表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/209

第一三話 真綾ちゃんのいない町 一


 あの日、夕陽が照らす坂の上でニカッと笑いながら、私に「また明日」と手を振ってくれた真綾ちゃんは、次の日――この町から姿を消した。


 いつもなら一緒に通学するため私の家へ寄ってくれる真綾ちゃんが、その朝はいくら待っても来なかった。嫌な胸騒ぎのした私が時間ギリギリまで粘ってから学校へ行くと、真綾ちゃんは急きょ、東京にある羅城門本家で暮らすことになったと、担任の先生がクラスのみんなに教えてくれた。

 そんなの嘘だよ! あの真綾ちゃんが私に黙って行くはずがない!


 私は放課後すぐ真綾ちゃんちへ行くと、合鍵を使ってお邪魔した。

 思ったとおり、家の中は何もかもそのままにしてあって、とても引っ越したようには見えなかった。この家には真綾ちゃんと、そして、おじいちゃんの気配がまだ色濃く残っている。おじいちゃんがいつものあの穏やかな声で、「おや? 花ちゃん、よく来たね」と言いながら、そのへんから今にも出てきそうな気がして、私はまた泣きそうになった。

 私は真綾ちゃんの部屋に入ってコソ泥のように物色すると、教科書の入ったカバンが置いてあるのに、ぬいぐるみたちと着ぐるみパジャマ、それと学校の制服が消えていることに気づいた。


「そうだ! 真綾ちゃんはゆうべ、熊野丸の船内で寝たんだ!」


 自分がそうするように言ったことを思い出し、私は真綾ちゃんちを飛び出すと、裏山を必死になって越えた。そこに行けば、あの湾に行けば、熊野さんの本体、熊野丸がいつものように浮かんでいて、真綾ちゃんがいつもの無表情で何かおいしいものでも食べているに違いない。そう心の中で期待しながら――。


「きっと、食べるのに夢中になって学校に来なかったんだね。もう、しょうがないなー真綾ちゃんは……」


 ……でも、ようやく林を抜けた私を待っていたのは、熊野丸がいなくなった湾と、サラサラという乾いた葉音、それと、岩壁を洗う波の音だけだった。……うん、なんとなくわかってたんだ、わかってたんだけど……。


「……真綾ちゃん、熊野さん、どこ行っちゃったんだよ~!」


 この日、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、いなくなってしまった親友の名を呼ぶ私の声が、寒々しい湾に虚しく響いたのだった。


      ◇      ◇      ◇


 いつも真綾ちゃんが物憂げに外を眺めていた窓際一番後ろの席を、私はボンヤリと見つめながら、じんわり込み上げてきた涙をゴシゴシとこすった。

 真綾ちゃんが姿を消してから、一週間ほどの時が経っていた……。


「花、また泣いとんの?」


 私を気遣うような関西弁に振り向いたら、やっぱり火野さんだった。


「……うん」

「……せや! 花、今日ガッコ終わったら店に来ぃや、ウチが特別にラーメンおごったげるわ。花のこと話したら、オカンも心配しとったしな」


 火野さんはそう言うと、太陽のようないつもの笑顔でニカッと笑った。……うう、今の私には眩しいよ……。


「ありがとね火野さん。……でも、今日は遠慮しとくよ……」

「……ほな、気が向いたらでええわ、いつでも来ぃや」

「うん……」


 一見ガサツなようだけど、この子は優しい。ここ数日、すっかりしょげ返っている私のことを、火野さんはこうして気にかけてくれる。ありがと火野さん、あんたホントに太陽みたいだよ、照子って名前のとおりだよ、てるてる坊主だね……。


