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第一三五話 妄執の騎士と古城の乙女 一 バンブルク



 単純な方形や円形の都市はアニメなどでよく見かけるが、実際の都市というものは、平らな土地の計画都市を除き、市域拡大や地形の影響を少なからず受けた形状であることが多い。

 移動宮廷時代における皇帝都市のひとつ、バンブルク――。

 レカヴィッツ川左岸にある七つの丘から広大な中州にかけて広がるこの古都は、中州にある新市街こそ水堀と市壁で単純な形に囲われているものの、丘が連なる左岸旧市街は、都市内外の区別がつきにくい場所もあるほど複雑な形状をしていた。

 その旧市街にある丘のひとつ、大神殿の丘は、周囲を堅牢な壁や建物外壁などで囲われ、壮麗な大神殿や城館などが立ち並ぶ重要区画になっている。

 この日、その大神殿の丘を守る西門の前に、一頭のリントヴルムが舞い降りた。

 エーリヒの相棒、ゴルトだ。


「ほれ到着じゃ。……なんじゃマーヤ、また見ておったのか」


 ゴルトの背で後ろを振り返ったエーリヒは、己が手元をじっと見つめているマーヤに気づき、一瞬だけ目を丸くしたあと、彼らしくもない柔和な眼差しで彼女に声をかけた。


「うん……」


 すると真綾は、自分の両手にあるふたつの宝物を見つめたまま、小さな声で返事した。

 彼女の左手にはちっちゃいマーヤから貰った宝石(キレイな石ころ)、右手にあるのはヨーナスがくれた最強の剣(イイ感じの棒)、これらは、真綾を姉と慕うふたりからの餞別であった。

 ……そう、熊野丸での祝賀会から三日後にあたる今日、彼女は朝早く、あの葡萄畑を旅立ったのだ。


「なあに、今生の別れということでもあるまい、また帰ってくればよいことじゃ。――ほれ、そろそろ降りるぞ」

「うん」


 ことさら明るい声で言うエーリヒに、真綾は短い言葉を返すと、ふたつの宝物を【船内空間】へ収納した。必死に涙を我慢していたヨーナスと、無言で足にしがみついていたマーヤ、そんなふたりのいじらしい姿を、心の奥にある宝物入れへとしまい込むように。

 そうやって真綾たちが大地に降り立ち、ゴルトが召喚解除されてゆくころには、高価そうなお仕着せに身を包んでいる役人がひとり、ふたりの応対をすべく門の前でスタンバイしていた。

 こうしてリントヴルムに乗ってきたうえ、今日のエーリヒはいつぞやと違い、立派な貴族衣装を身に纏っているため、見張りや役人も迷うことなく動けたのだろう。


「どれ、面倒くさい手続きなどはわしが済ましてくるゆえ、マーヤはゆるりと下町を見てくるといい、この丘の麓と川向こうがそうじゃ。このバンブルグはの、食い物がうまいことで有名じゃぞ」

「行ってきます」


 緊張気味な役人をクイッと一度アゴで指してから、エーリヒが下町観光を勧めるや、間髪を入れずスタスタと歩き始める真綾。……食い物がうまいと聞いてしまったのだから致し方あるまい。

 異世界グルメを目指して遠ざかりゆく彼女の背中に、エーリヒは慌てて声をかけた。


「マーヤー! 今日はこの中にある貴族用の宿に泊まるからなー! ここで名乗れば宿まで案内してくれるゆえ、暗くなる前には帰ってこいよー! 見知らぬ者が食い物で誘ってきおっても、絶対に付いていってはならんぞー! それから、妙な男が色目を使ってきおったら即殺せ! 容赦なく殺せ! わしが許す! くれぐれも、くれぐれもじゃぞー!」


 何が「くれぐれも」か……。ともかく、年頃の孫娘を異様に心配する老人の物騒な言葉に、道ゆく人々がギョッと振り返るなか、真綾は振り返ることもなく、グッとサムズアップして歩き続けるのであった。

 そんなふたりのはるか頭上では、うまく風を捉えた大鴉が一羽、昔日のクロのようにのんびりと旋回していた。


      ◇      ◇      ◇


 大神殿の丘の西門は山の手エリア、つまり、川沿いの下町よりも小高い位置にある。西門から壁沿いに北へ少し歩いたところで壁が右に折れ、それに沿って下町へ続いているらしき坂道が現れたため、真綾はその坂道を下ることにした。

 しかし、大神殿の丘の壁を右手に見る形で坂道を下り始めると、坂の左側にあった家並みはすぐに途切れ、なんと、農地の広がっている光景が見えてきたではないか。

 ゴルトの着陸した西門前が神殿や家々に囲まれた広場であり、そこから伸びるいくつかの通りにも建物が立ち並んでいたため、さすがの熊野も、すでに市内に入っているものと思い込んでいたが、壁の北側に広がるこの牧歌的な風景を見るに、どうやらここは都市の外にあたるらしい。


『……この坂道は市壁の外側に沿っているようですね、あの門の前が立派な町に見えましたので、すっかり都市の中にいるものと勘違いしてしまいました。都市の外に市域が拡大したということでしょうか? うーん、複雑な――あら? あちらの方、あんなに重そうなお荷物を……』


