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第一二六話 旅立つ前に 九 晩餐会



 鏡の間奥の壁中央に飾られた三女神の大レリーフ、そのレリーフを挟んで左右に立派な扉がある。その向こうがそれぞれ八畳ほどの間になっており、その奥にあるアール・ヌーヴォー様式のガラス扉を抜けた先こそ、熊野丸が誇る一等大食堂だ。

 白大理石と鏡をふんだんに使い明るい印象だった鏡の間とは一転し、この一等大食堂では、暗い色調の高級木材が主な内装材として使われているため、どこか厳粛な、落ち着いた雰囲気がある。

 その一等大食堂に、この日、異世界の客たちが着座した。


「自然に椅子が引かれるなんて、なんとも便利ですわね」

「わたくしの守護者はポルターガイストですから、これだけなら驚きませんけど、さすがにこの数は異常ですわ……」


 百脚近い椅子が勝手に動いたことを驚く者――。


「いやはや、これはまた、立派な大食堂ですな」

「鏡の間にも驚かされましたが、ここはまた趣が違って素晴らしい内装ですな。私などはこちらのほうが落ち着きます」


 ――内装の見事さに舌を巻く者。

 そんな人々に交じり、予想を大きく外した男の姿があった。


(立食ではなく、全員を着席させただと!? しかも、百人近くがこれほどゆったり座っているというのに、まだまだ余裕があるではないか! こんな広い食堂、うちの城にだって無いぞ! それに、みすぼらしいどころか、この椅子や魔導照明といい、内装といい、宮中伯の城よりも豪華ではないか! こ、この食堂にも、とんでもない金がかかっておるぞ……)


 コロニア伯、呆然……。

 そのとなりでは、鏡の間からの移動中に元気を取り戻していた夫人が、今や愕然とした表情でテーブル上を見下ろしている。


(な、なんなのよ、コレ……)


 彼女の視線の先には、ナプキンの載った飾り皿が――。


(このお皿、東方の磁器……それも、ティエール宮殿に飾っていたものよりも見事な、名品中の名品じゃないの。こんな国宝級のお皿を百枚近くも……)


 有田の名品を前に驚くコロニア伯夫人……ではあったが、彼女を愕然とさせている原因は別のことであった。


(……いえ、現実逃避はやめておきましょう。なんなのよ、このカトラリーの異常な数は……)


 ……そう、飾り皿を囲むようにして、大量のカトラリーが整然と並べられているのだ。


(この帝国ではカトラリーをまともに使えない貴族が多いから、セファロニア流の華麗な所作を披露すれば皆様の尊敬を集められる、そう思ったからこそ、アタクシも気を取り直していたのに、こんなの、何をどう使えばいいのよ!? 数が多いうえに、フォークらしきものの形からして全然違うじゃない!)


 彼女が混乱するのも無理はない、文化先進国を自負するセファロニアでさえ、招待する側が気前よくカトラリーを用意したとしても、ひとり一本ずつというのが常識であり、また、フォークにしても、二又で真っすぐな原始的形状が定番なのだから。


 さてここで、失意の夫婦のことはいったん置き、本日のテーブル配置について説明しておこう。

 大食堂の入り口から見て正面奥、上手側に、メインテーブルが横向きに置かれ、そこに主催者であるエックシュタイン家と主賓である宮中伯親子が、会場を向いて横並びに着座している。現代日本における宮中晩餐会のそれが近いだろうか? 向かって左から、エーリヒ、アンナ、ゾフィーア、カール、ラインハルト、そして空席の順で、ちょうど両家の現当主同士が中央で並ぶ形だ。

 そのメインテーブルに対して直角の向きで、二十人掛けの長テーブルが五列、ゆったりとした間隔で並べられているのだが、メインテーブルに近い中央三列の最前席が、本日呼ばれた伯爵六名の席になっている。

 つまり、宮中伯麾下八伯のうち断絶した一家を除く七家が、この日、十数年ぶりに一堂に会したのである。


「これほど素晴らしい食堂ですもの、どんなお料理を頂けるか楽しみでなりませんわね」

「うん、楽しみ」


 ある長テーブルの最前席とその隣席では、フライスガウ伯と彼女の同伴者である乙女が、どちらも水色の瞳を輝かせて微笑み合った。彼女らの向かいに座るコロニア伯夫妻とは、まったく対照的な様子である。

