第一四七話 妄執の騎士と古城の乙女 一三 古城の乙女
「もう、食べられませんわ……」
金髪の乙女こと、ポーティカは、チュニックを縛っていたベルトを緩めて敷物の上で仰向けになり、ぽっこり膨らんだお腹をさすっていた。……貴族の娘としてあるまじき姿である。
結局、あの量を分け合ったのでは満足できなかった真綾が、【船内空間】から次々と追加料理を出してきたものだから、ポーティカのほうもせっかくの心遣いを無にしては悪いと思い、真綾に合わせてフードファイターのごとく頑張ったのだ、最後には吐き戻しそうになりながらリタイアしたが……。
まあ、料理を口にするたび彼女が絶賛するものだから、熊野の料理を褒められた真綾も嬉しくなったのだろう、好ましい相手へのサービスでもあったと考えれば、誰も真綾のことを責められまい。
◇ ◇ ◇
「復活しましたわ! ――真綾様、あのように素晴らしい昼餐を振る舞っていただいたこと、このポーティカ・フォン・シャウムブルク、重ね重ねお礼申し上げます。お返しと申してはたいへん心苦しいのですが、これからとっておきの場所にご案内いたしますわ」
――などと、動けるようになったとたんベルトを締め直して言うポーティカ、口の端にマヨネーズがついているとも気づかずに……。ともかく、そんな彼女に案内される形で、真綾は静謐な古城の中を歩き始めた。
そうやってどれだけ歩いただろう、いくつかの部屋を抜け、いくつもの角を曲がり、隠し通路のような暗い場所を抜けたところで、まばゆい陽光を背にポーティカが真綾を振り返った。
「さあマーヤ様、ここですわ!」
胸を張って鼻高々と言うポーティカに続き、真綾が隠し通路から足を踏み出せば、そこは、明るい青色の絨毯が一面に敷き詰められているような、小さい花の群生地ではないか。
「きれい……」
クールで大人びた外見からは想像できないが、乙女趣味な真綾は花好きでもあるため、この時ばかりは少しだけ目を見開いて感嘆の声を上げた。
『はい、本当に素敵でございます……。それにしましても、忘れな草が冬に咲くなんて、不思議なこともございますねぇ、魔素の影響でしょうか?』
熊野が不思議がるのも無理はない、ここに咲いているのは紛れもなく、この季節に咲くはずのない花なのだから。
真綾の顔をしばし嬉しそうに見つめたあと、ポーティカは花のように笑った。
「ふふっ、素敵でしょう?」
「はい」
「わたくしはこの場所が大好きなの、あなたにもお気に入りいただけたようで嬉しく存じますわ。マーヤ様、わたくし、あなたのように気の合う方と出会えて、もう興奮が抑えられません。――さあ、これからゆっくり語り合いましょう!」
真綾に共感してもらえたことが嬉しかったのか、顔を輝かせて真綾の手を取り、忘れな草色の絨毯に腰を下ろすポーティカ。
こうして、語り合いの名を借りた、金髪お嬢様の一方的なおしゃべりは、日暮れ前まで延々と続いたのであった。
◇ ◇ ◇
領主の住まいというものは、都市内にある場合と、都市から離れた場所に建てられている場合、あるいは季節や都合に合わせて両者を住み分ける場合など、地域や個人によってさまざまである。また、かつては防衛面だけを考えて山上に建てられていた領主の居城が、社会情勢の安定とともに利便性のよい平地へ移るのは、我々の世界でも洋の東西を問わず珍しくない。
「わたくし、市内には住んでおりませんから、ここでお別れですわ」
――などと言うポーティカの場合も、古城に住んでいた先祖の誰かが、都市近郊にある利便性のよい場所に居を移し、そのまま代々そこに住んでいるものと思われた。
そういうわけで、真綾は日暮れ前、明日の再会を約束して新たな友達と別れた。
