第一四四話 妄執の騎士と古城の乙女 一〇 黒騎士と首無し騎士
寂寥とした森の中にこだまするは、力強い馬蹄の轟きと、金属同士が激しくぶつかり合う音。
静かに傍観する首無し騎士の前で、ヘルマンは死霊騎士二体を同時に相手取り、文字どおり死闘を繰り広げていた。手綱は持たず両足で馬体をしっかと挟み、左右の手にある二本の大剣、それもツヴァイヘンダーと呼ばれる両手剣を、いとも軽々と自在に振るって。
「フッ!」
背後を取られぬよう巧みに巨馬を操りつつ、呼気とともに右の敵へ大剣を振り下ろし、同時に――。
ギンッ!
――左からの強烈な斬撃を、もう片方の大剣で受け止める。
それは驚嘆すべき戦いぶりであった。
やがて、その時は来た。死霊騎士たちに生まれたわずかな隙を突き、左側にいる死霊騎士の馬へと、ヘルマンが巨馬を体当たりさせたのだ。
とたんに死霊馬はよろめき、馬上で体勢の崩れてしまった死霊騎士を――ヘルマンの大剣が叩き斬った!
死霊と成り果て自我を失っていただろう騎士も、再度の死を得て光の粒子へと変わりつつ、兜の下で驚愕していたかもしれない、なぜならそれは、絶対にありえないことなのだから……。
いかな巨馬とはいえ、本来、〈伯爵級〉の力を持つ死霊馬に力勝ちすることなど不可能だし、そもそも、物質を透過する馬体にどうやって体当たりできたのか、また、ヘルマンのほうも、〈伯爵級〉の腕力を有する死霊騎士の斬撃をいかに片手で受け得たのか、そして、常人では傷付けることさえ不可能なはずの死霊騎士を、なぜ倒せたのか……。
「フッ!」
ヘルマンと死霊騎士たちの技量の差は歴然である。一体を片付けた今、二体同時でも相手取れた死霊騎士にヘルマンが苦戦するはずもなく、彼は残る死霊騎士を短い呼気とともに斬り伏せた。
その奇跡を為した二本の大剣には、どちらも柄の部分に魔石が――。
『大きさや輝き具合から推測しますに、嵌め込まれているのは〈伯爵級〉上位くらいの魔石でしょう……。なるほど、あれが噂に聞く魔剣でございますね、炎を纏うなどの目立った特徴もございませんから、付与されているのは単純に強度を上げる魔法、といったところでしょうか? 花様にお見せできなくて残念ですね、きっとお喜びになるでしょうに』
(はい、絶対喜びます)
戦いの様子を物陰からコソッリ覗きつつ、脳内にもかかわらずヒソヒソ声で会話する熊野と真綾……。
『それにしましても、あの魔剣を使うことがおできになる、ということは、黒騎士様は貴族でいらしたのですね、それも、〈伯爵級〉から〈城伯級〉上位までのいずれかの守護者をお持ちの……。もしも〈伯爵級〉上位以上の守護者をお持ちでしたら、わざわざ同級の武器強化魔法が付与された魔剣など使われずとも、【武器強化】の加護がございますし、〈城伯級〉以下の守護者と契約なさっていたら、格の違いすぎる〈伯爵級〉上位の魔剣はご使用できませんから』
(なるほど)
エーリヒから学んだ異世界知識を基に推察する熊野と、さも理解したふうに相槌を打つ真綾……。
そろそろ説明せねばなるまい。
狩人たちから話を聞いたとたん、黒騎士を救うべく森の上空に熊野丸を召喚し、鋭い勘を頼りに戦場付近まで瞬間移動した真綾だったが、意外にも黒騎士が善戦していたため、狩人の獲物を横取りするのもいかがなものか、ということで、危なくなるまで観戦することにしたのだ。……まあ、平たく言えば、出るタイミングを失っていたのである。
『そして、あの大きなお馬さんこそ、黒騎士様の守護者に違いありません、幽霊のお馬さんに体当たりしていましたからね』
(はい、ニンジンあげたいです)
……そう、すべての謎の答えは、熊野が解説してくれたとおり。
金ランク狩人でも別格と噂される黒騎士ヘルマンは、〈城伯級〉上位の精霊馬と契約した貴族だったのだ、しかも、〈伯爵級〉上位の魔剣を持つがゆえに、格上の死霊騎士たちを倒せたのである。……無論、彼の技量の冴えによるところも極めて大きいが。
ともかく、残るは首無し騎士ただ一体のみ。配下らとともにヘルマンを襲わなかったのは、死してなお残る誇りが正々堂々の一騎討ちを望ませたためか……。首無き死霊の胸中など知るよしもないが、果たして、その実力やいかに。
『あ、どうやら一騎討ちが始まりそうですよ』
熊野の言うように、首無し騎士とヘルマンが互いに馬首を向けた。
霧に霞む木々を背景として静かに対峙するは、死霊の軍馬に乗った首無し騎士と、赤毛の巨馬に跨がる漆黒の騎士、それはどこか現実味に欠けて見え、夢魔によって作られた光景のようである。
ほどなくして、唐突に戦いの幕は切って落とされ、死霊馬が音も無く走り始めると同時に、巨大な精霊馬も地面を抉って駆け出した。
一方の馬蹄だけが大地を震わせるなか、両騎士の距離は急速に縮まってゆき、ついに――。
ギン!
