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第一二二話 旅立つ前に 五 ようこそ



 さて、そろそろ種明かしをせねばなるまい。

 緊急家族会議が開かれたあの夜のこと、コロニア伯のドタキャンのせいで窮地に陥ったカールたちを前に、自分も手伝えないものかと熊野と脳内会議した結果、真綾はある答えを得た。

 その答えを、熊野が真綾の口を借りて説明したのだが――。


「そんなこと本当にできるの!? ……まあ、マーヤとクマノさんなら本当にやっちゃうんだろうね。……でもねマーヤ、これ以上アンタに助けてもらったら、アタシらみんなバチが当たっちゃうよ。……ありがたく気持ちだけ貰っとくね」


 アンナはその突拍子もない内容にまずは驚き、すぐに納得したかと思えば、やわらかく微笑んで真綾の申し出を断り――。


「アンナの言うとおりだ。それに、これはエックシュタイン家に与えられた試練だから、ラ・ジョーモン家の姫君に押しつけるわけにはいかない。……ありがとうマーヤ、きみの心遣い、とても嬉しいよ」


 カールもまた、一度アンナと顔を見合わせてからやんわりと辞退した。


「……」


 ふたりの見せたそれが拒絶などではなく、自分を巻き込むまいとの気遣いであろうことは、もちろん真綾にもわかったが……彼女は何も言わず表情も動かさない。

 にわかに静寂の訪れた室内に、薪の爆ぜるパチパチという音だけが不規則に響いた。

 すると、それまで石のように黙っていたエーリヒが、表情に乏しい彼女の美貌を見やったあと、おもむろに口を開いた。


「……のう、お前たち、せっかくマーヤがこう言うてくれておるのじゃ、ありがたく受けようではないか」

「しかし、父上――」


 貴族ならば己の知恵と力で苦難を乗り越えろ――。それがエーリヒの信条であったはず。普段なら真っ先に辞退するはずの父が発した信じがたい言葉に、カールは戸惑いつつも言葉を返そうとし……。


「……私も、家族だから」


 ……静かな声で紡がれた真綾自身の言葉を聞き、ハッとした。

 彼女のことを娘と呼んだのは自分ではなかったか? 無論、自分たちは実際に彼女を家族のように思っているが、彼女もそう思ってくれていると自分はどうして考えなかったのか……。他家の姫君だからといってエックシュタイン家の問題から遠ざけられ、彼女はどう感じただろう?

 そういった気づきや後悔とともに、彼女の口から家族だと言ってもらえた喜びが、涙となってカールの頬を伝い始める……。


「……そうだ、そうだったね。マーヤ、きみは私たちの大切な娘だ……」

「ごめんね、マーヤ……」


 口下手な少女の発した不器用な言葉に心震わされ、熊のような顔を綻ばせるカール、そして横から真綾に抱きつき涙を流すアンナ。そんな家族の様子を眺める老人もまた、皺深い顔を綻ばせるのであった。

 その後、旅立ちを決めたこと、これを置き土産にしようと考えていることを、真綾自らカールとアンナに打ち明け、ふたたびアンナが抱きついてオイオイ泣くという場面もあったが、こうして真綾の提案は受け入れられた。

 それでは、いったいその提案とは何だったのだろう?


 緊急家族会議の翌朝――。


『さあ真綾様、これより工事開始でございます。何やら霧が出てきた模様ではございますが、災害ゼロでまいりましょう! それでは、ご安全に!』

「ご安全に」


 レーン川沿いにあるあの荒れ地で、熊野の元気なかけ声を復唱したかと思えば、荒れ地の一部を【船内空間】へ収納し、今度は湿地のほうへ高速移動して土砂を出現させる真綾。中学校のジャージに身を包み、首にはタオルを掛け、なぜか工事現場用のヘルメットを被り……。

