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第一一話 大鴉の森 五 あらあらうふふ


 ひとしきり会話したあと、お友達を救い出してくれたお礼にと、クレメンティーネが上質の蜂蜜や熟れた果実をたっぷりくれたため、思わぬごちそうに気をよくした真綾は、それならばと【船内空間】からダイニングセットを取り出し、彼女と一緒に昼食前のティータイムを楽しんでいた。

 クレメンティーネの言うには、精霊である彼女は食事をする必要がないのだが、決して不可能というわけではなく、人間と同じように味覚もちゃんと備わっているそうだ。


「わたくしが人間のお料理を口にするのは、およそ百年ぶりですが、これは初めて頂きました。甘くてフワフワしていて、本当においしいですね」


 口の端に蜂蜜をつけたまま、にこやかにクレメンティーネが口を開いた。

 突如出現したダイニングセットに目を丸くしていた彼女も、たっぷり蜂蜜のかかったホットケーキをいたく気に入ったようで、真綾に倣いナイフとフォークで最初のひと切れを口にしたあとは、真綾同様、ずっと無言で食事に集中していたのだ。

 どうやらクレメンティーネは六枚目にして、ようやくしゃべる余裕が出てきたようである。……そう、この機を逃したらこの料理を二度と食べられないと思ったのか、彼女が現在食べているのは真綾と同じく六枚目なのだ……。

 楚々とした美人がふたりで囲むテーブルとしては、いささか食物の消費量が多いようだが、……致し方あるまい。


「『お気に召したようで何よりです。そのようにおっしゃっていただけますと、お作りしたわたくしも嬉しゅうございますよ』」


 クレメンティーネよりひと足先に六枚目をたいらげた真綾が、熊野の嬉しそうな言葉を得意の声真似で伝えた。

 実は、先ほど挨拶を交わしたあと、クレメンティーネに興味を示した熊野が挨拶をしたがったため、こうして久しぶりに、真綾の高い熊野真似スキルが遺憾なく発揮されているのだ。

 最初のうちは熊野の言葉を伝えるたびに、「熊野さんが、――だそうです」などといちいち言っていた真綾だったが、クレメンティーネが「それではたいへんでしょう」と気遣ってくれたため、今ではダイレクトに熊野真似をしている。


「クマノ様はお料理がたいへんお上手なのですね。あまりにおいしいものですから、わたくし、少々食べすぎてしまいましたわ」

「『あらあら、クレメンティーネ様ったら』」

「うふふ……」


 あらあら、うふふ……大昔のお嬢様学校か……。やはり波長が合うらしく、この調子でクレメンティーネと熊野は楽しそうにおしゃべりを続け、律儀な真綾はその間、延々と熊野真似スキルを発揮し続けるのだった……。


      ◇      ◇      ◇


 結局、馬の合うふたりがおしゃべりを続けている間に昼時となり、そのままクレメンティーネも交えて昼食を摂ったのだが、幸いにも彼女が真綾と同じく食事に集中する派だったため、その間だけは熊野真似スキルから解放されて、心ゆくまで料理を堪能できた真綾だった。


「『――それでは、その〈湖の乙女〉とおっしゃるお方が、この森を治めていらしたのですね?』」

「はい。――〈湖の乙女〉とは、ひとつの種族名ではなく、湖に城を建てて住む女精霊の総称ですので、正体が水の精霊であったり女魔法使いであったりと、個々で力のバラつきがとても大きいのでが、……間違いなくあのお方は、神と呼ばれても不思議ではないほどの大精霊でいらっしゃいました。ですので、大昔は凶暴な魔物が多く棲息していたこの大森林も、私が生まれる前にはもう、湖の乙女様のお力により、人間が住めるほど平和な森となっておりました」


 まったりと食後のお茶をしながら、クレメンティーネは大鴉の森について話してくれていた。どうやら、今では危険な魔物が跋扈するこの森も、昔は湖の乙女という主の存在により平和が保たれていたようだ。