 また、ある長テーブルの最前席で――。


「まさか我ら竜騎士四家が、こうしてまた揃うことになろうとはな……」

「あのバケモノがそう簡単にくたばるとは思っていなかったのですが、生きている姿をこの目で見た時はさすがに驚きました」


 ――武人然とした初老の男、グーデンスブルク伯が、感慨深げにエーリヒを眺めると、向かいに座るグラーフシャフト伯は苦笑しつつ先輩竜騎士に倣った。

 そして、別の長テーブルの最前席では――。


「お聞きしましてよ、あなたの不在中にシュタイファーが襲われたことも、そのせいで厄介ごとが持ち上がったことも……。急逝されたお父君に代わって家を継がれたばかりだというのに、あなたも災難でしたわね」

「はは……。まあ、こうして伝説の竜騎士殿にお会いすることができたのですから、今日は面倒ごとなど忘れることにします」


 ――気遣いを見せるノイエンアーレ伯に力なく笑い返したあと、凛とした雰囲気の若い女性、シュタイファー伯が、向かいに座る小柄な美女から憧れの英雄に視線を移した。


「皆様、タウルス=レーンガウ伯より謝辞がございます」


 ほどなくして熊野からのアナウンスが入ると、おもむろにカールが席を立ち、静まった客たちに向かって口を開いた。


「このたびは当家の招きに応じ遠路はるばるお越しくださり、感謝の言葉もございません。これからは私も皆様と同じく、レーン宮中伯閣下をお支えしてまいりますので、よろしくお願いいたします。――さて、私は武骨者ゆえ、これ以上長々とは申しません。本日は至高の料理をご用意しましたので、どうかご堪能ください」


 カールの挨拶が終わるや、彼と仲の良い貴族たちを皮切りにして拍手が沸き起こり、それが落ち着いたところで、飾り皿の上のナプキンが空中浮遊して各人の膝上に納まった。


「手指やお口を拭かれる際は、テーブルクロスではなく、こちらのナプキンをお使いください」


 さすがは熊野、客が恥をかかないように各人の耳元でそっと説明する気配りである。

 そうこうするうちに飾り皿がフヨフヨと飛んでゆき、代わりに、アペリティフ(食前酒)であるシャンパーニュのボトルと、アミューズグール(先付け)の載った皿が、各席まで空中を浮遊して来た。

 昭和初期には無かったアミューズグールをコースに採り入れているあたり、熊野が現代知識を貪欲に吸収した証拠であろう。

 続いてシャンパーニュボトルの栓が一斉に抜かれると、小気味よい音の重なりに驚きと感嘆の声が上がり、たちまち食堂は華やいだ雰囲気に包まれた。

 しかし――。


「なんだこれは! 泡が出ておるではないか! 温度管理に失敗して二次発酵した安ワインなど、とても飲めたものではないわ! エックシュタイン家はよりにもよって、このような安物を宮中伯閣下に飲ませる気か!」


 ――どこにでもクレーマーは湧くものである。グラスに注がれたシャンパーニュを見たとたん、鬼の首を取ったとばかりにコロニア伯が大声を上げた。

 すると、ワインに詳しい貴族たちからも、グラスに注がれた液体に眉をひそめる者が出始める始末……。シラけ始めた場の雰囲気を確認し、今こそエックシュタイン家を攻撃する好機と見たコロニア伯が、追い討ちをかけるべく大きく息を吸い込んだ、その時――。


「うまいっ!」


 ――弾んだ声が大食堂に響いた。

 人々からの視線が集中するなか、その声の主、ワイン大好きラッツハイム男爵は、グラスの中のシャンパーニュを興奮気味に眺めつつ、声を大きくして褒め讃え始める。


「至高なる三女神に誓って申しますが、これは断じて失敗作などではありません! 寒冷地で栽培される葡萄特有の強烈な酸味は抑えられ、むしろ優しさすら感じる味わい、この信じられないほどの透明度、フルーティで華やかな薫り、あとを引かず食前酒にはもってこいのスッキリとした甘さ、そしてこの、きめ細かな泡が立つからこその爽快感! これは温度管理に失敗したものなどではなく、意図的に泡を出すため完璧な製法と管理の下で作られた、まさに至高の食前酒ですぞ!」


 そう言いきってシャンパーニュを飲み干す彼を、文字どおり鼻で笑い、コロニア伯はグラスを持ち上げた。


「ふん、誰かと思えば、エックシュタイン家の通信官ではないか。そうやって助け舟を出したつもりだろうが、嘘をつくならもっと上手い嘘をつけばよいものを、まったくもって愚かな……。よかろう、そこまで言うのなら、これが失敗作であることを今すぐ証明してやろうではないか――」


