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第一四三話 妄執の騎士と古城の乙女 九 巨馬



 どんな窮地に陥っても生きて帰る、それが狩人の矜持である。ほどなく我に返ったアンコウは、断続的に飛来する矢を警戒しつつも、死地から脱する方策を手下たちと話し合っていた。


「まさかあんなバケモンまで出てきやがるとはな……。いいか、俺の合図と同時に弓兵のいる方向へ全力で走るんだ。なあに、この感じじゃあ弓兵は一体だけだろうから、全速力で向かってくる相手にゃ一射するのがやっとのはずだぜ」

「じゃあアニキ、俺が先頭で突っ込むっス。こんな肩じゃ剣も振れねぇけど、みんなの盾ぐらいにゃなれるっしょ」


 アンコウからの指示を聞くや、矢が刺さったままの右肩を押さえつつ、青い顔でヒラメが笑った。

 しかし、そうやって犠牲になると言う手下を、アンコウは叱り飛ばし――。


「バカ野郎! テメェだけに貧乏クジ引かせられっか! 全員横一列になって全力で走るんだ、そうすりゃ誰が狙われるかは運次第よ。……いいか、何があっても絶対に振り返んじゃねぇぞ」

「アニキィ……」


 ――と、ヒラメもリーダーの心意気に感じ入った。


「へっ、じゃあ、誰が死んでも恨みっこナシってことで。――ああそうそう、アニキだけ残って囮になるってのもナシですぜ」

「それじゃあアニキ、生き残ったやつがあのハクいスケを見つけて、俺たちの大活躍の話を聞かせるって、どうっスか?」


 そして、努めて明るく振る舞ってみせるタコとフグ……。

 今この場所に、「逃げたところで騎士たちに追いつかれて終わりだ」などと、野暮なことを口にする者はひとりもいない。ガラは悪く見た目も残念だが、たしかに彼らは誇り高き狩人であった。

 だが、そんな彼らを嘲笑するかのように、死霊たちは包囲の輪をジワジワと狭め始め、アンコウが悲壮な敵中突破の合図を出そうとした、その時――。


 ドドドドッ、ドドドドッ――。


 ――と、重く規則的な音が急接近してくることに、狩人たちは気づいた。


「ア、アニキィ、まさか、死霊騎士か首無し騎士が増えるんじゃ……」

「いや、死霊ならこんな音は立てねぇ、もっと別のモンだ……」


 怯えるヒラメの言葉を否定しつつも、アンコウはさらなる魔物の乱入を恐れて唾を呑み込んだ。

 そうしている間にも音は地響きを伴って近づき、やがて――。


 グシャッ!


 ――物質を透過するはずの死霊兵士たちが、二体同時に頭部を砕かれた!

 彼らを魔石に変えたのは、ふたつの蹄。……しかしその大きさのなんと異常なことよ、そしてその蹄を持つ馬のなんと巨大なことよ。

 ……そう、馬。乱入してくるなり竿立ち、死霊兵士二体を両の前足で踏み潰したのは、燃えるような赤毛の巨馬だったのだ。

 グリューシュヴァンツ帝国とその周辺諸国で使われている軍馬は、現代人に馴染みあるサラブレッド種より、はるかに小さく、一般的な騎士の乗る馬の体高は一五〇センチメートルを大きく下回り、王侯クラスの愛馬でさえ、体高一五五センチメートルもあれば立派なほうである。

 それに比べてこの馬は、体高が一七〇センチメートル以上もあり、そのガッシリと太い四肢はとても馬のものと思えず、体重も一トンを優に超えているだろう。

 しかしどうしたことか、狩人たちの視線は、巨馬よりもその背に跨がる者に注がれているではないか……。


「黒騎士、ヘルマン……」


 アンコウは我知らずその名を口にした。……そう、右手に大剣を携え、黒塗りのプレートアーマーで全身を固めた、この騎士こそ、帝国に数人しかいない金ランク狩人のひとり、黒騎士ヘルマンであった。


