第一五七話 妄執の騎士と古城の乙女 二三 夜の古城にて
ようやく宿に帰った真綾は、フロント係にチップを弾んで昼間の礼を言ったあと、宿の夕食をペロリとたいらげて自室に戻った。
ちなみに、フロント係はチップの多さに恐縮しきりであったが、善行にも悪行にも相応に報いるべし、というのが、羅城門という家の信条なのだ。あの少年を古城から帰した際にも、真綾がチップやらお菓子やらをタンマリ与えたことは言うまでもない。
さて、いかにここが貴族も泊まる高級宿とはいえ、バーデンボーデンやヴァイスバーデンのような温泉地でもない都市の宿に、ランニングコストのかかる大浴場などあるはずもなく、真綾は一日の汚れを【船内空間】に収納すると、いつものごとく、ベッドの枕元にぬいぐるみたちを配置して満足げに頷いたあと、愛用の着ぐるみパジャマに着替え、花(コツメカワウソのぬいぐるみ)を抱きしめて夢の中へと旅立った……はずだが、夜遅く、なぜかバチッと目を開いた。
◇ ◇ ◇
吐く息も凍るような冬の夜風に身をさらしたまま、誰もいなくなった広場の噴水の端にひとり腰掛け、ワインボトル片手に、ヒラヒラと舞い始めた雪をボーッと眺めていたヘルマンは、場違いな人影を遠目に認めて首をかしげた。
冬の夜中に屋外を出歩くような人間は、防寒着を着込んだ夜警くらいだというのに、その人影は冷たい大気をものともせず、なんと、薄いディアンドル姿で闊歩しているではないか。
そんなことができるのは人外、あるいは、彼と同じく守護者を持つ者くらいだろう。
(ありゃあ……マーヤ嬢ちゃんか? こんな時間にどうしたんだ?)
人影の正体に思い当たると、ヘルマンは腰を上げた。
◇ ◇ ◇
真っ暗な空から舞い降りてくる雪のひとひらを、金髪碧眼の乙女は手のひらで受けた。
リヒテンフルトを眼下に望む古城のテラスで、なんの寒さ対策もせず、古風な貴族衣装だけを身に纏って。
白い手のひらにある結晶は体温で解けることもなく、彼女の息で飛ばされると、夜の闇へと消えていった。
ほどなく解けて水となり、いつか蒸発して天へと昇り、そして、ふたたび雪か雨になって降ってくるだろうそれを、どこか羨ましそうに見送ったあと――。
「このような時間におひとりで外出されるなんて、感心しませんわよ」
ポーティカはそう言うと、淑やかに後ろへ向き直った。
彼女の碧眼に映ったのは、夜の女神もかくやというほどの美貌――真綾だ。
「とはいえ、一日に二度もマーヤ様とお会いできるなんて、とても嬉しいですわ。……わたくしのこと、気づいてしまわれたのね?」
ポーティカは真綾に尋ねた、「嬉しい」などと言うわりには寂しげな笑みを浮かべて。
「ごめんなさい……」
そんな彼女の表情を見て、いけないことを自分がしてしまったような気になり、真綾はシュンと謝った。
――自分と別れたあとはポーティカも自宅に帰っているのだろう、今までそう思っていた真綾だったが、フロント係に礼を言った際、彼から気になる話を聞いた。
彼がまだ幼かったころ、森で迷った末にあの古城へとたどり着き、そこにいた金髪碧眼の乙女に山麓まで送ってもらったことがあるのだとか。
成長した彼は何度か古城を訪ねてみたが、あの優しくも不思議な乙女には二度と会えなかったそうだ。
「――あの古城での体験は妄想だったに違いないと、いつしか私自身も考えるようになっておりましたが、古城で知り合われたというご令嬢のお話をラ・ジョーモン様から伺い、もしやと思いまして――」
遠き日への郷愁を瞳に浮かべて語る彼の話を聞いてからというもの、気になるあまり、真綾としては珍しく寝つけなかったし、また、古城へ行けば今もポーティカがひとりでいるような気がしたため、彼女はこうしてやって来たのだ――。