 坂道を半分ほど下った辺りだろうか、真綾の脳内でブツブツ言っていた熊野は、坂道を上ってくるひとりの老人を見つけた。

 ひと目で農夫だと見て取れるその老人は、山ほど野菜の入った大きな籠を背負っているのだが、この長い急坂を老人が上るのは手ぶらでさえキツかろうに、ましてやあんな大荷物を背負って上るなど、過酷労働もいいところではないか。

 それを真綾が看過するはずもなく、風のように坂道を下り――。


「荷物を」


 老人の前に立ち塞がるや、彼女はお手伝いを申し出た。

 だが……。


「…………こ、これは、わしが丹精込めて作った野菜で……」

「……」


 前頭部から頭頂にかけて見事にハゲ上がったその老人は、恐る恐る真綾を見上げて大きく目を見張ったかと思えば、小柄な体をプルプルと震わせつつも、消え入りそうな声でささやかな抵抗の意思を示した。

 その反応を見て真綾は少なからずヘコんだようだ。……まあ、雲を衝くような大女が急に立ち塞がり、荷物をよこせと無表情に言ってきたのだから、彼が怯えてしまうのも致し方あるまい。


「……代わりに運びます、重そうだから」

「…………ああ! これはとんだ勘違いを! すまんのう、わし、てっきり、追い剥ぎか新種の巨人かと……」

「…………」


 口下手な真綾の精一杯の説明によりその意図を理解すると、心から申しわけなさそうに謝る老人だったが、余計な言葉を足したがために、ふたたび真綾をヘコませてしまうのであった。


「いやはや、こんなに気立てのいい娘さんを追い剥ぎや魔物と間違うとは、わし、なんて間抜けなんじゃろうか。――それでは、お言葉に甘えてもいいかな?」

「はい」


 ハゲ頭をペチンと叩いて反省した老人から、真綾はようやく背負い籠を受け取ると、下ってきた坂道を戻り始めた。

 老人を気遣いながら歩く長身の真綾と、そのとなりをヒョコヒョコと歩く小柄な老人、なんと微笑ましい光景だろうか。無論、これしきの荷物など真綾にとっては無きに等しく、やがてふたりは無事に坂道を上りきった。


「ありがとう、おかげさんで楽ができたよ。疲れたじゃろう? さ、荷物を」

「まだ運びます」


 老人は坂の上まで来ると人懐っこい笑顔で礼を言ったが、敬老精神に富む真綾としてはもう少し手伝いたい。

 そんな彼女の決意を聞いた老人は、さも嬉しそうにニコニコと笑いつつも首を横に振る――。


「いやいや、そこまでしてもらっては神罰が下るよ、ここからはたいして歩かんから大丈夫。それにのう、この年になるとな、毎日こうして体を動かしておかんと、心も体もすぐに萎えてしまうんじゃよ。――さあ、わしの長生きのためと思うて」

「……はい」


 思えば、亡き祖父も同じようなことをよく言っていたものだ……。さすがの真綾も長生きのためと言われてはしょうがない、素直に、しかし細心の注意を払いつつ老人に籠を背負わせると、最後にそっと手を離した。

 その後、老人からお礼にと野菜を貰った真綾は、笑顔で見送ってくれる彼を何度も振り返りつつ、巻きの緩いキャベツのような野菜と、ほんのかすかに緩んだ頬とともに、あの坂道をふたたび下っていくのであった。


      ◇      ◇      ◇


 真綾の姿が見えなくなるまで見送った老人は、よっこらしょと荷物を背負い直すと、温かくなった気持ちを胸に歩き出そうとして――足を止めた。

 古くからの友人の姿を、すぐそこに認めたのだ。

 老人の古い友人というからには、古びたフード付きローブを身に纏っているその人物も、もちろん彼と同じく老人である。


「今日も精が出ますなあ……おや? なんぞ良いことでもありましたかな? えらく嬉しそうな顔をしとりますが」

「エッカルト、わし、そんな顔をしとるかのう?」


 真っ白なヒゲを長く伸ばしたその友人は、籠を背負っている老人に気の置けぬ様子で話しかけると、すぐに少しだけ目を丸くして問うたが、老人は機嫌の良さを微塵も隠しきれていない表情のまま、その問いに問いで返した。

 すると、問い返されたほうの頭が、ゆっくりと二回ばかり縦に動く。


「うんうん、しとるしとる。お前様は昔からすぐ顔に出ますからな」


 友人もまた、何かおもしろい話が聞けると思ったのか、あるいは、古き友に吉事があっただろうことを喜んでいるのか、どこか品の良いその表情は実に楽しそうだ。

 老人はそんな友人に、良い気分のお裾分けをしてやることにした。


「いやあ、実はのう――」


 そうして彼は、先刻出会った優しい娘の話を友人に聞かせつつ、足取りも軽く歩き始めるのであった。

 西門へと続く壁沿いの道を仲良く並んで歩く老人たち、この光景を真綾が見たなら、きっとご飯三杯はイケたことだろう。


      ◇      ◇      ◇


 老人の手伝いを終えた真綾が坂道を下っているころ、エーリヒはとある建物内の大広間で片膝をつき、恭しく頭を垂れていた。

 そんな彼に鋭い眼光を向けているのは、つば広帽を目深に被ってマントに身を包んだ隻眼の老人。その足元には二匹の狼、肩には大鴉が一羽、……そう、今ごろは皇帝とともにエーリカの行列を護衛しているはずの、ハッケルベルクであった。


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