 そういった作業を、彼女は黙々と繰り返していった。……無論、食事休憩やおやつタイムはしっかり確保して。


 そして、工事開始から二日後の夕方――。


『さあ、ようやく水が満ちましたよ真綾様! さっそくわたくしの本体を召喚してくださいませ、今夜はエックシュタイン家の皆様もお呼びして、完成記念パーティにいたしましょう! ――あ、皆様をお呼びする前に、軽く牛丼でも召しあがりますか?』

「やったね熊野さん、明日はホームランだ」


 霧により果ても見えぬ水面を前にして、久方ぶりの水上召喚にテンションが上がる熊野、そして、牛丼に触発されたのか、昭和くさい言葉とともに熊野丸を召喚する真綾。

 ……もうおわかりだろう、あの入り江がいかにして造られたか、そして、謎の城館の正体は何なのか。……そう、真綾……というより熊野が提案したのは、熊野丸を祝賀会の会場として利用する、ということだったのだ。しかも、水深の浅いレーン川に熊野丸を召喚するわけにもいかないため――。


「『ちょうど良さそうな候補地もございますし、停泊場所が無いのなら造ってしまえばいいのです!』だって」


 ――という感じで、先に召喚場所を造ってから。

 そんなわけで、真綾は【船内空間】を駆使することで、あの荒れ地に、東西一四〇〇メートル、南北二〇〇メートル、深さ五メートルの超巨大プールを造り、その中央部分をさらに掘り下げて熊野丸の停泊場所を確保すると、レーン川とプールを隔てている細長い土地に、レーン川下流へ向けた水路を通すことで、川の水をプールへと引き込み、ついにこれを入り江としたのだ。

 しかも、【船内空間】に収納した土砂を使い周辺の湿地を埋め立て、レーン川沿いの土地には船曳き道を完備した堤防まで築くという、なんとも熊野らしい周到さで……。


「わずか三日足らずでこれを完成させてしまうとは……。あとは護岸工事をし、港湾設備を整えてやるだけで、レーン川の中流域以上では類を見ない大港になるぞ……」

「むふー」


 ややドヤ顔気味な真綾の前で、この入り江を初めて目の当たりにした際、さすがのエーリヒも呆然としてしまったことは、あえて説明するまでもないだろう……。

 ちなみに、馬丁や案内役など外にいたスタッフたちは皆、エックシュタイン家の庇護下に戻る下級貴族たちから借りた使用人である。宮中伯預かりとなってから肩身の狭い思いをしてきたラッツハイム男爵たちは、カールからの頼みに喜び勇んで応じてくれたのだ。


      ◇      ◇      ◇


(こやつ、今の今まで完全に気配が無かったぞ。この私がここまで接近を許すとは……)


 突如として現れた漆黒の魔神(……まあ、ぶっちゃけ真綾だが)を前に、冷たい汗を垂らすコロニア伯……。

 そんな彼をよそに、案内役は――。


「こちらが本日最後のご来賓、コロニア伯ご一行様でいらっしゃいます。ご案内のほう、よろしくお願いいたします」


 ――至って和やかな様子で真綾に話しかけ、真綾のほうも素直にコクリと頷いた。


「え……」

「それでは皆様、こちらの赤絨毯の上へお並びください、これより会場へご案内いたします。――ああ、護衛の方々も、どうぞご遠慮なさらずに」


 最初は目を点にしていたコロニア伯も、平常運転な案内人の様子を見ている間に、(なんだ、この黒いのは迎えに来た騎士であったか)などと納得しつつ、言われたとおり夫人や側仕えたちとともに、地面に長々と敷かれている赤絨毯を踏んだ。

 また、本来なら外で待たされて然るべき護衛たちにまで案内役が勧めると、声をかけられた彼らは戸惑いつつも、大人しく赤絨毯の上に並んでいった。

 入り江に向かって整列した彼らの目に、霧に包まれ何段にも列を成す窓明かりが映る……。


(これから送迎船に乗って向かうのであろうが、あの書き割り館の中で、いかに滑稽な光景が見られるか、期待に胸も躍るというものだ)


