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第一三六話 妄執の騎士と古城の乙女 二 バンブルクの玉ねぎ



 坂道を下りきったあとも川岸まで続く市壁沿いに歩いていた真綾は、やがて現れた門を抜けて市内に入った。

 その際も、例によって例のごとく貴族応対役が出てきたが、面倒な質疑応答などもいっさいなく、真綾に挨拶しただけですんなり通してくれたのは、西門から知らせを受けたためだろう。ついでにグルメ情報を教えてくれたのは、エーリヒの指示に違いない。

 と、いうわけで――。


『なるほど~、こちらがこの都市の名物料理、バンブルガー・ツヴィーベル(バンブルクの玉ねぎ)ですか~』

「いただきます」


 脳内で呑気な声が響くなか、真綾はバンブルクの名物料理を前に、お行儀よく両手を合わせた。

 素朴な木皿の上にデデンと載っているのは、玉ねぎの丸焼き……いや、その玉ねぎに収まりきらず上から飛び出ているのは挽き肉だ。この料理、平たく言えば玉ねぎの肉詰めなのである。

 オーブンでじっくり焼かれた玉ねぎと挽き肉、さらにハーブや香辛料、そして少し香ばしいソース、それらの匂いが混然一体となって食欲をそそり、もはや真綾は辛抱タマラン状態であった。

 庶民の酒場にカトラリーなどあるはずもなく、店員が持ってきたのはゴツいナイフ一本だけだったため、さっさと【船内空間】からマイカトラリーを取り出すと、彼女は肉詰め玉ねぎを優雅に食べ始めた。

 その感想は――。


「…………」


 ……相変わらず黙食モードに入っている真綾に代わり、彼女と味覚を共有している熊野さんの感想を聞いてみよう。


『ハーブと香辛料のおかげで肉の臭みもございませんし、よく火の通った玉ねぎの甘さとジューシーな肉の旨味に、ソースの独特な風味が加わって、とてもおいしいです。若干の苦味と燻製のような風味があるこのソースは……なるほど、ここの名物である燻製ビールを使ったソースですね!』


 さすがは熊野、見事な解説だ。

 さて、レストランなどというものが未だ存在しないこの国では、外食といえば宿の食堂か酒場、さもなくば市場に並ぶ屋台、そのくらいである。

 それでは、真綾が黙々と食事しているこの店内、黒く塗られた木組みと白い漆喰壁がイイ味を出しているここは、いったいどこなのだろう?

 実は前述のとおり、門の役人がグルメ情報を教えてくれたわけだが、〈バンブルガー・ツヴィーベル〉なる肉詰め玉ねぎと〈燻製ビール〉、このふたつの名物をどちらも味わえるオススメの店として、燻製ビールの醸造所兼酒場であるここを教えてくれたため、真綾は脇目も振らずやってきたのであった。……無論、いくら彼女でもビールを飲む気はさすがに無いので、コンプライアンス的に問題ない。

 ともかく、ここは酒場なのだが、現在の時刻は昼の二時くらいである。これは農民にしろ都市住民にしろ働いている時間であり、こんな時間に酒場で飲んだくれているような者など当然いるはずもなく、いたとしたら――。


「おやあ? ――アニキィィ! こんなところにハクいスケがいましたぜ!」


 いた! どうしようもないクズどもが……。

 ここの店員はわざわざ気を利かせ、死角になる席へ真綾を案内してくれたのだが、そこからかなり離れた席では、すこぶるガラの悪い四人組が真っ昼間から管を巻いていたのだ。

 そしてそのひとり、ヒラメのような顔をした男が、陶製のビアマグ片手に意味もなく店内を徘徊し始め、とうとう真綾を見つけてしまったというわけである。


「おおっ! マブでハクいじゃねえか!」

「アニキ、マブっすよ!」


 ……などと、ヒラメの声を聞いてやってきた仲間たちが真綾を見るや興奮し始め、自分たちのリーダー格らしき男を手招くと、その男はアンコウのごとき顔にゼラチン質の笑みを浮かべて立ち上がった。


「ハクいスケだってぇ? おいおい、マブかよ、〈城伯級〉の魔石を拾ったばかりだってのに、今度はハクいスケとお近づきになれるなんてよお、俺たちにも運が回ってきたってことかあ? もうイケイケだなぁおい。――どれ、マブでハクいかどうか、この俺様が直々にジャッジしてやんよ」


 謎の翻訳システムの登録語彙はいささか古いのでは……ともかく、舌舐めずりしながら真綾の席へと歩き出すアンコウだったが――。


「ヘッヘッヘェ、俺はケツとパイオツのでけぇスケが好み――」


 ビタン!


 ――お下劣なことを言っている途中で何かにつまずいたか、いきなり盛大につんのめると、それはもう勢いよく顔面から着地した。


「ッテェェェ! ――クソッ! テメェ、何しやがる!」


 あまりの痛みに絶叫したあと、鼻血を垂らしながらも身を起こしたアンコウは、テーブルに突っ伏して眠る四十がらみの男を、親の仇でも見るような目で睨みつけた。……そう、ちょうど横を通りかかった時に突然その男が足を出してきたせいで、アンコウはこんな目に遭ったのである。

 しかし、アンコウの怒声などなんのその、だらしなく無精ヒゲを生やしたその男は、なおもテーブルに突っ伏したまま酒くさいイビキをかき続けた。


「ンガアァァァァ……」

「テメェ、寝たフリすんじゃねえ! 眠ってる野郎がこんな絶妙なタイミングで足を出せるかよ! おいオッサン、この落とし前、どう……」


 当然ながらアンコウは激高してさらに声を荒らげたが、ヨダレを垂らして眠る男の顔を睨みつけているうちに、どうしたわけか、真っ赤だったアンコウ顔が見る見る青ざめてゆくではないか……。


