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第一三二話 旅立つ前に 一五 アジ止めし者



 アンナのお説教タイムもつつがなく終わり、シュタイファー伯はお咎めなし、コロニア伯は川港整備への資金提供と、酔っ払いたちの処分もやんわりと決まり、やがて、鏡の間に穏やかな空気が戻ったころのことだ、宮中伯ゾフィーアが列席者たちを集め、何やら真剣なお話を始めていた。


「皆も知ってのとおり、先月、エーデルベルク市街において放火による火災が発生しましたが、その放火犯らを捕らえたところ、首謀者はナハツェーラーでした。また、シュタイファー伯の調査により、先代のバーデンベルク城伯は殺害されていたものと判明しましたが、その犯人もナハツェーラーでした」


 その発言を聞くやざわめき始めた人々をよそに、ゾフィーアは続ける――。


「それだけではありません、皇帝陛下は未だ隠しておいでのようですが、一か月ほど前に第一皇女殿下の還啓行列が襲撃され、ロイエンタール伯を始め護衛全員が討ち取られていたようです」

「なんですと!?」

「第一皇女殿下が!?」

「あのロイエンタール伯率いる護衛部隊が、全滅……」


 まさに爆弾発言、ゾフィーアの発表に鏡の間は騒然となった。無理もない、帝国の希望たる第一皇女が襲撃されたことも衝撃なら、武名高きロイエンタール伯の部隊が全滅したこともまた、彼らにとって衝撃であったのだから。


「ロイエンタール、善き男であった……」


 ……と、なかでもグーデンスブルク伯が沈痛な面持ちなのは、ロイエンタール伯と個人的な交流があったゆえだろう。


「閣下、たしか今、皇帝陛下直々の護衛のもと、第一皇女殿下の馬車行列がグライフスブルクへ向かっているはずですが、第一皇女殿下はご無事でいらした、という理解でよろしいのでしょうか?」


 真剣な表情でゾフィーアに問うたのは、すっかり酔いも覚めて凛々しさの戻ったシュタイファー伯だ。

 彼女に紫の瞳を向けると、ゾフィーアは淑やかに頷いた。


「ええ、不幸中の幸いにも、第一皇女殿下と護衛女官一名だけは帝都へご帰還されたようですから。――さて、問題はここからです。わたくしが聞いたところによれば、襲撃犯はナハツェーラー化した護衛たちであったと……」

「ナハツェーラーが集団で!?」

「あれが同時に、しかも特定の集団内だけに大量発生するなど、ありえん……」


 さらなる爆弾発言を投下されてざわめく人々。コロニア伯もカイゼル髭をピンと立てて驚き、グラーフシャフト伯は眉間に皺を寄せて考え込んだが、そんな彼らの反応を確かめつつゾフィーアは続ける――。


「そう、本来ならありえないことですが、エーデルベルクの放火犯に聞いたところ、人をナハツェーラーに変えてしまう秘薬が開発されたのだとか」

「人をナハツェーラーに!?」

「神への冒涜だ!」

「なんておぞましい……」


 絨毯爆撃とはこのことか……。ゾフィーアにより爆弾発言が投下されるたび、人々はおもしろいように炎上していった。


「あんなものが領内で大量発生したらと思うと、鳥肌が立ちますわ……」


 屍食鬼というものを毛嫌いしているノイエンアーレ伯が、細い両腕をさすって身震いした――その時、それまで黙って聞いていた前宮中伯ラインハルトが、知的な光を双眸に輝かせつつ最後の爆弾投下を開始した。


「これが恐ろしいのは、ナハツェーラーの大量発生だけに留まらんのだ。捕らえたナハツェーラーの供述によれば、作り出したナハツェーラーを従わせる術があるそうでな、つまり、意のままに動く〈城伯級〉の集団を作り出すことが可能なのだ。しかも、ナハツェーラーは人と同じくカノーネを使うことができる。……大量生産したナハツェーラーすべてにカノーネを持たせたら、どうなると思う?」

「〈伯爵級〉の攻撃力を持った軍勢のできあがりじゃの。なるほど、各国で〈伯爵級〉の魔石が買い占められておったのはそのせいか……。仮に千の軍勢を作ったとしたら、帝国におる全伯爵家当主とその守護者を合わせた数の――ざっと一〇倍にはなるのう」


 ラインハルトの問いに飄々と答えるエーリヒ。この古き親友同士ふたりの会話は、奇しくも、かつて花が立てた仮説と同じものであった。


「うむ。現に、第一皇女殿下を襲撃したナハツェーラーどもは、カノーネで武装しておったと聞く。……よもや信頼する家臣たちが、それも、城伯以上にしか使えんカノーネで攻撃してこようとは、さすがのロイエンタール伯でも予想できんかったはずだ。さぞかし無念であったろうな……」


 強力な〈伯爵級〉の攻撃力を持つ軍勢を作らんと画策する者がいる――。最後に投下された爆弾の威力はあまりに大きく、ラインハルトの酷薄そうな顔に同情の色が滲んだころ、鏡の間は鉛のように重い静けさに包まれていた。

