第一一九話 旅立つ前に 二 緊急家族会議
その夜、子供たちを寝かしつけたあと、暖炉の明かりのみが仄かに照らすなか、カール宅では緊急家族会議が開かれていた。
「やられたのう」
「やられました……」
「やられちゃったね」
「……」
次々に口を開いては同じことを言う、エーリヒ、カール、そしてアンナ。……相変わらず真綾だけは無言である。
「……やはり、兄を殺された仕返しのつもりでしょうか?」
「表向きは宮中伯が処刑したことになっておるが、巷ではエックシュタイン家が成敗したと噂されておるからのう」
「兄弟仲は悪かったようですし、現に私がエーデルベルクで会った際も、恨みごとを言うどころか謝罪してくれたのですが……」
「まあ、宮中伯の手前、コロニア伯も謝罪せぬわけにはいくまい、たとえ形だけでもな。兄弟愛はなくとも、うちが返り咲いた一方であちらは大恥をかいたのじゃ、心中おもしろくはなかろうよ。……それに、人の心は難しい。たとえ自分が嫌っておる兄であっても、それが悪行を重ねた報いであっても、他人に殺されるのは腹に据えかねる、ということもあるじゃろうて」
――などと話し合う夫と義父を前に、アンナは深く溜め息をついた。
「ハア……。お偉いお貴族様ってのは、もっとご立派なお考えをなさるもんだと思ってたけど、やれ逆恨みだの嫌がらせだのって、ずいぶんと器が小さいじゃないか。これじゃあまるで子供だね」
歯に衣着せぬアンナの発言を聞くや、貴族として民衆を下に見ていたかつての自分を思い出し、エーリヒは少し恥ずかしくなった。
「耳が痛いわい……。先代のコロニア伯は慈悲深く誠実な御仁でのう、さらに宮中伯家への功も大きかったゆえ、ラインハルトもその長男を厚遇し、ヴァイスバーデンの代官に抜擢してやったのじゃろうが、その結果があれじゃし、家督を継いでおる次男のほうも、さすがに兄よりはマトモじゃろうが、どうやらアンナの言うたとおり、ちと器が小さいらしい。リンゴは木から遠くへ落ちぬ(蛙の子は蛙の意)というが、木が大きゅうなれば、遠くへ落ちるリンゴも出てくるようじゃのう」
「うちの木はとびっきり立派だけど、リンゴが近くに落ちてくれたおかげで、アタシ幸せだよ」
そう言ってアンナが明るい笑顔を向けたとたん、揃って照れくさそうに鼻の頭をポリポリと掻く親子、エーリヒとカール。その様子を見てアンナがプッと吹き出したことで、重かった場の空気もいくらか軽くなった。
こんなとき、しみじみとエーリヒは思うのだ。困難を乗り越える強さと明るさを持つこの嫁と、そして可愛い孫たちを、今は亡き妻にも見せてやりたかったと……。
「よし、これしきのことでエックシュタイン家が動じんことを、皆に見せつけてやろうぞ!」
「はい!」
「うん!」
エーリヒの力強い言葉に、これまた力強く頷くカールとアンナ……さて、それにしても、彼らを悩ませる「これしきのこと」とは、いったい何であろうか?
