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第一六四話 方伯領を包む霧 二 アイゼナハト到着



 二十数年前――。


 アイゼナハト市街から少し離れた山上に、後期ロマネスクにも似た様式で建てられた城がそびえている。

 急峻な地形を利用し、堅牢な石積みの塔や建物の間に木組みの美しい歩廊を巡らせた姿は、いかにも戦うための山城といった風情であり、それがそのまま、城のたどってきた長い歴史を物語っているようだ。

 その城内の、古風にして精緻な装飾に彩られた大広間では、目にも鮮やかな料理の並ぶ宴が盛大に開かれていた。


「古の〈歌合戦〉を再現なさるとは、さすがは芸術に造詣のお深い方伯閣下でいらっしゃいますな」

「しかも、帝国全土のみならず、はるばるオノグリアからも高名な騎士歌人をお招きになるのですからなあ、まったく感服いたしましたぞ。これほど典雅にして盛大な催し、あの農民皇帝などでは思いもつきますまい」


 着飾った貴族たちが大仰な笑みを顔に貼り付かせ、自分たちの上座に座る人物のことを褒めそやした。

 その人物とは、セファロニア風の艶やかな衣装に身を包んだ美しい女性である。

 もしもこの場に現在のヘルマンが居合わせたなら、複雑な感情に心乱されたに違いない。なぜなら彼女こそ、かつて彼が仕えて見限ったテューニンゲン方伯なのだから。


「農民皇帝ですって? あんなのと一緒にされては困るわ」

「あいや、これは失敬! ワハハハハ!」


 熟しきった果実を思わせる笑みを彼女が浮かべると、何がそこまでおかしいのか、貴族たちの耳障りな笑い声が大広間に響いた。

 しかし、招待客の中には気の乗らない者も存在するようである。


「ですが閣下、何も敗者の命まで奪わなくてもよろしかったのでは……」

「あら、古式に倣ったまでよ? 中途半端に再現しても意味が無いじゃない。それにね、参加してくれた騎士歌人たちも、命懸けだからこそ、あれほど素晴らしい歌を創作できたのだと思うわ。真に優れた芸術とはね、命を燃やしてこそ誕生するものなのよ」


 方伯の近くに座っていた女貴族が、恐る恐るといった様子で物申すと、方伯は目を丸くしたあと、子供を諭すように答えて微笑んだ。

 宴席の話題になっている歌合戦とは、かつて、歌を嗜む騎士や貴族といった〈騎士歌人〉同士が歌を競い合い、敗者は命を奪われることもあったと伝わる、文字どおり命懸けのイベントなのだが、とうの昔に廃れていたその歌合戦を、この困った方伯は再現してみたようである。


「だとしましても、遺体を宴の飾りとしてお使いになるのは、いかがかと……」

「妙なことをおっしゃるのね、死してなお皆に感動を与えられるのだもの、騎士歌人としては本望でしょう」

「はあ……」


 なおも方伯に物申す女性貴族であったが、暖簾に腕押しとはまさにこのこと、不思議なものでも見るようにして答えられると、これ以上の問答は諦めて浮かぬ返事だけ残し、広間の壁際に哀れみの視線を向けた。

 その視線の先には、氷の彫像と化した男たちの姿が……そう、歌合戦に敗れた者らの成れの果てである。文化人を自負する方伯は敗者を凍りつかせたうえ、こともあろうか宴席の華として飾ったのだ。

 一方、方伯から離れた席では、下級貴族らが話に花を咲かせていた。


「前評判どおり、オノグリアの御仁が優勝されましたな。……しかし、祝勝の宴席にも顔を見せず早々に帰られるとは、いささか興を削ぐと申しますか、素っ気ないものでございましたなあ」

「いえいえ、あのような予言を残して帰られたのですから、むしろ、興を添えるための演出だったのかもしれませんわ」

「なるほど、〈来年七月にオノグリアの第二王女殿下がご誕生される〉こと、〈ルートヴィヒ様が無事に守護者を得られる〉こと、そして、〈かの第二王女殿下とルートヴィヒ様がご結婚なさる〉こと、いずれもめでたきこれらの予言を残して颯爽と帰られたのですから、たしかに演出としては見事でございますな」

「ええ、騎士歌人としても魔法使いとしても名高いクリンゾル様ならでは、ですわね」


 異邦の騎士歌人の残した予言を思い出し、方伯領の煌々たる未来を信じて疑わぬ貴族たちの中に、この時、未来を見通せる者はいなかった。

 唯一それができたであろう者を、方伯は招待しなかったのだから。


      ◇      ◇      ◇


 真綾がリヒテンフルトを出立した日の、十数日前――。


 アイゼナハトの北方に位置し北部低地公領と方伯領に跨がる中低位山地、〈アルツ山地〉

 その最高峰たるブロッケン山は、地理上、偏西風の影響をモロに受けてしまうため、中低位山ではあっても高山並みに気候が厳しい。

 すでに白銀の世界と化しているブロッケン山のふもと、とある都市を見下ろす城の一室で、怪しげな人物ふたりが邂逅していた。


「――なるほど、アタシに方伯を殺せと言うわけかい。仮にも方伯の庇護下にあるアタシんとこに、そんな話よく持って来られたもんだねぇ。……アンタ、殺されるとは思わなかったのかい?」


