第一五話 真綾ちゃんのいない町 三
仁志おじさんから元気を貰ったその夜、私は真綾ちゃんの夢を見た――。
彼女は夢の中で、どこかの森らしき場所を黙々と歩いていた。そこが真綾ちゃんちの裏山でないのは、生えている木を見たら一目瞭然だ。そのくらいには私もあの裏山を歩いたからね。
やがて真綾ちゃんは、一頭の熊とバッタリ出くわしてしまう……。でかっ! 熊は熊でも、コレ、ヒグマじゃない? 立ち上がって威嚇しているけどさ、たぶん身長三メートル近くあるよ。
しかし何を思ったか、真綾ちゃんは熊との距離を一瞬で詰めたかと思うと――がっぷり四つに組み合った! …………相撲してるのか? あ、撞木反り……。
地面に転がされたあと脱兎のごとく逃げ去る熊の後ろ姿を、真綾ちゃんはクールに見送っている……ように見えるけど、私にはわかる! あの顔、ちょっとドヤ顔だ。……なんか腹立つ……。
場面が夜に変わった――。
さすが真綾ちゃんだ、女子中学生のくせに問題なく焚き火しているね。おじいちゃん直伝らしい薪の組み方が、なんかキャンプの達人っぽい。
その焚き火に照らされて見える限りだと、どうやらここは廃屋に囲まれた場所みたいだ……。相変わらず彼女の心臓には鋼鉄製の毛が生えてるみたいだね、私だったら怖くて絶対無理だよ、こんなオバケが出てきそうな場所。
でも、……真綾ちゃん、異世界サバイバル生活を頑張ってるんだね。森の中ってことは熊野丸も召喚できないし、何かと不便そうだな……。
あ、真綾ちゃん、【船内空間】から豪華なベッドを取り出した……と思ったら、一瞬で着ぐるみパジャマに着替えると、コツメカワウソのぬいぐるみを抱きしめて、すごく高級そうなお布団に潜り込んだ……。よく見たら、汚れを【船内空間】に収納したのか、やけに小ざっぱりしているし……。あれ? 異世界サバイバル生活は……。
あ、また場面が変わった。今度は昼間みたいだね。
森を歩いていた真綾ちゃんを、いきなり何かが取り囲んだ!
ん? ……私が言うのもなんだけど……ちっさ! コイツらの身長、六〇センチくらいしかないんじゃない? あの緑色っぽい肌に、いやがうえにも嫌悪感を掻き立てる邪悪な顔……。間違いない、コイツら絶対に、ゴブだ! ……つっても、五分刈りじゃないよ、ゴブリンのことね。
おや? 真綾ちゃんがすごい眼光で一点を凝視してるぞ。何を……う、一番前のゴブが首にかけてるのって……形からするとゴブじゃなくて、たぶん人間の頭蓋骨だよね。しかもサイズ的に見て、赤ちゃんの……。
そんなの、真綾ちゃんに見せたら……。
異世界転移ものでよくあるような、転移した現代日本人が敵の命を奪うことを躊躇するという光景は、そこにカケラもなかった。……まあ実際の話、恐怖で固まっちゃう人は結構いたとしても、子供を襲って食べるような相手の命を尊重して、未来の犠牲者と自分の命をホイホイ差し出すような、お気楽極楽な日本人ばっかりじゃないよね、……羅城門家は特に。
そんなわけで、真綾ちゃんを取り囲んでいた五匹のゴブは、デストロイモードになった彼女により、戦闘シーンなどと呼べるものもないまま一瞬で変わったのだった、妖しく発光する小さな宝石に……ん? あの宝石って……そうか、いくつかわかったぞ。
ひとつ、真綾ちゃんが強制転移させられた先には魔物がいる。少なくとも、ラノベに出てくるのと同じ邪悪なゴブどもが生息している。
ひとつ、ゴブが乳児くらいしかない大きさの体で武器を振り回せた、ということは、魔物の筋肉は人間のと材質が違う、もしくは強化魔法的なものでサポートされている。
ひとつ、魔物たちは死体の代わりに、異世界もので定番の〈魔石〉だと思われる宝石を遺す。
そして、もうひとつ、――真綾ちゃんの力は、異世界でもバッチリ通用しそうだ。
おっと、私が考えをまとめている間にまた場面が変わった。今度は夜だ。
真綾ちゃんは――あ、いたいた。焚き火の横にダイニングセットを出して、なんか食べてるみたいだね。あのお高そうなダイニングセットは熊野丸一等食堂のやつかな? う~ん、なんか場違いだな~。
どれどれ、真綾ちゃんの今夜のメニューは…………。なん、……だと……。
真綾ちゃんは、ものすごくおいしそうな、いやいや、おいしいに決まっている〈伊勢海老尽くしコース〉を黙々と食べていた、幸せそうに……。
他人にはわかんないだろうけど私にはわかるんだよ! あの顔、ムッチャ幸せそうだ!
