第一四五話 妄執の騎士と古城の乙女 一一 イケオジと白い歯
新たな敵を只者にあらずと察したか、首無し騎士は地を滑るようにして真綾から距離を取った。
もはや、その眼中(目は無いが……)にヘルマンの姿は無く、尋常ならざる強敵だけに集中している様子だ。
左半身に構えてカイトシールドに隠れ、引いた右手の長剣を水平近くまで倒して切っ先を真綾に向ける。……首無し騎士は真綾の初太刀を盾で受けてから刺突するつもりだろう。
ヘルマン相手の時とは違い、いきなり打ち込まないのは、自我が無いなりに真綾の力を恐れているということか。
「ソイツは周囲の生気を奪う、お嬢さんも気をつけな!」
真綾のことを只者でないと察したのはヘルマンも同じであり、自分が戦力外となった今、彼としては不本意ながらも、アドバイスしたあとは彼女に任せることにした。
そのアドバイスを背中で聞きつつ、真綾は首無し騎士を真っすぐ見据えたまま、流れるような動きで中段に構える。
『真綾様、やはり、【船内空間】などは……』
(はい、使いません)
いちおうの確認をする熊野に、真綾は凛と答えた。
【船内空間】など数々の戦闘手段を有する彼女だが、ヘルマンと見事な一騎討ちを繰り広げた首無し騎士に対しては、剣で戦うことこそが礼儀だと感じたのだろう。
非合理的なやり方だとは思うが、武門の名家たる羅城門家の姫君として育った真綾は、こういう子なのである。
『それでは、ご武運を』
熊野はそう言って沈黙した。こと戦闘においては真綾にすべて任せ、自分はサポートに回ればいい、それをよく心得ているがゆえの沈黙だ。
日本の侍は世にも珍しい重装弓騎兵でもあったし、弓以外に使っていた武器も両手用だったから、また、鎧の大袖が盾の役割を果たしたから、あるいは武器を使っての防御術が発達したから、などなど、理由は種々あるようだが、侍は手持ち盾というものを使わなかった。
西洋の騎士も、鎧の発達や武器の変遷により盾を使わなくなっていったが、それ以前の、粗悪なチェインメイルに頼らざるをえなかった時代の騎士は、不足する防御力を盾でしっかり補っていた。
この首無し騎士もそういった時代の者だったらしく、今、大きいカイトシールドに身を隠し、虎視眈々とカウンターのチャンスを狙っている。その守りは堅く、日本の時代劇を観て育った真綾には、さぞ戦いにくい相手であろう。
(マズいな……。あのお嬢さんが尋常じゃない遣い手なのはわかるが、剣一本じゃ分が悪い、攻撃したとたん受けられてブスリ、あとはバイヤールみたいに一瞬で生気を奪われちまうだけだ。……かといって、今さら俺の剣を渡そうにも、その隙に間違いなく殺られちまうだろう……)
思うように動かせぬ体を歯がゆく思いつつ、おそらくは本人以上に焦っているヘルマンだったが、そんな彼をよそに、真綾は初めて対峙する大盾装備の敵を攻略することにした……とはいえ、彼女が難しいことを考えるはずもなく、ただただ無心に、直感のままに動くだけである。
技の起こりを相手に悟られるようでは一流の剣士にあらず、真綾の姿は唐突に消失し――。
ドン!
――その直後、衝撃波とともに音が聞こえた。……いや、常人よりもはるかに感覚の鋭いヘルマンでなければ、姿の消失と音は同時だと思ったことだろう、それは、無きに等しい差であったから。
では、真綾はどこへ消えたのか?
