第一四九話 妄執の騎士と古城の乙女 一五 噴水の端で
あれほど広場にひしめいていた籠売りの露店も、真綾が帰ったころにはすっかり姿を消し、代わりに、自炊しない単身者などを当て込んだ飲食屋台が賑々しく並んでいた。
そんな広場の噴水の端にヘルマンと並んで腰掛け、彼女は一番人気の屋台とやらの実力を試していた。
モッシャモッシャ――。
「ホントよく食うな……。ともかく、毎日どこに行ってるのかと思ったら、あの廃城に通ってたのか、で、今日は悪い石工どもを成敗したと。――ほれ、塩の利いたブレーツェル」
コクリ……。パクパク――。
「そうか。……まあ、ここの連中も、市壁を補強するための税を取られてるらしいから、その石工が言ってたことはまんざら嘘でもないんだろうが、解体現場の目撃者を消すってのは異常だな……。嬢ちゃん、その親方ってのは、廃城をバラして石材を山麓まで運ぶのが仕事だって言ってたんだろ? ――ほら、次はドライフルーツたっぷりのシュトーレンだ。――ここと廃城は近いから補強工事まで請け負うのが普通だろうに、そうしてねぇってことは、ここの石工ツンフトに属していない親方の可能性もあるか。となると……わざわざよその親方、それも、汚れ仕事もやるような野郎を、現場近くの城をバラすためだけに雇うってのは、やっぱり何か裏にあるのかもな」
ヘルマンは食べ物を上手く使うことで、口下手な真綾からもちゃっかり情報を引き出していたのだが、彼女が成敗したという石工について、いや、彼らに仕事を依頼した者の真意について、アゴに生えた無精ヒゲを撫でつつ思案した。
こんな感じで、ほぼ一方的な会話はしばらく続き――。
ゴクゴクゴックン。――カチャ。
「ごちそうさまでした。――じゃ」
――ヘルマンから貰った諸々を完食し、最後に自前の紅茶で一服したかと思えば、シュタッと片手を上げて真綾が立ち上がった。
「え! もう!?」
「はい、晩ごはんが待っているので」
食べ物が尽きたとたんさっさと帰ろうとする真綾を、ヘルマンは垂れ気味の目を丸くして見上げ、対して当の本人は、顔色ひとつ変えもせずに彼を見下ろして答えた。
その底知れぬ食欲に戦慄するヘルマン……。
「まだ食えんのかよ……。なあマーヤ嬢ちゃん、まだリヒテンフルトにいるんだったら、明日もまた俺の話し相手になっちゃくれないか? もちろん報酬は用意しとくから」
「ぜひ。――それではまた」
ヘルマンの頼みを意外にも快諾したあと、真綾はふたたびシュタッと片手を上げて去っていった。
何しろ、こうやって少し会話するだけで食べ物を奢ってもらえるのだ、真綾としては断る理由などあるはずもない。一種のパパ活のように見えなくもないが……彼女の鋭い勘が彼は安全だと告げているのだから、これでいいのだ!
