姿ではないか。


「こりゃまた、おっかなそうなやつが入ってきたじゃないか。人間なのか魔物なのか……まあ、どっちにせよ、迷い込んできたってわけじゃあないだろうね」


 水晶玉を覗き込み、しわがれた声で言ったのは、つば広のトンガリ帽子を被った黒衣の老婆、……そう、アルツの魔女の長にしてヴェルナーローデ伯、ヴァーテリンデである。


「ふん、どんなやつが来たところで、さんざ迷った挙げ句に力尽きちまうのがオチさね」


 最初は余裕ぶっこいて水晶玉を眺めていたヴァーテリンデだったが――。


「真っすぐ向かって来る!?」


 ――やがて、その余裕は驚愕に変わった。

 無理もない、方向感覚を狂わせる魔の霧に覆われているうえ、悪夢のごとく景色まで変わり続ける森の中を、謎の侵入者は迷いもせず、知るはずのないこの家に向かい一直線に突き進んで来るのだから。

 しかも……。


「そこいらの魔物くらいじゃあ、足留めにもならないか……」


 ……そう、魔境中の魔境と恐れられるだけあって、この森には凶暴な魔物が跳梁跋扈しているというのに、それらの多くは漆黒の魔人の威圧感に怯えて逃げ隠れし、襲いかかる猛者がいたとしても、すべて瞬殺されてしまうのだ。


「こりゃあ、アタシが出なきゃダメかい……」


 とうとうヴァーテリンデは重い腰を上げ、家の外に出た。


「みんな揃ってるね? 占いどおり客が来たよ」


 彼女は今、誰に話しかけたのか? それは、視線をやや上げて見ればわかる。

 家の玄関前、ちょっとした広場になっているその場所の上、なんと、箒に跨がり空中に浮かんでいるのは、彼女と同様の格好をした幾人もの老婆たちではないか。

 彼女たちの民話を聞いて育った者が、もしもこの場に居合わせたなら、こう言って震え上がったに違いない、「アルツの魔女」、と……。


「さて、歓迎してやろうじゃないか、盛大にね」


 魔女たちを統べる老婆はそう言うと、皺を深くして笑った。


      ◇      ◇      ◇


 アルツ山地の主峰たるブロッケンの山頂で行われるという魔女の祭り、魔女の夜(ヘクセンナハト)。それを司るヴァーテリンデの実力は、〈諸侯級〉に届くとさえ噂されている。

 そして、秘されている事実をここで明かすならば、迷いの森にいる限り彼女の魔力はさらに増大し、強力な魔法もほぼ際限なく使い続けることが可能であった。

 そのヴァーテリンデ率いるアルツの魔女たちが、先刻から真綾を攻撃していた。

 カノーネと同様に魔素を凝縮した魔弾を放つ者、氷の槍を飛ばす者、不可視の刃で斬りつける者、果ては、森林火災も恐れずに炎の塊を射出する者、などなど、ヴァーテリンデの言葉どおり盛大な歓迎である。

 民話の中で語られる彼女たちの力に嘘偽りはなく、それは、一軍をも潰滅させうるだろう猛攻であった、が……。


「ビクともしないねぇ……」

「嘘じゃろ?」

「あれだけ魔法を受けて無傷とはのう」

「クッ、〈爆炎の魔女〉と恐れられるこのアタイの攻撃が……」


 真綾を魔法で害せるはずもなく、攻撃をことごとく受けてなお歩みを止めようともしない敵に、さしものアルツの魔女たちも愕然とした。


「〈爆炎の魔女〉って、そりゃアンタが自分で言ってるだけじゃないか……まあいい。――いいかいみんな、手を休めるんじゃないよ、そうすりゃあ、そのうちアイツの防御にだって限界がくるさ」