 皺深い老婆はそう言うと、物騒な話を持ちかけてきた訪問者の顔を、つば広のトンガリ帽子の下からギョロリと睨んだ。そのトンガリ帽子も着ている衣装も真っ黒で、童話に出てくる魔女そのものといった風体だ。

 彼女の出で立ちも怪しいが、相手のほうも負けてはおらず、暗灰色のローブのフードを目深に被っているうえ、ご丁寧にもその下の素顔を道化の仮面で隠している。


「思わんな。……なあ、アルツの魔女よ、魔女の夜(ヘクセンナハト)を司る者よ、思い出してみろ。先代の方伯がお前に何をした? 事あるごとに『野蛮な魔女』などと侮蔑し、さんざん礼を失した挙げ句に古き盟約まで破ったのは誰だ? 忠義を立ててやるほどの価値など方伯家にあるまい、違うか?」


 さも当然のように肯定した仮面の男は、道化じみた身振り手振りを加えつつ、人をそそのかす悪魔のごとき声で魔女に問うた。


「ふん……。まあ、たしかに、立てる義理なんかこれっぽっちも無いさ。でもね、〈伯爵級〉でしかないアタシの力で方伯を殺せるなんて本気で思ってるのかい?」

「思っているとも。できるだろう? お前ならば」

「……ふん、お見通しかい、癪に障るねぇ」


 そう言って最後に笑う皺深い顔を、ロウソクの炎がユラリと照らした。


      ◇      ◇      ◇


 そして、時は今――。


 この日の昼下がり、真綾とヘルマンはアイゼナハトに到着した。

 リヒテンフルトで味を占めたのか、真綾は到着前にセーラー服からディアンドルに着替えていたため、門前の行列には並んだものの面倒な手続きもなく、普通の農民として市街へ入ることができた。……人目を引いてしまうところはどうしようもないが。

 まずは宿泊先を確保すべく宿を探し、チェックインを済ませた真綾が高級宿から出てくると、バイヤールとともに外で待っていたヘルマンは、嬉しそうに白い歯を輝かせつつ片手を上げた。


「よう、早かったな」

「お待たせしました。『やはり、ヘルマン様は別の宿に?』だって」

「いやあ、こんな宿に泊まったら、会いたくねぇ連中と出くわすかもしれませんし、だいいち今の俺にゃあ、ここはご立派すぎて居心地が悪いんでさ」


 真綾の口を借りた熊野の問いに、ポリポリと頬を掻きつつ答えるヘルマン。……そう、彼はこの宿に一歩も足を踏み入れなかったのだ。

 思えば、この方伯領は彼の古巣である。何もかも捨てて逐電した貴族にとって、見知った者も利用しかねないこの高級宿は、さぞや避けたい場所なのだろう。


「『本当は女性と遊びたいだけでは?』だって」

「さすがクマノ様、察しがいいや、ヘヘッ。……でもね、そういう場所じゃなきゃ聞けねぇ話ってのもあるんでさ」


 図星を突かれてヘラヘラと笑うヘルマンだったが、急に真顔になったかと思うと声を潜めた。


「ヘルマンなんてありふれた名前ですから、『もうひとりのヘルマン』ってのが誰を指すのか思いつきませんが、やっぱりゼルマの遺した言葉が気になります。――ってなわけで嬢ちゃん、俺はあちこちで情報を集めてみるから、寂しいかもしれねぇが、ここからしばらくは別行動になる。まあ、どうせマーヤ嬢ちゃんのことだ、明日の昼前になりゃあマルクト広場をうろついてんだろ? 俺も昼酒を飲みに行くつもりだから、なんか情報が手に入ってたらその時に話すわ」


 そう言って立ち去ろうとしたヘルマンの肩を、白い指がムンズと掴んだ。


「お菓子……」

「えっ!? ……あ、ああそうそう、そういう約束だったな、ちゃんと覚えてるぜ。明日になったら好きなだけ奢ってやるから、肩を握り潰すのは勘弁な」

「……」


 クマノ様に会わせてくれたら好きなだけ菓子を奢る、との約束を、食いしん坊魔人が忘れるはずもなく、すっかり忘れていたヘルマンにキッチリ思い出させると、ようやく万力のごとき締め付けから解放してやる真綾であった。



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