それに、ヘルマンは結局、一度も真綾の肢体に色欲の目を向けることがなかったし、彼女の素性や契約守護者についても触れようとせず、彼なりの誠意を見せてくれたため、熊野としても彼への評価を改めざるをえなかったのだろう。
ともかくこうして、リヒテンフルトにおける真綾のルーティンは、ちょっとだけ変更されたのである。
◇ ◇ ◇
リヒテンフルト六日目――。
「あのう、ラ・ジョーモン様、ひとつ、お伺いしたいのですが……」
朝食を終え、いつもと同じように延泊代を前払いする真綾に、宿のフロント係がおっかなびっくりの様子で話しかけてきた。
「この私が申しますのも妙ではございますが、どうしてこのように何泊もご滞在していただけるのでしょうか? もしも何か、もしくはどなたかをお探しでしたら、当方も可能な限りお力添えしたく存じますし、そうではなく、どなたかとのお待ち合わせがご理由でいらっしゃいましたら、それはそれで、あなた様のご不在中に先方がお見えになった際も、行き違いや失礼の無いよう丁重に応対させていただきますが……。もちろん、高貴なお方のご事情を詮索するつもりはございませんので、お首を横に振っていただければ、これ以上は何も申しません。ただ、何かお力になれればと……」
リヒテンフルトの近くには古都バンブルクがあるし、それ以外にも、ここより大きい都市はいくつか存在するというのに、名所旧跡が多いわけでもないこの小都市に、真綾のような若い女貴族が何日も滞在するのは珍しいため、その理由をあれやこれやと彼なりに考えた末、もしも彼女が困っているならば何か力になりたいと思ったようだ。
もちろん彼とて、真綾以外の貴族が相手だったなら、お叱りを受けるかもしれぬリスクを冒してまで、わざわざお節介を焼こうなどとは思わなかったに違いない。
滞在中、他の貴族たちのように不平不満を言うわけでもなく、強引に無理を通そうとするでもなく、それどころか末端の従業員にさえ敬意をもって接した真綾は、その神々しいまでの美貌と威厳も相まって、今やすっかり、宿の従業員たちに敬愛の念を抱かれていたのである。
「ありがとうございます。実は――」
真綾は気遣ってくれるフロント係に頭を下げると、特に深刻な理由があって滞在しているわけではないこと、この都市を見下ろす古城で貴族の娘と知り合ったこと、友達になった彼女と毎日その城で過ごしていること、そして、もう少し滞在して彼女との時間を楽しみたいことなどを、口下手なりに頑張って説明した。
「さようでございましたか、あの古城で、金髪碧眼のお嬢様と…………。それはようございました、きっとそのお嬢様も、善きご友人がおできになったことを喜んでいらっしゃるでしょう……。ラ・ジョーモン様、どうかご存分に、ご友人との素晴らしい時間をお過ごしくださいませ」
真綾の話を聞いたフロント係は、まず目を丸くしたあと、今度は目を閉じてしばし黙考したかと思えば、最後は感慨深げに真綾の顔を見つめつつ穏やかな笑みを浮かべた。
こんな感じで、いつもと違うやり取りを経て、真綾の一日は始まった。
◇ ◇ ◇
ズルッ、ズルルルッ!
ズゾ、ズゾゾゾゾーッ!
幽寂とした古城のテラスに響くは、何かをすする不気味な音……。
ゴクゴクゴク――ゴト。
ゴクゴクゴックン――コトリ。
「プハーッ! おいしゅうございましたわ!」
「ごちそうさまでした」
スープを飲み干して空になった器を置き、ご満悦なポーティカと真綾……そう、彼女たちの本日のお昼はラーメンであった。ちなみに今のは、チャーハンと餃子タイムを間に挟んでの二杯目である。
「東方大陸には小麦粉などを練って細く伸ばしたお料理があると聞きましたけど、これもその一種ですわね。たいへんおいしいですわ」
「もう一杯、いっとく?」
「いっときますわ!」
おかわりするかと問う真綾に、口の周りをギトギトにしたポーティカが嬉しそうに答えた、その時――。
「また来た……」
「ハア、懲りない人たちですわね……」
真綾とポーティカは、城門前に人の気配を感じてウンザリとした。
そんなわけで、ふたりが城門まで行ってみれば、思ったとおり、真綾によって昨日撃退された石工の親方である。
しかも、今度は手下を二十人以上も引き連れて……。