それを説明するために、いったん時を戻すとしよう――。
◇ ◇ ◇
真綾がファーヴニルを瞬殺してエーデルベルクからトンズラした翌日のことだ。
帰ってきたエーリヒや真綾と入れ替わるようにして、カールはエーリヒの指示でエーデルベルクをひとり訪れ、まずはシュナイダー商会に貴族衣装を発注したのだが、用事も終わり商館の外へ出たところで、市壁正門からの知らせを受けたらしいゼバスティアンが現れ――。
「カール! お前は熊かっ!」
「叔父上、久し――」
「久しいも何も十数年ぶりだ! そのようななりをしよって、そのうえ一人前にヒゲまで生やしおって、どこをどう見ても農夫の服を着た熊ではないか! 正門の役人から外見の報告がなかったら、叔父の私でも気づけんかったわ!」
「熊……。叔父上はお元気そうで何よりです。なぜ従僕ではなく、わざわざ――」
「お前を連行するために決まっておろうが!」
「連行……。それにしても早すぎませんか? 火急の用でもない限り――」
「はあ!? 火急ぅ!? これが火急でなくて何が火急か! 宮中伯閣下より『大至急、丁重にカールお兄様をお連れするように!』と命じられたのだぞ! 一難去ってまた一難とはいうが、本当にお前たち親子ときたら……。さあさあ、とっとと馬車に乗らんか!」
「え? いや――」
「さあ!」
――と、農夫の格好をしたままの彼を馬車に押し込めるや、問答無用で城へと拉致していった……。
まあそんな感じで、エーデルベルク城にて再会を果たした宮中伯親子と、カールは積もる話に花を咲かせていたのだが――。
「カールお兄様も結婚なさったのでしたね……」
――などと、幼少のころより兄と慕っていたカールの結婚を、あらためて本人の口から聞いたことで、ゾフィーアが少しブルーになってしまったことは、本筋とまったく関係ないことなので割愛しよう。
いったん宮中伯親子とともに昼食を摂り、やがて、カールの胃も落ち着いてきたころのことだ――。
「カールお兄様、あのような愚物を代官として派遣し、お兄様の領民を苦しめてしまったことについては、宮中伯として最初に謝罪いたしましたが、ちょうど今、コロニア伯がエーデルベルクに来ておりますの。麾下の伯爵同士にわだかまりがあっては当家としても困りますし、カールお兄様さえよろしければ、コロニア伯にも謝罪の機会を与えてあげたいのですが……」
――と、ゾフィーアがひとつの提案をしてきた。
懐の広いカールがそれを断るはずもなく、ゾフィーアの用意してくれた城内の一室にて、彼はあの悪代官の弟であるコロニア伯から謝罪を受けることになった。
やがて一同が移ったその部屋に、しばらくしてから招き入れられたのは、レオンハルトの父であるグラーフシャフト伯より少し年かさの男――コロニア伯だ。
宮中伯親子が揃って見守るなか、彼は農夫の格好をしているカールに目を留めるや、一度だけピクリと片眉を上げると――。
「おお、エックシュタイン卿!」
――にこやかな表情をすぐに作り、そのまま両手を広げつつカールのところまで歩み寄ってきた。
「宮中伯閣下からお聞きしましたぞ、こたびは家督を継がれ、タウルス=レーンガウ伯として封ぜられるとか、まずは、お祝い申し上げる」
「ありがとうございます」
まずコロニア伯が自分の胸に手を当て祝いの言葉を述べたあと、カールも胸に手を当ててそれに返した。
どうでもいいことだが、兄と同じくコロニア伯の鼻の下でもピンと立っているところを見るに、カイゼル髭はこの一族の伝統なのだろうか?
「……そして、とうの昔に宮中伯家へ入っていたとはいえ、我が実兄のしでかした不始末、誠に申しわけない。貴殿の領民たちが味わった苦痛を思うと、私も胸が引き裂かれそうだ。一族の長として心より謝罪させていただく」
「いえ、あなたに罪は無い。この話はこれで終わりにしましょう」
胸に手を当てたままコロニア伯が頭を垂れ、殊勝な様子で謝罪すると、カールは至って大人な対応をしたのだが、それを聞くやコロニア伯はカイゼル髭をピンと立て、さも驚いたように顔を上げた。
「なんと! 許してもらえると!? さすがはエックシュタイン卿、熊のごとき見た目に負けず器も大きい、感服つかまつったぞ。……しかし、このままただ許してもらったのでは当家の名折れというものだ、何か――」
破顔して喜んだかと思えば、なぜか取って付けたように考え込むコロニア伯……。ここ! まさにこの時こそが、エックシュタイン家を悩ませる問題の始まりであった!