「は……な……ちゃあ、あ、あ、あ、ん……」


 私が心の中で火野さんに感謝していると、唐突に、六条の御息所でも出せないような声で私の名を呼びながら、長い黒髪を振り乱した怨霊が姿を現した。


「……ムーちゃん、元気そうだね。相変わらず顔色が悪いけど……」

「……反応が……。薄い……」


 いつもと違う私の反応に、怨霊……ムーちゃんは愕然としている。……ごめんねムーちゃん。私の中にいるビックリ係の人がね、今はどこかへ旅に出てるんだよ。


「まあ、花だけちゃうしなぁ……」

「そうね……。まるでクラスが……いえ、町全体が死に絶えたよう……。アイオワのアーカマーのように……」


 ふたりに釣られて教室を見回すと、たしかに空気がドンヨリと重い。火野さんのように努めて明るく振る舞おうとする人もいるにはいるけど、私のように沈みっ放しの人もたくさんいる。あの木下に至っては、真綾ちゃんの姿が消えた翌日から学校を休んでいる始末だ。……うん、わかるよ木下、その気持ち……。

 クラスだけじゃなく町全体が、今はこんな感じになってしまっている。

 真綾ちゃんのいない町は、まるで色彩を失ったように見えた。


「そらまあなぁ。みんなにとって、それだけ姫様の存在が大きかったっちゅうことやろなぁ……。ホンマはウチかて……」

「……火野さん……。姫様が女神なら……あなたは、このクラスの太陽……。できることなら沈まないで……私の、とっておきの心霊写真、あげるから……」

「そうかぁ? ウチ太陽か~……。いらんわ!」


 そりゃ心霊写真はいらないと思うけど、この状況でも的確に突っ込める火野さんを、私は心から尊敬するよ……。


「なあ花、今日もガッコ終わってから姫様の家に行くんか?」

「うん……」

「……ほんなら、姫様が帰ってきとったら、一緒にラーメン食べに来ぃや」

「……うん」


 火野さんからの優しい提案に、私は小さく頷いた。


「よかったら……私の、ダウジングロッドを――」

「いい」


 ムーちゃんからの申し出には、即座に首を横に振らせてもらった。……ごめんねムーちゃん、ありがたく気持ちだけ頂いとくよ。


 火野さんが言ったように、私はあの日以来、真綾ちゃんちに毎日通っているのだ。そうやっていれば、また真綾ちゃんに会えるような気がして……。


      ◇      ◇      ◇


 低く垂れ込める黒雲の下を、学校からひとりでトボトボと帰る途中、神社の大鳥居まで来た私は、ふと、サブちゃんのことを思い出した。そういえば、真綾ちゃんが消えてしまってから、一度もサブちゃんのところに行ってないや。

 でも、真綾ちゃんがいなくなったことを、サブちゃんにどう伝えよう……。

 サブちゃんの天使みたいな笑顔が曇る様子を想像して、私の心がズンと重くなる。だけど……伝えないわけにはいかないよね。

 今まで真綾ちゃんと一緒に何度もくぐった大鳥居を、私はひとり、重くなった心を引きずるようにしてくぐった。

 それから私は、神社のやたら広い境内をウロウロと歩いてみたけど、どこにもサブちゃんの姿はなかった。まあ、しばらく来てなかったからな、しょうがないか……。

 サブちゃんに会えなくてガックリしたような、ちょっとだけほっとしたような、複雑な気分で歩いていた私は、本殿の裏で小ぢんまりとしたお社を見つけた。

 はて? こんなお社、ここにあったっけ?


「おや、斎藤さんちの……」


 その声に振り返ると、この神社の神主さんが立っていた。私はこの人と話をしたことがないけど、お祭りとかで何度か見たことがある。前に真綾ちゃんが教えてくれたから間違いないだろう。


「はい、斎藤花です。こんにちは」

「はい、こんにちは」


 私がペコリと頭を下げると、初老の神主さんは目尻を下げて挨拶を返してくれた。ちょうどよかった、聞いてみよう。


「このお社って、前からありましたっけ?」

「ああ、それは新しいお社だよ。――たしか、羅城門の大殿様が入院される少し前だったかな? さる神様を新たにお祀りするようにと、主立った氏子衆と私の夢枕に御祭神がお立ちになってね、それがまあ不思議なことに毎晩続くもんだから、これは神意に違いない! ということで、慌てて宗像から勧請を受けさせていただいたんだよ」

「へ~、不思議な話もあるもんですね~」

「まったく、私も長年ここでお仕えしているが、こんな経験は初めてだよ」


 不思議体験がよほど心に響いたんだろうね、私に話す神主さんは目をまん丸にしているよ。……まあ、私は今までに、貧乏神やらプチガミ様やら、神様には色々と会ってるんだけどね。あ、そうだ――。