「バケモノめ、昨日はよくも俺たちをいたぶってくれたなあ! テメェのせいで可愛い弟子がひとり、男をやめる羽目になっちまったじゃねえか! 他のやつらも怪我と恐怖で当分は使いものにならねぇ、この悪魔! 残虐大女! このグローベ一家に喧嘩を売ったらどうなるか、今から嫌というほど教えてやらあ! ――みんな、殺っちまえ!」
などと、恨み辛みをタラタラと並び立た親方が、威勢よく手下どもを真綾にけしかけたことで、今日も戦いの幕は切って落とされ――。
「ヒイィィィィ!」
「『じっくり煮込んでラーメンスープにしてやるぞえぇぇぇ!』だって……」
――結局、呆気なく彼ら全員ボコボコにされた挙げ句に両肩を外され、真綾の口を借りた熊野の脅し文句を背中に浴びせられつつ、ほうほうの体で逃げ帰っていった。
「不様ですわね……」
「もう一杯、いっとく?」
「いっときますわ!」
撤退していく野郎どもを冷ややかに見送ったあと、さっそくラーメンタイムの続きを始める真綾とポーティカ。……このあと調子に乗って食べすぎたポーティカが、しばらく動けなくなってしまったことは、もはや言うまでもない。
◇ ◇ ◇
「数を揃えたくらいで勝てる相手かどうか、一度痛い目を見りゃわかるだろうに、バカな野郎だなあ……」
真綾から今日の一件を聞いて、ヘルマンは呆れ果てたような声を出した。
今は日暮れ前、場所は昨日と同じ噴水の端である。
モグモグモグ――。
「そうそう、その親方に関係する話を仕入れてきたぜ。――俺には何日か前から仲良くしてる女がいるんだが、彼女が言うには、今回、市壁の補強費は皇帝から全額出してもらえるそうでな、工事用にって増税したのは、どうやらここの代官が勝手にやっていることらしい」
菓子パンを黙々と食べている真綾に、ヘルマンは今日の成果を話し始めた。
「しかも、帝都へ送った申告書には、ずっと川上にある貴族領で切り出した石材を使うと書いたそうだ。……つまり代官は、近くにある廃城の石を使うことで浮いてくる切り出し代や加工費、それから運搬費なんかの諸費用と、さらに都市住人を騙して余分に徴収した税、それらを自分の懐に入れようとしてるんだと。――そら、ショウガたっぷりのレープクーヘン」
モッシャモッシャ――。
「で、今回、石材の産地の領主が切り出しからここまでの運搬を取り仕切る、ってことになっているそうなんだが、帝都に提出する領収証を書かなきゃいけねぇはずだから、その領主ってのも代官とグルなんだろうさ。……でもなあ、解体現場に来た人間を消したところで、どうせあの城がバラされていく過程はここから丸見えだし、城が消えて住人が騒いだところで、この都市圏のことは代官に一任されているんだから、城が消えたのと市壁補強は無関係だって言い張ればいいだけだ、こんな場所まで帝都の監査役が来るとも思えねぇしな。それを、なんでわざわざ殺しまで……こりゃあ、まだ何かありそうだな」
などと、ヘルマンが頬の無精ヒゲを撫でつつ考え始めたところで、焼き菓子をたいらげた真綾が彼に顔を向けた。
「『ところで、そのように重大な情報をご存じの女性とは、いったいどなた様でいらっしゃいますか?』だって」
「えっ! 嬢ちゃん、そんなしゃべり方だったか!? ……まあいいや。――聞いて驚くなよ、でっかい声じゃ言えねぇがな、俺が仲良くなった女ってのは、偶然にも代官の奥方だったんだよ」
熊野の言葉を真綾が完璧な声真似で伝えると、別人のような口調に驚くヘルマンだったが、すぐに気を取り直した彼は声を潜め、突拍子もないことを言い出した。
そんな彼に、熊野は真綾の口を借りてまた問いかける――。
「『いくら仲良くなったからといって、話していただけるような内容ではございませんでしょう?』だって」
「そりゃあ、何日か前から代官が遠出しているらしいから、その隙にベッドの中で体に聞いたら、そりゃあもういい声でさえずって――」
「『全速離脱!』だって。――じゃ」
ヘルマンの答えを最後まで聞かず熊野の規制が入るや、真綾は彼の手から豚串をムンズと掴み取り、旋風のように立ち去っていった。
「あらら、行っちまったよ、ウブだねぇ。…………嫌われてなきゃあいいんだけどな」
急速に遠ざかる背中を大人の笑みで見送ったあと、最後はちょっと心配になってきたヘルマンであった。