 その静けさを、音楽のような美声が破った。


「エーデルベルク放火とバーデンベルク城伯殺害、そして第一皇女殿下襲撃、これらに接点が無いと考えるほうが無理ですわね。人をナハツェーラーに変える秘薬を開発するにしましても、高価なカノーネを大量生産するにしましても、一貴族の力くらいではとても不可能でしょう。これは、かなり大きな勢力が、国境を越えて暗躍しているのかもしれません。……湖の乙女様とクラリッサ様によって守られた安寧を脅かすなんて、決して許せませんわ」

『うん』


 上品な美貌に怒りを滲ませているのはフライスガウ伯、そのとなりで水色の瞳に決意の火を灯したのは、彼女の同伴者フロスヒルデだ。

 姉妹のようにも見えるふたりの言葉に、ゾフィーアは真剣な面持ちで頷く――。


「そうですわね。――思えば、シュタイファーを襲撃したというワイバーンもその勢力が差し向けたものかも……いえ、それだけではなく、他の諸侯たちが公にしていないだけで、この帝国中で異変が起きている可能性もあります」

「この時期に帝国中で……。宮中伯閣下、その勢力とやら、もしや件の……」


 一度シュタイファー伯を見やってから続けたゾフィーアの言葉に、グーデンスブルク伯が重々しく反応を見せると、宮中伯たる彼女は紫の瞳で彼を見据え、咎めるようにゆっくりと首を横に振った。


「浅慮でございました……」

「敵勢力の正体については軽々と口にしないほうがいいでしょう。――ともあれ、人をナハツェーラーに変える者が暗躍していることは確実ですから、まずは皆、領内はもちろん家中にも目を光らせるように。各々の居城にある礼拝堂を使えば、家中の者がナハツェーラー化していないか判別できるでしょうし、聖水を使うのもいいでしょう。領民らにも定期的な神殿参拝を推奨し、また、血色の悪い者や眼球が濁っている者、冬の弱い陽光でさえ厭う気配を見せる者は、速やかに神殿で判別するように。……ただ、ナハツェーラーらしき特徴が見られたとしても、病気の者や光に弱い体質の者もいるでしょうから、ナハツェーラーだと確定しない限り、決して粗雑に扱ってはなりません、これは厳守なさい」


 目礼して謝るグーデンスブルク伯に目礼で返すと、ゾフィーアは己を領袖と仰ぐ貴族たちに視線を配りつつ、バーデンベルク家の悲劇を繰り返さぬよう忠告した。

 魔女狩り的な狂乱を避けるため領民にも気を配るあたり、ただの困った子ではないらしい。


「フライスガウ伯の言葉どおり、この地の安寧を脅かす者を決して許してはなりませんが、国境を跨いで暗躍する大勢力と戦うためには、皇帝陛下や帝国諸侯たちはもちろん、各国の協力が不可欠です」


 神妙な面持ちで耳を傾ける貴族たちに、宮中伯としての威厳をもって語るゾフィーア……。


「しかし、同じ国の貴族同士でさえ一枚岩とはいかず、腹の探り合いをしているような現状では、各国が真に手を携えるなど夢のまた夢……。それでは、このまま座して敗北を待てばいいのでしょうか?」


 ……おや?


「クラリッサ・フォン・ラーヴェンヴァルトは死にました……。今から百年ほど前、空と大地を埋め尽くす魔物の軍勢からこの地を守るため、たったひとり湖の乙女様とともに戦った、クラリッサ・フォン・ラーヴェンヴァルトは、幸福な未来が待っていたであろう可憐な乙女は、その尊き命を落としました……。もう一度言います、このまま待てばいいのでしょうか? 湖の乙女様と勇敢なる乙女によって守られたこの地が、我らの愛する故郷が、悪しき者どもの軍勢によって蹂躪されるその日を。――我らは敗北をただ待てばいいのか、否! 断じて否である!」


 おやおや?


「だからこそ我らには必要なのだ! 諸王の上に燦然と君臨し大陸全土をあまねく照らす太陽、最上無二の強者にして悪神悪竜より人類を守護しうる唯一の希望、本物の皇帝が!」


 途中から何やら演説じみてきたかと思えば、とんでもない発言をしてしまうゾフィーア……。聞いている者の大半が顔を青くしているし、ラインハルトに至っては青を通り越して真っ白になっているが、致し方あるまい、今の発言、皇帝へ反旗を翻したと受け取られてもしょうがないのだから。

 ……そう、ゾフィーアはこれを狙っていたのだ。敬愛するマーヤ様を諸王さえ統べる帝位に就け、自分はその腹心として傍にはべり続けることを! カールお兄様が一緒ならなおヨロシ……。ゾフィーアは恐ろしい子であった。


「そのためにこそ、宮中伯家は最果ての地より――」

「あのう……」

「……」


 この場に真綾の実力を疑う者など存在しない今、宮中伯陣営における主立った面々の前で宣言し、既成事実化することで、なし崩し的に真綾を帝位に就けようとしたゾフィーア……だったが、その思惑を察知した熊野が見事に遮った。


「…………いかがなさいました? クマノ様」


 相手が父親くらいならそのまま話し続けるゾフィーアも、高位の女神と思わしき熊野を無視することはできず、不本意ながら演説を中断するしかないのであった。


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