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第一五二話 妄執の騎士と古城の乙女 一八 黒衣の女領主



 王侯貴族の代官に任じられる者は、騎士、つまり貴族の血脈に連なる者である。

 満七歳を迎えて召喚能力ナシと判断された彼らは、小姓として他家に出されたのち、従騎士を経て正騎士になった、つまり、主を守る剣であり盾でもあるよう鍛え上げられた彼らは、当然ながら、庶民などと比べるべくもないほどに強い――はずだった。


 ガシャン……。


「な、なぜ、こうなった……」


 人形のように倒れてゆく従騎士の姿を、代官は呆然と眺めていた。

 地面に転がっている人間はこれで六名、彼の従騎士と私兵たちである。

 槍を使い真っ先に一斉攻撃を始めた私兵たちは、真綾によって瞬く間に昏倒させられ、今もまた従騎士が、馬から引きずり下ろされた挙げ句、立ち上がったところをボディブロー一発で沈められたのだ。

 仰向けに倒れている従騎士の鎧の腹部が、クッキリと拳の形にヘコんでいるのを見て、代官は甲冑の下で総毛立った。


(……な、なんという強さだ。ここは跪いて許しを請う……いや、駄目だ! 狩人どもの見ておる前でそんなことをしてみろ、これから死ぬまで物笑いの種にされてしまうわ! かくなるうえは――)


 恐怖のあまり降参しそうになる代官だったが、兜のスリットからチラリと狩人たちを覗き見て、すんでのところで思い留まると、馬を後退させて真綾から距離を取った。

 彼はそのままランスを構え――。


「ふん、少しはやるようだなあ魔物よ。――だがしかし、お前が今倒したのは未熟な従騎士に過ぎぬわ! 本物の騎士の恐ろしさ、その身をもってとくと知れい! ――ハッ!」


 ――わざと狩人たちにも聞こえるよう大声で言い放つと、己が愛馬に拍車をかけた。

 完全武装した騎士のランス突撃は、事実、〈城伯級〉上位の魔物を突き殺すほどの威力があるし、もし躱された場合でも、そのまま通り過ぎて距離を取り、突撃を繰り返せばいいだけである。

 徒歩の者にとって、人馬一体のランス突撃は、死の暴風そのものなのだ。

 馬蹄の轟きとともに、ランスは真綾へと見る見る迫ってゆき、やがて、鋭い穂先が漆黒の胸に届こうというその寸前、代官は勝利を確信し、衝撃に備えて全身を強張らせた!


「貰った!」


 だが……。


 ガキン!


「グエッ!」


 ガシャン! ガシャガシャガシャ、ズササー……。


「げっ、マトモに受けやがった!」

「ランス突撃を弾き返しやがったぜ……」

「硬いだけじゃねぇ、あの衝撃を受けても微動だにしなかったぞ」

「〈伯爵級〉確定だな……」


 ……そう、狩人たちが言うように、あえて真綾は真正面からランスを受け、代官ごと弾き返したのである。

 凄まじい衝撃を一身に受けて落馬した代官のダメージは、いかばかりのものか、そして、しばらく転がってから妙な姿勢で止まった彼の、なんとか不様なことか……。


「あーあ、言わんこっちゃねぇ。――みんな、これでわかったと思うが、武器も通じねぇような相手に喧嘩を売るなんざ、頭のおかしいやつのやるこった。とっととコイツら起こして撤収するぞ」


 珍妙な姿勢で気絶している代官を憐れむように一瞥したあと、ヘルマンは狩人たちに撤収するよう促したのだが……。


「イデッ!」

「グアッ!」


 彼は突然の悲鳴に振り返って背すじを凍らせた。


(嬢ちゃん、何やってんだよ……)


 ヘルマンがドン引きしているように、几帳面な真綾は、倒れている私兵たちの肩を外して回っていたのだ。……無論、今の悲鳴は、痛みによって目覚めた彼らのものである。


「エゲツねぇ……」

「ひでぇ……」

「あんな目に遭いたくねぇ……」


 真綾の几帳面さを目の当たりにして、浮き足立つ狩人たち……。

 ここで、時は来たりと見た熊野が、真綾に何やら進言を始める。


『さあ真綾様、あとひと押し、〈た号作戦〉でございますよ!』

(ラーサー)


 私兵の肩を外しつつ真綾が返事すると、城門の向こうからソレは現れ、気づいた狩人たちを驚愕させた。


「おい、アレを見ろ!」

「な、なんだ? ありゃあ……」


 信楽焼の大狸である……。その数、実に四十体!


