第一三八話 妄執の騎士と古城の乙女 四 黒騎士
バンブルク二日目――。
中州にある新市街を囲む市壁は川で途切れ、左岸旧市街に面する川沿いには、堅牢な壁の代わりに、大きな倉庫や製粉所といった民間施設、あるいは可愛らしい民家などが、市域の川上から川下まで延々と連なっていた。
『なんて平和で美しい川辺の情景なのでしょう、まるで、童話の世界のようでございますね~。ご覧ください真綾様、あちらの並びのお宅は皆、川から船で乗りつけられるようになっているみたいですよ、ヴェネツィアや近江八幡などのようでございますね』
モグモグ……。
対岸に連なる漁師の家々を旧市街側から眺めて感動する熊野、そして、さっそくパン屋で買った三日月形のパン(ヘルンヒェン)をパクつき、クロワッサンとはまた違うハードな食感に感動する真綾。
あるいは――。
『はー、こちらが市庁舎ですかー、屋台の方からお聞きしたとおり、本当に川の中に建てられていますよ。橋が市庁舎を貫通しているなんて、なんとも珍しい造りでございますね』
モッシャモッシャ……。
旧市街と新市街の間、文字どおり川の中に建てられた市庁舎を眺め、おのぼりさんよろしく感嘆の声を上げる熊野、そして、屋台で買った焼きソーセージをパンに挟み、声を上げることもなく食べ続ける真綾。
こんな感じでバンブルク観光を満喫した真綾は、何かおもしろい依頼でもないかと狩人ギルドに足を向けた。……表情にこそ出ていないものの、金ランクに昇級したことが嬉しいようである。
やがて、どこか猥雑とした雰囲気の通りに入ったところで――なんと二階の窓から、突如、半裸の男がひとり降ってきたではないか!
下着一丁のまま見事な着地を決めた彼に、二階の窓から凶猛な顔を出したオッサンが罵声を浴びせかける――。
「待ちやがれこの盗っ人野郎! ぶっ殺してやる!」
えらい剣幕だ。
「よくも俺の女に手ぇ出しやがったな! 逃げんなよ、このクソ野郎が!」
などと、青すじ立てて怒り狂うオッサンであったが、そんな彼とは別の窓から、気怠げな熟女が顔を覗かせてウインクすると、半裸の男は彼女にウインクを返してから、自分のものらしき衣類や剣などを小脇に抱えて逃げ出した。
この男、年齢は四十過ぎといったところだろうか、身長が真綾より少し低いものの異世界人としては充分に長身であり、古傷と真新しいキスマークだらけの上半身も彫像のごとく引き締まっている。また、だらしなく無精ヒゲなど生やしてはいるが顔立ちもなかなかに端正で、いわゆるイケオジというやつである。
真綾の脇を通り抜ける際に目が合ったかと思えば、やや垂れ気味の目でバチンとウインクしてくると、アルコール臭だけを残し、半裸のイケオジはスタコラサッサと走り去っていった。この場にエーリヒがいなかったことを喜ぶがいい……。
『間男ですね……』
(まおとこ?)
『ささ、真綾様、狩人ギルドへ参りましょう、金ランクにふさわしい依頼があるといいですね~』
冷ややかにイケオジの背中を見送るも、真綾から質問されるや、知る必要はないとばかりに話題を逸らす熊野……。実はこのイケオジこそ、酒場でアンコウ顔の男とその一味の命を救った功労者なのだが、そんなことに気づくはずもない熊野と真綾であった。
◇ ◇ ◇
依頼を受けるのは早い者勝ちであり、当然ながら、条件のいい依頼にありつこうと狩人たちが朝早く殺到するため、のんびり買い食いなどしていた真綾が訪れたころには、すでに狩人ギルド内は閑散としていた。
「な、なんでまた俺のところに……ああ、いやいや、こっちの話で……。か、変わった話はねぇかってことでしたね、ちょうどありますぜ。――ここんとこどうしたわけか、バンブルクの南東から北にかけてのいくつかの森で、狩人が運良く魔石を拾うってことが続いてるんですがね、人間がせっかくの魔石を放っておくわけねぇし、この周辺には魔物を襲うような獣もいねぇから、その魔石の魔物は人や獣じゃなく魔物に殺られた可能性が高いんでさ。――でね、もちろん魔物同士が争うことは皆無じゃあないんですが、結構これが珍しいことなんで、〈魔物同士の争いが突然かつ広範囲に起き始めた〉って考えるより、〈見境なく襲いかかるような凶暴な個体が発生、もしくは流れてきた〉って考えたほうが腑に落ちます」
受付カウンター越しにビクビクしながらも、昨日と同じギルド職員が真綾に何やら話していた。
ギルド内へ入るなり依頼掲示板の前を陣取った真綾であったが、ろくな依頼しか残っていなかったため、何か変わった話はないかと尋ねたのだ、一度応対してもらったことで話しかけやすそうな彼に。
「――で、魔石ってのは光を発して目立つもんで、狩人ならまず見逃すはずないんですがね、しょっちゅう狩人たちが踏み込んでるような辺り、つまり、すぐに発見されるような場所でも魔石が転がってたらしいから、誰かが前にそこを通った日と、魔石が発見された日、この情報を集めることで、件の魔物がそこにいた日を絞ることができます。それに、そいつの通ったあとは植物が枯れちまうようなんで、ルートも特定できます。――その結果、わかったんですがね、どうやらその魔物は南からやって来て、フラフラしながらも北へ移動しているらしいんでさ」