「ところで、サブロウくんは元気ですか?」

「サブロウ?」


 サブちゃんの様子が気になった私は、ちょうどいいとばかりに尋ねてみた。

 なのに神主さんは、なぜかキョトンとした表情で私にサブちゃんの名前を聞き返してくる……。


「ほら、神主さんとこのサブロウくんですよ。ちっちゃくて、天使みたいに可愛くて、足が不自由な……」


 慌ててサブちゃんの説明を始めた私の声は、それを聞いている神主さんの不思議そうな表情を見て、だんだん小さくなっていった。

 そんな私をどこか心配するように、神主さんは口を開く――。


「いや、サブロウという子は知らないなあ。そもそも、うちは今、女房とふたり暮らしなんだよ」

「え……」


 神主さんの言葉が、私の心臓に突き刺さった。

 そんなはずない! だって、だって、……それじゃあ……もう何年も前から、私と真綾ちゃんが来ると一緒になって遊んでいた、いつも天使のように笑っていた、きれいな勾玉を私たちにくれた、あの可愛いサブちゃんは、いったい誰だったっていうんだよ。


「花ちゃん、大丈夫かい? ずいぶんと顔色が悪いよ」

「…………大丈夫です。私、帰ります……」

「おいおい、ホントに――」


 心配そうな神主さんの声が、どこか遠くのほうで聞こえた気がする。

 私はたぶん、そのままフラフラと神社を出たんだと思う。


 ……まず、真綾ちゃんのおじいちゃんが亡くなって、クロもいなくなった。さらに真綾ちゃんが姿を消して、とうとう、サブちゃんまで実在があやふやになった……。

 私の幸福だった日常が乾いた音を立てて崩れてゆく……いや、この町から消えてしまったんだ、とても大切で、かけがえのないものが……。


 真綾ちゃんのいない町を、私は魂が抜けたように歩いていたんだろう、気がつけば、真綾ちゃんちへ続く坂道をトボトボと上っていた。

 いつも私を温かく迎えてくれた大切な人たちは、もうあの家にいないとわかっているのに……。


 私がそうして坂道を上りきると、そこには一台の車が停まっていた。

 見慣れた黒塗りの高級車が!

 するとその車から、運転手さんが出てくるよりも早く、血相を変えた仁志おじさんが飛び出してきた。


「花ちゃん!」

「おじさん!」


 私の名前を呼んでくれる仁志おじさんに、私は頭からダイブした。

 それからしばらくの間、大木に留まるセミのごとく、仁志おじさんに力いっぱいしがみついたまま、私は思いっきり声を上げて泣いた。

 ……たぶん、不覚にも泣いてしまったのは、真綾ちゃんとおじいちゃんにつながる人を見て安心したから。手が白くなるほど強くしがみついたのは、手を離してしまったら、この人まで消えていってしまいそうな気がしたから……。


      ◇      ◇      ◇


 仁志おじさんが大きな手で頭を優しく撫でてくれているうちに、私はようやく泣き止んだ。


「ごめんなさい……あ」


 私が謝りながら顔を離すと、大泣きする私を抱きとめてくれていた仁志おじさんの、見るからに高級そうなスーツから、ビロ~ンと、私の鼻水が糸を引いた……。


「ごめんなさい……」

「いや、いいよ、……お互い様だ」

「え?」


 再度謝った私に妙なことを言う仁志おじさんを見上げたら、私の頭から、目を真っ赤にしたおじさんの高い鼻にかけて、鼻水がビロ~ンと糸を引いていた……。


「ぎゃああああ!」


 このあと私が正気に戻るまで、十数分を要したのだった……。どんだけ粘度の高い鼻水なんだよ…………お互い様か……。




 どうも、作者です。

 久しぶりに花が登場しました。やっぱりこの子は書いていて楽しいです。

 さて、これからほんの少しだけ、日本にいる花の様子を書きますが、これからも、真綾や花のことを、温かく見守っていただけると幸いです。

 感想、ブクマ、評価、レビュー、いいねなどなど、頂けるとものすごく嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