「ああっ! そのようにマーヤ様が謝罪なさる必要なんて、これっぽっちもございませんことよっ! 今まで自分の正体について申し上げなかったのは、このわたくしなんですからね!」
真綾の心情を察したか、それまでの感傷的なムードも忘れ、ワタワタと慌て始めるポーティカ。……少し、いつもの彼女に戻ったようだ。
「そうですのっ! こう見えてもわたくし、とっくの昔にコロッと亡くなっておりますのよっ!」
真綾を元気づけるためか、ポーティカは自分の胸を手のひらでバンッと叩いた。この明朗快活なお嬢様を見て死者だと思う者は、おそらくこの世に存在しまい。
「それも、ナハツェーラーのように死体が魔物化したものでも、死霊などのように魂が魔物化したものでもなく、なんと、純粋無垢な霊魂として、数百年も現世に残り続けているのですのよ。クネムント様への純粋なる愛の為せる奇跡ですわ!」
「おー」
胸を張ってすべてをぶっちゃけるポーティカを前にして、なんだかとてもすごい存在のような気がしてきた真綾は、すっかり気を取り直してパチパチと手を叩いた。
それにしても、強い想いを遺して死んでしまった者の魂は、その想いの強さゆえ、いずれ死霊と化すはずなのに、こうして数百年もの長きにわたり、ポーティカが霊魂のままでいられるのは、本当に愛の為せる奇跡なのかもしれない。
「……まあ、そのせいで、マーヤ様のような限られた方にしか気づいていただけませんし、精いっぱい頑張ったとしても、心の弱っている人に短時間だけ存在を認知していただくのがやっとで、本当に非力極まりないものですから、目の前で自分の城を穢されても、怒りに打ち震えながら見ているしかできませんでしたの。あの者らの愚行をマーヤ様が止めてくださらなかったら、わたくし、今度こそ死霊か何かになっていたかもしれませんわ」
ポーティカ、城を穢されたことがそれほど悔しかったのか……。
一方、いつぞやの森で見た死霊騎士たちを頭に浮かべ、彼女がああなることは絶対にないだろうと思う真綾だったが、この時、素朴な疑問が頭をもたげた。
真綾にとっては重要な事柄について――。
「食事できるんですか?」
「そう! それっ! どういう原理かは存じませんが、わたくしを認知できる方から頂いたものなら問題なく味わうことが可能なのです! ですので、マーヤ様から頂いたお料理やお菓子の数々が、どれほどわたくしを歓喜させたことか!」
真綾をビシッと指差して答えたかと思えば、全身で喜びを表現するポーティカ。霊魂になっても飲み食いできるとは、さすが異世界である。
貴族のご令嬢のくせに与えられるものすべてに嬉々として飛びつき、吐きそうになるまで暴飲暴食していたのは、そういうことだったか……。
ポッコリお腹を上にして転がっていた彼女の姿が、真綾の脳裏によみがえった。
「もちろん、わたくしが歓喜したのはお食事だけではございませんわ。生前の自分と同年代の方がわたくしに気づいてくださったうえ、お友達になってくださったのですよ、こんなに嬉しいことはございません……。これまでの長い長い歳月の中で、マーヤ様と過ごせたこの数日間が、わたくしにとってどれほど素晴らしい日々だったでしょう……。このポーティカ・フォン・シャウムブルク、マーヤ様にはいくら感謝しても足りませんわ」
数百年という気の遠くなりそうな時間、ポーティカはたったひとり、愛しき人の帰りだけを待ち続けていたのだろう。
自分を知る者たちがいなくなってゆき、生まれ育った居城も朽ちていく、その様を為すすべもなくただ見送り、誰と語り合うことも笑い合うこともできぬまま、ひとりぼっちで過ごした数百年。それがいかに苛酷な日々だったことか……。
感情表現が下手なだけで人一倍優しい真綾の胸が、キュッと音を立てた。