「嘘だろ……」
その光景を目撃したヘルマンの口から、我知らず呆けた声がこぼれ出た。
反り浅く大切先の〈鬼殺し青江〉が突きにも向いているとはいえ、なんと、六尺四寸の刀身を鍔元まで盾に埋め、真綾は首無し騎士を刺し貫いていたのだ。
その諸手突きが音速をはるかに超えていたとは、さすがのヘルマンにも理解できまい。
それにしても、またもや瞬殺とは、盛り上がりを欠くにもほどがあろう、エンタメ性というものを考えぬ主人公にも困ったものである……。
『お見事でございました。……あら? なんでございましょう?』
光の粒子へと変わってゆく首無し騎士が剣を手放し、上着の内側から取り出した何かを真綾にそっと差し出すと、熊野は不思議そうに声を上げた。
敵意の無いことを察して真綾がそれを受け取ったあと、首無し騎士の姿は完全に消えたのだが、消える前、首無きながらも何か言いたげに見えたのは、ふたたびの死に臨んで自我を取り戻したということか……。
ともあれ、渡されたソレを真綾が見てみれば、なんの変哲もない小さなドライフラワーである。
『ドライフラワーですね……。引導を渡してくれたことへのお礼なのか、見事倒してみせたことへのご褒美なのか、今となっては知るすべもございませんが、首無し騎士様も粋なことをなさいますねえ。――真綾様、危険なものでもございませんし、ありがたく頂戴してはいかがでしょう?』
(はい)
こんな具合で、首無し騎士からの思わぬプレゼントについて、熊野と真綾が話し合っていると――。
「ありがとな、お嬢さん、おかげで助かったぜ」
フラフラと立ち上がりながら、ヘルマンが声をかけてきた。
「それにしても、〈伯爵級〉上位を盾や鎧ごとブチ抜いちまうとは、とんでもねぇ突きだったな。こんな芸当ができるってことは、アンタ、どっかの伯爵……いや、そんなモンじゃねえな、王侯のお姫様ってとこかい?」
理不尽なまでの強さを見せつけられたのだから、ヘルマンがこう言ったのも当然であろう。
「ああ、答えなくてもいいぜ、どうせワケありだろうからな。――ところで、俺はこれからバンブルクへ帰ってギルドに報告するんだが、こうして出会えたのも三女神様の思し召しだ、よかったらお嬢さんも一緒に帰るかい? どうせアンタもギルドに頼まれたクチだろう?」
「いえ、北に行きます」
「あらら、北かあ……」
話している途中で兜のバイザーを上げ、タレ目でウィンクしつつ誘うイケオジだったが、アテが外れたと知るや、目に見えて落胆した。
「……それにしてもアンタ、ゾッとするほどイイ女だな。――白磁のごとき艷やかな肌と黒絹のように輝く髪、溢れる気品は伝説の英雄たちをも跪かせ、黒き瞳で見つめられれば冥界の王とて魂を奪われそうだ。そして、美の女神だって素っ裸で逃げ出しちまいそうな、その完璧な美貌とプロポーション――」
この男、立ち直りは早いらしく、自分のアゴに手をやって真綾の全身を眺めたかと思えば、身振り手振りを交えながら褒め称え始めた。……少しだけ眉根を寄せて憂いのあるイケメン顔を作り、絶えず真綾の瞳を真っすぐ見つめているあたり、なんというか、もう、下心が見え見えである。
『あの時の間男でしたか……』
(まおとこ?)
『どうしようもなくダメな殿方という意味にございます。真綾様、どうかお相手なさらぬよう』
などと脳内会話されているとも知らず、ペラペラとしゃべり続けるヘルマン――。
「こんだけイイ女に声をかけなきゃ男として失礼ってモンだ、命を助けてもらって礼をしないのも男じゃない、ってなわけで、なあお嬢さん、今日のところはバンブルクに引っ返してくれないかい? もちろん宿代は俺が持つし、明日になれば俺がバイヤール――ああ、俺の馬な、バイヤールに乗せてアンタの行きたい場所まで送るから。……頼むよ、麗しき救世主様に礼をさせてほしいんだ」
最後に、彼の白い歯がキラリと光った。
『真綾様、まおと……黒騎士様もすっかりお元気になられたご様子ですので、もうおひとりでも大丈夫でしょう。さあ、早くこの場を離れて、どこか景色の良い場所でお昼にいたしましょうか』
ヘルマンの説得も虚しく、真綾にとってはイケオジの白い歯よりも、熊野の言う『お昼』のほうが重要であり――。
「あっしには関わりねぇことでござんす」
「へ?」
「じゃ」
「いや、ちょ――」
――彼女はニヒルな渡世人のごときセリフを口にしたかと思えば、ポカンとしているヘルマンにシュタッと片手を上げ、慌てる彼を置いてさっさと霧の中へと消えていった。
「……あーあ、行っちまった。あんだけイイ女と仲良くなれるチャンスなんて、もう一生無いだろうなー……。それにしても、妙だな……」
真綾の消えていった方向を未練がましく眺めていたヘルマンだったが、しばらくすると一転して神妙な表情になり、霧に霞む木々から視線を下に落とした。
城伯であり金ランク狩人でもある彼は、いったい何に気づいたというのか?
「どういうことだ? あんだけイイ女を前にしてるってのに、俺の逞しい宝剣がピクリとも反応しなかった……」
新宿歌舞伎町の始末屋か……。
「……ん? アレは……」
もしや加齢による衰えかと真剣に悩み始めたところで、ヘルマンは妖しい輝きを視界の端に捉え、やがて、地面の上にソレを見つけた。……つい先刻まで首無し騎士だった魔石を。
「あらら、あのお嬢さん、大事な戦利品をお忘れじゃねぇか……。アレだよなあ、恩人の取り分を掠めるわけにもいかないよなあ」
無精ヒゲの生えた頬をポリポリ掻きつつ、その魔石をしばらく見つめたあと、イケオジは白い歯をキラリと輝かせた。