「得体の知れねぇやつがウジャウジャいやがる……」

「どいつもこいつも、でけぇな……」

「ひょっとして、黒い魔物の眷属なんじゃあ……」

「こ、コッチに向かって来るぞ!」


 ……そう、召喚物は離れていても【船内空間】に出し入れ可能、という特性を利用し、真綾は熊野のサポートのもと、出現させた大狸をいったん【船内空間】へ収納し、すぐに少し手前へ出現させる、ということを繰り返すことで、あたかも大狸が生きているかのように見せているのだ。しかも、一体一体の出現と収納の位置やタイミングを絶妙にコントロールしているため、知らない者からすれば、とんでもない跳躍力を持った大狸軍団による嬉々とした襲撃のごとく見えるのだ。

 熊野の演算能力の無駄遣い、ここに極まれり!


「じょっ、冗談じゃねぇ! 俺はもう降りる!」

「狩人は生き残ってナンボだ! あんなのまで相手にできるかよ!」

「に、逃げろおおお!」


 などと、悲鳴じみた声を上げ、転げるように逃げ帰っていく狩人たち……。ただでさえ浮き足立っていたところに、身長二メートルを超える謎生物の大群が襲来したのだ、狩人たちの心が折れてしまうのも致し方あるまい。


『ヘルマン様のおかげで、〈た号作戦〉を使うまでもなく穏便に終わりそうでしたから、わたくし、内心ちょっと寂しく思っておりましたが、なんとか使えてよかったです』


 せっかく考えた作戦が無駄にならず、熊野、満足げである。

 ともかく、そうやって狩人たちが退散し、残った私兵らも恐怖に硬直しているため、古城前の広場に静けさが戻った。

 そんななか、真綾は淡々と作業をこなしてゆき、従騎士の甲冑の関節部分を変形させて満足げに頷いたあと、最後は代官の甲冑も不可動化すべく作業し始めた。……そう、ヴァイスバーデンの悪代官にしたのと同じ仕打ちである。


「痛っ! ……ヒッ!」


 この時、甲冑の関節部分を押し込まれた痛みで代官が目覚め、自分の置かれている状況を悟ったとたん、顔を真っ青にしてガタガタと震え出した。


「ヒイィィィ、ど、どうか、命ばかりはお助けを……」


 祈るように両手を組み、蚊の鳴くような声で真綾に命乞いする代官……。もはやそこに、騎士の誇りもへったくれも存在しなかった。


『悪事を暴露して社会的制裁を受けてもらう案も、狩人の皆様がお帰りになってはあまり意味がございませんね。……まあ、この様子では、お城を解体しようという気も二度と起こらないでしょう。真綾様、いかがなさいますか? わたくしとしましては――あら? どなたでしょう?』


 代官の処遇について真綾に具申している途中で、熊野が何かに気づいた。無論、すでに真綾も気づいており、バイヤール並みの察知能力を有するヘルマンもまた、真綾の見つめている方向を振り向いていた。

 しかし、いくら恐怖に駆られていたとはいえ、感覚の鋭い狩人たちが誰ひとりとして気づかなかったとは、どういうことだろう? 彼らの消えていった山道から古城前の広場に出たところで、黒い衣装に身を包んだ女性がひとり、立っているというのに……。

 彼らと違い、真綾に釣られて首を動かした代官は、彼女の存在に気づいたようだ。


「な、なぜ、あなた様が今ここに!? 視察にいらっしゃるのは明日のはずでは!?」


 彼女の顔を認識した代官が驚きも隠さず問いかけたことで、その、いかにも貴族然とした装いの女性は、ようやく出番が来たとばかりに歩き出した。

 そこだけが夜になったかのような黒い人影が、ただひとつだけ、冬の弱々しい陽光の下を移動してゆく。

 護衛や侍女の姿は見当たらないが、本来なら、貴族家の女性が供回りも連れずに外出することなどありえない、もしそれがあるとすれば、その女性自身が護衛不要なほどの強者である場合のみ。

 ならば、彼女もそうだというのか。


「なぜ? リヒテンフルトに忍ばせている者から、『代官が早朝から魔物討伐の人員を集めている』と聞いてね、私も手伝ってあげようと思ったのよ。自分の領地が近いからといって、方伯麾下の私が皇帝直轄領で好き勝手するわけにもいかないけれど、訪問先の危機を見かねての緊急援助なら、別に問題ないでしょう?」


 彼女は気怠げな様子で代官に答えると、真綾からある程度の距離まで来たところで足を止め、最後は真っ赤な唇を三日月のようにして笑った。

 二十代前半のようにも、もっと上のようにも見えるその美貌から、真綾はこの時、血の匂いがしたように思った。

 ここで、彼女の正体を知る者が代官の他にも――。


「ご領主様! よくぞ来てくださった! あのボンクラ代官ときたら、口ばっかりで全然役に立ちゃしねぇんですよ!」


 女性に気づくや否や代官を指差して罵ったのは、今まで息を殺して成り行きを見守っていた石工親方である。

 彼の言葉を信じるなら、この女性はどこかの女領主、つまり、貴族家当主本人らしい。


「そう、あなたも災難だったわね、グローべ。――さて、代官の……誰だったかしら? まあ、どうでもいいわね、名前なんて。ねえ、リヒテンフルトの代官、いい取引先を紹介したうえに便利な石工まで貸してあげたのよ、予定どおりに工事を始められるよう、あなたも邪魔者の排除くらい自分でしてくれなくてはね」