そのまま山道を下り、宿の夕食に思いを馳せつつ市内に入った真綾だったが、夕食を買い込む都市住人たちで賑わう広場を、断腸の思いで突っ切ろうとしたところで、思わぬ人物と再会した。
「おお! 嬢ちゃん、やっと見つけたぜ! 俺だよ俺!」
オレオレ詐欺……ではない。真綾を見るなりブンブンと手を振ってきたのは、だらしなく無精ヒゲを生やしたイケオジ……そう、平時ゆえ甲冑こそ脱いではいるが、間違いなく黒騎士ヘルマンである。
『こんなところまで追っていらっしゃるなんて、もはや、現代でいうストーカーでございますね……。真綾様、無視でございますよ、無視』
(ラーサー)
などと真綾の脳内で言われているとも知らず、ヘルマンは白い歯を輝かせながら駆け寄ってきた。
「バンブルクのギルドで聞いたぜ、嬢ちゃん、その見た目でまだ十四なんだって? いやー、絶世の美女を前にしてるってのに宝剣がピクリともしねぇもんだから、俺もすっかり自信なくしちまうところだったが、アンタの歳を聞いて安心したぜ。子供相手に反応しなかったんだから俺の宝剣は正常さ、まだまだ現役だ! いやあ、よかったよかった!」
真綾の前に立ち塞がるや、嬉しそうに宝剣を連発して笑うヘルマン。……それにしても、日も暮れぬうちからアルコール臭をプンプンさせているとは、ダメな大人もいたものである。
『狩人ギルドったら、個人情報ダダ漏れではございませんか……』
(宝剣?)
『どうかお気になさらず』
真綾の個人情報を漏らしたギルドに熊野が呆れる一方、真綾のほうはヘルマンの宝剣のことが気になったようだが、無垢な疑問は熊野によってブロックされた。
この脳内会話による真綾のわずかな沈黙を警戒によるものと捉えたか、たちまちヘルマンは慌て始める。
「……あー、警戒させちまったかな? まあ安心しなって、嬢ちゃんに手を出すつもりはないから。至高の三女神様に誓って言うが、俺が子供に欲情することなんか絶対にない、俺の宝剣はちゃんと節操ってモンをわきまえてんだ。……なあ嬢ちゃん、信じてくれないか? 俺はただ、あん時の礼をさせてほしいだけなんだよ」
真摯な表情で真っすぐ真綾の瞳を見つめ、安心させようとするヘルマン。
「……まあ、あと何年かしたら、嬢ちゃんは間違いなく人類史上最高のイイ女になるだろうから、そんときゃ是が非でも、組んずほぐれつ――」
『全速で離脱を!』
ヘルマンの言っていることが怪しい方向へ行きかけたところで、即座に熊野の規制が入り、真綾は陸上生物の限界を超える速度で離脱した。
何しろ真綾の姿は目を引くため、この時、少なくない人々によって注視されていたわけだが、常人の目には猛スピードで離脱する彼女の姿が捉えられず、突然の消失にざわめき声が上がり始める。
そんななか、真綾の姿を遠くの曲がり角に見送りながら、ガックリと肩を落とすヘルマン……。
「……あーあ、また逃げられちまった。大人の女相手なら簡単なんだが、やっぱりあの年頃の子は難しいなあ……。何がマズかったんだろう?」
爛れた人生を送ってきた男にはもうわかるまい……。無精ヒゲの生えた頬をポリポリと掻きながら、困ったように眉根を寄せるヘルマンであった。
◇ ◇ ◇
リヒテンフルト三日目――。
「お帰りをお待ちしております~」
今日もフロント係に満面の笑みで送り出された真綾は――。
「お待ちしておりましたわ!」
――迎えてくれたポーティカとランチやおやつを食べたり、得意の水芸を披露したり、ひたすらおしゃべりを聞いたりと、あの古城で楽しく過ごしてから、日暮れ前にリヒテンフルトへ帰ると……。
「よう嬢ちゃん、これから――」
『全速離脱!』
……話しかけてくるヘルマンを振り切って、特にこれといったこともなく一日を終えた。