 ほくそ笑むコロニア伯――。


(ああ、早く終わらないかしら、本当に気が重いわ……)


 ――億劫そうな夫人。


(側仕えの食事など用意されないのがこういった宴の常。今宵も空腹に耐えるとしましょうか……)

(宿へ帰るまでの辛抱ですわ……)


 最初から期待などしていない、伯爵の従者と夫人の侍女――。


(寒さを凌げるだけでもありがたい! 我々まで館に招き入れてくれるなんて、エックシュタイン家は懐が深いな!)


 ――そして、思いもよらぬ厚意に喜ぶ護衛たち。

 そういったバラエティ豊かな感情を乗せた赤絨毯を、真綾が踏んだ――瞬間!

 コロニア伯一行の姿は掻き消えた。


      ◇      ◇      ◇


 コロニア伯一行が赤絨毯ごと瞬間移動した先は、かつて花を初めて迎え入れた場所にして、熊野丸に乗船した一等以上の船客がまず訪れる場所、一等エントランスホールであった。


「なっ! 何が起きたというのだ!? 瞬く間に風景が変わったぞ!」

「恐いわアナタ、ここはどこなのかしら?」


 コロニア伯夫妻が驚くのも当然である、瞬間移動という概念すら持ち合わせていないのだから……。

 彼らをここに連れてきた張本人は黙って再瞬間移動していったため、今は説明してくれる者がいない状態なのだが、その現状に彼らが気づく間もなく、自分たちを取り巻く世界が一瞬で変わったことへの驚きは、他の驚きに塗り替えられてゆく――。


「……私は夢でも見ておるのか? 見たこともない様式の内装ではあるが、なんと素晴らしいホールだ……。金に糸目をつけず揃えたであろう部材の数々もさることながら、ここを手掛けた職人たちのなんと優れた技量か。さりげなく施された細工のひとつを見ても――おお、なんと! 昼間のごとく明るいかと思えば、吹き抜け部分の天井全体が、ガラス張りの魔導照明になっておるではないか!? それによく見れば、その他の場所にも惜しげもなく魔導照明を使っておるぞ! なんと贅沢な……」

「ホントに素敵なホールですこと……あら、アタクシ、なんだか暑くなってきたわ、コートを…………そう! 暖房よ! 暖房が効いているのよココ! 見たところ暖炉があるわけでもないのに、まるで春のような暖かさだわ。セファロニアの王宮でさえ、暖炉の前以外では寒さに震えなければならないのに!」


 一流の職人たちと莫大な資金を投入して作られた内装を目にして、コロニア伯が驚きと感嘆の声を上げると、夫人はホールをウットリ眺めたあと侍女にコートを脱がせてもらいつつ、室温の不思議に気づいた。

 照明が電灯というものであることも、暖房がボイラーの蒸気を利用したものであることも、無論、この世界で生きる彼らには知るよしもない。


「先ほどから聞こえているこの音楽、チェンバロとも少し違う楽器のようですが、なんと情感豊かな音色でしょう……」


 音楽好きなのか、ホール脇にあるラウンジから流れてくるグランドピアノの音に目を閉じ、ウットリ聞き入る従者。


「ええ、そうですわね……あら? 優美な大階段の上に飾られているのは、至高なる三女神様の一柱、海の女神様を模したレリーフでは? ああ、なんて神々しいのでしょう……」


 信心深いのか、大階段の踊り場に飾られたレリーフを見るや膝をつき、厳かに祈り始める侍女。


「暖かい……」


 そして、ただただ幸福そうに目を細める護衛たち。

 思い思いの反応をする彼らの耳に、ほどなくして、若い女性の明るく澄んだ声が聞こえてきた……。


「ようこそ、熊野丸へ!」


 ……ここぞとばかりに張りきる、熊野の声が。



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