話しているうちに真綾への恐怖心が薄れたか、それとも単にこの事案を憂慮しているためか、職員は怯えるのも忘れて話し続ける。
「もちろん、『うちの管轄区域を通り過ぎるまで放っておけばいい』って声もあったんですがね、どうも、そういうわけにもいかねぇみたいなんで。……実は、発見された魔石には〈城伯級〉上位のやつも交じってまして、つまり、流れてるのは〈伯爵級〉以上かもしれねぇんでさ……。討伐するのは無理としても、そんなのが流れてるのを知っていながらウチは調査もしなかった、なんてことになると、魔物の流れて行った先に顔向けできねぇでしょう? そもそも、〈伯爵級〉以上かもしれねぇって話になれば、お上へ報告しないわけにゃいきませんが、そりゃあそれで順序ってモンがあります。てなわけで、そいつの調査と、可能なら討伐を、バンブルク狩人ギルド直々の依頼として出すことになったんでさあ」
神妙な面持ちで語るギルド職員を見て真綾は思った、その魔物を放置しているうちに、可愛らしいモフモフや幼児、あるいはお年寄りが、かわいそうな目に遭ってしまうのではと、今こそ自分の出番ではないかと――。
「私が――」
「あ、サーセン、もう受注済みです」
「……」
サックリと断る職員、そして、せっかくの出番を失って口をつぐむ真綾……。
「ほんっとーに、スンマセン。実はしばらく前から、このバンブルクに金ランクの狩人が来てましてね、〈黒騎士ヘルマン〉ってぇやつなんですが、そいつに依頼を受けてもらったばかりなんでさ。サーセン」
いかにも申しわけなさそうに謝る職員であったが、彼が口にした聞き捨てならぬワードに熊野と真綾は食いついた。
『黒騎士!?』
「黒騎士……」
……そう、花から借りた小説のいくつかにおいては、主人公のライバル的ポジションだったり結構な重要キャラだったりする、あの、〈黒騎士〉である。
いきなりこんなパワーワードを聞いて、すっかり花に感化されているこのふたりがテンションを上げいでか……。
その一方、真綾の口をついて出てしまった言葉を聞いて、職員は――。
(ああ、貴族のお嬢様はこの隠語を知らねえか)
――などと、下々の事柄に暗いだろうお嬢様に説明しようと考えた。
「あーたしかに聞こえだけはちょっとカッコいいんですがね、〈黒騎士〉ってのは俺らの隠語で、〈主を持たない貧乏騎士〉のことを指すんでさ。――ご存じのとおり甲冑を修理するには金がかかりますが、どこにも仕えてねぇ騎士崩れにゃあ当然そんな金はありません、で、連中は甲冑を黒く塗ることで傷やへこみをごまかしているから、俺たちゃ連中のことを黒騎士って呼んでるんでさ」
世知辛い真実であった。
『なんとも世知辛い……』
「…………」
黒騎士というものに抱いていた夢をぶち壊され、熊野と真綾はちょっと沈んだ。
すると、言葉を失っている真綾を見て、依頼の完遂を憂慮していると誤解した職員は、慌てて黒騎士ヘルマンなる人物のフォローを始めた。
「ああ、でもご安心ください、黒騎士なんつっても、ヘルマンは金ランクになるほどの強者ですから。……たしかにまあ、昼間っから酔い潰れているような飲んだくれですが、魔物を前にしたとたんシャキッとします。……まあ、いっつもソロなんで、そんなところ誰も見ちゃいねえんですがね。それに、魔物より女のケツを追っかけ回してるほうが多いクズなんですが……いやいや、それでも、〈城伯級〉上位の魔物をソロで確実に仕留められるやつなんざあ、金ランクの狩人としても別格でさ。……まあ、そうやってせっかく手に入れた大金も、あっと言う間に酒場と娼館で使いきっちまうんですがね……」
フォローを入れていたはずが、職員の声は途中で何度もトーンダウンしていく……。大丈夫か? 黒騎士ヘルマン。
「いやいやいや! ヘルマンなら必ず魔物の正体を見極めてくれます! それでもし、狩人じゃ討伐できねぇ相手だと判明しても、うちのご領主様に調査結果を報告すりゃあ、きっとなんとかしていただけまさ。――まあそんなわけなんで、本当に申しわけねぇんですが、今回は諦めてくだせえ」
自分の不安を振り払うように何度も首を横に振ると、職員は今回の依頼が完遂されるだろうことを断言し、あらためて真綾に謝った。
こうまで言われては真綾も引き下がるしかなく、どこか不完全燃焼な気持ちを抱えたまま、狩人ギルドをあとにした。
ちなみに、真綾は狩人ギルドから出る際、玄関口で昨日の若ハゲと天パにバッタリ出くわしたのだが、怯えるふたりを交互に何度も信楽焼の狸へと変え、泣いて命乞いするほどに追い詰めてから立ち去ったのは、活躍の場を失ったことへの腹いせに違いない……。