◇ ◇ ◇
リヒテンフルト四日目――。
「お帰りをお待ちしております~」
この日もフロント係に満面の笑みで送り出された真綾は――。
「お待ちしておりましたわ!」
――迎えてくれたポーティカとランチやおやつを食べたり、得意の忍術を披露したり、ひたすらおしゃべりを聞いたりと、あの古城で楽しく過ごしてから、日暮れ前にリヒテンフルトへ帰ると……。
「なあ、嬢ち――」
『離脱!』
……話しかけてくるヘルマンを振り切って、特にこれといったこともなく一日を終えた。
◇ ◇ ◇
そして、リヒテンフルト五日目――。
「いつもより多めに回しております」
「お見事ですわ、マーヤ様!」
古城の城壁と建物の間に渡したロープの上で、和傘を回しつつ真綾が綱渡りしていると、下からポーティカが拍手喝采を送った。
ちなみに、ただ綱を渡るだけではなく、和傘の上で玉を転がしているという妙技である。……日増しに大道芸のスキルを上げて、いったい彼女はどこへ向かうつもりだろうか?
「ああっ! し、ししっ、下着が丸見えですわよっ!」
両手で顔を覆いつつも、指の隙間からガッツリ真綾のスカートを覗くポーティカ……。こういうときのために真綾はスカートの下に短パンを穿いているのだが、この世界の人間からしてみれば、短パンも下着も一緒なのだろう。
◇ ◇ ◇
無事に綱渡りを終えた真綾は、例のテラスに椅子とテーブルを出して、ポーティカとアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「――そういったわけで、クネムント様がご帰還なさった暁には、真っ先にここへいらして、わたくしとふたりっきりでお会いしてくださる、という約束なんですの」
空になったティーカップを両手で包み込むようにしながら、ポーティカは自分が毎日ここに来ている理由を語っていた。
『出征したフィアンセとのお約束のために、たったおひとりで毎日ここまでいらっしゃるなんて、ポーティカ様、健気でいらっしゃいますねぇ……』
真綾の脳内に流れる熊野の声が、実感と心からの感傷をもって聞こえたのは、かつて日本中で見られた悲劇を思い出してのことか……。
そう、ポーティカは、戦争に赴いたフィアンセの帰りを待っているのだ。
「早く会えたらいいですね」
「ありがとう、マーヤ様」
真綾の真心から出た言葉に、ポーティカが笑顔の花を咲かせた――その時、真綾は城の外に人の気配を感じた。
「誰か来た」
「ハア、また来たみたいですわね……」
真綾がティーカップを置いて言うと、ポーティカのほうも気配を察したか、さも面倒くさそうに眉根を寄せた。
「また?」
「はい。あの者たちときたら、ここが廃城なのをいいことに、最近ちょくちょくとやって来ては勝手に城内へ入り込んで、あれやこれやと見て回るんですの。しかもですわよ、何度か城壁にお小水を引っかけたこともございますし、前回など、なんと、よりにもよって主館の食堂跡に大きいほうまで落としていったんですの! 不躾にもほどがありますわ!」
聞き返す真綾に、ポーティカはプンスカと頭から湯気を立てつつ事情を話した。……まあ、フィアンセとの約束の場所を公衆便所代わりにされたのだから、このお怒りはごもっともである。
『まあっ! なんて失礼なのでしょう! 大切な場所を穢されたとあっては、ポーティカ様がお怒りになるのも当然でございます!』
などと、ハーピーによってフンまみれにされたことのある熊野も、事情を聞いてプリプリと憤慨しているが、それは真綾とて同じであり、彼女は不埒者どもを成敗すべく、静かな炎を胸に城門のほうへと向かうのであった。