「――おお! そうだ! エックシュタイン卿、タウルス=レーンガウ伯として封ぜられるからには、無論、宮中伯領内の諸卿を招き祝いの宴を開くのであろう?」
「ええ、いずれ、親交のある者だけを――」
「いずれ!? 何を悠長なことを! 貴族家当主の先達として言わせてもらうが、このようなことはできるだけ早く、そして盛大に行わねば、エックシュタイン家が軽んじられることになるぞ」
答えるカールを途中で遮り、急に先輩風を吹かせるコロニア伯であったが、彼の言うことにも一理ある。実のところ、まさにここが貴族としての力の見せどころなのだ。
しかし、理屈ではわかっていても、できないこともある……。
「……ですが、一族代々の居城であったエックシュタイン城は、長年放置していたため老朽化が激しく、ヴァイスバーデンの館も大勢を迎え入れるには手狭で、それ以前に、未だ料理人はおろか奉公人のひとりすら――」
「皆まで言わずともわかっておる、エックシュタイン卿。なればこそ――当家の出番というわけよ!」
宴を開けぬ現状を伝えていたカールの両肩を、バンッ! と、いきなり両手で掴み、コロニア伯はカイゼル髭の片方を立ててニヤリと笑った。
「はあ……」
「我が居城を会場として貸そうではないか! 料理長を始めとする使用人たちもな! もちろん食材や酒などもすべてこちらで用意するぞ。さすれば、当家としては体面を保てるし、また、両家が和解した証ともなるゆえ、我らの領袖たる宮中伯閣下も安心されよう。――なあに、心配せずとも、〈後ろに誰がおるか〉、〈いざというとき誰の力を借りられるか〉、ということも、貴族にとっては大事な力のひとつゆえ、会場の貸し借りをしたところで誰も文句は言わぬだろう。――帝国最大の都市と名高いコロニアの洗練された料理ならば、タウルス山地やレーンガウの田舎料理などと違い、舌の肥えた客たちを満足させること請け合いゆえ、エックシュタイン卿も大いに期待してくれてよいぞ」
祝賀会場の提供を提案し、そのまま、立て板に水の勢いでペラペラと喋り続けるコロニア伯。ここで――。
「それはおも……良い考えね、わたくしも出席いたしましょう」
困った子がノリノリに乗っかってきた……。
「おお! 宮中伯閣下がいらっしゃるとなれば、エックシュタイン卿も鼻が高いというものですな!」
「エックシュタイン家にはまだ文官もいないでしょうから、当家のほうから招待状を出しておきましょう。……我が陣営に属する貴族のうち、城伯家以上の当主すべてに。もちろん、エックシュタイン家と懇意にしている男爵たちも呼びましょう。――コロニア伯、開催日はいつがいいかしら?」
「そうですな、ご婦人方の支度もございましょうし、最も遠い領地から来る者のことを考えますと――」
こうしてゾフィーアとコロニア伯により、カールのつぶらな瞳の前で、あれよあれよと言う間に祝賀会の開催が決定されていった……。
◇ ◇ ◇
さて、本人の意向も聞かず祝賀会の開催が決定されたわけだが、コロニア伯に万事任せておけばいいのだから、さしてエックシュタイン家が困るということもないはずである。では、緊急家族会議が開かれた理由は何なのだろう?
実は、祝賀会の開催決定から七日経った、まさに今日のことだ。祝賀会の件で話があるということで、カールは朝早く、宮中伯家を介したラタトスク通信で、急にコロニア伯の居城へ呼ばれたのだが、そこで、彼は信じられない言葉を耳にした。
「おお、エックシュタイン卿、よくぞ来られた。ワインの一杯すら出さず、いきなり本題に移るのも不躾ではあるが、わずかな時間も無駄にせぬほうが貴殿のためと思うゆえ、早々に言わせてもらうぞ。……誠に言いづらいことなのだが、実は城内で流行り病が発生してな、料理長を始めとする料理人たちや給仕係の者らまでも、ことごとく臥せってしまったのだ」
「では……」
「何しろ症状が重いゆえ、祝賀会までには治らぬであろうな……。それに、流行り病の蔓延しておる城で宴席を設けるわけにもいくまい? 誠に心苦しいが、どこか他を当たってくれ。会場変更の旨を招待客へ伝えるのは、宮中伯閣下にラタトスク通信を使っていただければ問題なかろう。――ああそれと、すでに出発しておる者もおろうから、開催日の延期まではせんほうがいいぞ、エックシュタイン家が恨まれてしまいかねんからな」
料理人がことごとく病に臥せった、などと言うわりに、やたら血色のいい顔でカールに事情を説明するコロニア伯、最後には、いけしゃあしゃあと無責任なことを口にして……。そう、カールはドタキャンされたのである。
これこそが、エックシュタイン家を悩ませている大問題であった。