 カイゼル髭の先をひと撫ですると、シャンパーニュを口に含むコロニア伯。


「――うっ! うまいっ!」


 とたんに目ン玉ひん剥いて絶賛したかと思えば、ついつい全部飲み干してしまうコロニア伯……。

 すると、そんな彼の様子を見て我先にとグラスに口をつけた人々から、感嘆の声が上がり始め、食堂内に華やいだ空気が戻った。


「はっ!? しまった! ……た、たしかにこの食前酒のことは認めざるをえまい、うむ。――しかし、この料理はなんだ!」


 我に返ったとたん、赤面しつつもシャンパーニュを認めたコロニア伯だったが、すぐさまテーブル上をビシッと指差して、次なるイチャモンをつけ始めた。

 そこに置かれているのは、アミューズグールとして出されたひと皿である。

 和食の先付けに着想を得て生み出されたといわれるアミューズグールは、食前酒のアテとしてだけではなく、客を楽しませ、シェフのセンスと料理へのアプローチを披露するという、ないがしろにできない役割を持つものだが、あくまでも先付けであり、ひと口ふた口で食べられるほどの大きさしかないのが通常である。

 今回出された品も、花びら状の陶製スプーンに料理を盛り付け、それを三本だけ皿の上に配したものであるが、それら三本のスプーン上にある小さな料理のひとつひとつが、紛れもなく手の込んだ品であり、また、見た目のほうも、それぞれが芸術品のように美しかった。現に、これを見た女性客の多くも、瞳輝かせて小さく歓声を上げたものだが……。


「宴席料理といえば、もっと豪快に料理の数々をドドンと並べるものであろう! それがなんだこの量は! たしかに見栄えだけは繕っておるようだが、これっぽっちで腹が膨れるものか、至高の料理が聞いて呆れるわ!」


 コロニア伯はこれが料理のすべてだと思ったらしく、またしても鬼の首を取ったかのごとく声を張り上げた。

 まあ、それも致し方ないのかもしれない、こちらの国々で宴席料理といえば、一度に並べられるものと相場が決まっているのだから。


「会場を飾り立てるのに有り金を注ぎ込んだうえ、見栄を張って客全員に晩餐を振る舞おうなどとするから、肝心の料理にまで手が回らなくなるのだ! このように粗末極まりない晩餐、宮中伯閣下に対しあまりに失礼だとは思わ――」

「うるさいわこわっぱ!」


 意気揚々と追及するコロニア伯を、エーリヒが一喝で黙らせた。


「文句なら食うてから言わんか! ――おお! うまい! これは絶品でございますな、クマノ様」

「ありがとうございます、エーリヒ様」


 鋭い眼光でコロニア伯を射抜いたあと、エーリヒはスプーン上の料理をひとつ自分の口に放り込み、たちまち目を丸くして熊野の仕事ぶりを絶賛した。

 その言葉に声を弾ませて熊野が答えると、コロニア伯の向かいに座るフライスガウ伯とその同伴者が、期待に満ちた表情で料理を口に運び――。


「おいしい! 泡のような食感がするこの部分、この風味はまさか、白アスパラガスを使っているのでしょうか? この季節ではありえないことですわ。それに、まったく味わったことのない調味料や食材も使われているようですし、どのような調理方法が使われているのかも想像さえつきません。見た目も宝石のように美しいうえ、小さな料理のひとつひとつが完璧な作品として完結しているなんて、とても信じられないことです。まるで、スプーンの上に小さな世界が構築されているようですわ!」

「こっちのは新鮮な海産物を使ってた。まるで味の宝石箱」


 ――ふたり揃って絶賛した。

 すると、他の客たちも次々に続き始め、口々に料理を褒め称えた。

 そんな人々の様子をオロオロと見回すコロニア伯……。


「そ、そんなはずは…………うっ! うまいぞーっ!」


 とうとう彼はスプーンのひとつを口に運び、すぐさま目を見開いて感嘆の声を上げてしまった。……グルメ漫画のごとく。


「皆様、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに、最適なタイミングでお召しあがりいただくためにも、本日は異国の作法に倣い、料理を一品ずつ順番にご提供しておりますので、ご心配なさらずとも、これがすべてではございません。まだ晩餐は始まったばかりでございます、このあとに続きます料理の数々も、どうかごゆっくりとご賞味くださいませ」

(もっと早く言ってくれ……)


 相手がカールを嵌めた張本人と知ってか知らずか、絶妙なタイミングで熊野が皆に説明すると、コロニア伯は真っ赤になって俯くのであった。



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