「『クレメンティーネ様、ここから南へ四日ほど歩いたところに、大きな湖があるのはご存じでしょうか? その湖の中に、魔物たちからの襲撃を受けたらしい廃城があったのですが……』」

「はい、そのお城こそ、湖の乙女様の居城、〈ラーヴェンブルク〉です」

「詳しくお願いします」


 あの女城主とつながった! 女城主の儚げな顔を思い浮かべた真綾は、クレメンティーネのエメラルドのように美しい瞳を見つめ、熊野が脳内でしゃべるより先に自分の言葉で尋ねた。


「はい。――長年、あのお城でひっそりと暮らしていらっしゃった湖の乙女様ですが、ある時、深い傷を負ったひとりの青年を森の中でお見つけになると、村娘に化けて声をおかけになったそうです。すると青年は、大怪我の苦痛に苛まれている自分のことよりも、森で迷ったと言う村娘の身を真剣に案じてくれました。その誠実な人柄に感じ入った湖の乙女様は、気を失った彼をお城に連れ帰られ、傷の治療と看護をされたそうです。――やがて、昼と夜とが何度か交代を繰り返す間に、……誠実で心優しい青年と、彼を甲斐甲斐しく看護なさる湖の乙女様、おふたりが惹かれ合い、燃えるような恋に落ちてしまわれたのは、必然だったでしょう――」

「『まあっ! 詳しく!』」


 熊野の乙女心が爆発した。その一方で真綾はというと……。テンションの高くなった熊野の声を完全再現しているにもかかわらず、器用なことに表情がピクリとも動かない。そんな真綾を見て、(ラタトスクみたいに声真似がお上手だわ)と感心しつつ、クレメンティーネは話を続けた。


「――ですが、……やがて若者からプロポーズされた湖の乙女様は、寿命の短い人間とのご結婚を躊躇なされたそうです。心から愛するがゆえ、それを失ってからの長く虚しい日々を想像されて……」

「『……ああ、なんと切ない……。それで、おふたりは?』」

「苦悩される湖の乙女様に、青年はこうおっしゃいました、『それならば、僕は子孫を遺そう! ふたりの子孫を! きみは続いてゆくその子たちのことを愛してやってくれないか? そうすれば、僕が先に逝ってしまっても、きみはずっと、その子たちの中に息づく僕を感じられるだろう?』と……」

「『まあっ! なんて情熱的な! それで?』」

「うふふ……クマノ様もおわかりでしょう? 愛するお方にそんなことを言われたら、乙女は堪りませんもの。――結局、湖の乙女様はそのプロポーズをお受けになり、おふたりはめでたくご結婚なさったのです」

「『キャ~!』」


 ロマンチックな話に花咲かせる彼女たちの様は、さながら、大昔の女学生のようであった……。

 恋バナにすっかりテンションの上がった熊野の声を完全再現していても相変わらず全然表情が変わらない真綾に、(本当に器用なお方です……)と感心しつつ、クレメンティーネは話を続ける。


「やがて、湖の乙女様はお子様にも恵まれ、ご家族とご一緒に、ラーヴェンブルクでお幸せな日々を送っていらっしゃいました――」


 城の寝室に飾ってあった幸福そうな家族の絵を思い出し、真綾は胸が温かくなるのを感じた。


「――そして数年後、お生まれになったのお子様のうちおひとりが、召喚能力に目覚められました。やがてそのお子様は、ご成人とともに人間社会で貴族となられて、領地経営に便利な場所へと移られたのですが、湖の乙女様にとっては距離とも呼べない距離。その後もずっとラーヴェンブルクからお子様を見守られ、そして旦那様やお子様方が亡くなられたあとも、時の流れとともに代替わりしてゆくご子孫の方々と、温かな交流を続けておいででした。……あの日までは」