「早く行きな」


 黒い兜の奥から、どこか甘い響きのあるイケボが流れ出た。


「バッ、バカ言え! 助けに来てくれたやつを置いて帰ったとあっちゃあ、俺ら面目丸潰れじゃねえか! 俺たちも――」

「俺たちも? おいおい、冗談は顔だけにしてくれよ。……なあ、こっからは俺の戦場だぜ? お前らにチョロチョロされたら邪魔じゃねえか。ああそうそう、言っとくが、勘違いすんなよ、俺にゃ男を助ける趣味はねえ――よっと」


 自分たちも残って戦うと言いかけたアンコウを遮り、けんもほろろにあしらうヘルマンだったが、飄々としゃべっている途中で、なぜか急に左手を一閃させた。

 あまりの早業ゆえ誰の目にも留まらかったが、彼は鎧のベルトに差していたダガーの一本を投げたのだ。現に、ダガーの飛んで行った先、弓兵の潜んでいる辺りで、霧の向こうが淡く輝き消えてゆくではないか。

 ボウガンを超えるであろう射出速度でダガーを放ち、霧に潜む敵さえ正確に仕留めるとは、なんという技量、そして剛力だろう。


「さあ、これで厄介な弓使いも片付いた、とっとと怪我人連れて逃げやがれ」

「クッ……。わかった、死ぬなよ黒騎士」


 金ランクの狩人は巨大な熊と単独で戦えるバケモノ揃い。その金ランクでも別格と噂される男の妙技を目にしては、アンコウも己が実力不足を痛感して黙るしかなく、ヘルマンによって確保された活路を、手下たちとともに逃げ帰ってゆくのであった。

 そうやって狩人たちの姿が霧の中へ消えていったあと――。


「あんなこと言ってはみたものの……。〈伯爵級〉が二体と……ありゃどう見ても〈伯爵級〉上位くらいだよなあ。――ハア、さすがに無理か……」


 ――死霊騎士たちと首無し騎士に視線を巡らせ、大きく嘆息するヘルマン。

 無理もない、金ランクの狩人がいかに卓越した武を誇っていようとも、守護者なき常人である限り、〈伯爵級〉には傷ひとつ与えることすら叶わないのだから。

 しかし、肩を落としたところで死霊が遠慮してくれるはずもなく、右方と前方の死霊騎士、左方の首無し騎士、それぞれがヘルマンに向けて馬首を巡らせた。


「さて、と……。あー、哀れにも未練を残して死んじまった騎士の皆さん……ああ、お貴族様もいらっしゃるのかな? まあとにかく、自分の劇が終わったあとも舞台に残ってるって意味じゃあ、俺もアンタらと似たようなモンでね、そこでちょっとばかし頼みが――いやいや、たいした手間は取らせねぇよ、簡単なことさ。――俺を舞台から降ろしてくれないか?」


 死霊たちに飄々とした口調で話しかけると、彼は最後に、黒い兜の下で凄絶な笑みを浮かべた。

 空いていた左手でもう一本の大剣を抜きながら――。


      ◇      ◇      ◇


 バンブルクを出立した真綾は、勾玉に教えられるまま街道を北へと歩き、やがて、森と森との間にある狭隘な土地に差し掛かった。


『ファビアン様がいらっしゃるおかげでバンブルク周辺は治安も良く、凶暴な獣や魔物も少ない、とはお聞きしましたが、森のすぐ際まで耕作地が広がっているところを見ますと、本当に森の安全が保たれているのでしょう。それにこの辺りは、気候風土も耕作に適しているのかもしれませんね』

(はい)