「……あのう、マーヤ様、生者ではないとご存じになった今も、わたくしのことをお友達と呼んでいただけますか……」
さっきまでの元気はどこへやら、真綾を上目遣いで見上げつつ、ポーティカは何かに怯えているように尋ねた。
しかし、真綾の答えなど決まっているではないか――。
「当たり真栄田のクラッカー」
「嬉しいっ!」
言葉の意味は不明なれど、ビシッとサムズアップした真綾の言わんとすることは一目瞭然、とたんにポーティカは笑顔の花を咲かせて真綾に抱きついた。
『ああ、ええ話や……あら?』
ポーティカの心を曇らせていた不安と今の喜びを察し、熊野がホロリとする一方――。
「……ああ、この、ちょうどよろしいボリュームと完璧な形、柔らかさと弾力の絶妙なバランス、とても素晴らしいですわ……。それに、いい匂いですわ~」
――身長差のまま真綾の胸に顔を埋めてその感触を堪能し、小鼻を広げてクンカクンカと匂いを嗅ぎと、セファロニアの某男爵令嬢も顔負けの行動を取るポーティカ。
『ポーティカ様、なんて恐ろしい……』
……などと、業の深い行動を見て戦慄する熊野をよそに、ポーティカの至福の時も終わりを迎えるようだ。
「ウヘヘへ――何やつ!」
だらしなく鼻の下を伸ばしていたポーティカだったが、何を思ったか、いきなり真綾の胸から顔を上げ、城館からテラスへ出るための開口部辺りをクワッと睨みつけると、忍者に気づいた殿様のごとき誰何の声を上げた。
「……なんか、スマン。お邪魔だったか……」
親の仇でも見るような彼女の視線の先から、頬をポリポリと掻きつつ心底申しわけなさそうに出てきたのは、無精ヒゲを生やしたイケオジ――そう、ヘルマンであった。
「黒騎士、あなたでしたの。――わたくしとマーヤ様の大切な時間を邪魔するなんて、どのような了見ですかっ!?」
クワッ! と目を見開いて、 ズビシ! とヘルマンを指差すポーティカ……。
そんな彼女にたじろぎつつも、ヘルマンは弁解することにした。
「……いやあ、実は俺、マーヤ嬢ちゃんが市外に出てくところをさ、たまたま見かけちまってね、まあ、嬢ちゃんほどの強者にとっちゃあ余計なお世話なんだろうが、こんな俺でもいちおう大人だからさ、若い娘の夜中のひとり歩きは心配だし、嬢ちゃんにゃ借りが増えてく一方だったんで、いざってときには助けに入ろうと思って……スマン、まさか逢い引きだったとは……ふたりがそういう仲だったとは知らなかったんだ」
先刻のポーティカのだらしない顔を見て、ヘルマンは悟ったようである。
「ごごっ、誤解ですわっ! わたくしとマーヤ様は、あなたの思っているような関係ではございません!」
「いや、いいって。こう見えても俺はな、他人の恋愛についてとやかく言うほど野暮じゃねぇんだ。愛の形は人それぞれ、男同士だろうが女同士だろうが、本人たちが良けりゃそれでいいと思うぜ。――さあ、俺のことなんか気にせず、ヨロシクやってくれ」
「気にしますわよ! そしてとんだ思い違いですわっ! わたくしの愛はクネムント様おひとりに捧げておりますの! わたくしがマーヤ様に抱いている感情は、あくまでも友愛であって、断じて恋愛ではございません!」
眉根を寄せてイケメン顔を作り、さも理解ある大人のように振る舞うヘルマンに、ポーティカは顔を真っ赤にして喰いかかった。
しかしポーティカよ、さっきの行動は友愛の範疇を超えていたのでは……。
「……それにしちゃあ随分と鼻の下を伸ばしてた気もするが……まあいいか。――ああそうそう、ちょうどいいや、マーヤ嬢ちゃん、アンタにコレを返しとくぜ」
いちおう納得した様子のヘルマンが、思い出したように取り出したのは、妖しい輝きを放つ一個の石――首無し騎士の魔石であった。