「め、面目次第もございません……」


 石工親方を優しくねぎらった女領主が、今度は一転して冷たい視線を代官に向けると、向けられたほうは全身の痛みも忘れて跪き、兜の下で分厚い唇を震わせた。

 そんな代官を一瞥したあと、女領主は彼の傍らに立つ真綾へ顔を向けた。


「あなた、強いわね、〈伯爵級〉でも上位といったところかしら? 代官たちとの一戦を見た限り、剣術や体術のほうも見事なものだわ。ノイエンアーレの巨人とどちらが強いかしらね」


 真綾の力を認めながらも、女領主は余裕の表情で言葉を続ける――。


「ねえ魔物さん、あなたはこの城を壊されたくないようだけど、それなら、ある場所に私を案内してくれないかしら? そうしたら、あなたを討伐するのは諦めるし、城を壊す必要もなくなるわ」

「え? それじゃ俺らの仕事が――ヒッ!」


 自分の仕事がキャンセルされると思ったのだろう、女領主の発言に慌て始める石工親方だったが、冷たい一瞥を貰ったとたん短い悲鳴を上げて縮こまった。


「この城のどこかに魔素の湧き出している場所があると聞いてから、手の者に何度も探させたのだけれど、よほど巧妙に隠されているのか全然見つからなくってね、いっそ城を解体すれば発見できるかもしれないと思って、リヒテンフルトの代官に話を持ちかけたの」

「魔素? 大昔の財宝が隠されているのでは――ヒッ!」


 彼女の話の腰を折りかけた代官もまた、石工親方と同じくひと睨みで黙らされた。


「でも、そんな面倒なことをしなくたって、あなたならご存じでしょう? その場所を。実は私、随分と前……そう、十八年くらい前だったかしら? そういった場所へ行ったことがあるのだけれど、その時も力ある魔物がそこを守っていたわ。きっとあなたもそうなのでしょう? だったら案内してちょうだい、ね? 私もあの時のように手荒な真似はしたくないの」


 穏やかとも取れる口調と表情で真綾を説得する女領主。……と、そこに、石工親方でも代官でもない人物が割り入ってきた。


「あなた様が十八年前に行ったって場所がどこなのか、聞かせちゃもらえませんかね。そこで何をなさったのかも……」


 人を喰ったような普段の様子とは違い、絞り出すような低い声で尋ねたのは、彼女の登場から口を閉ざしていたヘルマンである。

 すると、思わぬところからの発言に興味を持ったのか、女領主は黒塗りの甲冑を着た彼に視線を向け、目を細めて微笑んだ。


「その甲冑……たしか、錆や傷をごまかすために黒く塗っているのよね? 主のいない騎士たちが。……そう、私、運悪くあなたの戦いは見そびれてしまったけれど、かなりの実力なのは見ただけでわかるわ。いいでしょう、うちの騎士に加えてあげるから、今から聞くことを公言しないと誓いなさい」


 そう言ったあと、黒い兜が縦に動くのを確認し、女領主は満足げに答え始める。


「よろしい。――あなたは知らないと思うけれど、当時、方伯領にトルンフルトという都市があったの、小さな小さな都市よ、住人みんなが顔見知りって感じのね……。そう珍しいことでもないけれど、その都市も狭い都市圏の周りを森に囲まれていてね、その深い森の中にあったの、魔素の湧き出す特別な場所が」


 その都市について語る彼女の目に、一瞬、郷愁とも悔恨とも取れる色が浮かんだのを、そして、都市の名を聞いた瞬間、ヘルマンの肩がほんのわずかに動いたのを、真綾の目は見逃さなかった。


「あのころは私も若かったし、悠長に話し合いをするような気分でもなかったから、その場所を守っていた魔物を問答無用で殺しちゃったの。そのあとは、そこでちょっとした儀式を行っただけかしら。――ねえ知ってる? そうすると、その場所から凶暴な魔物が溢れ出して、そのうえ、元から森にいた魔物たちも血に狂ってしまうのよ」


 彼女は魔物のスタンピードを人為的に引き起こしたとでも……。


「……最後にひとつだけ、お聞きします。あなた様は十八年前の話をするようなお年にゃ見えませんが、若さの秘訣ってやつを教えちゃもらえねぇでしょうか?」


 恐ろしいことを事も無げに言う女領主に、ヘルマンは感情を押し殺したような声で最後の質問をした。


「あら、お上手ね。いいわ、教えてあげましょう。――こうして私が若さを保っていられるのは、秘薬のおかげなの、穢れを知らない乙女の新鮮な血を使った、ね。それも、できるだけ苦痛を与えて絞った――」


 ザン!


 おぞましき所業について語る声は途切れた。ヘルマンが一刀のもとに女領主の首を切断したのだ……。



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