 仲間の言葉に呆れつつもヴァーテリンデが指示すると、魔女たちは前にも増して苛烈に攻撃し始めた。

 次々と降り注ぐ攻撃魔法の雨、この飽和攻撃に防御魔法が耐えられなくなった瞬間、招かれざる客の命は潰える……かと思われたが、漆黒の魔人は、豪雨のごとき魔法の中を悠々と歩き続けているではないか……。


「ひぃ~」

「嘘じゃろ?」

「そりゃっ、そりゃっ、……うーん、さっぱりじゃのう」

「くぬっ! くぬっ! くぬっ!」


 必死に攻撃を続けつつも、魔女たちは焦った。


「こりゃあ驚いた、あの黒いの、魔法耐性に特化したやつのようだ、それも、〈伯爵級〉よりゃあ確実に上だろうねぇ。……じゃあ、もっと豪華なご馳走を出さなきゃ失礼ってもんかね。――みんな、アレをやるよ」

「アレって……本気かい!? ヴァーテリンデ! アレを使ったら、この辺り一帯の魔素が大きく乱れちまうよ!?」

「ふん、これだけ魔法を使いまくったんだから同じことさね。構うもんかい、アルツの魔女がナメられるよりゃあ百倍マシさ」


 ヴァーテリンデには奥の手があるらしく、アレと聞いて驚く仲間に不敵な笑みを見せるや、霧漂う空中に大きく魔法陣を描いた。

 すると、他の魔女たちも次々と続き、そのたびに、ヴァーテリンデの描いた魔法陣は巨大化してゆく。


「どうだい? 黒いの。これはねぇ、この森にいることで増大したアタシの魔力と、アルツの魔女全員の魔力を合わせた、とびっきりの大魔法さ。〈諸侯級〉にだって届くこの一撃、魔女の夜(ヘクセンナハト)を受けて無事だったら、両手叩いて褒めてやるよ」


 ブロッケン山頂で行われる魔女の祭り、魔女の夜(ヘクセンナハト)。その名を冠したこの大魔法を喰らえば、ヴァーテリンデの言葉どおり、魔法耐性が極めて高い〈諸侯級〉の魔物でさえ無事では済むまい。


「ほれ、受け取りな!」


 しわがれた声が響いた直後、巨大魔法陣から光の奔流が溢れ出る!

 防御も攻撃も魔法だけに全振りしているがゆえ、魔女の使う魔法は強力無比。

 膨大な魔力をもって練り上げられた必殺の光は、瞬く間もなく漆黒の魔人を呑み込み、その周囲にあるいっさいの物質ごと消滅させた!

 ……いや、違う。


 ガシャン――。


 自分の周囲にできたドーナツ状の大穴を軽く飛び越え、漆黒の魔人は再び歩き始めたではないか。……まるで、攻撃など無かったかのように。


「とんでもないバケモノじゃないか……」


 両手を叩くという約束も忘れ、帝国屈指の大魔女は全身を粟立てた。


「……あ、そうだ! 大鍋を火にかけたまんまだった! ――悪いねぇヴァーテリンデ、あたしゃ先に帰らせてもらうよ」

「イテテテテ、急に腰が……」

「今日中にマンドラゴラを抜かないと……」

「ごめんよヴァーテリンデ、アタイも用事を思い出して……」


 魔女同士の関係は縦のつながりではなく、あくまでも横のつながりであり、アルツの魔女の長とはいえ、ヴァーテリンデも仲間内の代表くらいでしかないため、打つ手ナシと悟るや、魔女たちは何かと理由をつけてさっさと帰り始めた。


「この薄情者ども! 干しキュウリ! ……ふん、まあいいさ、どれだけ魔法耐性に特化した魔物だって、この先にいるやつにゃあ勝てっこないんだからね」


 去りゆく仲間たちを拳振り上げて罵ったあと、ヴァーテリンデは余裕を取り戻し、誰にも止められぬ侵入者から付かず離れずの距離を保ちつつ、箒に跨がったまま追尾するのであった。



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