 周りの風景を見て呑気に考察する熊野と、お昼ごはんのことしか考えていないくせに、さも理解したふうに相槌を打つ真綾……。通常営業のふたりである。


『あら? 森の中から、お魚のようなお顔の皆様が出ていらっしゃいましたよ。ダゴン秘密教団の方かしら?』


 森の中から転げるように飛び出してきた四人組を見つけるや、クトゥルフ神話も読んでいたらしい熊野は、真綾の脳内で呑気なことを言い出した。

 しかし、彼らは深きものどもの末裔にあらず。……そう、彼らは、命からがら死地を脱してきたインスマウス人……もとい、海洋生物顔の狩人たちであった。


「あっ! ハクいスケ!」

「マブか!?」

「うわあ、やっぱハクいなあ……」


 深淵を覗くものは深淵からも覗かれる……。向こうも目ざとく真綾を見つけるや、たちまち嬉しそうに騒ぎ始めた。


「おおっ! マブじゃねえかよ! とんでもねぇベッピンさんだ! 俺ぁ生まれて初めて見たぜ、ここまでハクいスケ。……まあ、俺としちゃあよ、もうちょっとケツのでけぇほうが――違う!」


 アンコウもゼラチン質の笑みを浮かべ、真綾の全身を舐め回すように見始めたが、最後に見事なノリツッコミを決めると血相を変え、すぐさま彼女のところに走り寄ってきた。


「ネ、ネェちゃん、今すぐ引っ返しな! 森の中にヤベェのが出たんだ!」


 真綾の近くまで来るなり何を言うかと思えば、アンコウは森を指差しつつ真剣な表情で彼女に退避を勧め――。


「そうだぜネェちゃん、〈伯爵級〉の首無し騎士が手下ども引き連れて出やがったたんだ!」

「バカ! あの首無しはどう見たって〈伯爵級〉上位だろうが! ――と、とにかくネェちゃん、マブでヤベェんだよ、早く引き返しな!」

「首無しの他にも〈伯爵級〉の死霊騎士が二体もいるんだぜ、ひょっとしたら、もうそこまで来てるかもしんねぇ」


 ――手下たちも次々とリーダーに続いた。彼らは見かけによらず、そう悪い連中でもないらしい。


「ネェちゃん、とにかく逃げな。今、金ランクの狩人が戦ってくれちゃあいるが、たぶん、そう長くは持たねぇ……。黒騎士の野郎、偵察だけして帰るはずだったんだろうが、俺らが欲出して森に入ったせいで……クソッ! 俺らのことなんざ放っときゃよかったのによ、あのオッサンがいくら強くったって、あんなバケモノどもが相手じゃ――え?」


 逃げるよう真綾に言っている途中で、今も孤軍奮闘しているだろうヘルマンのことを思い出したのか、心の声を口に出してしまっていたアンコウだったが、なぜか急に目を丸くするやキョロキョロと周囲を見回し始めた。


「へ?」

「き、消えた……」

「マブかよ……」


 そう、消えたのだ、真綾の姿が、彼らの前から忽然と。


「ア、アニキィ……。よく考えたら、なんか、この世のものとは思えねぇベッピンだったし、ひとこともしゃべんなかったし、威圧感ハンパなかったし……もしかして、あのスケも死霊だったんじゃ……」

「…………」


 ヒラメの言葉で全員の背中に冷たいものが走り……。


「走れえぇぇぇ!」

「ヘ、へいっ!」


 ……アンコウの号令一下、一目散に駆け出す狩人たちであった。

 この日、バンブルク北方にある森の上空に、巨大な魔法陣がふたつ浮かび上がり、一方の魔法陣からもう一方へと巨大なナニカが現れて消えたのだが、そのすぐ下にいた彼らには気づく余裕などなかっただろう。

 蛇足ではあるが、バンブルクのとあるビール醸造所兼酒場に美貌の幽霊が出る、という都市伝説が生まれたのも、まさしくこの日である。目撃者によれば、その幽霊は名物の肉詰め玉ねぎを何回もおかわりしていたらしい。

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