「……おいテメェら、河岸を変えるぞ」

「へっ?」

「グズグズすんな! 早くしやがれ!」

「へ、へいっ!」


 そして、ついには手下どもを引き連れ、逃げるようにして店から去ってゆくアンコウであった。

 一方、そんな騒動などまったく気にかけることもなく――。


「おかわり下さい」


 ――きれいに食べ終えたかと思えばアイコンタクトで店員を呼び、ふたたび同じ料理を注文する真綾……。ハクいスケはどうやら、バンブルガー・ツヴィーベルを気に入ったようである。


      ◇      ◇      ◇


 ギルドやツンフトといった組合はその都市限りの組織であり、当初は狩人ギルドも同じであった。……当然である、領地や国家の枠を超越した巨大組織など、権力者たちが許すはずないのだから。

 しかし、魔物の発生状況などにより都市間を流動しがちな狩人が、移動のたびに登録し直さなければならないのでは、いささか彼らの負担が大きく、また、下級魔物の討伐などを彼らに任せている貴族としても、非常時に遅滞なく呼集できないのでは都合が悪いため、〈登録した狩人ギルドの属する領邦内に限り、ひとつの会員証だけで通用する〉ことになった。

 謎の認証システムや高速情報ネットワークが存在しないのに、会員証を共通にして大丈夫なのだろうか?

 実のところ、狩人ギルドは狩人からの年会費などアテにしておらず、獲物売買のマージンや依頼仲介料で運営されているため、登録時に会員証の原価以上の登録料を貰ったあとは、ちゃんと依頼をこなし、魔石や鳥獣などを持ち込んでくれさえすればいいのだ。

 また、会員証であるメダルを見てわかるのは、狩人としてのランクと所属する領邦くらいで、はなから身分証明証たりえないため、盗んだ会員証で他人に成りすまして悪事を働く、などということもできないし、自分より上級の狩人の会員証を入手し、身の丈に合わない依頼を受けたところで、最後に痛い目を見るのは自分であり、ギルドとしてはさして困らない。

 原始的なシステムであるがゆえに、リスクも極限されているのだった。

 ともかく、ギルド会員証は登録した領邦内でのみ有効である。

 と、いうことは……。


「た、たしかに、レーン宮中伯領のギルド会員証で間違いありません。……あのう、本当にウチで会員登録なさるんで?」


 真綾のギルド会員証を恐る恐る受け取って確認したあと、コワオモテのオッサン職員がおずおずと聞き返した。

 ……そう、真綾が会員登録した都市はバーデンボーデン、そしてここはバンブルク、つまりレーン宮中伯領から皇帝直轄領へ移動したため、彼女はここでも会員登録すべく狩人ギルドへやって来たのだ。……無論、お約束イベントを期待する熊野の提案によって。


「はい」

(な、なんだよこの威圧感、絶対に城伯以上の貴族じゃねえか……。それに、何十年と狩人をやってきた俺にはわかる、この女はヤベぇ、数えきれねぇほどの魔物を殺してきたに違えねぇ。どんな地獄を見てきたら、こんな目ができんだよ……)


 頷く真綾の凍てつくような双眸を見上げつつ、ギルド職員は逃げ出したい衝動と必死に戦っていた。

 バーデンボーデンの狩人ギルドで判明したが、この世界の狩人ギルドには可憐な受付嬢など存在せず、狩人を引退したイカツいオッサンばかりが職員をやっている。無論、それは真綾の相手をしているこの職員とて例外でなく、なまじ魔物との死闘の日々を生き抜いた猛者であったがため、ギルドに入ってきた真綾を目にした瞬間、彼は悟ってしまったのだ、彼女が尋常じゃなくヤバい子であると……。


「……わ、わかりました。それじゃあ、ランクは銅のままで?」

「?」


 真綾の実力を金ランクと踏んだ職員が、わざわざ気を利かせて聞いてくれる一方、本人は相手が何を言っているのかわからず、わずかに小首をかしげた。

 相手の目を見て会話するよう育てられたため、彼女は今もそうしているのだが、氷の視線でじっと見据えたまま無表情に首をかしげたものだから、職員のほうからすれば、相手の機嫌を損ねたような気がして堪ったものではない。

 彼は口から出そうになった悲鳴を呑み込みながらも、狩人ギルド職員としての矜持を見せることにした。


「……あ、あなた様ほどの強者が銅ランクってこともねぇでしょう、昇級試験を受けてもらうことにゃあなりますが、銀でも金でも、実力に見合ったランクで登録することができますぜ。もちろん昇級したら年会費も上がっちまいますが、より大きい依頼を受けられるようになるんで、損にはならねぇはずです」

『昇級試験!? ――昇級試験でございますよ真綾様! とうとうやって来ましたよ、あの定番のイベントが! 期間の縛りもなく昇級試験を受けさせていただけるなんて、さすがは実力主義社会でございますね! どうせですから、ここはひとつ、最高位の金ランクを目指してみましょう!』

(やったるで)


 職員の口から昇級試験という言葉が出たとたん、熊野のテンションは爆上がりし、真綾も俄然やる気を出した。何しろ昇級試験といえば、花から借りたどの小説にも出てくるお約束イベントなのだから、この反応も当然である。


「どうしま――」

「受けます」

「……そ、それじゃあ、試験日はいつがいいですかい? 今からでもでき――」

「今から」


 職員にしゃべり終える間も与えることなく即答する真綾。……彼女は欲望に忠実な女なのだ。


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