ガッ!
――首無し騎士の斬撃をヘルマンの左大剣が受け、ヘルマンの右大剣を首無し騎士が盾で防いだ!
ふたつの硬質な音は同時に響き、両者のどちらかが押し負けることもない。
その後、両者とも巧みに馬を操り、二合、三合と、激しく打ち合ってゆく。
『格上の存在を相手に一歩も引けをお取りにならないとは……黒騎士様、お強いですね』
(はい、すごく)
感心する熊野に真綾は相槌を打つ、今度はちゃんと理解したうえで。
『ですが、このままでは……』
真綾の脳内に、心配そうな熊野の声が流れた。
地力の強い巨馬の【強化】があるゆえに、ヘルマンの力は〈伯爵級〉上位の首無し騎士とほぼ互角、技量も武器の強度も互角、また、精霊馬固有の加護により霊体を攻撃することもできる。
だが、ただ一点、どうしても埋められぬ隔たりが存在していた。
さすがのヘルマンも、防御力に関しては〈城伯級〉上位でしかないのだ。
現に、首無し騎士のロングソードが掠るたび、ヘルマンのプレートアーマーが布鎧のように斬り裂かれていくではないか……。
それは、まともに攻撃を喰らえば彼が死ぬことを意味していた。それでも――。
『……でも、なんて凄まじいのでしょう、まるで鬼……』
――そう、熊野の言うように、死を恐れず果敢に双剣を振るい続ける彼の姿は、刺し違えてでも魔物を屠るという執念すら漂い、さながら、人が生きたまま鬼と化したようであった。
しかし、それも長くは続かないだろう、両者の埋められぬ隔たりはもうひとつあるのだから。
首無し騎士には物質透過能力の他にも固有能力がある、周囲の者から生気を奪い死に至らしめるという、呪われた力が……。
(あー、やっぱり〈伯爵級〉上位は強ぇなー、こっちにも魔法抵抗力があるってのに、どんどん力を吸っていきやがる……)
奪われてゆく力を気力で補い、なんとか剣を振るい続けつつも、終わりの近いことを悟り始めたヘルマン。
(でもなー、俺がこのバケモンを始末しとかなきゃ、どっかのイイ女が殺されちまうかもしんねえよなー、また……)
ひとつの顔がヘルマンの脳裏に一瞬浮かんで消えた、今はもう朧げにしか思い出せない女性の顔が……。
(……なあバイヤール、しんどいとは思うが、もうひと踏ん張り頼むな)
「ヒュィィィィン!」
彼が心の中で頼むと、バイヤールと呼ばれた精霊馬は甲高くいなないて答え、主と同じく残り少ない力を振り絞って竿立ちになり、巨体に物を言わせて首無し騎士を踏み潰すべく、両の蹄を振り下ろそうとした。
だが……。
ズ――。
……首無し騎士の突き出したロングソードに胸部を貫かれ、体内から直接生気を奪われると、巨大な馬体は瞬く間に光の粒子へと変わり始めた。
しかし――。
ザン!
――なんということか、首無し騎士の馬もまた喉元を半ば切断され、光の粒子へと変わってゆくではないか!
それが、巨馬を囮にした敵によるものだと、首無し騎士は気づいただろうか。
『はー、なんて白熱した戦いでございましょう、手に汗握るとは、まさにこのことでございますね、わたくしに手はございませんが』
などと熊野が感心する間にも、体勢を崩すこともなく地に降りた首無し騎士と、相手の隙を狙い損ねたヘルマン、ふたりの騎士は短い対峙のあと、仕切り直しとばかりに死闘を始めた。
四合、五合、斬っては受け、受けては斬る、凄絶な戦いはいつ果てるともなく続くかに思えた――が、馬を失ったところで首無し騎士の能力が消えるわけではなく、生気を奪い続けられた末に限界を迎えたヘルマンは、首無し騎士の斬撃を受けた大剣ごと横薙ぎに倒された。
それでも剣を手放さなかった執念は驚嘆に値するが、もはやヘルマンに戦える力は残っておらず、なんとか上体だけでも起こそうと苦闘する彼に、首無し騎士が音も無く影のように歩み寄った。
黒く塗られた兜が、首の無い騎士を見上げた。
「……なあ首無し、お前さんにも待ってる女がいたんだろうなあ……」
穏やかな声で語りかけるヘルマンにも動ずることなく、妄執に囚われて死霊と成り果てた騎士は、ゆっくりとロングソードを振り上げる。
(ああ、これでやっと……)
死に臨んで微笑むヘルマン、まるで憑き物でも落ちたかのように、長い苦痛から解放されたように。
そんな彼に、無情な剣は振り下ろされ――。
ギン!
――受け止められた。
いったい何に?
刃長六尺四寸(約一九四センチメートル)の豪刀、〈鬼殺し青江〉に、である。
それでは誰なのか?
その大太刀を使っている、黒いセーラー服に編み上げブーツ姿の佳人は――。
「あんたは――」
「名乗るほどのモンじゃござんせん」
「へ……」
――無論、真綾であった。……斜め上の答えを聞いたせいで、ヘルマンも兜の下で目を点にしているが、真綾、ようやくの出番である。