私の脳裏に、真綾ちゃんを帰還させようと頑張っている仁志おじさんや、彼女を失ってお通夜みたいになっている町のみんなの顔が、一瞬、走馬燈のように流れた。
……こっちの気も知らず、こんなに豪華な〈伊勢海老尽くしコース〉なんかおいしそうに食べて、この子は異世界転移をなんだと思っとるんだケシカラン! こんなにおいしそうな〈伊勢海老尽くしコース〉なんかおいしそうに食べて……。
「だめだよ真綾ちゃん! たまたま運よく手に入れたチート能力で異世界無双する主人公が、現実社会を日々悶々と生きる読者たちからのヘイトを、多少なりとも和らげるためにはね、序盤に異世界サバイバル生活で苦労する描写は必要なんだよ! 様式美なんだよっ! 毎日毎日、お風呂上がりみたいにサッパリした体でふかふかのお布団に入って、朝までスヤスヤ寝てちゃいけないんだよ! こんなっ、こんな〈伊勢海老尽くしコース〉みたいな、私なんか一度も食べたことないような超ゴージャスディナー、この私抜きで食べてちゃいけないんだよっ! くそう、くそうっ!」
こうして荒ぶる感情のおもむくまま、彼女に物申したところで――。
「……くそうっ! ……ハッ!」
――私は、その夢から覚めたのだった。
「…………夢か……。今日のはまた、やけにリアルだったなあ…………。いや、……夢だけど、夢じゃない」
暗い部屋の中、いい仕事をしたと言わんばかりに消えてゆく青い光を、机の上に置いてある勾玉に認めた私は、この時、そういうことかと納得した。
「プチガミ様たちの神力を込めてもらった勾玉が、同じ勾玉を持つ真綾ちゃんの異世界での様子を、心配している私に見せてくれたんだ……」
ジェラートで口の周りをベトベトにしたままビシッとサムズアップする、プチガミ様たちの得意げな顔が浮かんだ私は、心から勾玉に手を合わせるのだった。
「えープチガミ様、ありがとうございました。今度会ったら、またジェラートおごるからね。――なむなむ」
夢の中では〈伊勢海老尽くしコース〉に目が眩んで、ちょっとイラッとした私だったけど、たしかに真綾ちゃんは元気そうだった。それに、ゴブリンの小集団くらいなら彼女は瞬殺できるってこともわかった。あの様子ならもう少々強い魔物が来ても楽勝そうだ。
「……よかった、真綾ちゃんは無事だったんだ……」
そう思ったら安心したのか、なんか涙が溢れてきた。――でもこれは、昨日までの涙じゃない。真綾ちゃんの無事を知ったから、希望がちょっとだけ見えたから溢れてくる嬉し涙だ。
「あ、そうだ! 仁志おじさんに教えてあげないと」
ちょこっと泣いたあと、仁志おじさんの憔悴していた顔を思い出した私は、ズビビッと鼻をかんでから、借りている衛星電話を手に取った。
真夜中だからって遠慮はしないよ、仁志おじさんは一秒でも早く、真綾ちゃんの安否を知りたいはずだからね。
やっぱり起きていたのか、一瞬で電話に出た仁志おじさんへ、私はプチガミ様に冥護を授けてもらった経緯も含めて、勾玉がさっき見せてくれた夢の話をした。
すると、一介の中学生なんかが語る荒唐無稽な話を、彼は少しも疑うことなく真剣に聞いてくれ、最後は私に何度も何度も『ありがとう』と言ってくれた。
そのかすれた声を聞いていた私は、この人もさっきの自分と同じ涙を流しているんだと思うと、ちょっぴり心強くなった。
……まあ、おそらく、真綾ちゃん奪還の暁には、羅城門グループから厳島神社へ多額の寄進があることだろうね。
「よし、まずは私にできることを考えよう!」
仁志おじさんとの通話を終えた私は、わずかに見えてきた希望を胸に、少しでも早い夜明けの到来を待ち望むのだった。
…………待てよ、異世界で真綾ちゃんの力が通用するのはわかった、それはとてもいいことだ、うん……。
私がちょっと調子に乗ったせいで、【船内空間】には山ほど増殖させた武具の数々が入っている。あれをあの真綾ちゃんの技量と力で使ったら、プレートアーマー着た騎士団だって軽く殲滅できるだろうし、あの馬鹿力でぶん殴ったら城壁だって崩せる。それにまず、あの戦艦並みの防御力を抜けるやつはいないよね。最悪の場合、頭上に熊野さんを召喚したら、たとえドラゴンだってペチャンコだし……。
他にも私が調子に乗っていろいろな技を考え出したからな~、もし真綾ちゃんが「殺ったるで」って決めたら、王様でも逃げきれないよね。コレもう、相手が中世や近世ヨーロッパの軍事レベルだったら、完全に大国の軍隊を凌駕しちゃってるよ、すごいね、ワンマンアーミーだね真綾ちゃん、ハハハハハ…………ハァ。
……もしも、だよ? 真綾ちゃんの見てる前で、野盗やら悪徳商人やら頭のおかしい権力者たちが、弱者……たとえば、お年寄りや子供にひどいことをしたら……。それどころか、頭のおかしい権力者が王族だったりしたら…………。
私の頭から、サーッと血が引いていくのがわかった。
「……ヤバいよコレ。早く連れ戻さないとヤバいことになる、……異世界が!」
新たに見えてきた不安を胸に、少しでも早い夜明けの到来を切に待ち望む私なのであった……。