 やわらかな微笑みをたたえていたクレメンティーネの表情が、そこまで言うと急に曇った。


「『あの日?』」


 そう尋ねたのは、真綾なのか熊野なのか……おそらく、その両方だったろう。


「はい。わたくしは時間というものにあまりこだわりませんので、あいまいで申しわけないのですが――今から百年ほど前だったと思います。突如として現れた魔物の軍勢が、湖の乙女様の居城ラーヴェンブルクを襲撃したのです」


(熊野さん)

『はい、あれは夢ではなかったようですね』


 古城で幻視した壮絶な光景を、ふたりは思い出していた。


「湖の乙女様はその襲撃を予見なさっていたようで、前もってご子孫の家臣をお使いになり、森に住む人間たちすべてを避難させていらっしゃいました。そのため、奇跡的にそちらの被害はなかったのですが…………詳しく、お話ししますね」


 クレメンティーネは遠い記憶を呼び起こそうとするように、エメラルドグリーンの瞳を宙に向けた。


「――敵は、空を埋め尽くすほどのハーピーたち、陸にはゴブリンやレッドキャップから成る大軍、それから……頭が羊や牛馬であったり、巨大な腕を一本だけ持っていたり、といった異形の巨人たちや、それらを統率するさらに大きい巨人などもおりました。いずれもこの森周辺で見かけたことのない魔物ばかりで、それらが、湖の乙女様のいらっしゃるお城に向けて、空と森を怒濤のごとく進軍したのです」

「『守備側は……』」


 一度言葉を切ったクレメンティーネに熊野が尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「湖の乙女様と、そのご子孫である貴族家ご当主、おふたりだけです」

「『そんな……その貴族家にも手勢が、それに近隣の貴族家などもあったのでは?』」


 それだけの魔物の大軍を迎え討ったのが、たったふたりだというのか……。

 大森林の平和を保ってくれる湖の乙女と、その子孫である貴族家、この両者と友好的な関係を築いているほうが、大鴉の森周辺を治めている貴族にとっては得策なはず。当然そういった貴族はいただろうし、もし普段は疎遠であってたとしても、外敵には協力して対抗するするものではないのか? そもそも湖の乙女の子孫にも手勢はいたはず、彼らは主を放って、どこで何をしていたというのか……。


 熊野の疑問にまた首を振ってから、クレメンティーネは答える。


「わたくしはここを動けない代わりに、わたくしの影響下にある木々を通すことで、森の中なら離れた場所のことも知ることができます。その力で知ったことなのですが、魔物の襲来を前もってお知らせになった湖の乙女様に、協力を申し出てくれる貴族たちはたくさんいたようです。……でも、それらをすべて、湖の乙女様はお断りなさったようなのです」

「『なぜ……』」

「はい、そう思われるのも当然ですね、湖の乙女様から森の精霊と魔物たちに向けて、『この戦いに手出し無用』と通達された時には、わたくしもそう思いましたから。でも、それには理由がございました」


 クレメンティーネはそこまで言うと、冷めてしまった紅茶をひとくち含み、少し渇いた喉を潤した。


「湖の乙女様は、はるか昔に遠い地から来られたお方なのですが、たいへんお優しいうえに律儀なお方でしたので、『この地に住む者たちを、他国から来た自分の争いに巻き込みたくない』と思われたようなのです……。湖の乙女様は、ご子孫の家臣や友好貴族たちには森に住む人々の避難と保護を、わたくしたち、ある程度以上の力がある精霊や魔物には、森に住む弱い精霊や魔物、動物たちの保護を、最優先にするようおっしゃいました」


 クレメンティーネの口から語られる言葉に、真綾の心が震えた。弱き者を守ろうと力を尽くした湖の乙女の生き様に、真綾を流れる羅城門の血が反応したのかもしれない。

 コトリ、とティーカップを置くと、クレメンティーネは続けた――。





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